ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:菊池寛賞

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 今日は、昭和時代前期の1933年(昭和8)に、小説家・医師(医学博士)渡辺淳一の生まれた日です。
 渡辺淳一(わたなべ じゅんいち)は、北海道空知郡砂川町(現在の上砂川町)において、数学教諭だった父・鉄次郎と母・ミドリの子として生まれました。父が札幌工業高等学校教諭となったことをきっかけに札幌市に定住、札幌第一中学校、札幌南高等学校を経て、1952年(昭和27)に北海道大学理類に入学しましたが、1954年(昭和29)には、札幌医科大学医学部に進学しています。
 同年に、処女作『イタンキ浜にて』を発表、1957年(昭和32)には、同人雑誌「凍檣」に参加しました。1958年(昭和35)に札幌医科大学医学部を卒業、翌年には、整形外科学を専攻し,医師国家試験に合格、『境界』で道内文芸同人誌秀作選考、『人工心肺』がテレビ・ドラマ誌脚本募集に入選し、テレビ放映されます。
 1964年(昭和39)に札幌医科大学助手となり、『華やかなる葬礼』で道内同人誌秀作に選考され、1965年(昭和40)には、『華やかなる葬礼』を改稿した『死化粧』で第12回新潮同人雑誌賞を受賞しました。1966年(昭和41)に札幌医科大学医学部整形外科教室講師となり、前年の『死化粧』が第54回芥川賞候補となり、1967年(昭和42)に『霙』が第57回直木賞候補、1968年(昭和43)には、『訪れ』が第58回芥川賞候補となります。
 1969年(昭和44)に札幌医科大学講師を辞職、本格的に作家業に専念するため上京、1970年(昭和45)には、総理大臣寺内正毅をモデルとしたとされる『光と影』で第63回直木賞を受賞しました。1980年(昭和55)に『遠き落日』、『長崎ロシア遊女館』で第14回吉川英治文学賞を受賞、1984年(昭和59)の『化身』発表後、「新耽美派文学」として高い評価を受け、1986年(昭和61)の『静寂の声ー乃木希典夫妻の生涯』で文藝春秋読者賞を受賞します。
 1995年(平成7)に「日本経済新聞」に『失楽園』を連載、1997年(平成9)には、映画化・テレビドラマ化されて一大ブームとなり、“失楽園”が平成9年度新語・流行語のグランプリを受賞しました。1998年(平成10)に「渡辺淳一文学館」が故郷の札幌に完成して一般公開され、2003年(平成15)に紫綬褒章受章、第51回菊池寛賞受賞、2007年(平成19)には、エッセー『鈍感力』が刊行百万部突破し、流行語大賞トップテンに挙げられます。
 医学小説、伝記、男女の愛と性をえがく恋愛小説と幅ひろく執筆してきましたが、2014年(平成26)4月30日に、東京都内の自宅において、前立腺癌のため、80歳で亡くなりました。

〇渡辺淳一の主要な著作

・『死化粧』(1965年)第12回新潮同人雑誌賞受賞、第54回芥川賞候補
・『霙』(1967年)第57回直木賞候補
・『訪れ』(1968年)第58回芥川賞候補
・『光と影』(1970年)第63回直木賞受賞
・『花埋(はなうず)み』(1970年)
・『リラ冷えの街』(1971年)
・『野分け』(1972年)
・『冬の花火』(1975年)
・『女優』(1977年)
・『峰の記憶』(1978年)
・『白き旅立ち』(1979年)
・『流氷への旅』(1980年)
・『遠き落日』(1980年)第14回吉川英治文学賞受賞
・『長崎ロシア遊女館』(1980年)第14回吉川英治文学賞受賞
・『化粧』(1982年)
・『ひとひらの雪』(1983年)
・『化身(けしん)』(1986年)
・『静寂の声ー乃木希典夫妻の生涯』(1986年)文藝春秋読者賞受賞
・『うたかた』(1990年)
・『失楽園』(1995年)
・『愛の流刑地』(2006年)

☆渡辺淳一関係略年表

・1933年(昭和8)10月24日 北海道空知郡砂川町(現在の上砂川町)において、数学教諭だった父・鉄次郎と母・ミドリの子として生まれる
・1946年(昭和21) 札幌第一中学校入学する
・1950年(昭和25) 札幌南高等学校へ入学する
・1952年(昭和27) 北海道大学理類に入学する
・1954年(昭和29) 札幌医科大学医学部に入学、処女作『イタンキ浜にて』を発表する
・1957年(昭和32) 同人雑誌「凍檣」に参加する
・1958年(昭和35) 札幌医科大学医学部を卒業する
・1959年(昭和34) 整形外科学を専攻し,医師国家試験に合格、『境界』で道内文芸同人誌秀作選考、『人工心肺』がテレビ・ドラマ誌脚本募集に入選し,テレビ放映される
・1964年(昭和39) 札幌医科大学助手となり、『華やかなる葬礼』で道内同人誌秀作に選考される
・1965年(昭和40) 『華やかなる葬礼』を改稿した『死化粧』で第12回新潮同人雑誌賞を受賞する
・1966年(昭和41) 札幌医科大学医学部整形外科教室講師となり、『死化粧』が第54回芥川賞候補となる
・1967年(昭和42) 『霙』が第57回直木賞候補となる
・1968年(昭和43) 『訪れ』が第58回芥川賞候補となる
・1969年(昭和44) 札幌医科大学講師を辞職、本格的に作家業に専念するため上京する
・1970年(昭和45) 総理大臣寺内正毅をモデルとしたとされる『光と影』で第63回直木賞を受賞する
・1971年(昭和46) 『リラ冷えの街』が刊行され、“リラ冷え”が季語として定着する
・1972年(昭和47) 『野分け』『氷紋』を発表する
・1974年(昭和49) 『白き旅立ち』『まひる野』を発表する
・1977年(昭和52) 『女優』を発表する
・1979年(昭和54) 『くれなゐ』を発表する
・1980年(昭和55)『遠き落日』『長崎ロシア遊女館』で第14回吉川英治文学賞を受賞する
・1982年(昭和57)『化粧』を発表する
・1983年(昭和58)『ひとひらの雪』刊行後、“ひとひら族”という造語が生まれる。
・1984年(昭和59)『化身』を発表する
・1986年(昭和61) 『化身』刊行後、「新耽美派文学」として高い評価を受け、『静寂の声ー乃木希典夫妻の生涯』で文藝春秋読者賞を受賞、『別れぬ理由』を発表する
・1987年(昭和62) 『桜の樹の下で』を発表する
・1988年(昭和63) 『メトレス 愛人』『男というもの』を発表する
・1990年(平成2) 『うたかた』刊行後、“うたかた族”という造語が生まれる
・1993年(平成5) 『春の別れ』を発表。
・1995年(平成7) 「日本経済新聞」に『失楽園』を連載する
・1997年(平成9) 『失楽園』が映画化・テレビドラマ化され、一大ブームとなり、“失楽園”が平成9年度新語・流行語のグランプリを受賞する
・1998年(平成10) 「渡辺淳一文学館」が故郷の札幌に完成し、一般公開される
・2003年(平成15) 紫綬褒章を受章、第51回菊池寛賞を受賞する
・2006年(平成18) 『愛の流刑地』を刊行する
・2007年(平成19) 『鈍感力』が刊行百万部突破し、流行語大賞トップテンに挙げられる
・2008年(平成20) 『熟年革命』を刊行する
・2009年(平成21) 『欲情の作法』刊行 発売1週間で23万部を突破する
・2010年(平成22) 『幸せ上手』を刊行する、『孤舟』を刊行する
・2011年(平成23) 『天上紅蓮』を刊行する
・2013年(平成25)『愛ふたたび』を刊行する
・2014年(平成26)4月30日 東京都内の自宅において、前立腺癌のため、80歳で亡くなる
・2015年(平成27) 集英社が文学賞「渡辺淳一文学賞」が創設される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1708年(宝永5)数学者・和算の祖関孝和の命日(新暦12月5日)詳細
1876年(明治9)神風連の乱がおこる詳細
1886年(明治19)ノルマントン号が沈没し英船員は脱出、日本人25人溺死(ノルマントン号事件)詳細
1910年(明治43)小説家・詩人・評論家山田美妙の命日詳細
1936年(昭和11)東京に「日本民藝館」が開設(初代館長:柳宗悦)される詳細
1945年(昭和20)「国際連合憲章」が発効に必要な20ヶ国のに達したため発効し、国際連合が発足する(国連デー)詳細
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 今日は、平成時代の2013年(平成25)に、小説家山崎豊子の亡くなった日です。
 山崎豊子(やまさき とよこ)は、大正時代の1924年(大正13)1月2日に、大阪市南区横堀において、老舗の昆布商「小倉屋昆布」を営む父・山本菊蔵、母・ますの長女として生まれました。相愛高等女学校(現在の相愛中学校・高等学校)を経て、京都女子専門学校(現在の京都女子大学)国文学科に進学し、1944年(昭和19)に卒業後、毎日新聞社大阪本社に入社して、調査部に配属されます。
 1945年(昭和20)に毎日新聞学芸部に転属、当時の学芸部長は井上靖で、強い影響を受け、1957年(昭和32)には、生家の昆布屋をモデルに、10年掛かりで書き上げた『暖簾』を刊行し、作家デビューを果しました。1958年(昭和33)に『花のれん』により第39回直木賞を受賞、『船場狂い』『死亡記事』など、大阪が舞台の小説を続々発表、本格的に作家生活に入るため、毎日新聞社を退社します。
 1959年(昭和34)に『ぼんち』の連載開始、この作品で大阪府芸術賞を受賞、1961年(昭和36)には、『女の勲章』の舞台を訪ねてフランスを始めヨーロッパの各国を回り、毎日新聞学芸部記者・杉本亀久雄と結婚しました。1962年(昭和37)にインフルエンザ肺炎で倒れ、半年間病気療養しながら執筆活動を続け、1963年(昭和38)には、『花紋』で第2回婦人公論読者賞を受賞、『白い巨塔』の「サンデー毎日」への連載を開始します。
 1964年(昭和39)にオスローで開催された国際ペンクラブ大会に川端康成、平林たい子と共に出席、1966年(昭和41)には、『白い巨塔』が映画化され、大ヒットしました。1968年(昭和43)に『花宴』で第6回婦人公論読者賞を受賞(後に、盗作問題で賞を返上)、1969年(昭和44)には、『華麗なる一族』の執筆取材のため、都市銀行や大蔵省、金融専門家に取材します。
 1973年(昭和48)には、『不毛地帯』執筆のため、シベリア、ハバロフスク、イルクーツクの日本人捕虜収容所、さらにテヘランの油田地帯に取材しました。1978年(昭和53)にハワイ州立大学へ客員教授として招聘され、1年間『ぼんち』をテキストに「上方文化」を講義、1979年(昭和54)には、『二つの祖国』執筆のため、ハワイ大学図書館、カリフォルニア大学図書館に出向き、資料収集します。
 1984年(昭和59)に『大地の子』執筆取材のため中国に渡り、胡耀邦総書記と対面し、1990年(平成2)に『大地の子』で、第52回文藝春秋読者賞、翌年には、第39回菊池寛賞を受賞しました。1993年(平成5)に『大地の子』の印税などを基にに「山崎豊子文化財団」を設立し、日本に帰国した中国残留孤児の学資援助などを行い、1995年(平成7)には、『沈まぬ太陽』の連載を開始、『大地の子』がNHKでテレビドラマ化されます。
 2009年(平成21)には、『運命の人』で第63回毎日出版文化賞特別賞を受賞しましたが、2013年(平成25)9月29日に、大阪府堺市において、呼吸不全により、89歳で亡くなりました。

〇山崎豊子の主要な著作

・『暖簾(のれん)』(1957年)
・『花のれん』(1958年)第39回直木賞受賞
・『しぶちん』(1958年)
・『ぼんち』(1959年)大阪府芸術賞受賞
・『女の勲章』(1960~61年)
・『女系家族』(1962~63年)
・『花紋(かもん)』(1962~64年)第2回婦人公論読者賞受賞
・『白い巨塔』(1963~65年)
・『続白い巨塔』(1967~68年)
・『華麗なる一族』(1973年)
・『不毛地帯』(1976~78年)
・『二つの祖国』(1980~83年)
・『大地の子』(1987~1991年)第52回文藝春秋読者賞、第39回菊池寛賞受賞
・『沈まぬ太陽』(1995~98年)
・『運命の人』(2009年)第63回毎日出版文化賞特別賞受賞
・『約束の海』(2013年)遺作

☆山崎豊子関係略年表

・1924年(大正13)1月2日 大阪市南区横堀において、老舗の昆布商「小倉屋昆布」を営む父・山本菊蔵、母・ますの長女として生まれる
・1936年(昭和11) 旧制大阪市芦池尋常小学校(現在の大阪市立南小学校)を卒業する
・1941年(昭和16) 相愛高等女学校(現在の相愛中学校・高等学校)を卒業する。同窓生には随筆家、岡部伊都子、バイロオリニストの辻久子がいた。
・1944年(昭和19) 京都女子専門学校(現在の京都女子大学)国文学科を卒業、毎日新聞社大阪本社に入社して、調査部に配属される
・1945年(昭和20) 毎日新聞学芸部に転属、当時の学芸部長は井上靖で、強い影響を受ける
・1957年(昭和32) 生家の昆布屋をモデルに、10年掛かりで書き上げた『暖簾』を刊行して作家デビューを果たす
・1958年(昭和33) 『花のれん』により第39回直木賞を受賞、『船場狂い』『死亡記事』など、大阪が舞台の小説を続々発表、本格的に作家生活にはいるため、毎日新聞社を退社する
・1959年(昭和34) 『ぼんち』の連載開始、大阪府芸術賞を受賞する
・1961年(昭和36) 『女の勲章』の舞台を訪ねてフランスを始めヨーロッパの各国を回り、毎日新聞学芸部記者・杉本亀久雄と結婚する
・1962年(昭和37) インフルエンザ肺炎で倒れ、半年間病気療養しながら執筆活動を続ける
・1963年(昭和38) 『花紋』にて第2回婦人公論読者賞を受賞、『白い巨塔』の「サンデー毎日」への連載を開始する
・1964年(昭和39) オスローで開催された国際ペンクラブ大会に川端康成、平林たい子と共に出席する
・1966年(昭和41) 『白い巨塔』が映画化される
・1968年(昭和43) 『花宴』で第6回婦人公論読者賞を受賞する(後に、盗作問題で賞を返上)
・1969年(昭和44) 『華麗なる一族』の執筆取材のため、都市銀行や大蔵省、金融専門家に取材する
・1973年(昭和48) 『不毛地帯』執筆のため、シベリア、ハバロフスク、イルクーツクの日本人捕虜収容所、さらにテヘランの油田地帯に取材する
・1978年(昭和53) ハワイ州立大学へ客員教授として招聘され、1年間『ぼんち』をテキストに「上方文化」を講義する
・1979年(昭和54) 『二つの祖国』執筆のため、ハワイ大学図書館、カリフォルニア大学図書館に出向き、資料収集する
・1984年(昭和59) 『大地の子』執筆取材のため中国に渡り、胡耀邦総書記と対面する
・1990年(平成2) 『大地の子』で、第52回文藝春秋読者賞を受賞する
・1991年(平成3) 『大地の子』で、第39回菊池寛賞を受賞する
・1993年(平成5) 『大地の子』の印税などを基にに「山崎豊子文化財団」を設立し、日本に帰国した中国残留孤児の学資援助などを行う
・1995年(平成7) 『沈まぬ太陽』の連載を開始、『大地の子』がNHKでテレビドラマ化される
・1997年(平成9) 北京日本人学校で創立20周年記念講演を行う
・2009年(平成21) 『運命の人』で第63回毎日出版文化賞特別賞を受賞する
・2013年(平成25)9月29日 大阪府堺市において、呼吸不全により、89歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

747年(天平19)東大寺大仏の鋳造が開始される(新暦11月6日)詳細
930年(延長8)第60代の天皇とされる醍醐天皇の命日(新暦10月23日)詳細
949年(天暦3)第57代の天皇とされる陽成天皇の命日(新暦10月23日)詳細
1801年(享和元)国学者本居宣長の命日(新暦11月5日)詳細
1879年(明治12)「学制」が廃止され、「教育令」が制定される詳細
1972年(昭和47)日本と中国が「日中共同声明」に調印する詳細
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 今日は、昭和時代後期の1979年(昭和54)に、フランス文学者・文芸評論家中島健蔵が亡くなった日です。
 中島健蔵(なかじま けんぞう)は、明治時代後期の1903年(明治36)2月21日に、東京・麴町において、東京専門学校(後の早稲田大学)で講師を務めた父・中島泰蔵の長男として生まれました。東京高師附属中学校、旧制松本高等学校文科乙類を経て、1925年(大正14)に、東京帝国大学文学部仏文科へ入学します。
 1926年(大正15)に今日出海と「仏蘭西文学研究」を創刊、1928年(昭和3)には、東京帝国大学文学部仏文科を卒業し、副手として研究室に残りました。1931年(昭和6)に「作品」の同人となり、バレリーの『ヴアリエテ』などを訳載、文芸時評ほかを書き、1933年(昭和8)には、東京帝国大学文学部助手に昇格します。
 1934年(昭和9)に、辰野隆や鈴木信太郎の世話で東京帝国大学文学部臨時講師となり、最初の評論集『懐疑と象徴』を刊行しました。太平洋戦争中の1942年(昭和17)に、陸軍に徴用されたためマライ派遣軍の一員の陸軍報道班員としてシンガポールに赴き、年末に帰国します。
 戦後は、1945年(昭和20)に日本文芸家協会を再建し、理事に就任(~1974年)、翌年には、日本著作家組合を創設し、書記長となり、野上彰の「火の会」にも参加しました。1948年(昭和23)に福田陸太郎、太田三郎とともに日本比較文学会を結成、初代会長となり、1951年~52年(昭和26~27)には、伊藤整のチャタレー裁判で特別弁護人として出廷し、言論の自由を擁護します。
 1954年(昭和29)に著作権保護への貢献によって、第2回菊池寛賞を受賞、1955年(昭和30)に新日本文学会幹事会議長(~1961年)となり、1956年(昭和31)には、日中文化交流協会を結成して理事長となりました。1959年(昭和34)に安保批判の会に参加、1960年(昭和35)に東京大学仏文大学院講師となりましたが、1962年(昭和37)には東京大学を辞職しています。
 1977年(昭和52)に『回想の文学』で、第30回野間文芸賞を受賞、1978年(昭和53)に『新聞収録大正史』(大正出版)を監修したものの、1979年(昭和54)6月11日に、東京都中野区において、76歳で亡くなりました。 

〇中島健蔵の主要な著作

・評論集『懐疑と象徴』(1934年)
・『現代文芸論』(1936年)
・『現代作家論』(1941年)
・『文芸学試論』(1942年)
・『アンドレ・ジード』(1949年)
・『昭和時代』(1957年)
・自伝小説『自画像』(1963~66年)
・『現代文化論』(1966年)
・『音楽とわたくし』(1971~73年)
・『回想の文学』全五巻(1977年)第30回野間文芸賞受賞
・『回想の戦後文学』(1979年)

☆中島健蔵関係略年表

・1903年(明治36)2月21日 東京・麴町において、東京専門学校(後の早稲田大学)で講師を務めた父・中島泰蔵の長男として生まれる
・1909年(明治42) 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)に入学する
・1914年(大正3) 父宛に贈られた親類前田夕暮(泰蔵の姪を妻に持つ)の第三歌集『生くる日に』を読んで感銘を受け、短歌を創作する
・1919年(大正8) 父・中島泰蔵を結核で亡くす
・1920年(大正9) 東京高師附属中学校を卒業し、補習科に通う
・1921年(大正10) 旧制松本高等学校文科乙類へ入学する
・1925年(大正14) 旧制松本高等学校文科乙類を卒業し、東京帝国大学文学部仏文科へ入学する
・1926年(大正15) 今日出海と「仏蘭西文学研究」を創刊する
・1928年(昭和3) 東京帝国大学文学部仏文科を卒業し、副手として研究室に残る
・1931年(昭和6) 「作品」の同人となり、バレリーの『ヴアリエテ』などを訳載、文芸時評ほかを書く
・1933年(昭和8) 東京帝国大学文学部助手に昇格する
・1934年(昭和9) 辰野隆や鈴木信太郎の世話で東京帝国大学文学部臨時講師となり、最初の評論集『懐疑と象徴』を刊行する
・1935年(昭和10) 東大仏文の研究室にて太宰治と檀一雄の訪問を受ける
・1942年(昭和17) 陸軍報道班員としてシンガポールに赴く
・1945年(昭和20) 日本文芸家協会を再建し、理事に就任(~1974年)する
・1946年(昭和21) 日本著作家組合を創設し、書記長となり、野上彰の「火の会」に参加する
・1948年(昭和23) 福田陸太郎、太田三郎とともに日本比較文学会を結成、初代会長となる
・1951年~52年(昭和26~27) 伊藤整のチャタレー裁判で特別弁護人として出廷し、言論の自由を擁護する
・1954年(昭和29) 著作権保護への貢献によって、第2回菊池寛賞を受賞する
・1955年(昭和30) 新日本文学会幹事会議長(~1961年)となる
・1956年(昭和31) 日中文化交流協会を結成して理事長となる
・1959年(昭和34) 安保批判の会に参加する
・1960年(昭和35) 東京大学仏文大学院講師となる
・1962年(昭和37) 東京大学を辞職する
・1977年(昭和52) 『回想の文学』で、第30回野間文芸賞を受賞する
・1978年(昭和53) 『新聞収録大正史』(大正出版)を監修する
・1979年(昭和54)6月11日 東京都中野区において、76歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1615年(慶長20)武将・大名・茶人・織部流茶道の祖古田重然(織部)が豊臣方内通の罪に問われ自刃する(新暦7月6日)詳細
1873年(明治6)「国立銀行条例」に基づき、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)が設立される(国立銀行設立の日)詳細
1942年(昭和17)関門トンネルが開通し、最初の試運転列車が通過する詳細
1951年(昭和26)「産業教育振興法」が公布される詳細
1969年(昭和44)「東京国立近代美術館」(現在の本館)が開館する詳細
1975年(昭和50)考古学者宮坂英弌の命日詳細
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 今日は、平成時代の2017年(平成29)に、詩人・評論家大岡信の亡くなった日です。
 大岡信(おおおか まこと)は、昭和時代前期の1931年(昭和6)2月16日に、静岡県田方郡三島町(現在の三島市)において、歌人だった父・大岡博、母・綾子の長男として生まれました。静岡県立沼津中学校(現在の沼津東高校)、旧制第一高等学校を経て、1950年(昭和25)に、東京大学文科に入学します。
 在学中に、日野啓三、佐野洋らと『現代文学』を創刊し、1953年(昭和28)に文学部国文科を卒業後、読売新聞社に入社、外報部に記者として配属されました。1954年(昭和29)に、谷川俊太郎らの詩誌「櫂(かい)」に参加、1956年(昭和31) 第一詩集『記憶と現在』を刊行します。
 1963年(昭和38)に読売新聞社を退職、翌年には、明治大学助教授となり、1969年(昭和44)には、評論『蕩児の家系』で藤村記念歴程賞を受賞しました。1970年(昭和45)に明治大学教授に昇任、この頃から連句(連詩)をはじめ、1972年(昭和47)には、評論『紀貫之(きの-つらゆき)』で読売文学賞を受賞します。
 1979年(昭和54)に「朝日新聞」で『折々のうた』の連載を開始、詩集『春 少女に』で無限賞を受賞、翌年には、『折々のうた』で菊池寛賞を受賞しました。1987年(昭和62)に明治大学教授を辞め、東京芸術大学教授に就任、1989年(平成元)には、日本ペンクラブ会長となり、『故郷の水へのメッセージ』で第7回現代詩花椿賞を受賞します。
 1990年(平成2)に『詩人・菅原道真――うつしの美学』で芸術選奨文部大臣賞を受賞、1993年(平成5)には、『地上楽園の午後』で詩歌文学館賞を受賞、日本ペンクラブ会長を辞めました。1994年(平成6)に第51回恩賜賞・日本芸術院賞、1995年(平成7)に日本芸術院会員、1996年(平成8)に朝日賞、マケドニア(現北マケドニア)のストルガ詩祭で金冠賞、1997年(平成9)には文化功労者となるなど、数々の栄誉に輝きます。
 さらに、2002年(平成14)に国際交流基金賞、2003年(平成15)に文化勲章、2004年(平成16)にフランスのレジオン・ドヌール勲章オフィシエ受章と続きました。2007年(平成19)に「朝日新聞」での『折々のうた』の連載が終了、2009年(平成21)に静岡県三島市に「大岡信ことば館」が開館するなどしたものの、2017年(平成29)4月5日に、静岡県三島市において、呼吸不全のため86歳で亡くなっています。

〇大岡信の主要な著作

・詩集『記憶と現在』(1956年)
・評論『超現実と抒情(じょじょう)』(1965年)
・評論『蕩児(とうじ)の家系』(1969年)藤村記念歴程賞受賞
・評論『紀貫之』(1971年)読売文学賞受賞
・詩集『春 少女に』(1979年)無限賞受賞
・詩集『故郷の水へのメッセージ』(1989年)第7回現代詩花椿賞受賞
・評論『詩人・菅原道真』(1989年)芸術選奨文部大臣賞受賞
・詩集『地上楽園の午後』(1993年)詩歌文学館賞受賞
・随筆『折々のうた』(1979~2007年)菊池寛賞受賞

☆大岡信関係略年表

・1931年(昭和6)2月16日 静岡県田方郡三島町(現在の三島市)において、歌人だった父・大岡博、母・綾子の長男として生まれる
・1943年(昭和18) 静岡県立沼津中学校(現在の沼津東高校)に入学する
・1947年(昭和22) 沼津中学4年から旧制第一高等学校文科丙類に入学する
・1950年(昭和25) 東京大学文科に入学する
・1953年(昭和28) 東京大学卒業後、読売新聞社に入社、外報部に記者として配属される
・1954年(昭和29) 谷川俊太郎らの詩誌「櫂(かい)」に参加する
・1956年(昭和31) 第一詩集『記憶と現在』を刊行する
・1959年(昭和34) 「フォートリエ展」カタログ作成に協力する
・1962年(昭和37) 武満徹の管弦楽曲のために「環礁」を書き下ろす
・1963年(昭和38) 読売新聞社を退職する
・1965年(昭和40) 明治大学助教授となる
・1969年(昭和44) 評論『蕩児の家系』で藤村記念歴程賞を受賞する
・1970年(昭和45) 明治大学教授となり、この頃から連句(連詩)をはじめる
・1972年(昭和47) 評論『紀貫之(きの-つらゆき)』で読売文学賞を受賞する
・1979年(昭和54) 「朝日新聞」で『折々のうた』の連載を開始、詩集『春 少女に』で無限賞を受賞する
・1980年(昭和55) 『折々のうた』で菊池寛賞を受賞する
・1987年(昭和62) 明治大学教授を辞め、東京芸術大学教授に就任する
・1989年(平成元) 日本ペンクラブ会長となり、『故郷の水へのメッセージ』で第7回現代詩花椿賞を受賞する
・1990年(平成2) 『詩人・菅原道真――うつしの美学』で芸術選奨文部大臣賞を受賞する
・1993年(平成5) 『地上楽園の午後』で詩歌文学館賞を受賞、日本ペンクラブ会長を辞める
・1994年(平成6) 第51回恩賜賞・日本芸術院賞を受賞する
・1995年(平成7) 日本芸術院会員となる
・1996年(平成8) 朝日賞を受賞、マケドニア(現北マケドニア)のストルガ詩祭で金冠賞を受賞する
・1997年(平成9) 文化功労者となる
・2002年(平成14) ことばと文学による国際文化交流と相互理解に多大な貢献をしたとして、国際交流基金賞を受賞する
・2003年(平成15) 文化勲章を受章する
・2004年(平成16) フランスのレジオン・ドヌール勲章オフィシエを受章する
・2007年(平成19) 「朝日新聞」での『折々のうた』の連載が終了する
・2009年(平成21) 静岡県三島市に「大岡信ことば館」が開館する
・2017年(平成29)4月5日 静岡県三島市において、呼吸不全のため、86歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1880年(明治13)「集会条例」(明治13年太政官布告第12号)が公布される詳細
1939年(昭和14)「映画法」が公布され、脚本の事前検閲、外国映画の上映制限などが決まる詳細
1964年(昭和39)詩人・翻訳家三好達治の命日(達治忌)詳細
1984年(昭和59)染色工芸家芹沢銈介の命日詳細
1998年(平成10)明石海峡大橋が開通する詳細
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 今日は、昭和時代後期の1978年(昭和53)に、ジャーナリスト・編集者・装幀家・「暮しの手帖」編集長だった花森安治が亡くなった日です。
 花森安治(はなもり やすじ)は、明治時代後期の1911年(明治44)10月25日に、兵庫県神戸市において生まれました。旧制兵庫県立第三神戸中学校を経て、旧制松江高等学校に進み、1933年(昭和8)に卒業後、東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学します。
 1935年(昭和10)の在学中に、伊東胡蝶園(のちのパピリオ)の宣伝部に入社し、広告デザインに携わり、1937年(昭和12)には、卒業論文「社会学的美学の立場から見た衣粧」を書いて、東京帝国大学文学部美学科を卒業後、徴兵検査を受けて、応召されました。1938年(昭和13)に結核に冒されたため、満州の陸軍病院に入院、1940年(昭和15)には、疾病を理由として除隊になります。
 1941年(昭和16)に大政翼賛会に入り、宣伝部で戦時スローガン制作などの仕事に携わり、翌年には、戦意高揚のために「進め、一億火の玉だ!」、「屠れ!米英我らの敵だ」といったスローガンを選定しました。
 太平洋戦争後の1946年(昭和21)に、編集者・画家の大橋鎭子(社長)と共に「衣裳研究所」を設立し、雑誌「スタイルブック」を創刊、1948年(昭和23)には、婦人家庭雑誌「美しい暮しの手帖」を大橋鎮子と創刊し、他社広告を掲載しない編集方針を掲げます。1949年(昭和24)に、朝日麦酒(後のアサヒビール)広報部の要請で同社の広告クリエイターとして勤務、キャッチコピーからデザイン、レイアウトを一手で引き受けました。
 1954年(昭和29)に「美しい暮しの手帖」を「暮しの手帖」と改題、1956年(昭和31)には、商品テストなど消費者の立場からの雑誌づくりが評価され、第4回菊池寛賞を受賞します。1967年(昭和42)から戦時中の暮らしの記録を集めるようになり、1969年(昭和44)には、それらをまとめて『戦争中の暮しの記録』を刊行しました。
 1971年(昭和46)に『一戔五厘(いっせんごりん)の旗』を刊行、翌年この著作で、第23回読売文学賞随筆・紀行賞を受賞、また、「暮しの手帖」の活動により、ラモン・マグサイサイ賞を受賞します。実証主義ジャーナリズムを展開して、庶民の日常生活の防衛と変革、消費者運動の推進に大いに寄与してきましたが、1978年(昭和53)1月14日に、東京において、心筋梗塞により66歳で亡くなりました。

〇花森安治の主要な著作

・『暮らしの眼鏡』(1953年)
・『風俗時評』(1953年)
・『戦争中の暮しの記録』(1969年)
・『一戔五厘(いっせんごりん)の旗』(1971年)読売文学賞随筆・紀行賞受賞

☆花森安治関係略年表

・1911年(明治44)10月25日 兵庫県神戸市において、生まれる
・1933年(昭和8) 松江高等学校卒業後、東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学する
・1935年(昭和10) 在学中に、伊東胡蝶園(のちのパピリオ)の宣伝部に入社し、広告デザインに携わる
・1937年(昭和12) 卒業論文「社会学的美学の立場から見た衣粧」を書いて、東京帝国大学文学部美学科を卒業後、徴兵検査を受けて、応召される
・1938年(昭和13) 結核に冒されたため、満州の陸軍病院に入院する
・1940年(昭和15) 疾病を理由として除隊になる
・1941年(昭和16) 大政翼賛会に入り、宣伝部で戦時スローガン制作などの仕事に携わる
・1942年(昭和17) 戦意高揚のために「進め、一億火の玉だ!」、「屠れ!米英我らの敵だ」といったスローガンを選定する
・1946年(昭和21) 編集者・画家の大橋鎭子(社長)と共に「衣裳研究所」を設立し、雑誌「スタイルブック」を創刊する
・1948年(昭和23) 婦人家庭雑誌「美しい暮しの手帖」を大橋鎮子と創刊する
・1949年(昭和24) 朝日麦酒(後のアサヒビール)広報部の要請で同社の広告クリエイターとして勤務する
・1954年(昭和29) 「美しい暮しの手帖」を「暮しの手帖」と改題する
・1956年(昭和31) 商品テストなど消費者の立場からの雑誌づくりで、第4回菊池寛賞を受賞する
・1969年(昭和44) 『戦争中の暮しの記録』を刊行する
・1971年(昭和46) 『一戔五厘(いっせんごりん)の旗』を刊行する
・1972年(昭和47) 『一戔五厘の旗』で、第23回読売文学賞随筆・紀行賞、「暮しの手帖」の活動により、ラモン・マグサイサイ賞を受賞する
・1978年(昭和53)1月14日 東京において、心筋梗塞により66歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

允恭天皇42年第19代の天皇とされる允恭天皇の命日詳細
1602年(慶長7)江戸時代前期に活躍した絵師狩野探幽の誕生日(新暦3月7日)詳細
1866年(慶応2)兵法家・砲術家・高島流砲術の創始者高島秋帆の命日(新暦2月28日)詳細
1906年(明治39)分子物理学者・生物物理学者小谷正雄の誕生日詳細
1953年(昭和28)人類学者・考古学者・民族学者鳥居龍蔵の命日詳細
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