ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:浮世絵師

suzukiharunobu01

 今日は、江戸時代中期の1770年(明和7)に、浮世絵師鈴木春信の亡くなった日ですが、新暦では7月7日となります。
 鈴木春信(すずき はるのぶ)は、江戸時代の浮世絵師で、錦絵の創始者で、美人風俗画で人気絵師となりました。1725年(享保10)に江戸で生まれたとされ、本姓穂積で、通称次兵衛と言いました。江戸神田白壁町に住み、絵は西村重長、あるいは西川祐信に師事したと伝えられます。
 1760年(宝暦10年3月)に上演の芝居に基づく細判紅摺絵の役者絵『市村亀蔵の曾我五郎と坂東三八の三保谷四郎』が初作とされ、この後、1764年(明和元)にかけては、細判役者絵や故事説話画、美人風俗画などの紅摺絵版画を発表しました。1765年(明和2)以降に開催されるようになった絵暦交換会に参加し、多色摺木版画の錦絵を始め、浮世絵版画技法上に画期的な貢献をします。
 やがて、独自の繊細優美な美人画風を形成、注目を集めるようになり、人気随一の流行絵師として画壇に君臨しました。また、『絵本花葛羅(はなかつら)』(1764年)、『青楼美人合(あわせ)』(1770年)などの絵本にも秀作を残しています。
 鋭い色彩感覚と流麗な描線など、新鮮な技法を駆使して、古典的な抒情や日常生活の心理的機微を当世風俗や実在するモデルを使って巧みに表現し、1,000点あまりの作例を遺しましたが、1770年(明和7年6月15日)に、江戸において、数え年46歳で亡くなっています。

〇鈴木晴信の代表的な作品

・『風流やつし七小町』(宝暦末頃)
・『座敷 (坐舗) 八景』八枚揃(1765年頃)
・『縁先物語』(1760年代後半)
・『雪中相合傘』(1760年代後半)
・『絵本花葛羅(はなかつら)』(1764年)
・『夕立』(1765年)
・『見立夕顔』(1766年)
・『絵本千代松』(1767年)
・『風流四季歌仙 二月水辺梅』(1768年頃)
・『絵本青楼美人合(あわせ)』(1770年)
・『おせんの茶屋』(1765~70年頃)
・『お百度参り』
・『藤原敏行朝臣 (秋風) 』

☆鈴木晴信関係略年表(日付は旧暦です)

・1725年〈享保10年〉 江戸で生まれる
・1760年(宝暦10年3月) この月上演の芝居に基づく細判紅摺絵の役者絵「市村亀蔵の曾我五郎と坂東三八の三保谷四郎」が初作とされる
・1764年(明和元年) 『絵本花葛羅(はなかつら)』を出す
・1765年(明和2年) 絵暦交換会に参加し、多色摺木版画の錦絵を始める、『夕立』を制作する
・1766年(明和3年) 『見立夕顔』を制作する
・1767年(明和4年)頃 『鞠と男女』を制作する、『絵本千代松』を出す
・1768年(明和5年)頃 『風流四季歌仙 二月水辺梅』を制作する
・1770年(明和7年) 『絵本青楼美人合』を出す
・1770年(明和7年6月15日) 江戸において、数え年46歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

707年(慶雲4)第42代天皇とされる文武天皇の命日(新暦7月18日)詳細
1242年(仁治3)鎌倉幕府の第3代執権北条泰時の命日(新暦7月14日)詳細
1705年(宝永2)歌人・俳人・和学者北村季吟の命日(新暦8月4日)詳細
1896年(明治29)明治三陸地震による大津波で死者約2万7千人の被害がが出る 詳細


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

miyagawachyoushyun01

 今日は、江戸時代中期の1752年(宝暦2)に、浮世絵師・宮川派の祖宮川長春の亡くなった日ですが、新暦では12月18日となります。
 宮川長春(みやがわ ちょうしゅん)は、1682年(天和2)に、尾張国海西郡宮川村(現在の愛知県)で生まれたとされていますが、はっきりしません。元禄年間(1688~1704年)後半までには、江戸に出て最初は、狩野派や土佐派を学んだといわれていますが、やがて菱川師宣に私叔し、懐月堂派の立美人図の影響を受けたとされています。
 新吉原の遊里風俗や江戸に暮らす武士や町人の日常生活を題材として、肉筆美人画や肉筆風俗画を描きました。長亀、一笑、春水ら多くのすぐれた門人を育成し、宮川派をおこしましたが、1750年(寛延3)に日光東照宮修復の絵画御用に参加した際の報酬のことで狩野春賀と争いが生じ、狩野邸を門人が夜襲し、春賀らを殺傷する事件が起こります。
 この事件は喧嘩両成敗となり、1752年(宝暦2年11月13日)に長春が数え年71歳で亡くなった後、門人が流刑等に処せられました。

〇宮川長春の主要な作品

・『風俗図巻』東京国立博物館蔵 国指定重要文化財
・『遊女聞香(もんこう)図』東京国立博物館蔵
・『演劇図巻』東京国立博物館蔵
・『江戸風俗図巻』大英博物館蔵
・『立美人図』大和文華館蔵 重要美術品
・『柳下納涼図』フリア美術館蔵
・『社頭春遊図』遠山記念館蔵 重要美術品

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事) 

1973年(昭和48)詩人・作詞家・作家サトーハチローの命日詳細
1997年(平成9)北陸自動車道の新潟亀田~新潟空港が開通し、米原~新潟空港間が全通する詳細


 

続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

イメージ 1

 今日は、江戸時代後期の1849年(嘉永2)に、浮世絵師葛飾北斎の亡くなった日ですが、新暦では5月10日となります。
 葛飾北斎は、1760年(10年9月23日)に、武蔵国葛飾郡本所(現在の東京都墨田区)の農家川村家の子として生まれましたが、幼名は時太郎といいました。
 1778年(安永7)に、浮世絵師・勝川春章に入門し、勝川春朗と号して役者絵を発表するようになります。1794年(寛政6) 勝川派を破門され、狩野派、土佐派、琳派、洋風画など和漢洋の画法を摂取しました。30歳代後半に至って自己の画風を確立し、1798年(寛政10)に北斎と号するようになりました。
 画域も役者絵、美人画、風景画、花鳥画、社会風俗画、挿絵、版本など広い分野にわたり、人気絵師となります。1804年(文化元)頃から10年間ほどは、読本挿絵を多く手掛け、滝沢馬琴などと組んで多くの名作を残しました。
 次に、1814年(文化11)に初編を発刊した『北斎漫画』で注目されますが、この前後に諸国を旅するようになります。そして各地から望む富士を描いた『富嶽三十六景』 (1830年から出版) が評判となり、浮世絵における風景版画創始者の地位を確立します。
 しだいに肉筆画に傾注し、晩年まで画業に励むものの、1849年(嘉永2年4月18日)に、江戸・浅草の仮宅において、88歳で没しました。
 死後、世界的に評価されるようになり、ヨーロッパ後期印象派にも大きな影響を与えています。

〇葛飾北斎の主要な作品

<錦絵>
・『富嶽三十六景』全46枚(1830年から出版)
・『諸国滝廻(たきめぐ)り』全8枚
・『諸国名橋奇覧』全11枚
・『東海道五拾三次(狂歌入り東海道)』摺物全59枚
・『千絵 (ちえ) の海』全10枚

<絵手本>
・『北斎漫画』(初編は1814年刊)

<絵本>
・『富岳百景』全3巻(初編は1834年刊)

<肉筆画>
・『二美人図』国指定重要文化財
・『汐干狩図』国指定重要文化財
・『日新除魔図』国指定重要文化財
・『富士の巻狩図』千葉県指定文化財
・『鯉と亀図』埼玉県指定文化財

<挿絵>
・絵入狂歌本『東都名所一覧』(1800年)
・絵入狂歌本『隅田川両岸一覧』(1806年頃)
・読本『新編水滸(すいこ)画伝』(滝沢馬琴作)
・読本『小説比翼文』(滝沢馬琴作・1804年)
・読本『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』(滝沢馬琴作・1807年~11年)
・読本『近世怪談霜夜星(しもよのほし)』(柳亭種彦作・1808年)
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

イメージ 1

 今日は、江戸時代後期の1797年(寛政9)に、浮世絵師歌川広重(うたがわひろしげ)の亡くなった日ですが、新暦では10月12日となります。
 歌川広重は、江戸時代後期の浮世絵師で、安藤広重とも言います。1797年(寛政9)に、江戸・八代洲河岸定火消同心、安藤源右衛門の長男として生まれ、幼名は徳太郎のち重右衛門といいました。1809年(文化6)13歳の時に、相次いで両親を失い、家職の火消同心の職を継ぐことになりました。
 しかし、絵が好きだったので、1811年(文化8)歌川豊広に入門し、翌年より歌川広重と名のるようになります。1818年(文政元)頃には、画壇へも登場するようになり、美人画や役者絵などを描きました。
 1831年(天保2)頃から『東都名所』などの風景画を手がけ始め、1833年(天保5)には、代表作『東海道五十三次』を発表して、評判になったのです。
 その後、『木曾街道六十九次』、『名所江戸百景』などで名声を得ましたが、1858年(安政5年9月6日)に62歳で亡くなりました。

〇歌川広重の主要な作品

<錦絵>
・『傾城貞かがみ』(1818年)役者絵
・『中村芝翫と中村大吉』(1818年)竪大判の役者絵
・『外と内姿八景』(1821年)美人画
・『東都名所拾景』(1825〜1831年頃)横中判で10枚揃物
・『風流おさなあそび』(1830〜1834年頃)横大判の玩具絵
・『魚づくし』(1830〜1843年頃)花鳥画
・『忠臣蔵』(1830〜1844年頃)横大判で16枚揃物の役者絵
・『東都名所(一幽斎がき東都名所)』川口屋正蔵版(1832年)横大判で10枚揃物
・『東都名所』喜鶴堂版(1832年)
・『月二拾八景』(1832年)大短冊判
・『東海道五十三次』保永堂版(1833〜1834年)横大判で55枚揃物
・『近江八景』山本屋版・保永堂版(1834年)
・『京都名所』(1834年)横大判で10枚揃物
・『浪花名所図絵』(1834年)横大判で10枚揃物
・『四季江都名所』(1834年)中短冊判で4枚揃物
・『義経一代記』(1834〜1835年)歴史画
・『諸国六玉河』蔦重版(1835〜1936年)横大判で6枚揃物
・『木曽海道六十九次』(1835〜1842年)「宮ノ越」など、横大判で70枚揃物、渓斎英泉の後を継ぐ
・『江戸高名会亭尽』(1835〜1842年頃)横大判で30枚揃物
・『金沢八景』(1836年)横大判で8枚揃物
・『本朝名所』(1837年)横大判で15枚揃物
・『曽我物語図絵』(1837〜1848年頃)竪大判で30枚揃物の物語絵
・『江戸近郊八景』(1838年)横大判で8枚揃物
・『東都名所』藤彦版(1838年)
・『江都勝景』(1838年)
・『東都司馬八景』(1839年)横大判で8枚揃物
・『即興かげぼしづくし』(1839〜1842年)竪中判の2丁掛で玩具絵
・『和漢朗詠集』(1839〜1842年頃)
・『諸芸稽古図絵』(1839〜1844年頃)横大判の4丁掛で4枚揃物の玩具絵
・『東海道五拾三次(狂歌東海道)』佐野喜版(1840年)
・『新撰江戸名所』(1840年)
・『東都名所坂づくし』(1840〜1842年頃)
・『東都名所之内隅田川八景』(1840〜1842年頃)
・『日本湊尽』(1840〜1842年頃)
・『参宮道』(1840〜1844年頃)八つ切判で24枚揃物
・『東海道五十三次(行書東海道)』江崎版(1842年)
・『甲陽猿橋之図』『雪中富士川之図』(1842年)、竪大判の竪2枚続
・『東海道五十三対』(1843年)三代豊国・国芳との合作
・『教訓人間一生貧福両道中の図』(1843〜1847頃)横3枚続の玩具絵
・『娘諸芸出世双六』(1844〜1848年頃)間判4枚貼りの双六
・『小倉擬百人一首』(1846年)100枚揃物で三代豊国・国芳との合作
・『春興手習出精雙六』(1846年)大判2枚貼りの双六
・『東海道(隷書東海道)』(1847年)
・『東海道五十三図絵(美人東海道)』(1847年)美人画
・『狂戯芸づくし』(1847〜1848年頃)竪大判の戯画
・『相州江ノ島弁財天開帳参詣群衆之図』(1847〜1852年頃)竪大判の横3枚続
・『江戸名所五性』(1847〜1852年頃)竪大判で5枚揃物の美人画
・『本朝年歴図絵』(1848〜1854年頃)物語絵
・『東海道張交図会』(1848〜1854年頃)張交絵
・『東都雪見八景』(1850年頃)、横大判で8枚揃物
・『伊勢名所二見ヶ浦の図』(1850年年頃)竪大判の横3枚続
・『五十三次張交』(1852年)張交絵
・『箱根七湯図会』(1852年)
・『源氏物語五十四帖』(1852年)物語絵
・『五十三次(人物東海道)』(1852年)
・『不二三十六景』(1852年)広重がはじめて手がけた富士の連作
・『国尽張交図絵』(1852年)張交絵
・『浄る理町繁花の図』(1852年)竪大判で7枚揃物の戯画
・『六十余州名所図会』(1853〜1856年)竪大判で70枚揃物
・『双筆七湯廻』(1854年)団扇絵で7枚揃物、三代豊国との合作
・『童戯武者尽』(1854年)戯画
・『東都名所年中行事』(1854年)竪大判で12枚揃物
・『双筆五十三次』(1854〜1855年)三代豊国との合作
・『当盛六花撰』(1854〜1858年)竪大判で10枚揃物の役者絵
・『五十三次名所図絵(竪の東海道)』(1855年)
・『名所江戸百景』(1856〜1859年)竪大判で120枚揃物
・『諸国六玉川』丸久版(1857年)竪大判で6枚揃物
・『武陽金澤八勝夜景』『阿波鳴門之風景』『木曽路之山川』(1857年)竪大判の横3枚続
・『山海見立相撲』(1858年)横大判で20枚揃物
・『冨士三十六景』(1859年)竪大判で37枚揃物

<肉筆浮世絵>
・『琉球人来貢図巻』(1807年)紙本墨画1巻、浮世絵太田記念美術館所蔵
・『傾城図』(1818〜1822年頃)紙本着色、日本浮世絵博物館所蔵
・『行列図』(1832年)絹本着色、東京国立博物館所蔵  
・『桜と小禽図』(1835年)杉戸板地着色、泉谷寺所蔵
・『煙管をもつ立美人図』絹本着色、出光美術館所蔵
・『鬼念仏と美人図』紙本墨画淡彩、出光美術館所蔵
・『玉川の富士・利根川筑波図』(1848〜1853年)絹本着色双幅、ニューオータニ美術館所蔵
・『御殿山花見図』絹本着色、ニューオータニ美術館所蔵
・『利根川図』絹本着色、ニューオータニ美術館所蔵
・『本牧風景図』絹本着色、ニューオータニ美術館所蔵
・『高尾図』紙本淡彩、ニューオータニ美術館所蔵
・『武相名所手鑑・馬入川舟渡』(1853年)絹本彩色、平木浮世絵財団所蔵
・『武相名所手鑑・南郷之松原左り不二』(1853年)絹本彩色、平木浮世絵財団所蔵
・『高輪の雪図・両国の月図・御殿山の花図』絹本着色3幅対、鎌倉国宝館所蔵
・『不二川の図』絹本着色短冊、城西大学水田美術館所蔵
・『鴻ノ台図屏風』(1841年)絹本着色六曲一隻、山梨県立博物館大木コレクション
・『不二望岳図』絹本着色、熊本県立美術館所蔵
・『屋根船の芸妓図』紙本淡彩、熊本県立美術館所蔵

<草双紙・絵本>
・『狂歌紫の巻』(1818年)絵入り狂歌本
・『音曲情糸道』(1820年)合巻挿絵
・『くま坂物がたり』(1821年)合巻挿絵
・『出謗題無智哉論』(1822年)合巻挿絵
・『白井権八』(1824年)合巻挿絵
・『義経千本桜』(1825年)合巻挿絵
・『御膳浅草法』(1826年)合巻挿絵
・『寶船桂帆柱』(1827年)合巻挿絵
・『丹波与作関の小万春駒駅談』(1827年)読本挿絵
・『狂歌山水奇鑑』(1831年)絵入り狂歌本
・『狂歌隅田川余波』(1833年)絵入り狂歌本
・『旗飄莵水葛葉』(1834年)合巻挿絵
・『俳諧三十六句撰』(1837年)絵入り俳諧本
・『絵本忠臣蔵』(1845年)絵本
・『菅原伝授手習鑑』(1846年)絵本
・『絵本膝栗毛』(1846〜1849年)合巻挿絵で、国芳・英泉との合作
・『立斎草筆画譜』(1848〜1851年)絵本
・『絵本江戸土産』(1850〜1857年)全10編の絵本、8編以降は、二代広重が描いた
・『略画光琳風立斎百図』(1851年)琳派調の草花・人物・風俗等を描いた絵手本
・『岐蘇名所図会』(1851-1852年)絵入り狂歌本
・『狂歌四季人物』(1855年)絵入り狂歌本
・『狂歌江都名所図会』(1856年)全16編の絵入り狂歌本、15編以降は二代広重が描いた
・『狂歌文茂智登理』(1858年)絵入り狂歌本
・『富士見百図』(1859年)富士の姿をリアルに描いた絵本、初編のみで未完に終わる
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ