ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:太平洋戦争

gunjyukoujyou002
 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1943年(昭和18)に、東条英機内閣によって、「生産増強勤労緊急対策要綱」が閣議決定された日です。
 「生産増強勤労緊急対策要綱」(せいさんぞうきょうきんろうきんきゅうたいさくようこう)は、太平洋戦争下において、労働が全国民の国家的急務であるとして「国民皆働体制の整備強化」と「皇国勤労観の確立」をうたい、それに関連した労務関係勅令の改正によって労働統制を強化する、東条英機内閣の閣議決定でした。その中で特に、女子労働について、「女子ヲ以テ代替シ得ル業種及職種ニ付夫々女子ノ使用員数ノ標準ヲ定ムルト共ニ女子勤労管理ヲ確立シ以テ女子動員ノ強化ヲ図ルコト 右ニ関連シ男子ノ就業制限乃至禁止ヲ行フコト」(第二 国民勤労ノ重点的配置ノ強化徹底)としています。また、賃金に関しては、「勤労者ノ生活ノ恒常性ヲ確保シ勤労能率ノ向上ヲ期スル為賃金統制ヲ合理的ナラシムルト共ニ賃金統制上必要ナル措置ヲ別途講ズルコト」(第三 勤労管理ノ刷新強化)としました。
 その後の労務関係勅令のあいつぐ改正によって、男性に代わって女性がその業務、労働に従事できる17業種(事務職、車掌、料理人など)が定められます。これらによって、労働統制はほぼその極限に達し、国民徴用の徹底的強化と女子および学徒の動員が急角度に進行しました。増産のための「労務管理」は、労働時間その他にみられる露骨な労働条件の悪化を公認するにいたり、労働力の磨滅に導いたとされます。
 以下に、閣議決定「生産増強勤労緊急対策要綱」を掲載しておきますから、ご参照下さい。

〇「生産増強勤労緊急対策要綱」 1943年(昭和18)1月20日閣議決定

生産増強ハ刻下喫緊ノ要務ニシテ之ガ完遂ハ国民勤労ノ充実発揚ニ俟ツ処極メテ大ナルニ鑑ミ勤労総力ヲ最高度ニ発揮スル為特ニ左ノ如キ方策ヲ緊急実施スルモノトス

第一 国民徴用制度ノ刷新強化
一 国民徴用ノ国家性明確化
(一)被徴用者全員一体ノ態勢ヲ以テ生産増強ニ邁進シ得ル如ク社長ノ徴用其ノ他必要ナル措置ヲ講ズルコト
(二)徴用ハ予メ合格者ヲ定メ可成国家施設ニ収容シ教養訓練ヲ施シタル上工場事業場ニ配置スルコト
(三)被徴用者ノ工場事業場ニ於テ支給ヲ受クル給与ガ当該被徴用者ノ前収ニ比シ著シク減少スル場合ニ於テハ之ヲ補給スルノ途ヲ講ジ其ノ財源ハ国家ニ於テ相当負担スルコト
右補給ハ別途国民徴用援護制度ノ拡充ニ依リ之ヲ為スコト
二 国民徴用制度ノ運営ノ改善
(一)現行徴用期間ハ之ヲ延長シ必要アル場合ニ於テハ更ニ更新シ得ルコトヽスルト共ニ徴用ヲ解除シ得ル場合ヲ明確ニスルコト
(二)徴用銓衡ヲ厳正且権威アラシムル為国民徴用官制度ヲ確立スルト共ニ国民職業指導所ノ機能増進ニ必要ナル措置ヲ講ズルコト
徴用官ハ地方庁ニ於ケル関係高等官ヲ以テ之ニ充ツルコト
(三)徴用給源ノ確保並ニ銓衡ノ厳正ヲ期スル為銓衡ニ当リテノ徴用除外ノ範囲ヲ縮少スルト共ニ適正ナル銓衡基準ヲ定ムルコト
(四)国民登録ノ範囲ヲ更ニ拡大シ被徴用者銓衡ニ便ナラシムル如ク之ガ整備ヲ図ルコト
(五)被徴用者ニシテ特ニ勤労状況良好ナラザル者ニ付テハ国家ノ特別錬成施設ニ於テ錬成ヲ実施シ其ノ教化善導ニ努ムルコト
三 国民徴用援護制度ノ拡充
被徴用者ヲシテ後顧ノ憂ナカラシムル為其ノ遺家族ニ対スル援護制度ヲ拡充強化スルト共ニ被徴用者ノ士気ヲ昂揚スル為慰問激励ニ付特別ノ措置ヲ講ズルコト

第二 国民勤労ノ重点的配置ノ強化徹底
一 産業及企業間ニ於ケル重点ノ移動ニ即応スル企業整備ノ進捗ニ伴ヒ工場事業場間ニ於ケル勤労者ノ配置転換ヲ容易且迅速ナラシムル為必要ナル措置ヲ講ズルコト
二 中小商工業者ノ戦時重要生産ヘノ転換ヲ更ニ一層促進スル為必要ナル措置ヲ講ズルコト
三 国民勤労報国隊制度ノ刷新ヲ図リ各地域、職域又ハ団体ニ於ケル報国隊ノ常時組織ヲ編成セシメ且其ノ出動期間ヲ延長スルコト
四 不急ト認メラルヽ学校殊ニ時局下緊要ナラザル各種学校及之ニ類スル施設ノ閉鎖制限又ハ収容定員ノ減少ヲ行フト共ニ学生生徒ノ勤労報国隊組織ニ付テハ特ニ之ガ拡充強化ヲ図ルコト
五 女子ヲ以テ代替シ得ル業種及職種ニ付夫々女子ノ使用員数ノ標準ヲ定ムルト共ニ女子勤労管理ヲ確立シ以テ女子動員ノ強化ヲ図ルコト
右ニ関連シ男子ノ就業制限乃至禁止ヲ行フコト

第三 勤労管理ノ刷新強化
一 勤労管理行政ノ強化
(一)皇国本来ノ勤労観ヲ確立シ且工場事業場ニ於ケル勤労管理機構及勤労管理ノ陣容ヲ整備セシムル為必要ナル措置ヲ講ズルト共ニ特ニ勤労能率不良ナル工場事業場ニ付勤労管理改善ノ為強力ナル指導ヲ行フコト
(二)管理官、労務官、工務官等緊密一体ノ態勢ヲ整備シ重要工場事業場ノ生産能率ノ増強ニ付総合的且強力ナル指導ヲ為スコト
二 勤労青少年ノ補導錬成
国力ノ基幹タル勤労青少年ノ不良化ヲ未然ニ防止スルト共ニ健全ナル勤労青少年育成ノ為別案「勤労青少年補導緊急対策要綱」ニ依リ其ノ補導錬成ノ徹底ヲ図ルコト
三 就業時間制度ノ刷新
現行就業時間関係法規ヲ改正シ戦時生産即応ノ弾力性アル運営ヲ為シ得ル如クスルコト
四 戦時適正賃金制度ノ確立
勤労者ノ生活ノ恒常性ヲ確保シ勤労能率ノ向上ヲ期スル為賃金統制ヲ合理的ナラシムルト共ニ賃金統制上必要ナル措置ヲ別途講ズルコト

第四 勤労者用物資、住宅等ニ関スル対策ノ強化
一 勤労者用物資ノ割当並ニ配給ハ原則トシテ産業報国会ノ組織ヲ通ズルコトヽシ其ノ一元化ヲ図ルコト
二 工場、鉱山、事業場二於ケル購買会ノ配給機構上ノ地位ヲ認メ之ガ積極的活用ヲ図ルコト
三 勤労者住宅、寄宿舎及厚生施設ハ国ニ於テ一定ノ規格ヲ定メ工場施設ト一体的ニ計画セシムルト共ニ其ノ建設既設建物ノ有効利用等ニ付特別ノ措置ヲ講ズルコト

第五 本要綱実施ニ関シ必要ナル経費ニ付テハ予算上ノ措費ヲ講ズルコト

   「国立国会図書館リサーチ・ナビ」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1184年(寿永3)琵琶湖畔の粟津の戦いで源義仲(木曽義仲)が討ち死にする(新暦3月4日)詳細
1869年(明治2)薩摩・長州・土佐・肥前の4藩主が版籍奉還を上奏する(新暦3月2日)詳細
明治政府が街道の関所を廃止する(新暦3月2日)詳細
1885年(明治18)俳人尾崎放哉の誕生日詳細
1925年(大正14)「日ソ基本条約」が締結され、日ソ間に国交が樹立される詳細
1958年(昭和33)「日本・インドシナ平和条約」が調印(発効は同年4月15日)される詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

tainihonkottki01
 今日は、昭和時代前期の1941年(昭和16)に、大日本帝国とタイ王国の間で、「日泰攻守同盟条約」が調印・発効された日です。
 「日泰攻守同盟条約」(にったいこうしゅどうめいじょうやく)は、太平洋戦争中に大日本帝国とタイ王国の間に結ばれた軍事同盟条約でした。前文で両国が「東亜新秩序」の建設のために協力することが謳われ、相互の独立主権尊重、第三国との武力紛争に際しての相互援助、単独での休戦・講和の禁止などが明記されます。
 タイ政府は日本の戦争へ積極的な協力姿勢を内外に示し、この条約締結を知ったイギリス及びアメリカ軍が1942年(昭和17)1月8日からタイ国内の都市攻撃を始めたため、タイ政府は1月25日に英米に対して宣戦布告しました。これに対し、ワシントンDCのアメリカ合衆国大使セーニー・プラーモートは宣戦布告の通達を拒否し、アメリカで自由タイ運動を組織し、対日レジスタンス活動を開始し、アメリカ合衆国はタイ王国へ宣戦布告を出す代わりに、セーニーの反日レジスタンス活動を支援します。
 タイ国内でも、終戦までにプリーディー・パノムヨンによって、5万人を超えるタイ対日武装レジスタンスが組織されました。1945年(昭和20)8月15日終戦を迎えると翌16日にプリーディーは国王を代行して対英米への宣戦布告を無効とする宣言を行います。
 この条約は9月2日に、日本及び連合国の降伏文書調印に伴う日本の敗戦により破棄され、9月17日に、自由タイ運動を組織したセーニー・プラーモートがタイに帰国、首相に就任しました。
 以下に、「日泰攻守同盟条約」を掲載しておきますから、ご参照下さい。

〇「日泰攻守同盟条約」 1941年(昭和16)12月21日調印・発効

日本国「タイ」国間同盟条約

大日本帝国政府及「タイ」王国政府ハ東亜ニ於ケル新秩序ノ建設ガ東亜興隆ノ唯一ノ方途ニシテ且世界平和ノ回復及増進ノ絶対要件タルコトヲ確信シ之ガ障害ト為レル一切ノ禍根ヲ芟除根絶スルノ確乎不動ノ決意ヲ以テ左ノ通協定セリ

第一条
日本国及「タイ」国ハ相互ノ独立及主権ノ尊重ノ基礎ニ於テ両国間ニ同盟ヲ設定ス

第二条
日本国又ハ「タイ」国ト一又ハ二以上ノ第三国トノ間ニ武力紛争発生スルトキハ「タイ」国又ハ日本国ハ直ニ其ノ同盟国トシテ他方ノ国ニ加担シ有ラユル政治的、経済的及軍事的方法ニ依リ之ヲ支援スヘシ

第三条
第二条ノ実施細目ハ日本国及「タイ」国ノ権限アル官憲間ニ協議決定セラルヘシ

第四条
日本国及「タイ」国ハ共同シテ遂行セラルル戦争ノ場合ニ於テハ相互ノ完全ナル了解ニ依ルニ非サレハ休戦又ハ講和ヲ為ササルヘキコトヲ約ス

第五条
本条約ハ署名ト同時ニ実施セラルヘク且十年間有効トス締約国ハ右期間満了前適当ナル時期ニ於テ本条約ノ更新ニ関シ協議スヘシ

右証拠トシテ下名ハ各本国政府ヨリ正当ノ委任ヲ受ケ本条約ニ署名調印セリ

昭和十六年十二月二十一日即チ仏暦二千四百八十四年十二月二十一日「バンコツク」ニ於テ本書二通ヲ作成ス

     特命全権大使 坪上貞二 (印)
     総理大臣兼
     外務大臣 ビー、ビブン
            ソンクラム (印)

   「ウイキソース」より

 ※旧字を新字に直してあります。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1854年(安政2)「日露和親条約」が締結される(新暦1855年2月7日)詳細
1917年(大正6)大之浦炭鉱(福岡県)でガス爆発事故があり、死者・行方不明者369人を出す詳細
1942年(昭和17)第9回御前会議で「大東亜戦争完遂の為の対支処理根本方針」が決定される詳細
1943年(昭和18)東條内閣が「都市疎開実施要綱」を閣議決定する詳細
1946年(昭和21)昭和南海地震(M8.0)が起き、死者1,443人を出す詳細
1963年(昭和38)「教科書無償措置法」(昭和38年法律第182号)が公布・施行される詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

shyokuryouzousan01
 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1944年(昭和19)に、小磯国昭内閣により、「動員学徒援護事業要綱」が閣議決定され、動員学徒援護会が設置された日です。
 動員学徒援護会(どういんがくとえんごかい)は、戦時中に軍需工場などに動員された学生・生徒の業務上の災害救済や教養指導を行うために、文部省内に文部大臣を会長として設立されました。1941年(昭和16)12月8日に、太平洋戦争に突入し、軍需部門を中心に労働力不足が深刻化したため、1943年(昭和18)6月に、東条内閣は各学校の軍事教練強化を命じ、翌年1月には勤労動員は年間4ヶ月を継続して行うことが義務づけられ、3月には通年実施と決定し、どんどん拡大していきます。
 その中で、1944年(昭和19)8月23日に、「学徒勤労令」と「女子挺身隊勤労令」が公布され、学徒動員の法令上の措置が決定しました。その後、動員は徹底的に強化され、11月には夜間学校の学徒や弱体のためそれまで動員から除外されていた学徒の動員が拓令されます。
 また、12月には中等学校卒業者の勤労動員継続の措置がきまり、翌年3月卒業後も引き続いて学徒勤労を継続させるため中等学校に付設課程を設け、これに進学させることとしました。このような学徒の全面的な動員に対して、動員学徒援護会を設立して、業務上の災害救済や教養指導を行ったものです。
 太平洋戦争後の1945年(昭和20)7月1日に、文部省外郭団体の「財団法人勤労学徒援護会」となり、昭和22年(1947)1月7日には、「財団法人学徒援護会」に名称変更し、全国の主要都市に学生相談所・学生会館を設置、学生寮・学生センターの運営、下宿・貸間・アルバイトの斡旋あっせんなどの事業を行うようになりました。

〇学徒勤労動員(がくときんろうどういん)とは?

 昭和時代前期の日中戦争最中の1938年(昭和13)6月に、文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」が出され、学生・生徒は長期休業中に3〜5日勤労奉仕することを義務づけられます。それを恒常化したのが1939年(昭和14)の木炭や食料の増産運動からで、学生・生徒は正課として作業に参加することになりました。
 さらに、1941年(昭和16)2月には、年間30日の授業を勤労作業にあててよいという指示が出され、同年8月には学校報国隊が結成されます。その後、太平洋戦争に突入し、軍需部門を中心に労働力不足が深刻化したため、1943年(昭和18)6月に、東条内閣は各学校の軍事教練強化を命じ、翌年1月には勤労動員は年間4ヶ月を継続して行うことが義務づけられ、3月には通年実施と決定し、どんどん拡大していきました。
 その法令上の措置として、1944年(昭和19)8月23日に公布・施行されたものが、「学徒勤労令」で、同じ日に「女子挺身隊勤労令」も出されます。その後、動員は徹底的に強化され、11月には夜間学校の学徒や弱体のためそれまで動員から除外されていた学徒の動員が拓令されました。
 また、12月には中等学校卒業者の勤労動員継続の措置がきまり、翌年3月卒業後も引き続いて学徒勤労を継続させるため中等学校に付設課程を設け、これに進学させることとします。このような学徒の全面的な動員に対して、政府は12月「動員学徒援護事業要綱」を閣議決定し、これに基づいて動員学徒援護会が設置されました。
 以後、この勅令は、昭和20年勅令第96号および同勅令第510号により2度改正がなされて、強化されます。この結果、敗戦時での動員学徒数は340万人を超えたといわれ、学徒動員による空襲等による死亡者は10,966人、傷病者は9,789人にも及びました。
 しかし、太平洋戦争敗戦後の「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、1945年(昭和20)10月11日をもって、この勅令は廃止されることになります。

☆学徒勤労動員関係略年表

<1938年(昭和13)>
・6月 文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」が出され、学生・生徒は長期休業中に3?5日勤労奉仕することを義務づけられる

<1939年(昭和14)>
・3月 文部省は中等学校以上に対し、集団勤労作業を「漸次恒久化」し、学校の休業時以外も随時これを行ない、正課に準じることを指示する

<1941年(昭和16)>
・2月 「青少年学徒食糧飼料等増産運動実施要項」で、年間30日の授業を勤労作業にあててよいという指示が出される
・8月 文部省の指示によって全国の諸学校において学校報国隊が結成される
・12月8日 太平洋戦争に突入

<1943年(昭和18)>
・6月24日 東条内閣によって、「学徒戦時動員体制確立要綱」が出され、学徒勤労が決戦教育体制として位置づけられる
・10月 「教育に関する戦時措置方策」で、年間の3分の1を勤労にあててよいこととなる

<1944年(昭和19)>
・1月 「緊急学徒勤労動員方策要綱」が出され、勤労動員は年間4ヶ月を継続して行うことが義務づけられる
・2月25日 閣議において「決戦非常措置要綱」が決定される
・3月 「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」で、勤労動員は通年実施となる
・4月 「学徒勤労動員実施要領ニ関スル件」で軍需工場へ動員されるようになる
・7月 文部省「学徒勤労ノ徹底強化ニ関スル件」が出され、中等学校低学年生徒の動員、深夜業を中等学校3年以上の男子だけでなく女子学徒にも課すことを指令
・8月23日 法令上の措置として、「学徒勤労令」が公布・施行される
・8月23日 「女子挺身隊勤労令」が出される
・11月 夜間学校の学徒や弱体のためそれまで動員から除外されていた学徒の動員が拓令される
・12月 中等学校卒業者の勤労動員継続の措置が決まり、翌年3月卒業後も引き続いて学徒勤労を継続させるため中等学校に付設課程を設け、これに進学させることとなる
・12月19日 「動員学徒援護事業要綱」を閣議決定し、動員学徒援護会が設置される

<1945年(昭和20)>
・3月 「決戦教育措置要綱」が閣議決定され、一年の授業停止による学徒勤労総動員の体制がとられる
・5月22日 「戦時教育令」が公布される
・10月11日 「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、勅令が廃止される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1391年(元中8/明徳2)守護大名一族・山名氏清・満幸が室町幕府に叛乱(明徳の乱)を起こす(新暦1392年1月13日)詳細
1596年(慶長元)豊臣秀吉の命で26人のカトリック信者(日本二十六聖人)が長崎で磔刑となる(新暦1597年2月5日)詳細
1876年(明治9)三重県飯野郡の農民が一揆(伊勢暴動)を起こす詳細
1941年(昭和16)「言論・出版・集会・結社等臨時取締法」が公布される詳細
1955年(昭和30)「原子力基本法」が公布される詳細
1966年(昭和41)第21回国連総会で「第21会期国際連合総会決議2222号(宇宙条約)」が採択される詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

shyokuryouzousan01
 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1943年(昭和18)に、東条英機内閣によって、「第2次食糧増産対策要綱」が閣議決定された日です。
 「第2次食糧増産対策要綱」(だいにじしょくりょうぞうさんたいさくようこう)は、太平洋戦争下において、東条英機内閣によって、閣議決定された第2次の食糧増産対策でした。戦時下において、食料の流通体制が崩壊し、1943年(昭和18)になると輸・移入米が、前年の1,568万石から723万石へと半減し、食糧需給は逼迫の度を増し、国民の食生活は困窮を極めます。
 そこで、1943年(昭和18)6月4日に、「食糧増産応急対策要綱」が閣議決定され、外米依存を減らすため、臨時的に芋類及び雑穀の増産が図られ、農村の青少年からなる食糧増産隊(農兵隊)も結成されました。これにより、河川敷や空地の農業的利用は内務省、学徒動員は文部省、耕作者の徴用抑制は厚生省ということで、各々協調しながらすすめることができることとなります。
 しかし、それだけではまだ不十分で、食糧需給がいよいよ逼迫してきたので、同年8月17日に「第2次食糧増産対策要綱」が閣議決定されました。それにより、官民一体の下に学徒、非農家などの協力により、資材不足などの悪条件を克服するための処置がとられ、土地改良、裏作の拡張、土地利用の強化などが図られたものの、この間、大量の資材を要する大規模開墾事業は遅延措置がとられます。
 しかし、食糧不足はさらに深刻となり、翌年9月13日には、「第3次食糧増産対策要綱」も閣議決定されました。
 以下に、「第2次食糧増産対策要綱」と「食糧増産応急対策要綱」を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「第2次食糧増産対策要綱」1943年(昭和18)8月17日閣議決定

 国民食糧確保ノ絶対的要請ニ応ジ食糧自給力ノ飛躍的増強ヲ期スル為国民全般ノ愈々昂揚セル増産熱意ノ下ニ既定諸方策ノ外更ニ左ニヨリ増産対策ヲ実施セントス

一 土地改良事業ノ急速実施
 農地ノ改良事業ハ食糧増産ノ確実ナル基礎ヲ造成スルモノニシテ水稲ノ増収ハ勿論裏作ノ拡張改良亦之ニ依リテ実現セラレ国内食糧生産力増強ノ根幹トシテ最モ緊要適切ノ施設ナルヲ以テ此ノ際暗渠排水、客土、小用排水等ノ改良事業ヲ広範囲ニ亘リ急速ニ拡充実施セントス。尚急速完成シ得ル水田ノ造成ニモ努ムルモノトス。
 1 暗渠排水事業約四十万町、小用排水事業受益面積約六十万町(約三分ノ一ハ暗渠排水事業ニ伴フ)ヲ目途トシテ本年度内急速ニ拡充実施スルコト
 2 本事業ノ実施ニハ努メテ地元農業団体ノ活動ヲ促進シ諸般ノ手続ヲ簡易ナラシメ迅速ニ事業ノ進捗ヲ期シ得ル如ク措置スルコトトシ尚実情ニ応ジ農道ノ整備ヲモ実施スルコト
 3 本事業ノ国家的要請ニ応ジ大規模且急速ニ之ヲ完成スベキモノナルヲ以テ的確敏速ニ事業ノ遂行ヲ期シ得ル如ク特別ナル助成措置ヲ為ス等万全ノ方途ヲ講ズルコト
  尚事業ノ迅速ナル進捗ヲ図ル為必要ニ応ジ法制的措置ヲ講ズルコト
 4 農地開発事業ノ実施ニ付テハ既定計画ニ検討ヲ加へ急速ニ効果ヲ期シ得ルモノノ外ハ一時之ヲ中止スルヲ原則トシ農地開発営団ノ事業ニモ適当ナル調整ヲ加へ其ノ余力ヲ土地改良等ニ活用スルコト
 5 本事業ノ実施ニ必要ナル土管其ノ他ノ資材ノ確保ニ付テハ特ニ遺漏ナキ措置ヲ講ズルコト

二 裏作ノ拡張改良
 土地改良ニ依リ裏作可能面積ヲ拡張シテ之ニ作付ヲ為スハ勿論苟モ裏作可能ノ耕地ニ付テハ地方ノ実情ニ即シ麦、春馬鈴薯等食糧作物作付ノ徹底的励行ヲ図ルモノトシ湿田利用ニ付テモ格段ノ措置ヲ講ゼントス

三 土地利用ノ強化
 食糧農産物ノ増産ヲ目途トシ有ユル土地ニ付其ノ利用ヲ強化スル為実情ニ応ジ適宜ノ措置ヲ講ゼントス(農耕地ノ他用途転換ノ抑制、空荒地其ノ他有ユル土地ノ動員、不急作物ノ作付ノ抑止、桑園、果樹園、煙草作付地等ニ付食糧生産ヘノ転換活用ノ促進等)

四 藷類ノ画期的増産
 藷類増産ニ関スル方策ノ強化拡充ニ格段ノ努力ヲ払ヒ特ニ左ノ諸点ニ努ムルモノトス(甘藷優良苗ノ急速ナル普及ヲ目途トシ特設育苗圃ノ設置ノ継続拡張、明春馬鈴薯ノ増産ニハ此ノ際特ニ重点ヲ置クコト、北海道ヨリノ種子用馬鈴薯ノ輸送ニ付特別ノ措置ヲ講ズルト共ニ各府県高冷地ニ馬鈴薯採種保護地ノ急速ナル拡張)

五 優良種苗ノ確保普及

六 農業労務動員ノ強化
 農業労力ノ確保ハ増産達成上ノ絶対要件ナルヲ以テ農村労力ノ他ヘノ転移ノ抑制、学徒ノ農業労務ヘノ動員強化等ニ付格段ノ方途ヲ講ゼントス

七 農業技術指導態勢ノ刷新充実
 本件ノ実施二必要ナル予算措置ヲ講ズルモノトス

備考
 一 方策ノ適確ナル実行ヲ期シ中央地方ノ連絡ヲ敏速緊密ナラシムルト共ニ随時現地ニツキテ其ノ実施ヲ査閲督励スル措置ヲ講ズルコト
 二 肥料、農機具等ノ供給確保ニ関シテハ別途適切ナル措置ヲ講ズルコト
 三 外地ニ於テモ本対策ニ即応シ別途食糧増産上適切ナル方策ヲ講ズルコト
 四 満洲国ニ於ケル食糧増産ニ付テハ内地人開拓用地ニ於ケル報国農場設置ノ拡充等日満両国提携シテ適切ナル方策ノ実施ニ努ムルコト
(1)増産目標
 (表省略)
 イ 小用排水実施量六十一万五、三〇九町ノ内十一万四、七八八町ハ暗渠排水ニ伴フ小用排水ナルヲ以テ米ノ増産量ハ見込マズ
 ロ 裏作面積ハ施行面積ノ十四.八パーセントニ相当ス
(2)主要資材
 (表省略)
 暗渠排水用陶管所要本数 二三、一二六、〇〇〇本
     〃   燃料石炭 三一、七八〇屯
     〃   〃 干薪 七、一九五、六〇〇〆

   「国立国会図書館リサーチ・ナビ」

〇「食糧増産応急対策要綱」1943年(昭和18)6月4日閣議決定

国民生活確保ノ絶対的要請ニ応ジ速ニ食糧自給態勢ノ確立ヲ期シ之ガ達成ニ寄与シ得ベキ有ユル方途ヲ講ズルノ要緊切ナルモノアルトコロ此ノ際米、麦、藷類等主要食糧農産物並ニ水産物ノ増産ニ関スル既定計画ノ外左記応急対策ヲ実施セントス

食糧農産物増産対策
一、不耕作地ノ解消及雑穀等ノ増産ニ関スル措置
当面ノ稲作ニ万全ヲ期シ栽植密度ノ増加、窒素肥料ノ全層施肥、除草必要回数ノ励行等ニ努メ生産目標ノ達成ヲ図ルト共ニ此ノ際特ニ左ノ措置ヲ講ゼントス
(一)不耕作田ノ解消ヲ目途トシ市町村農会、部落農業団体等ヲシテ共同耕作等ノ方法ニ依リ水稲ノ作付ヲ完遂スルコト
(二)耕作廃止畑ハ勿論伐木跡地、河川敷、荒地、工場建築予定地其ノ他有ユル休閑地ヲ動員シ各方面ノ労力ヲ動員シテ蕎麦、粟、大豆、稗、玉蜀黍等ノ雑穀又ハ南瓜等各地方ニ適シタル食糧農作物ノ作付ヲ行フト共ニ果樹園、桑園、瓜類、其ノ他ノ作付地ニ付地方ノ実情ニ応ジ大豆ノ周囲作又ハ間作ヲ行ヒ又輪作方法ノ改善ニ依リ蕎麦等ノ作付ニ努ムルコト
(三)北海道ニ於ケル食糧生産ノ確保ニ付テハ其ノ特殊事情ニ鑑ミ此ノ際差当リ不耕作ノ発生ヲ防止スル為必要ナル措置ヲ講ズルコト
二、藷類増産ニ関スル措置
藷類ハ増産ノ余地最モ大ニシテ其ノ主要食糧化ヲ強化促進スルハ食糧政策上特ニ緊要適切ナルヲ以テ既定方針ニ依リ優良苗普及等ノ施設ヲ実施スル外左ノ措置ヲ講ゼントス
(一)藷類増産ニ関シ此ノ際品種、栽培、貯蔵、加工等ニ亘リ急速ニ技術ノ改善ヲ推進シ民間経験者ノ優秀ナル技能ノ活用ニ努メ適切ナル技術ノ普及ヲ期スルコト
(二)藷類ノ主要食糧トシテノ活用ヲ徹底セシムル為其ノ加工ニ関シ格段ノ措置ヲ講ジ廉価優良ナル加工製品ノ生産ヲ図ルコト
(三)藷類ノ価格及其ノ統制ニ検討ヲ加ヘ之ガ増産ヲ確保スルト共ニ実情ニ即シ敏速円滑ナル配給ヲ期シ得ル如ク急速ニ所要ノ改訂ヲ行フコト
三、労力補給ニ関スル措置
所要労力ニ付テハ地元労力ノ活用ニ努ムルト共ニ概ネ左ノ措置ニ依リ之ガ補給ヲ為サントス
(一)農村ノ付近都市特ニ地方ノ町等ヨリ青少年、一般市民等ノ労力ヲ大政翼賛会諸団体ヲ中心トスル自発的ノ国民運動トシテ適当ナル勤労報国隊ヲ動員シ地元農村ノ要請ニ応ゼシムルコト
(二)一般学徒就中農学校生徒ノ動員ハ極力実施スルモノトシ専門学校以上ノ学徒ニ付テモ積極的ニ之ヲ行フコト
(三)地方ノ実情ニ即シ農村青少年等ヲ以テ食糧増産隊ヲ編成シ随時随処ニ出動シテ農耕又ハ開墾ニ従事セシムルコト尚農村国民学校児童ノ就労ニ付更ニ適切ナル措置ヲ講ズルコト
四、其ノ他
(一)肥料ニ関スル措置
販売肥料特ニ無機質肥料ノ供給確保ニ遺憾無ラシムル為必要ナル各般ノ方途ヲ講ズルハ勿論、自給肥料ノ改良増産並ニ施肥ノ改善ニ関スル従来ノ施設ヲ推進シ特ニ緑肥作物種子ノ確保、都市屎尿ノ農村配給ノ強化、農業用石灰及石灰原石粉末ノ供給確保等ニ必要ナル措置ヲ講ズルコト
(二)自給飼料ニ関スル措置
自給肥料ノ増産ニ関スル既定計画ノ完遂ニ努ムル外各種藁稈類、甘藷蔓其ノ他茎葉等ノ利用ヲ徹底スル為サイロノ普及施設ヲ拡充スルト共ニ未利用資源ノ活用及草類利用等ニ関シ必要ナル措置ヲ講ズルコト
(三)郷土食運動ニ関スル措置
各地方ニハ夫々其ノ土地ノ生産事情ニ即シ尊重スベキ固有ノ郷土食存スルモノ少ナカラザルヲ以テ大政翼賛会等ヲ中心トシ郷土食ノ存続復活ヲ目途トスル運動ガ地方事情ニ即シ自発的ニ展開セラルル如ク適当ナル方途ヲ講ズルコト
(四)満洲国ニ於ケル応急増産ニ関スル措置
満洲国内ニ於ケル日本内地人開拓地ノ未墾地ヲ急速ニ開発シテ食糧ノ応急増産ヲ図ル為満洲国ノ協力ヲ得テ適当ナル措置ヲ講ズルコト
尚土地改良ヲ拡充スルト共ニ裏作ノ普及改良ヲ図リ農地ノ生産力ヲ増強スル為別途必要ナル施策ヲ講ズルコト

水産物増産対策
一、増殖ニ関スル措置
(一)溜池、湖沼、河川等ニ於ケル未利用水面ニ於ケル鯉、鮒、鰌等ノ孵化放流施設等ヲ拡充シ淡水魚ノ増産ヲ図ルコト
(二)大衆向海産多獲魚類ノ孵化放流施設ヲ拡充スルト共ニ未利用浅海面ノ開発ニ依リ介藻類ノ増産ヲ図ルコト尚無動力漁船ノ操業促進ノ方途ヲ講ズルコト
二、遭難漁船ニ関スル措置
時局ニ因ル漁船遭難ノ場合ニ於テ遭難漁業者及遭難漁船ニ対スル施設及一定水域ニ出漁スル漁船ノ出漁奨励等ノ施設ヲ急速ニ実施スルコト
本要綱ニ基ク政府ノ助成ニ付適切ナル予算的措置ヲ講ズルコト
備考
一、主要食糧ノ自給強化施策ノ展開ニ関連シ特ニ左ノ事項ヲ考慮スルモノトス
(一)農業技術者及指導者ノ技術動員態勢ヲ強化スルコト
(二)主要食糧農産物ノ種苗ニ関スル国ノ施設ヲ整備スルコト
(三)不要不急作物ノ生産抑制其ノ他作付統制ノ徹底ヲ期スルト共ニ不耕作地ノ解消及空閑地ノ利用等ニ関シ要スレバ法令ニ依ル措置ヲ講ズルコト
(四)農耕地ノ他用途ヘノ転換ハ此ノ際特ニ抑制スルト共ニ農業者ノ徴用及他部門ヘノ転出ニ付テハ格段ノ注意ヲ払フコト
二、主要食糧ノ自給力強化ニ付テハ外地ニ於テモ其ノ実情ニ応ジ概ネ本要綱ニ準ジ措置スルコト

   「国立国会図書館リサーチ・ナビ」

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1180年(治承4)伊豆に流されていた源頼朝が、以仁王の令旨を受けて挙兵し、山木館を襲撃する(新暦9月8日)詳細
1691年(元禄4)経世家・陽明学者熊沢蕃山の命日(新暦9月9日)詳細
1945年(昭和20)小説家島木健作の命日詳細
1949年(昭和24)国鉄東北本線の旅客列車が福島県内で転覆させられる事故(松川事件)が起こる詳細
1963年(昭和38)みどり丸沈没事故が起き、死者・行方不明者112名を出す詳細
1965年(昭和40)小説家・詩人高見順の命日詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

toyokawakuushyuuireitou01
 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争末期、1945年(昭和20)に、 豊川空襲があり、豊川海軍工廠空襲が爆撃されて、女子挺身隊員・国民学校児童ら2,477人が亡くなった日です。
 豊川空襲(とよかわくううしゅう)は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20)8月7日午前10時13分~39分の26分間にアメリカ軍機が豊川海軍工廠を爆撃した昼間の空襲でした。これによって、サイパン、テニアン、グアムから飛来したB-29爆撃機124機から、500ポンド(250kg)爆弾3,256発(約800トン)が投下され豊川海軍工廠は壊滅します。
 人的被害は死者2,417人(2,818人、2,544人、2,672人の説もある)に及び、その内に勤労動員の中学生・女学生・国民学校児童447人が含まれていました。尚、工廠内だけでなく、一般市民の家屋や通行人にも大きな被害が出て、在宅中の児童21名、入学前の幼児22名を含む市民113名が犠牲となっています。
 戦後の1946年(昭和21)には、豊川稲荷北西部に海軍工廠戦没者供養塔が建立され、毎年8月7日に豊川稲荷では空襲による犠牲者の霊を慰める年忌法要が営まれてきました。また、2018年(平成30)には、豊川海軍工廠の跡地の一角に豊川海軍工廠平和公園が開園し、園内の「豊川市平和交流館」には豊川海軍工廠と豊川空襲について、常時展示されるようになってます。

〇太平洋戦争下の主要な空襲一覧

<1942年(昭和17)>
・4月18日 東京、名古屋、神戸などが初空襲される(ドウリットル指揮の16機の米陸軍機B-25による)

<1944年(昭和19)>
・11月24日 B-29による初めての東京空襲が行われる

<1945年(昭和20)>
・1月19日 阪神地方へ初の本格的空襲が行われる
・3月10日 東京大空襲か行われ、死傷10万人以上、焼失27万余戸、罹災100余万人が出る
・3月12日 名古屋大空襲で中心街が焼失する(家屋25,734棟棟被災、105,093人罹災、死者519人、負傷者負傷者734人)
・3月13~14日 大阪へ初の大空襲が行われる
・3月17日 神戸大空襲が行われ神戸市西部が消失する(約65,000棟が全半焼、死者2,598人)
・3月19日 名古屋大空襲で名古屋駅が炎上する(家屋39,893棟被災、151,332人罹災、死者826人、負傷者2,728人)
・3月29日 北九州が空襲される
・4月4日 川崎の他鶴見・港北・神奈川・西各区が空襲を受ける(罹災戸数5,873戸、死者398人)
・4月13日 東京空襲(西部地域)が行われる
・4月15日 東京・横浜・川崎の空襲が行われる(罹災住宅5万2655戸、死者972人)
・5月14日 名古屋空襲で名古屋城が焼失する(家屋21,905棟被災、66,585人罹災、死者338人、負傷者783人)
・5月24日 東京へ250機来襲し、皇居が炎上する
・5月25~26日 東京空襲(山手地域)が行われる
・5月29日 京浜へ600機来襲し、川崎、横浜が被災(横浜大空襲)する(死者3,650人、重軽傷者10,198人、行方不明309人)
・6月1日 大阪、尼崎等へ400機来襲する
・6月5日 兵庫県神戸市へ350機来襲する(西部の神戸市垂水区から東部の西宮市まで広範囲が爆撃される)
・6月7日 大阪周辺へ250機来襲する
・6月19~20日 静岡大空襲で旧静岡市の中心部が焼失する(焼失家屋26,891戸、被災者114,000人、死者1,952人)
・6月19~20日 福岡大空襲で福岡市の中心部が焼失する(罹災戸数12,693戸、罹災者数60,599人、死者・行方不明者1,146人)
・6月28~29日 佐世保大空襲で佐世保市の中心部が焼失する(罹災戸数12,037戸、罹災者数60,734人、死者1,242人)、
・6月29日 岡山空襲で岡山城が焼失する(家屋12,693棟被災、死者が1,737人)
・7月9日 和歌山大空襲で和歌山城が消失する(焼失家屋31,137戸、被災者113,548人、死者・行方不明者1,424人)
・7月12日 宇都宮大空襲で宇都宮市の中心部が焼失する(罹災世帯数10,603世帯、焼失戸数9,490戸、死者628人、負傷者約1,150人)
・7月14日 青函連絡船の翔鳳丸など9隻が米艦載機の攻撃を受けて沈没する
・8月2日 富山大空襲で市街地の99.5%を焼失する(戦災家屋約20,000戸、被災者109,592人、死者2,737人)
・8月5日 B-29爆撃機92機が前橋市・高崎市を空襲し、死傷者1,323人が出る
・8月6日 B-29が広島に原子爆弾を投下し、市街地は廃墟と化し、20万人以上の人命が喪われる
・8月7日 愛知県の豊川海軍工廠が爆撃され女子挺身隊員・国民学校児童ら2,477人の死者を出す
・8月8日 福山大空襲で福山城が消失する(焼失家屋数10,179戸、被災者数47,326人、死者354人)
・8月9日 B-29が長崎にも原子爆弾を投下し、市街地は廃墟と化し、8万人弱の人命が喪われる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

479年(雄略天皇23)第21代の天皇とされる雄略天皇の命日(『日本書紀』による)詳細
1831年(天保2)戯作者十返舎一九の命日(新暦9月12日)詳細
1880年(明治13)新潟明治13年の大火で、死者3名、負傷名37名、焼失6,175戸の被害を出す詳細
1936年(昭和11)広田弘毅内閣の五相会議において、「国策の基準」が決定される詳細
1953年(昭和28)「スト規制法」が公布・施行され、電気・石炭事業のストが規制される詳細
1977年(昭和52)北海道の有珠山が32年ぶりに噴火する(有珠山1977年噴火)詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ