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 今日は、昭和時代中期の1955年(昭和30)に、原水爆禁止日本協議会(原水協)が結成された日です。
 原水爆禁止日本協議会(げんすいばくきんしにほんきょうぎかい)は、原爆被災10周年を記念して、1955年(昭和30)8月に開催された第1回原水爆禁止世界大会終了後、原水爆禁止署名全国協議会と原水爆禁止世界大会日本準備会とが合同し、運動を継続させるために、同年9月19日に設立された、原水爆の禁止を呼びかける国民運動組織でした。核戦争阻止、核兵器の全面禁止、被爆者救援を基本目標とし、以後毎年、世界各国の平和団体代表を集めて日本で世界大会が催されるようになります。
 この運動は政治的イデオロギーを問わず、いろいろな団体が参加する国民運動でしたが、1965年(昭和40)に、「部分的核実験禁止条約」の評価などを巡って、「原水爆禁止日本国民会議」が分れたのをはじめ、分裂が起こりました。1977年(昭和52)に開かれた第1回国連軍縮特別総会に向けた署名運動での協力を通じて、同年8月に14年ぶりの統一世界大会が開かれ、以後毎年挙行されたものの、1986年(昭和61)以降、再分裂しています。
 しかし、これらの運動によって、日本は最初の被爆国として、平和運動の面でも世界的な中心の一つとなりました。

〇原水爆禁止日本協議会(原水協)関係略年表

・1954年(昭和29)3月1日 南太平洋のビキニ島近くの海域でアメリカが行なった水爆実験によって、「第五福竜丸」などの漁船が被爆する
・1954年(昭和29)5月 「水爆禁止署名運動杉並協議会」が結成される
・1954年(昭和29)8月 「原水爆禁止署名全国協議会」が結成される
・1954年(昭和29)9月23日 「第五福竜丸」無線長だった久保山愛吉さんが被爆が原因で死亡する
・1955年(昭和30)8月6日 被爆10周年の広島市で、第1回原水爆禁止世界大会が開催される
・1955年(昭和30)9月 原水爆禁止署名が当初目標を達成する
・1955年(昭和30)9月19日 原水爆禁止日本協議会(原水協)が結成される
・1959年(昭和34) 安保改定問題を議題としたことから保守系や自治体首長が離脱する
・1960年(昭和35) 民社党は別組織の創立を決定する
・1961年(昭和36)8月 第7回世界大会は、「最初に実験を開始する政府は平和の敵、人道の敵」と決議する
・1961年(昭和36)8月30日 ソビエト連邦が核実験を再開する
・1961年(昭和36)11月 核兵器禁止平和建設国民会議(初代議長松下正寿)を創立、これに保守系の一部も参加する
・1962年(昭和37) 第8回世界大会は、ソ連の核とソ連平和勢力論をめぐり社共両党と中ソの代表が激突する
・1964年(昭和39) 広島・長崎・静岡の原水協・総評・社会党は別大会を開催する
・1965年(昭和40) 「部分的核実験禁止条約」の評価などを巡って、総評・社会党系が「原水爆禁止日本国民会議」を結成して分れる
・1977年(昭和52) 第1回国連軍縮特別総会に向けた署名運動での両組織の協力が行われる
・1977年(昭和52)8月 14年ぶりの統一世界大会が開かれる
・1986年(昭和61) 再分裂する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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1945年(昭和20)GHQが「日本に与うる新聞遵則(プレスコード)」(SCAPIN-33)を出し言論統制検閲が始まる詳細
1959年(昭和34)国立青年の家第1号となる「国立中央青年の家」(静岡県御殿場市)が設置される詳細
1978年(昭和53)埼玉古墳群の稲荷山古墳出土鉄剣の金錯銘を解読したと発表される詳細