ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:フェーン現象

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 今日は、昭和時代中期の1956年(昭和31)に、フェーン現象により、富山県魚津市で魚津大火が起き、1,583戸を焼失し、死者5名、負傷者170名を出した日です。
 魚津大火(うおづたいか)は、この日の午後7時45分頃に、富山県魚津市真成寺町の民家の納屋から出火した大火でした。折しも台風12号が日本海を通過中で、日本海沿岸特有のフェーン現象となっており、富山県下では特別火災注意報が出されていましたが、その強風(平均風速約8~13m/s)に煽られて火勢が拡大します。
 真成寺町から神明町、金屋町、村木、新金屋町、下村木町、沖田区、上村木町、本江、本新、餌指町などに延焼し、翌11日午前2時45分頃にようやく鎮火しました。これによって、1,583戸を焼失し、死者5名、負傷者170名(うち重傷者5名)を出し、被災者は7,219名に及びます。主要な建物では、魚津市立村木小学校、カーバイド病院、北陸銀行神明支店、富山産業銀行魚津支店、岐阜相互銀行魚津支店、加州相互銀行魚津出張所、第一劇場(中央劇場)、大劇映画館、金屋郵便局、魚津米穀販売協同組合、魚津製氷、吉田工業上村木工場、日本カーバイド工業魚津工場、魚津製作所、本江酒造、神明社、火の宮神社、稲荷神社、市姫神社、安成寺、光了寺、光顔寺、照善寺、栄明寺などを焼失し、被害総額は75億円という大きなものとなりました。
 大火前は、道幅が非常に狭く、木造家屋が立ち並んでいて、延焼しやすく、消火活動にも支障をきたしたことを踏まえ、魚津市は国および県の支援を受けつつ火災復興計画として不燃都市を目指し、6年をかけて土地区画整理事業による大型道路、下水道事業、公園・墓地の造成などを遂行し、近代都市として生まれ変わります。

〇太平洋戦争後の日本の大火(500棟以上の焼失で、地震によるものを除く)

・1947年(昭和22)4月20日 - 飯田大火(長野県飯田市)
  死者・行方不明者3名、焼失棟数3,742棟、焼損面積約48ha、罹災戸数4,010戸、罹災人員17,778名
・1949年(昭和24)2月20日 - 第一次能代大火(秋田県能代市)
  死者3名、負傷者132名、焼失家屋2,237棟、焼失面積83.6ha、罹災世帯1,755世帯、罹災人員8,790名
・1950年(昭和25)4月13日 - 熱海大火(静岡県熱海市)
 死者なし、負傷者979名、全焼戸数979棟、延焼面積約13ha、罹災世帯1,461世帯5,745名、被害総額54億7千万円
・1952年(昭和27)4月17日 - 鳥取大火(鳥取県鳥取市)
  死者3名、罹災家屋5,228戸、罹災面積約160ha、罹災者2万451人
・1954年(昭和29)9月26日 - 岩内大火(北海道岩内郡岩内町)
  死者35名、負傷者551名、行方不明3名、焼失戸数3,298戸、焼失面積約106ha、罹災者16,622名
・1955年(昭和30)10月1日 - 新潟大火(新潟県新潟市)
  行方不明者1名、負傷者175名、焼失棟数892棟、焼失面積約26ha、罹災世帯1,193世帯、罹災人員5,901名
・1956年(昭和31)3月20日 - 第二次能代大火(秋田県能代市)
  死者なし、負傷者194名、焼失家屋1,475棟、焼失面積約31.5ha、罹災世帯1,248世帯、罹災人員6,087名
・1956年(昭和31)9月10日 - 魚津大火(富山県魚津市)
  死者5名、負傷者170名(うち重傷者5名)、焼失戸数1,583戸、罹災者7,219名、被害総額75億円
・1965年(昭和40)1月11日 - 伊豆大島大火(東京都大島町)
  死者なし、全焼戸数584棟418戸、焼失面積約16.5ha、罹災世帯408世帯1,273名、被害総額20億7千万円
・1976年(昭和51)10月29日 - 酒田大火(山形県酒田市)
  死者1名、焼失棟数1,774棟、焼失面積約22.5ha、被災者約3,300名、被害総額約405億円

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1561年(永禄4)第4次川中島の戦い(八幡原の戦い)が始まる(新暦10月27日)詳細
1704年(宝永元)俳人向井去來(蕉門十哲の一人)の命日(新暦10月8日)詳細
1937年(昭和12)「軍需工業動員法ノ適用ニ関スル法律」が公布・施行され、「軍需工業動員法」が全面発動される詳細
1943年(昭和18)鳥取地震(M7.4)が起き、死者1,083人を出す詳細
1945年(昭和20)GHQが「言論及び新聞の自由に関する覚書」(SCAPIN-16)を出す詳細
1960年(昭和35)東京・大阪の5局でカラーテレビ本放送が開始される詳細
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 今日は、明治時代前期の1880年(明治13)に、三条の大火「糸屋万平火事」で、死者34名、焼失2,743戸を出した日です。
 三条の大火「糸屋万平火事」(いとやまんぺいかじ)は、この日の13時5分頃、新潟県南蒲原郡三条町上町の糸屋附近から出火した大火でした。朝からフェーン現象により、東南の風が激しく砂ぼこりを立てて吹きまくっていましたが、吉田の市が立ち、加茂青海神社の大祭だったため、町民はこぞって出かけ、市中は閑散としていた中で、火は瞬く間に近隣の酒造業の3階に燃え移り、一気に近隣に延焼します。
 その勢いで近くの7、8軒が一挙に燃え上がり、本寺小路界隈の貸座敷をみるみる焼き尽くし、さらに、一ノ木戸村、東裏館村、西裏館村、石上村(いずれも現在の三条市)にも延焼しただけでなく、信濃川を越え、須頃村(現在の三条市)、燕町(現在の燕市)まで及び、ようやく5時間程経った18時頃に鎮火しました。当時の被災地の戸数3,230戸のうち焼失家屋2,743戸(約85%)が焼失し、34名が死亡しています。その中で、主要な建物では、西本願寺別院、八幡宮、警察署、南蒲原郡役所、戸長役場、三条小学校などが焼けています。

〇明治時代の大火一覧(焼失1,000戸以上で、戦火によるものを除く)

・1871年(明治4)9月12日 函館の「切見世火事」(焼失1,123戸)
・1872年(明治5)2月26日 東京の銀座大火(焼失4,879戸)
・1873年(明治6)3月22日 函館の「家根屋火災」(焼失1,314戸)
・1873年(明治6)3月22日~23日 横浜の「相生町の大火」(重軽傷者20余名、焼失1,577戸)
・1874年(明治7)4月27日 浜松明治7年の大火「小野組火事」(焼失家数1,318軒)
・1875年(明治8)4月24日 飛騨高山明治8年の大火(死亡者1名、焼失1,032戸)
・1879年(明治12)1月26日~27日 高崎明治13年の大火(消失2,500余戸)
・1879年(明治12)3月3日 高岡明治12年の大火(焼失2,000余戸)
・1879年(明治12)12月6日 明治12年函館大火(焼失2,326戸)
・1879年(明治12)12月26日 東京の日本橋大火(全焼10,613戸)
・1880年(明治13)5月15日 弘前明治13年の大火(焼失1,000余戸)
・1880年(明治13)5月21日 三条の大火「糸屋万平火事」(死者34名、焼失2,743戸)
・1880年(明治13)8月7日 新潟明治13年の大火(死者3名、負傷名37名、焼失6,175戸)
・1880年(明治13)12月24日 明治13年大阪南の大火「島の内出火」(死者8名、負傷者350~60名、焼失3,388戸)
・1881年(明治14)1月26日 東京の神田の大火(全焼10,673戸)
・1881年(明治14)2月11日 東京の神田区の大火(全焼7,751戸)
・1881年(明治14)4月25日 福島明治の大火「甚兵衛火事」(死者7名、焼失1,785戸)
・1882年(明治15)5月15日 富山県氷見明治の大火(焼失1,600余戸)
・1884年(明治17)5月13日 水戸明治17年「下市の大火」(焼失1,200余戸)
・1884年(明治17)11月7日~8日 盛岡明治17年の大火(焼失1,432戸)
・1885年(明治18)5月31日~6月1日 富山明治18年の大火「安田焼」(死者9名、焼失5,925戸) 
・1886年(明治19)4月30日~5月1日 秋田明治19年の大火「俵屋火事」(死者17名、負傷者186名、焼失3,554戸) 
・1886年(明治19)12月30日 水戸明治19年「上市の大火」(焼失1,800余戸)
・1888年(明治21)1月4日 松本明治21年南深志の大火(死者5名、焼失1,553戸)
・1888年(明治21)1月31日 横浜明治21年野毛の放火による大火(重軽傷者数10人、焼失1,121戸)
・1889年(明治22)2月1日~2日 静岡明治22年の大火(焼失1,100余戸) 
・1890年(明治23)2月27日 東京の浅草大火(全焼1,469戸)
・1890年(明治23)9月5日 明治23年大阪大火「新町焼け」(死者1名、軽傷者206名、全焼2,023戸、半焼60戸)
・1893年(明治26)3月17日~18日 川越大火(焼失1,302戸、土蔵60棟焼失)
・1893年(明治26)3月29日~30日 松阪明治の大火(焼失1,460戸)
・1894年(明治27)5月26日 山形明治27年「市南の大火」(死者15名、負傷者69名、焼失1,284戸) 
・1895年(明治28)4月29日 石川県七尾の大火(焼失1,000余戸)
・1895年(明治28)6月2日~3日 新潟県新発田明治28年の大火(死者4名、負傷者24名、焼失2,410戸)
・1895年(明治28)10月3日 根室明治28年の大火(焼失1,334戸)
・1896年(明治29)4月13日~14日 福井県勝山町明治29年の大火(死者5名、負傷者2名、焼失1,124戸) 
・1896年(明治29)8月26日 函館の「テコ婆火事」(焼失2,280戸)
・1897年(明治30)4月3日 柏崎明治30年の大火「日野屋火事」(焼失1,230戸)
・1897年(明治30)4月22日 八王子大火(死者42名、焼失3,500余戸)
・1898年(明治31)3月23日 東京の本郷大火(死者2名、負傷者42名、焼失1,478戸)
・1898年(明治31)6月4日 直江津(上越市)明治31年の大火「八幡火事」(焼失1,595戸)
・1899年(明治32)8月12日 富山明治32年の大火「熊安焼」(全焼4,697戸、半焼9戸) 
・1899年(明治32)8月12日~13日 横浜明治32年の大火(死者14名、全焼3,124、半焼49戸)
・1899年(明治32)9月15日 明治32年函館大火(焼失2,294戸)
・1900年(明治33)4月18日 福井「橋南大火」(死者11名、負傷者131名、全焼1891軒、半焼3軒)
・1900年(明治33)6月27日 高岡明治33年の大火(死者7名、負傷者46名、全焼3,589戸、半焼25戸)
・1902年(明治35)3月30日 福井明治35年「橋北の大火」(焼失3,309戸)
・1903年(明治36)4月13日 福井県武生町明治の大火(死者7名、重傷者2名、全焼1,057戸)  
・1904年(明治37)5月8日 小樽明治37年「稲穂町の火事」(焼失2,481戸)
・1906年(明治39)7月11日 直江津町(上越市)明治39年の大火「ながさ火事」(焼失1,041戸)  
・1907年(明治40)8月25日 明治40年函館大火(死者8名、負傷者1,000名、焼失12,390戸)
・1908年(明治41)3月8日 新潟明治41年3月の大火(焼失1,198戸)
・1908年(明治41)9月4日 新潟明治41年再度の大火(全焼2,071戸、半焼18戸)
・1909年(明治42)7月31日~8月1日 大阪明治42年「北の大火」(焼失11,365戸)
・1910年(明治43)4月16日 輪島町の大火(全焼1,055軒、半焼15軒)    
・1910年(明治43)5月3日~4日 明治43年青森大火(死者26名、負傷者163名、焼失7,519戸、半焼5戸)
・1911年(明治44)4月9日 東京の吉原大火(全焼6,189戸、半焼69戸)
・1911年(明治44)5月8日 山形明治44年「市北の大火」(全焼1,340戸)
・1911年(明治44)5月16日 小樽明治44年の大火(焼失1,251戸)
・1912年(明治45)1月16日 大阪明治45年「南の大火」(死者4名、全焼4,750戸、半焼等29戸)   
・1912年(明治45)3月21日 東京の州崎大火(全焼1,149戸、半焼11戸)
・1912年(明治45)4月22日 松本明治「北深志の大火」(死者5名、焼失1,341戸)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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720年(養老4)舎人親王らが『日本書紀』30巻と系図1巻を完成し撰上する(新暦7月1日)詳細
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 今日は、昭和時代中期の1952年(昭和27)に、鳥取大火(死者3名、負傷者3,966名、焼失5,228戸)が起きた日です。
 鳥取大火(とっとりたいか)は、鳥取県鳥取市において、午後2時55分頃に、鳥取市吉方の市営動源温泉付近から出火し、湿度は28%の乾燥下のフェーン現象による風速15m/sという強い南風の影響で、火は瞬く間に燃え広がりました。付近の商店街や民家に次々と飛び火しながら北東方向へと扇状に拡大していき、旧城内の県庁や市役所方面も焦土と化します。
 出火から12時間が経過した翌日の午前4時に、鳥取市旧市街地の3分の2を焼き尽くして、ようやく鎮火しました。これによる被害は、死者3名、負傷者3,966名、焼失5,228戸、被災面積1.6㎢、罹災人員20,451人(鳥取市人口の32.4%)に上り、被害総額は193億2,639万円と推定されています。
 戦後では、1957年(昭和22)4月20日の飯田大火と並ぶ戦後最大級の都市火災となり、消防庁長官から大火対策について異例の通達が出され、翌月には「耐火建築促進法」が制定されることとなりました。尚、鳥取市では、1943年(昭和18)に鳥取地震でも大きな被害を受けていて、これらの災害を教訓として、都市の不燃化、千代川や袋川の改修、排水溝とポンプ場の設置、下水道の整備などの対策が進められることとなります。

〇太平洋戦争後の日本の大火一覧(500棟以上の焼失で、地震によるものを除く)

・1947年(昭和22)4月20日 - 飯田大火(長野県飯田市)
  死者・行方不明者3名、焼失棟数3,742棟、焼損面積約48ha、罹災戸数4,010戸、罹災人員17,778名
・1949年(昭和24)2月20日 - 第一次能代大火(秋田県能代市)
  死者3名、負傷者132名、焼失家屋2,237棟、焼失面積83.6ha、罹災世帯1,755世帯、罹災人員8,790名
・1952年(昭和27)4月17日 - 鳥取大火(鳥取県鳥取市)
  死者3名、罹災家屋5,228戸、罹災面積約160ha、罹災者2万451人
・1954年(昭和29)9月26日 - 岩内大火(北海道岩内郡岩内町)
  死者35名、負傷者551名、行方不明3名、焼失戸数3,298戸、焼失面積約106ha、罹災者16,622名
・1955年(昭和30)10月1日 - 新潟大火(新潟県新潟市)
  行方不明者1名、負傷者175名、焼失棟数892棟、焼失面積約26ha、罹災世帯1,193世帯、罹災人員5,901名
・1956年(昭和31)3月20日 - 第二次能代大火(秋田県能代市)
  死者なし、負傷者194名、焼失家屋1,475棟、焼失面積約31.5ha、罹災世帯1,248世帯、罹災人員6,087名
・1956年(昭和31)9月10日 - 魚津大火(富山県魚津市)
  死者5名、負傷者170名(うち重傷者5名)、焼失戸数1,583戸、罹災者7,219名
・1965年(昭和40)1月11日 - 伊豆大島大火(東京都大島町)
  死者なし、全焼戸数584棟418戸、焼失面積約16.5ha、罹災世帯408世帯1,273名、被害総額20億7千万円
・1976年(昭和51)10月29日 - 酒田大火(山形県酒田市)
  死者1名、焼失棟数1,774棟、焼失面積約22.5ha、被災者約3,300名、被害総額約405億円

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

723年(養老7)開墾地の3代までの私有を認める「三世一身法」が発布される(新暦5月25日)詳細
1616年(元和2)武将・江戸幕府初代将軍徳川家康の命日(新暦6月1日)詳細
1895年(明治28)日清戦争講和の為の「下関条約」(日清講和条約)が調印される詳細
1918年(大正7)「軍需工業動員法」が公布される詳細
1946年(昭和21)「日本国憲法」の原案となった、政府の「憲法改正草案」が発表される詳細
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 今日は、昭和時代中期の1955年(昭和30)に、昭和新潟大火が起こり、行方不明者1名、負傷者235名、焼失家屋892棟を出した日です。
 昭和新潟大火(しょうわにいがたたいか)は、昭和時代中期の1955年(昭和30)10月1日に、新潟県新潟市(現在の同市中央区)で発生した大火でした。この日の2時50分頃に、新潟市内医学町通の新潟県庁第三分館から出火、ちょうど日本海を台風22号が通過した直後のことで、フェーン現象による連日の乾燥に加え、西からの強風(瞬間最大風速33m)に煽られ市街地中心部へ延焼し、ようやく10時50分にやっと鎮圧したものの、残火も含めて完全鎮火したのは19時のこととなります。
 これによって、新潟市の中心部は壊滅的な打撃を受け、行方不明者1名、負傷者235名、焼失家屋892棟、焼失面積約26ha、罹災世帯1,193世帯、罹災人員5,901名という大きな被害が出ました。また、主要な建物では、新潟日報社、新潟県農協(県信連・県経済連)、小林百貨店、大和新潟店、新潟市役所、新潟郵便局(現在の新潟中郵便局)、東北電力新潟営業所、竹山病院、北越銀行古町支店、第四銀行本店、同古町支店などが焼失しています。
 新潟では繰り返し大火が発生しており、これ以前では、1880年(明治13)8月7日、1908年(明治41)の3月8日と9月4日のものはとりわけ大規模でした。

〇昭和時代の大火一覧(500棟以上の焼失で、戦災・地震に因るものを除く)

・1929年(昭和4)2月23日~24日 - 気仙沼昭和4年大火(宮城県気仙沼町)
  焼失家屋1,672棟、被害総額6,962,900円
・1929年(昭和4)3月14日~15日 - 石岡町昭和の大火(茨城県石岡町)
  焼失家屋1,700棟、被害総額2,000万円以上
・1932年(昭和7)4月21日~22日 - 大宮町大火(静岡県大宮町)
  死者1名、負傷者97名、焼失家屋1,102戸、罹災人員4,914名
・1932年(昭和7)10月22日 - 「橋南の大火」(石川県小松町)
  焼失家屋987棟
・1934年(昭和9)3月21日 - 函館大火(北海道函館市)
  死者2,166名、焼失家屋11,105棟、焼失面積416.39ha、罹災世帯22,667戸、罹災人員102,001名
・1935年(昭和10)9月13日 - 新発田町昭和10年大火(新潟県新発田町)
  罹災世帯1,064戸、焼損面積約69ha
・1938年(昭和13)9月6日 - 氷見町大火(富山県氷見町)
  死者5名、負傷者510名、焼失家屋1,543棟、焼失面積約36.6ha
・1940年(昭和15)1月15日 - 静岡昭和15年大火(静岡県静岡市)
  死者1名、負傷者788名、焼失家屋6,218棟、罹災人員27,518名
・1947年(昭和22)4月20日 - 飯田大火(長野県飯田市)
  死者・行方不明者3名、焼失棟数3,742棟、焼損面積約48ha、罹災戸数4,010戸、罹災人員17,778名
・1949年(昭和24)2月20日 - 第一次能代大火(秋田県能代市)
  死者3名、負傷者132名、焼失家屋2,237棟、焼失面積83.6ha、罹災世帯1,755世帯、罹災人員8,790名
・1952年(昭和27)4月17日 - 鳥取大火(鳥取県鳥取市)
  死者3名、罹災家屋5,228戸、罹災面積約160ha、罹災者2万451人
・1954年(昭和29)9月26日 - 岩内大火(北海道岩内郡岩内町)
  死者35名、負傷者551名、行方不明3名、焼失戸数3,298戸、焼失面積約106ha、罹災者16,622名
・1955年(昭和30)10月1日 - 昭和新潟大火(新潟県新潟市)
  行方不明者1名、負傷者235名、焼失棟数892棟、焼失面積約26ha、罹災世帯1,193世帯、罹災人員5,901名
・1956年(昭和31)3月20日 - 第二次能代大火(秋田県能代市)
  死者なし、負傷者194名、焼失家屋1,475棟、焼失面積約31.5ha、罹災世帯1,248世帯、罹災人員6,087名
・1956年(昭和31)9月10日 - 魚津大火(富山県魚津市)
  死者5名、負傷者170名(うち重傷者5名)、焼失戸数1,583戸、罹災者7,219名
・1965年(昭和40)1月11日 - 伊豆大島大火(東京都大島町)
  死者なし、全焼戸数584棟418戸、焼失面積約16.5ha、罹災世帯408世帯1,273名、被害総額20億7千万円
・1976年(昭和51)10月29日 - 酒田大火(山形県酒田市)
  死者1名、焼失棟数1,774棟、焼失面積約22.5ha、被災者約3,300名、被害総額約405億円

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

684年(天武天皇13)八色の姓が制定される詳細
1555年(天文24)巌島の戦いで、毛利元就軍が陶晴賢軍を破る(新暦10月16日)詳細
1937年(昭和12)「防空法」(昭和12年法律第47号)が施行(公布は同年4月5日)される詳細
1964年(昭和39)東海道新幹線の東京~新大阪が開業する詳細
1997年(平成9)磐越自動車道が西会津IC~津川IC間の供用開始により、全線開通する詳細
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 今日は、昭和時代前期の1938年(昭和13)に、氷見町大火が起こり、死者5名、負傷者510名、焼失家屋1,543棟を出した日です。
 氷見町大火(ひみまちたいか)は、1938年(昭和13)9月6日に、富山県氷見郡氷見町(現在の氷見市)で発生した大火でした。この日の午前0時20分頃、伊勢町の下駄屋の2階から出火、折しも、能登半島西方海上を進む台風の影響による に見舞われ、風速15mの南西の風が吹く中、瞬く間に燃え広がります。
 高砂町、地蔵町、川原町、南下町、湊町、浜町、新町、中町、南中町、本川町、入船町、朝日町、茣蓙町、仕切町、田町、加納町一帯に拡大し、氷見町中心部約36.6ha(50%以上)を焼き尽くし、午前8時頃にようやく鎮火しました。これによって、死者5名、負傷者510名、焼失家屋1,543棟、土蔵全焼299棟という大きな被害が出、氷見町役場、氷見警察署、氷見郵便局、氷見図書館、南上小学校、神社18社、寺院13寺、銀行・会社14社、漁船20隻などが焼失します。
 その後、1938年(昭和13)より復興都市計画が起工され、道路拡幅や区画整理などが順次実施され、大火の原因の一つとなった町の中心部の狭い街路が幅15m道路に拡張され、1943年(昭和18)には、復興祭が行われました。

〇昭和時代の大火一覧(500棟以上の焼失で、戦災・地震に因るものを除く)

・1929年(昭和4)2月23日~24日 - 気仙沼昭和4年大火(宮城県気仙沼町)
  焼失家屋1,672棟、被害総額6,962,900円
・1929年(昭和4)3月14日~15日 - 石岡町昭和の大火(茨城県石岡町)
  焼失家屋1,700棟、被害総額2,000万円以上
・1932年(昭和7)4月21日~22日 - 大宮町大火(静岡県大宮町)
  死者1名、負傷者97名、焼失家屋1,102戸、罹災人員4,914名
・1932年(昭和7)10月22日 - 「橋南の大火」(石川県小松町)
  焼失家屋987棟
・1934年(昭和9)3月21日 - 函館大火(北海道函館市)
  死者2,166名、焼失家屋11,105棟、焼失面積416.39ha、罹災世帯22,667戸、罹災人員102,001名
・1935年(昭和10)9月13日 - 新発田町昭和10年大火(新潟県新発田町)
  罹災世帯1,064戸、焼損面積約69ha
・1938年(昭和13)9月6日 - 氷見町大火(富山県氷見町)
  死者5名、負傷者510名、焼失家屋1,543棟、焼失面積約36.6ha
・1940年(昭和15)1月15日 - 静岡昭和15年大火(静岡県静岡市)
  死者1名、負傷者788名、焼失家屋6,218棟、罹災人員27,518名
・1947年(昭和22)4月20日 - 飯田大火(長野県飯田市)
  死者・行方不明者3名、焼失棟数3,742棟、焼損面積約48ha、罹災戸数4,010戸、罹災人員17,778名
・1949年(昭和24)2月20日 - 第一次能代大火(秋田県能代市)
  死者3名、負傷者132名、焼失家屋2,237棟、焼失面積83.6ha、罹災世帯1,755世帯、罹災人員8,790名
・1952年(昭和27)4月17日 - 鳥取大火(鳥取県鳥取市)
  死者3名、罹災家屋5,228戸、罹災面積約160ha、罹災者2万451人
・1954年(昭和29)9月26日 - 岩内大火(北海道岩内郡岩内町)
  死者35名、負傷者551名、行方不明3名、焼失戸数3,298戸、焼失面積約106ha、罹災者16,622名
・1955年(昭和30)10月1日 - 新潟大火(新潟県新潟市)
  行方不明者1名、負傷者175名、焼失棟数892棟、焼失面積約26ha、罹災世帯1,193世帯、罹災人員5,901名
・1956年(昭和31)3月20日 - 第二次能代大火(秋田県能代市)
  死者なし、負傷者194名、焼失家屋1,475棟、焼失面積約31.5ha、罹災世帯1,248世帯、罹災人員6,087名
・1956年(昭和31)9月10日 - 魚津大火(富山県魚津市)
  死者5名、負傷者170名(うち重傷者5名)、焼失戸数1,583戸、罹災者7,219名
・1965年(昭和40)1月11日 - 伊豆大島大火(東京都大島町)
  死者なし、全焼戸数584棟418戸、焼失面積約16.5ha、罹災世帯408世帯1,273名、被害総額20億7千万円
・1976年(昭和51)10月29日 - 酒田大火(山形県酒田市)
  死者1名、焼失棟数1,774棟、焼失面積約22.5ha、被災者約3,300名、被害総額約405億円

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1797年(寛政9)浮世絵師歌川広重の命日(新暦10月12日)詳細
1919年(大正8)「帝国美術院規程」(大正8年勅令第417号)によって、帝国美術院が創設される詳細
1941年(昭和16)御前会議で「帝国国策遂行要領」を決定する詳細
1998年(平成10)映画監督・脚本家黒澤明の命日詳細
2018年(平成30)北海道胆振東部地震(M6.7)が起こり、死者41人、負傷者675人が出る詳細
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