ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ: 自然災害

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 今日は、江戸時代後期の1854年(嘉永7)に、安政南海地震が起き、甚大な被害の出た日ですが、新暦では12月24日となります。
 安政南海地震(あんせいなんかいじしん)は、江戸時代後期の1854年(嘉永7年11月5日)午後4時頃に起きた、紀伊水道南方を震源とする巨大地震(マグニチュード8.4)でした。これによって、大津波が発生して、東海地方から九州にかけて各地に大きな被害をもたらします。
 特に、沿岸地域の被害は甚大で、豊後大分藩領内では、家屋倒潰4,546軒、死者18人、土佐藩領内では推定波高5~8mの大津波が襲い、倒壊家屋3,000余戸、焼失家屋2,500余戸、流失家屋3,200余戸、死者372人余、紀州藩領内では、家屋全潰・破損18,086軒、同流失8,496軒、同焼失24軒、死者699人を出しました。ちなみに、紀州広村の津波災害中に同村の名家の生まれ浜口儀兵衛(梧陵)が、下総(千葉県)銚子で醤油製造業(ヤマサ醤油)を営んでいたが、同村滞在中この地震と津波に遭遇し、村人を避難させるため、道端の稲むら(乾燥させるため稲を積んだもの)に火を放ち、これによって村人を誘導して津波から救ったという逸話が残され、名作「稲むらの火」の原点になっています。
 この32時間前の11月4日9時過頃には安政東海地震(マグニチュード8.4)が発生し、被害は東海地方を中心に、関東地方から近畿地方にまで及んでいました。2つの地震が重なった地域もあって被害の判別が難しく、併せて、伊豆から四国までの広範な地帯で死者数千人、倒壊家屋3万軒以上という大きな被害をもたらしたとされています。
 この2つの地震を機に元号が「安政」に改められたので、安政大地震とも総称されました。この後、11月7日の豊予海峡地震(マグニチュード7.4)、翌安政2年2月1日の飛騨地震(マグニチュード6.8)、10月2日の安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)、安政3年7月23日の安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)、安政4年8月25日の伊予大震(マグニチュード7.3)、安政5年2月26日の飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)などの大きな地震が続き、これらを含めて「安政の大地震」とも呼ばれています。中でも、安政江戸地震の被害は甚大で、倒壊した家屋は2万軒、死者は1万人余と考えられ、小石川の水戸藩邸では藤田東湖、戸田蓬軒らが圧死しました。
 以下に、『初等科国語 六』四 稻むらの火を掲載しておきましたので、ご参照下さい。

〇一連の「安政の大地震」(日付は旧暦です)

・1854年(嘉永7)6月15日- 伊賀上野地震(マグニチュード7.0)
・1854年(嘉永7)11月4日- 安政東海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7)11月5日- 安政南海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7)11月7日- 豊予海峡地震(マグニチュード7.4)
・1855年(安政2)2月1日- 飛騨地震(マグニチュード6.8)
・1855年(安政2)8月3日- 陸前で地震
・1855年(安政2)9月28日- 遠州灘で地震(安政東海地震の最大余震)
・1855年(安政2)10月2日- 安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)
・1856年(安政3)7月23日- 安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)
・1856年(安政3)10月7日- 江戸で地震
・1857年(安政4)閏5月23日- 駿河で地震
・1857年(安政4)8月25日- 伊予大震(マグニチュード7.3)
・1858年(安政5)2月26日- 飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)
・1858年(安政5)5月28日- 八戸沖で地震

☆『初等科国語 六』四 稻むらの火

「これは、ただごとでない。」
とつぶやきながら、五兵衛は家から出て來た。今の地震は、別に激しいといふほどのものではなかつた。しかし、長い、ゆつたりとしたゆれ方と、うなるやうな地鳴りとは、年取つた五兵衛に、今まで經驗したことのない、無氣味なものであつた。
 五兵衛は、自分の家の庭から、心配さうに下の村を見おろした。村では、豐年を祝ふよひ祭の支度に心を取られて、さつきの地震には、一向氣がつかないもののやうである。
 村から海へ移した五兵衛の目は、たちまちそこに吸ひつけられてしまつた。風とは反對に、波が沖へ沖へと動いて、見る見る海岸には、廣い砂原や、黒い岩底が現れて來た。
「大變だ。津波(つなみ)がやつて來るに違ひない。」と、五兵衛は思つた。このままにしておいたら、四百の命が、村もろとも一のみにやられてしまふ。もう、一刻もぐづぐづしてはゐられない。
「よし。」
と叫んで、家へかけ込んだ五兵衛は、大きなたいまつを持つてとび出して來た。そこには、取り入れるばかりになつてゐるたくさんの稻束が積んである。
「もつたいないが、これで村中の命が救へるのだ。」
と、五兵衛は、いきなりその稻むらの一つに火を移した。風にあふられて、火の手がぱつとあがつた。一つまた一つ、五兵衛はむちゆうで走つた。かうして、自分の田のすべての稻むらに火をつけてしまふと、たいまつを捨てた。まるで失神したやうに、かれはそこに突つ立つたまま、沖の方を眺めてゐた。
 日はすでに沒して、あたりがだんだん薄暗くなつて來た。稻むらの火は、天をこがした。山寺では、この火を見て早鐘をつき出した。
「火事だ。莊屋(しやうや)さんの家だ。」
と、村の若い者は、急いで山手へかけ出した。續いて、老人も、女も、子どもも、若者のあとを追ふやうにかけ出した。
 高臺から見おろしてゐる五兵衛の目には、それが蟻(あり)の歩みのやうにもどかしく思はれた。やつと二十人ほどの若者が、かけあがつて來た。かれらは、すぐ火を消しにかからうとする。五兵衛は、大聲にいつた。
「うつちやつておけ。──大變だ。村中の人に來てもらふんだ。」
 村中の人は、おひおひ集つて來た。五兵衛は、あとからあとからのぼつて來る老幼男女を、一人一人數へた。集つて來た人々は、もえてゐる稻むらと五兵衛の顔とを、代る代る見くらべた。
 その時、五兵衛は、力いつぱいの聲で叫んだ。
「見ろ。やつて來たぞ。」
 たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指さす方を一同は見た。遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。その線は、見る見る太くなつた。廣くなつた。非常な速さで押し寄せて來た。
「津波だ。」
と、だれかが叫んだ。海水が、絶壁のやうに目の前にせまつたと思ふと、山がのしかかつて來たやうな重さと、百雷の一時に落ちたやうなとどろきとで、陸にぶつかつた。人々は、われを忘れて後へとびのいた。雲のやうに山手へ突進して來た水煙のほかは、一時何物も見えなかつた。
 人々は、自分らの村の上を荒れくるつて通る、白い、恐しい海を見た。二度三度、村の上を、海は進みまた退いた。
 高臺では、しばらく何の話し聲もなかつた。一同は、波にゑぐり取られてあとかたもなくなつた村を、ただあきれて見おろしてゐた。
 稻むらの火は、風にあふられてまたもえあがり、夕やみに包まれたあたりを明かるくした。始めてわれにかへつた村人は、この火によつて救はれたのだと氣がつくと、ただだまつて、五兵衛の前にひざまづいてしまつた。

   「ウィキソース」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1857年(安政4)吉田松陰が長州藩の許可を得て萩に松下村塾を開講する(新暦12月9日)詳細
1888年(明治21)日本画家・近代日本画の父狩野芳崖の命日詳細
1930年(昭和5)大原孫三郎が集めた西欧名画を展示する大原美術館(岡山県倉敷市)が開館する詳細
1937年(昭和12)社会運動家・小説家・評論家木下尚江の命日詳細
1941年(昭和16)第7回御前会議の「帝国国策遂行要領」で対米交渉の甲乙二案を決定、決裂時は武力行使と決まる詳細
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 今日は、昭和時代中期の1951年(昭和26)に、ルース台風(昭和26年台風第15号)が九州に上陸し、大きな被害をもたらした日です。
 ルース台風(るーすたいふう)は、昭和26年台風第15号(国際名:Ruth)といい、勢力が強く、暴風半径も非常に広かったため、九州・四国・中国地方に風水害をもたらし、大きな被害を出しました。この台風は、10月9日にグアム島西海上に発生、発達しながら西北西に進み、12日午後には進路を北から北北東に変え、翌日夜には宮古島と沖縄本島の間を通って東シナ海に入り、14日9時頃に鹿児島県串木野市付近に上陸します。
 その後、時速80km/sの猛スピードで北東進して、九州・中国を縦断、一端日本海に出て、再度北陸に上陸し、東北地方を通過して、15日夕方には三陸沖に抜けました。上陸時(直前)の中心気圧は935hPa、暴風半径500kmと大型で強力で、九州南部で最大風速が25~30m/sを観測するなど全国的に強い風が吹き荒れ、宮崎県の細島(69.3m/s)や愛媛県の佐田岬(67.1m/s)では、猛烈な風を記録します。特に鹿児島県では満潮と重なったため、鹿児島湾から枕崎付近にかけて高潮が発生、山口県東部では、13、14日両日で480mmの雨量を記録、錦川流域では山津波(土石流)が多発しました。
 この結果、死者572人、行方不明者 371人、負傷者2,644人、住家全壊24,716棟、住家半壊47,948棟、住家の床上浸水30,110棟、住家の床下浸水108,163棟、船舶沈没・流失4,481隻、同破損等5,934隻などという甚大な被害をもたらします。当時の首相吉田茂の決済というかたちで、警察予備隊(自衛隊の前身)の初めての災害出動が行われました。

〇上陸時(直前)の中心気圧(hPa)が低い台風ベスト12

①第2室戸台風(昭和36年台風第18号)925hPa[1961年(昭和36年)9月16日9時]室戸岬西方
②伊勢湾台風(昭和34年台風第15号)929hPa[1959年(昭和34年)9月26日18時]潮岬西方
③平成5年台風第13号 930hPa[1993年(平成5年)9月3日16時]薩摩半島南部
④令和4年台風第14号 935hPa[2022年(令和4年)9月18日19時]鹿児島市付近
④ルース台風(昭和26年台風第15号)935hPa[1951年(昭和26年)10月14日19時]串木野市付近
⑥平成3年台風第19号 940hPa[1991年(平成3年)9月27日16時]佐世保市南
⑥昭和46年台風第23号 940hPa[1971年(昭和46年)8月29日23時]佐多岬
⑥昭和40年台風第23号 940hPa[1965年(昭和40年)9月10日8時]安芸市付近
⑥昭和40年台風第15号 940hPa[1965年(昭和40年)8月6日4時]牛深市付近
⑥昭和39年台風第20号 940hPa[1964年(昭和39年)9月24日17時]佐多岬
⑥昭和30年台風第22号 940hPa[1955年(昭和30年)9月29日22時]薩摩半島
⑥昭和29年台風第5号 940hPa[1954年(昭和29年)8月18日2時]鹿児島県西部
(参考)室戸台風 911.6hPa[1934年(昭和9年)9月21日]室戸岬西方
(参考)枕崎台風(昭和20年台風第16号)916.3hPa[1945年(昭和20年)9月17日]枕崎町付近

〇最大風速(陸上)ベスト10

①昭和40年台風第23号 69.8m/s 西南西 1965年9月10日 室戸岬(高知・気象官署)
②ルース台風(昭和26年台風第15号)69.3m/s 南 1951年10月14日 細島(宮崎・燈台)
③ルース台風(昭和26年台風第15号)67.13m/s 南東 佐田岬(愛媛・燈台)
④第2室戸台風(昭和36年台風第18号)66.7m/s 西南西 1961年9月16日 室戸岬(高知・気象官署)
⑤昭和29年台風第13号 65.0m/s 南南西 1954年9月7日 都井岬(宮崎・燈台)
⑥洞爺丸台風(昭和29年台風第15号)63.3m/s 南南西 1954年9月27日 神威岬(北海道・燈台)
⑦第2宮古島台風(昭和41年台風第18号)60.8m/s 北東 1966年9月5日 宮古島(沖縄・気象官署)
⑧洞爺丸台風(昭和29年台風第15号)58.8m/s 西南西 1954年9月26日 佐多岬(鹿児島・燈台)
⑨昭和45年台風第10号 57.58m/s 北西 1970年8月21日 土佐沖ノ島(高知・燈台)
⑩昭和5年8月の台風(名称なし)57.0m/s 北東 1930年8月9日 南大東島(沖縄)

〇上陸日時が(一年の中で)遅い台風ベスト10

①平成2年台風第28号 1990年11月30日14時 和歌山県白浜町南上陸
②昭和42年台風第34号 1967年10月28日3時30分 愛知県南部上陸
③平成29年台風第21号 2017年10月23日3時 静岡県掛川市付近上陸
④平成16年台風第23号 2004年10月20日13時 高知県土佐清水市付近上陸
⑤昭和30年台風第26号 1955年10月20日12時 和歌山県田辺市付近上陸
⑥昭和54年台風第20号 1979年10月19日9時30分 和歌山県白浜町付近上陸
⑦平成10年台風第10号 1998年10月17日16時30分 鹿児島県枕崎市付近上陸
⑧昭和62年台風第19号 1987年10月17日0時 高知県室戸市付近上陸
⑨ルース台風(昭和26年台風第15号)1951年10月14日19時 鹿児島県いちき串木野市(現)付近上陸
⑩平成26年台風第19号 2014年10月13日8時30分 鹿児島県枕崎市付近上陸

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1712年(正徳2)江戸幕府第6代将軍徳川家宣の命日(新暦11月12日)詳細
1867年(慶応3)第15代将軍徳川慶喜が朝廷に政権返上し、大政奉還される(新暦11月9日)詳細
1873年(明治6)祝祭日を定める太政官布告「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」が発布される詳細
1986年(昭和61)洋画家荻須高徳の命日詳細
2007年(平成19)埼玉県さいたま市大宮区に鉄道博物館が開館する詳細
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Ionetaifuu01
 今日は、昭和時代中期の1948年(昭和23)に、アイオン台風が関東・東北に襲来し、死者・行方不明者838人を出した日です。
 アイオン台風(あいおんたいふう)は、昭和23年台風第21号(国際名:Ione)といい、1948年(昭和23)9月7日にマーシャル諸島東部で発生、勢力を強めながら北上、16日に関東地方に上陸し、千葉県銚子市付近から太平洋に出て、19日に台風ではなくなりました。これによって、千葉県館山市富崎で最大風速46.7m/s(最大瞬間風速60.1m/s)を観測、関東北部山岳地帯に200~300mmの大雨を降らせ、北上川の本・支流が氾濫、一関で山津波が発生するなど、関東・東北地方に甚大な被害をもたらします。
 その結果、全国の被害は、死者512人、行方不明者326人、負傷者1,956人、住家の全・半壊・流出18,017戸、住家の床上・床下浸水 120,035戸、耕地被害 133,428ha、船舶被害 435隻、道路損壊3021ヶ所、堤防損壊4906ヶ所などに及びました。関東地方はこの前年もカスリーン台風に襲われており、太平洋戦争後の復興途上の国土に大きな痛手を与えています。

〇戦後の台風で死者・行方不明者が多い台風ワースト12(1945年以降)

① 伊勢湾台風(昭和34年台風第15号) 死者・行方不明者5,098人
② 枕崎台風(昭和20年台風第16号) 死者・行方不明者3,756人
③ カスリーン台風(昭和22年台風第9号) 死者・行方不明者1,930人
④ 洞爺丸台風(昭和29年台風第15号) 死者・行方不明者1,761人 
⑤ 狩野川台風(昭和33年台風第22号) 死者・行方不明者1,269人 
⑥ ルース台風(昭和26年台風第15号) 死者・行方不明者943人
⑦ アイオン台風(昭和23年台風第21号) 死者・行方不明者838人
⑧ ジェーン台風(昭和25年台風第28号) 死者・行方不明者539人
⑨ 昭和28年台風第13号 死者・行方不明者478人
⑩ デラ台風(昭和24年台風第2号) 死者・行方不明者468人
⑪ 阿久根台風(昭和20年台風第20号) 死者・行方不明者451人 
⑫ 昭和41年台風第24号・26号  死者・行方不明者318人 

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1086年(応徳3)藤原通俊が『後拾遺和歌集』を完成し、奏上する(新暦10月26日)詳細
1789年(寛政元)江戸幕府が旗本・御家人救済の為の「棄捐令」を発布する(新暦11月3日)詳細
1793年(寛政5)武士・画家渡辺崋山の誕生日(新暦10月20日)詳細
1890年(明治23)和歌山県串本沖でオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号遭難事件が起こる詳細
1961年(昭和36)第2室戸台風が近畿地方に上陸し、死者行方不明202人を出す詳細
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 今日は、昭和時代中期の1950年(昭和25)に、キジア台風(昭和25年台風第29号)によって、大雨に見舞われ、山口県岩国市の錦川にかかる錦帯橋が流失した日です。
 キジア台風(きじあたいふう)は、昭和25年台風第29号(国際名:Kezia)といい、1950年(昭和25)9月13日に鹿児島県大隅半島に上陸、九州を縦断して日本海を北上し、西日本を中心に被害をもたらしました。西日本一帯は、9月上旬にジェーン台風が猛威を振るって去った後で、加えてこの台風が通過したため、被害がいっそう大きくなります。
 特に、山口、愛媛、大分の各県では期間総雨量350~500mmの大雨となり、九州、四国、中国、近畿など17府県では、暴風雨や高潮による被害が出ました。全国の被害は、死者35人、行方不明者8人、負傷者75人、住家倒壊・流失4,836棟、同浸水121,924棟、田畑の冠水面積518.1haなどとなり、船舶や鉄道、道路等にも及んでいます。
 その中で、270年余景観を誇っていた山口県岩国市の名勝“錦帯橋”が初めて流失、また、広島県佐伯郡厳島町(現在の廿日市市)の厳島神社では、高潮によって社殿が破損しました。

〇錦帯橋(きんたいきょう)とは?

 山口県岩国市の錦川に架橋された木造のアーチ橋で、日本三名橋または、日本三大奇橋の一つとされ、国の名勝に指定されています。江戸時代前期の1673年(延宝元)に、岩国藩主吉川広嘉によって建造されたもので、全長193.3m、幅員5.0mあり、太鼓橋を5つ連ねたような構造でした。
 橋が流されないための工夫だとされていましたが、惜しくも1950(昭和25)9月14日のキジア台風で流失し、3年後に再建されたものです。その後も、何度か修復されて、現在に至っていますが、河原から、仰ぎ見ると、弓なりになった橋が連なり、独特の景観を形作り、錦川をはさんで、遠く山上に岩国城天守閣が望まれて、彩りを添えていました。
 1966年以降は、「入橋料」が徴収されるようになり、掛け替え・管理の財源に充てられています。

〇厳島神社】(いつくしまじんじゃ)とは?

 平安時代の寝殿造りの粋を極めた建築美で知られる日本屈指の名社です。平家一門の権勢最盛期を象徴する国宝建造物で、平家の栄華の一端を見る思いがします。
 有名な、舞楽が始まったのもこの時代からといわれてきました。廻廊で結ばれた朱塗りの社殿は、潮が満ちてくるとあたかも海に浮かんでいるように見えます。
 全国に約500社ある厳島神社の総本社で、1996年(平成8)には、ユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されました。また、ここに収められている「平家納経」は、平安時代後期の1164年(長寛2)厳島神社に平清盛が奉納した全32巻の経典で、それに清盛の願文を加えた33巻が完在し、1954年(昭和29)に国宝となっています。それらは、宝物館で見ることができます。
 
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1590年(天正18)日本画家狩野永徳の命日(新暦10月12日)詳細
1643年(寛永20)江戸幕府3代将軍徳川家光の乳母春日局の命日(新暦10月26日)詳細
1905年(明治38)奥羽線の湯沢駅~横手駅間が開業し、福島駅~青森駅間(奥羽本線)が全通する詳細
1947年(昭和22)カスリーン台風が来襲し甚大な被害をもたらし始める詳細
2007年(平成19)日本画家高山辰雄の命日詳細
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bettshidaisuigai01
 今日は、明治時代後期の1899年(明治32)に、台風による別子大水害が起き、別子銅山で死者513人を出し、大量の鉱毒水が流出した日です。
 別子大水害(べっしだいすいがい)は、台風によって、愛媛県宇摩郡別子山村(現在の新居浜市)の別子銅山及び周辺で発生した土砂災害(山津波)でした。この日の午後、台風が足摺岬付近に上陸し、四国地方を斜めに横切り、午後8時頃には別子銅山を直撃、時速95kmの猛スピードで香川県多度津から岡山付近を通り日本海に抜けます。
 これによって、別子銅山では日降水量が325mmとなり、特に午後8時20分~9時までの40分間に極めて強い集中豪雨となり、午後8時過ぎに土石流が発生し、採鉱・製錬の中心であった旧別子地区の住宅や鉱山施設を襲い、建物が崩壊、流出しました。このため、別子銅山で死者513人、負傷者28人、家屋の全壊・流失122戸、半壊37戸という大災害となり、大量の鉱毒水も流出します。
 被害が大きかったのは、薪炭材にするための樹木の切り倒しや鉱山による煙害の影響で周囲にはげ山が多かったためとも言われてきました。その後、新居浜市の瑞応寺には、別子銅山遭難流亡者碑が建立されています。
 尚、これを含め、台風による被害は、愛媛、香川、高知、徳島、岡山、兵庫6県の合計で、死者1,218人、負傷者3,672人、家屋全潰・流失20,530戸に及びました。

〇明治時代の大水害一覧

・1870年(明治3年9月18日) 明治3年近畿風水害
・1871年(明治4年5月10日) 明治4年兵庫、神戸両港暴風雨
・1871年(明治4年5月17日~18日) 明治4年西日本風水害
・1874年(明治7年)8月21日 明治7年8月台風、九州北部風水害
・1884年(明治17年)8月25日~26日 明治17年8月、明治期最大の台風
・1884年(明治17年)9月15日~18日 明治17年9月台風連続襲来
・1885年(明治18年)6月15日~19日、25日~7月3日 明治18年淀川大洪水「枚方切れ」…浸水71,000戸、損壊15,000戸、流失1,600戸、被災27万人
・1889年(明治22年)8月18日~21日 明治22年8月台風、十津川大水害(奈良・和歌山県)…死者1,415人、全壊・流出家屋5,625戸
・1889年(明治22年)9月11日~12日 明治22年9月台風、吉良町など愛知県に集中被害
・1896年(明治29年)7月20日~23日 明治29年梅雨前線豪雨「信濃川横田切れ、東日本大水害」…床下・床上浸水43,600戸、足尾鉱毒土砂流れ稲に被害
・1896年(明治29年)8月30日~31日 明治29年8月台風、愛知県下風水害
・1896年(明治29年)9月3日~16日 明治29年9月秋雨前線+台風、琵琶湖/淀川、木曽川、利根川水系氾らん…足尾鉱毒関東一円に拡大
・1898年(明治31年)9月6日~8日 明治31年9月台風…山梨県中心に中部、関東、北海道に被害
・1899年(明治32年)8月28日 明治32年8月台風、別子大水害…別子銅山山津波で潰滅
・1899年(明治32年)9月6日~8日 明治32年九頭竜川(福井県)大洪水 
・1902年(明治35年)8月7日~12日 明治35年8月台風…九州、中国、中部地方、東京に大被害
・1902年(明治35年)9月27日~29日 明治35年9月「足尾台風」…死者・行方不明者400名以上、家屋の全壊・流出約30,000戸以上 
・1905年(明治38年)8月8日 明治38年8月台風…北九州地方に大災害もたらす
・1906年(明治39年)7月28日 明治39年7月台風…東京市内洪水
・1907年(明治40年)8月24日~28日 明治40年の大水害(山梨県)、二つの台風に刺激を受け、梅雨前線豪雨本州一帯を襲う
・1910年(明治43年)8月6日~15日 明治43年関東大水害「庚戌(かのえいぬ)の大洪水」…死者・行方不明者900人を超える
・1911年(明治44年)8月8日 明治44年稗田山(ひえだやま)崩れ…日本三大崩れ 

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

718年(養老2)貴族・歌人大伴家持の命日(新暦10月5日)詳細
1253年(建長5)日本の曹洞宗開祖道元の命日(新暦9月22日)詳細
1597年(慶長2)室町幕府第15代将軍だった足利義昭の命日(新暦10月9日)詳細
1923年(大正12)「盲学校及聾唖学校令」(大正12年勅令第375号)が公布(施行は翌年4月1日)される詳細
1967年(昭和42)新潟県、山形県を襲った羽越豪雨(羽越水害)において大きな被害が出る詳細
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