ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ: 交通

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 今日は、平成時代の2010年(平成22)に、八戸駅~新青森駅間 (96.6 km) の延伸開業により、東北新幹線が全線開業した日です。
 東北新幹線(とうほくしんかんせん)は、東京駅~新青森駅(全長713.7km)を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)が運営する高速鉄道路線(新幹線)です。1970年(昭和45)5月18日に成立した「全国新幹線鉄道整備法」に基づき、1971年(昭和46)には、「昭和46年運輸省告示第17号」により、東北新幹線(東京都~盛岡市)を含む3路線の基本計画が公示され、日本国有鉄道の路線として、工事に着手しました。
 さらに、1973年(昭和48)11月13日に東北新幹線(盛岡市~青森市)を含む整備新幹線5路線の一つとして、建設計画が決定します。その後、1982年(昭和57)6月23日に、東北新幹線初の大宮駅~盛岡駅間 (495.2 km) が開業、1985年(昭和60)3月14日には、上野駅~大宮駅間(27.7 km)が延伸開業しました。
 1987年(昭和62)4月1日に、国鉄分割民営化に伴い、JR各社が発足し、東北新幹線の営業主体および東北新幹線(盛岡市~青森市)の建設主体は東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継されます。1991年(平成3)6月20日に東京駅~上野駅間(3.6 km)が延伸開業、同年に盛岡~青森間の工事実施計画認可され、起工式が行われました。
 1992年(平成4)7月1日に、山形新幹線の福島駅~山形駅間開業、同線との直通列車として「つばさ」が運転開始し、1997年(平成9)3月22日には、秋田新幹線の盛岡駅~秋田駅間が開業、同線との直通列車として「こまち」運転開始されます。1998年(平成10)に八戸~新青森間の工事実施計画(フル規格)が追加認可され、起工式が行われ、2002年(平成14)12月1日には、盛岡駅~八戸駅間 (96.6 km) が延伸開業しました。
 そして、2010年(平成22)12月4日に、八戸駅~新青森駅間(81.8 km)が延伸開業し、東北新幹線は全線開業となります。尚、2016年(平成28)3月26日に、北海道新幹線の新青森駅~新函館北斗駅間開業に伴い、「はやて」「はやぶさ」の一部列車が北海道新幹線と直通運転を開始しました。

〇東北新幹線関係略年表

・1969年(昭和44) 新全国総合開発計画が閣議決定される
・1970年(昭和45) 「全国新幹線鉄道整備法」が公布される
・1971年(昭和46) 「昭和46年運輸省告示第17号」により、東北新幹線(東京都~盛岡市)を含む3路線の基本計画が公示され、工事に着手する
・1972年(昭和47) 「昭和47年運輸省告示第242号」により東北新幹線(東京都~青森市)に基本計画が変更される
・1973年(昭和48) 東北新幹線(盛岡市~青森市)を含む5路線の整備計画決定および建設が指示される
・1977年(昭和52) 小山総合試験線(石橋~鷲宮間42.8 km)のレール敷設が完了、東京~盛岡間の工事実施計画変更(その2)が認可される
・1979年(昭和54) 小山駅付近に建設された東北新幹線総合試験線にて、試作車両の走行試験を開始、仙台試験線管理所が開設される
・1981年(昭和56) 「全国新幹線鉄道整備法」が改正され、建設費の地元負担が可能とされ、列車愛称を「やまびこ」「あおば」と発表される
・1982年(昭和57)6月23日 大宮駅~盛岡駅間 (495.2 km) が開業する
・1985年(昭和60)3月14日 上野駅~大宮駅間(27.7 km)が開業する
・1987年(昭和62)4月1日 国鉄分割民営化に伴い、JR各社が発足し、東北新幹線の営業主体および東北新幹線(盛岡市~青森市)の建設主体は東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継される
・1988年(昭和63) 政府・与党申し合わせ「整備新幹線の取扱について」において整備新幹線着工優先順位を決定し、東北新幹線は運輸省案で第2位となる
・1989年(平成元) 整備新幹線難工事推進事業計画(岩手トンネル)が認可される
・1990年(平成2) 東京駅延伸工事中に第1上野トンネル(通称「御徒町トンネル」)の建設現場で土砂が噴出し、地上の道路が陥没する事故が発生する
・1991年(平成3)6月20日 東京駅~上野駅間(3.6 km)が開業、盛岡~青森間の工事実施計画認可され、起工式が行われる
・1992年(平成4)7月1日 山形新幹線の福島駅~山形駅間開業。同線との直通列車として「つばさ」が運転開始する
・1994年(平成6) E1系"Max"が営業運転を開始、「Maxやまびこ」「Maxあおば」が新設する
・1995年(平成7) 盛岡~沼宮内間の工事実施計画(フル規格)が追加認可される
・1996年(平成8) 八戸~新青森(石江)間のフル規格化および着工が決定する
・1997年(平成9)3月22日 秋田新幹線の盛岡駅~秋田駅間が開業、同線との直通列車として「こまち」運転開始される
・1998年(平成10) 八戸~新青森間の工事実施計画(フル規格)が追加認可され、起工式が行われる
・1999年(平成11)12月4日 山形新幹線の山形駅~新庄駅間が延伸開業する
・2002年(平成14)12月1日 盛岡駅~八戸駅間 (96.6 km) が開業する
・2003年(平成15) 運輸施設整備事業団と日本鉄道建設公団が統合し、鉄道建設・運輸施設整備支援機構設立される
・2010年(平成22)12月4日 八戸駅~新青森駅間(81.8 km)が開業し、東北新幹線は全線開業となる
・2016年(平成28)3月26日 北海道新幹線の新青森駅~新函館北斗駅間開業に伴い、「はやて」「はやぶさ」の一部列車が北海道新幹線と直通運転を開始する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

782年(延暦元)桓武天皇が、国司交替に際しての不正を正し、勘解状の徹底を命じる(新暦783年1月11日)詳細
1027年(万寿4)公卿藤原道長の命日(新暦1028年1月3日)詳細
1942年(昭和17)小説家中島敦の命日詳細
1945年(昭和20)幣原喜重郎内閣において、「女子教育刷新要綱」を閣議了解する詳細
1965年(昭和40)日本科学者会議が結成される詳細
1961年(昭和36)歴史学者・思想史家津田左右吉の命日詳細
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 今日は、平成時代の1998年(平成10)に、多摩都市モノレール初となる、多摩都市モノレール線(立川北駅~上北台駅)が開業した日です。
 多摩都市モノレール(たまとしものれーる)は、東京都を中心に、西武鉄道、みずほ銀行、京王電鉄等が出資する第3セクターの株式会社で、東京都の上北台駅(東大和市)と多摩センター駅(多摩市)とを結ぶ、跨座式モノレール路線(16.0km)を運営してきました。多摩地域の公共交通を一層充実させるために構想され、1986年(昭和61)4月8日に株式会社として設立されます。
 1987年(昭和62)に上北台~多摩センター間の「軌道法」に基づく特許を取得、1989年(平成元)に都市計画決定されました。1990年(平成2)には、工事認可され、上北台駅建設予定地で、起工式を実施し、建設工事に着手します。
 1991年(平成3)には、立川北~多摩センター間の工事も認可され、建設工事に着手しました。そして、1998年(平成10)11月27日に、初めて、上北台駅~立川北駅間が開業し、続いて、2000年(平成12)1月10日には、立川北駅~多摩センター駅間が開業します。
 2002年(平成14)11月15日に利用者数が延べ1億人を超え、2012年(平成24)6月27日に開業から13年7ヶ月目で利用者数が延べ5億人を超え、2016年(平成28)8月28日には、開業から17年9ヶ月で利用者数が延べ7億人を超えました。2018年(平成30)に延伸開業20周年記念特別期間とし、20周年ロゴマーク制定、ラッピング列車の運行などを実施(~2020年1月10日)、2019年(平成31)3月23日には、開業以来初となる全面的なダイヤ改正を実施しています。

〇多摩都市モノレール関係略年表

・1979年(昭和54) 東京都が「多摩都市モノレール等基本計画調査」を実施する
・1981年(昭和56) 「多摩都市モノレール等基本計画」の調査報告で約93kmの構想路線が発表される
・1982年(昭和57)9月 日本モノレール協会がモノレール計画試案を発表する
・1986年(昭和61)4月8日 東京都を中心に、西武鉄道、みずほ銀行、京王電鉄等が出資する第3セクターの多摩都市モノレール株式会社が設立される 
・1987年(昭和62)12月26日 多摩都市モノレールが上北台~多摩センター間の「軌道法」に基づく特許を取得する
・1989年(平成元)9月 都市計画決定される
・1990年(平成2) 上北台~立川北間の工事が認可され、上北台駅建設予定地で、多摩都市モノレールの起工式を実施し、建設工事に着手する
・1991年(平成3) 立川北~多摩センター間の工事が認可され、建設工事に着手する
・1997年(平成9)12月19日 先行して完成した立川北~砂川七番間で、初めて本線試運転を開始する
・1998年(平成10)11月27日 初めて、上北台駅~立川北駅間が開業する
・2000年(平成12)1月10日 立川北駅~多摩センター駅間が開業する
・2002年(平成14)11月15日 利用者数が延べ1億人を超える
・2012年(平成24)6月27日 開業から13年7ヶ月目で利用者数が延べ5億人を超え、モノレールとして日本国内で最速の達成となる
・2016年(平成28)8月28日 開業から17年9ヶ月で利用者数が延べ7億人を超える
・2018年(平成30) 延伸開業20周年記念特別期間とし、20周年ロゴマーク制定、ラッピング列車の運行などを実施(~2020年1月10日)する
・2019年(平成31)3月23日 開業以来初となる全面的なダイヤ改正を実施する

〇モノレールとは?

 1本の走行軌条(走行桁)を用いて車両を走行させる鉄道(単軌鉄道ともいう)のことで、日本の法令上では、鉄道事業法に基づく「鉄道(懸垂式鉄道/跨座式鉄道)」と軌道法に基づく「軌道(懸垂式モノレール/跨座式モノレール)」が存在しています。形式によって分類すると、地上数mの高さに架設された1本の桁に吊下がって走る懸垂(けんすい)式と、桁の上にまたがって走る跨座 (こざ) 式に大別され、さらに下記のように区分されました。
<懸垂式>
(1)ランゲン式:鉄骨で空中に支えられた鉄のレールに鉄の車輪がのり、車輪の車軸は逆L字型に曲がって車両を懸垂するもので、日本には現在ありません。
(2)日本車両式:レールは鋼板製箱型でゴムタイヤ車輪がレールに乗り、タイヤが外れないように補助車輪が左右からレールを挟んでいて、車両は片側補助車輪の車軸に懸垂されるもので、東京都交通局の上野懸垂線に採用されています。
(3)サフェージュ式:レールは鋼板製箱型の筒状で、車両を懸垂するために箱の下面中央部は開いていて、その開口部両側を、車両の屋根上の支柱につけられたゴムタイヤ車輪が走行するもので、千葉都市モノレールや湘南モノレールで採用されています。
<跨座式>
(1)アルウェグ式:レールは太いI字型の鉄筋コンクリートで、走行用ゴムタイヤがレールの上にのり、補助車輪が左右からレールを挟んで安定を保つもので、東京モノレールで採用されています。
(2)日本跨座式:アルウェグ式の改良型で、軌道桁を太くし、ゴムタイヤを使用するが、現在日本の跨座式モノレールの主流になっています。
(3)ロッキード式:コンクリート製の桁の上に鉄のレールを乗せ、その上を鉄の車輪が走るもので、姫路市営モノレールと向ヶ丘遊園モノレール線に採用されましたが、現在は廃止されて存在しません。
 日本で最初のモノレールは、大阪市で行われていた交通電気博覧会で、1928年(昭和3)に運用された懸垂式のものでした。太平洋戦争後は、1951年(昭和26)に、豊島園で遊戯施設として運行され、1957年(昭和32)には、上野動物園内に懸垂式モノレールが開業し、これが現存する最古のものとなっています。その後も、1961年(昭和36)に奈良ドリームランド、1962年(昭和37)に犬山のラインパークに、遊覧用のものが開業しましたが、いずれも廃止されました。1964年(昭和39)には、東京モノレールが浜松町~羽田(現、天空橋)間13.1kmを15分で結ぶ本格的都市交通機関として営業運転を開始し、その後は、都市交通機関として建設されるようにもなります。そして、1996年3月末時点で、モノレールは6事業者(総延長31.4km)でしたが、消長を経て、現在では、10事業者(総延長111.9km)によって運行されています。

☆日本で営業中のモノレール一覧

・東京モノレール(東京都) 跨座式:アルヴェーグ式 羽田空港線[17.8km] 1964年開業
・東京都交通局(東京都) 懸垂式:日本車両式 上野懸垂線[0.3km] 1957年開業、2023年12月廃止予定
・多摩都市モノレール(東京都) 跨座式:日本跨座式 多摩都市モノレール線[16.0km] 1998年開業
・千葉都市モノレール(千葉県) 懸垂式:サフェージュ式 1号線[3.2km] 1995年開業
・千葉都市モノレール(千葉県) 懸垂式:サフェージュ式 2号線[12.0km] 1988年開業
・舞浜リゾートライン(千葉県) 跨座式:日本跨座式 ディズニーリゾートライン[5.0km] 2001年開業
・湘南モノレール(神奈川県) 懸垂式:サフェージュ式 江の島線[6.6km] 1970年開業
・大阪高速鉄道(大阪府) 跨座式:日本跨座式 大阪モノレール線[21.2km] 1990年開業 、
・大阪高速鉄道(大阪府) 跨座式:日本跨座式 国際文化公園都市モノレール線(彩都線)[6.8km] 1998年開業
・スカイレールサービス(広島県) 懸垂式:ロープ駆動懸垂式 広島短距離交通瀬野線[1.3km] 1998年開業
・北九州高速鉄道(福岡県) 跨座式:日本跨座式 小倉線[8.8km] 1985年開業
・沖縄都市モノレール(沖縄県) 跨座式:日本跨座式 沖縄都市モノレール線[17.0km] 2003年開業

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1829年(文政12)歌舞伎作者鶴屋南北(四代目)の亡くなった日ですが、新暦では12月22日詳細
1886年(明治19)洋画家藤田嗣治の誕生日詳細
1890年(明治23)小説家・翻訳家・仏文学者・児童文学者豊島与志雄の誕生日詳細
1942年(昭和17)戦時標語である「国民決意の標語」懸賞募集の入選と佳作が紙面上に発表される詳細
1943年(昭和18)カイロ会談で協議の上、米・英・中国3ヶ国政府首脳によりカイロ宣言が調印される詳細
1986年(昭和61)長崎県の三菱石炭鉱業高島砿業所(高島炭鉱)が閉山する詳細
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shinsaibashi01
 今日は、明治時代後期の1909年(明治42)に、大阪・長堀川に石造りの心斎橋が完成し、渡り初め式が行われた日です。
 心斎橋(しんさいばし)は、大阪の長堀川に架かっていた橋でした。江戸時代前期の1622年(元和8)に、長堀川の開削と同時に架けられたという有力な説がありますが、1662年(寛文2)に岡田心斎が木橋として架橋したと伝えられています。
 1724年(享保9)に修理され、1739年(元文4)には、総費用銀15貫926匁で、架直しされました。1873年(明治6)に本木昌造の設計によって、ドイツ製の鉄橋に生まれ変わったものの、1908年(明治41)にかけ替えの為に撤去(移設され、鶴見緑地公園の緑地西橋として現存)され、翌年11月23日に、野口孫市の設計によって石造橋が完成し、渡り初め式が行われています。
 1962年(昭和37)に長堀川が埋め立てられて石造橋が撤去されたものの、1964年(昭和39)には、長堀通を横断する陸橋(歩道橋)として移築されました。1997年(平成9)にクリスタ長堀が完成した際、もとの心斎橋の位置に石造橋の一部がガス灯と共に復元されています。

〇心斎橋関係略年表

・1622年(元和8) 長堀川の開削と同時に架けられたというのが有力な説がある
・1662年(寛文2) 岡田心斎が架橋(木橋)したと伝えられる
・1724年(享保9) 修理される
・1739年(元文4) 総費用銀15貫926匁で、架直しされる
・1873年(明治6) 本木昌造の設計によって、ドイツ製の鉄橋に生まれ変わる
・1908年(明治41) かけ替えの為に鉄橋が撤去される
・1909年(明治42)11月23日 野口孫市の設計によって石造橋が完成し、渡り初め式が行われる
・1962年(昭和37) 長堀川が埋め立てられて石造橋が撤去される
・1964年(昭和39) 長堀通を横断する陸橋(歩道橋)として移築される
・1997年(平成9) クリスタ長堀が完成した際、もとの心斎橋の位置に石造橋の一部がガス灯と共に復元される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1703年(元禄16)房総半島沖を震源とする元禄地震がおきる(新暦12月31日)詳細
1707年(宝永4) 富士山宝永噴火が始まる(新暦12月16日)詳細
1885年(明治18)自由民権運動激化事件の一つである大阪事件が起きる詳細
1896年(明治29)小説家樋口一葉の命日(一葉忌)詳細
1940年(昭和15)産業報国会の全国連合組織として大日本産業報国会が結成される詳細
2004年(平成16)洋画家吉井淳二の命日詳細
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 今日は、昭和時代後期の1978年(昭和53)に、国鉄が「いい日 旅立ち」キャンペーンを開始した日です。
 「いい日 旅立ち」キャンペーン(いいひたびだちきゃんぺーん)は、1978年(昭和53)11月4日~1984年(昭和59)1月31日まで、6年3ヶ月弱に渡って、国鉄で行われた全国キャンペーンでした。その前の1977年(昭和52)1月6日~1978年(昭和53)11月3日まで、1年10ヶ月間続いた国鉄の「一枚のキップから」キャンペーンが国鉄の大幅な運賃値上げの影響もあって、不発に終わったため、心機一転を図って設定されます。
 これに合わせて、ポスターが作成されて各駅などに掲示され、山口百恵が歌った『いい日 旅立ち』をキャンペーンソングとし、“いい日 旅立ち”スタンプが主要駅に設置され、国鉄監修の「スタンプノート」が販売されるなどしました。また、キャンペーンのロゴマークには「DISCOVER JAPAN 2」と併記されています。
 山口百恵の『いい日 旅立ち』は大ヒットし、楽曲の反響もあって同キャンペーンは成功して、1984年(昭和59)2月1日に「エキゾチック ジャパン」キャンペーンが開始されるまで、5年3ヶ月続きました。

〇国鉄時代の旅行キャンペーン

●「ディスカバー・ジャパン」1970年(昭和45)10月14日~1976年(昭和51)12月
 ・ポスターが作成され、駅などに掲示される
 ・機関紙の発行、新聞での特集記事、テレビ番組(紀行番組「遠くへ行きたい」)の設定などが行われる
 ・ミニ周遊券が設定される
 ・“DISCOVER JAPAN”スタンプ(通称:DJスタンプ)が全国の約1,400駅(船舶内・自動車駅を含む)にスタンプ第と共に設置され、国鉄監修の「スタンプノート」が販売される
●「一枚のきっぷから」1977年(昭和52)1月6日~1978年(昭和53)11月3日
 ・ポスターが作成され、駅などに掲示される
 ・小林啓子が歌った『レイルウェイ・ララバイ ~一枚のキップから~』をキャンペーンソングとする
 ・“一枚のきっぷから”スタンプが全国の297駅に設置され、国鉄監修の「スタンプノート」が販売される
●「いい日 旅立ち」1978年(昭和53)11月4日~1984年(昭和59)1月31日
 ・ポスターが作成され、駅などに掲示される
 ・山口百恵が歌う『いい日旅立ち』をキャンペーンソングとする
 ・“いい日 旅立ち”スタンプが主要駅に設置され、国鉄監修の「スタンプノート」が販売される
●「エキゾチック・ジャパン」1984年(昭和59)2月1日~1987年(昭和62)3月31日
 ・ポスターが作成され、駅などに掲示される
 ・郷ひろみが歌う『2億4千万の瞳』をキャンペーンソングとする

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1591年(天正19)武将・戦国大名・後北条氏5代目当主北条氏直の命日(新暦12月19日)詳細
1854年(嘉永7)安政東海地震が起き、甚大な被害が出る(新暦12月23日)詳細
1946年(昭和21)「国際連合教育科学文化機関憲章(ユネスコ憲章)」が発効する詳細
1974年(昭和49)薬学者・薬化学者落合英二の命日詳細
2000年(平成12)宮城県上高森遺蹟等で発見の前期旧石器が捏造と判明(旧石器捏造事件の発覚)詳細
2004年(平成16)医学者・生化学者西塚泰美の命日詳細
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DISCOVERJAPANstamp01
 今日は、昭和時代後期の1970年(昭和45)に、国鉄が「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンを開始した日です。
 「ディスカバー・ジャパン」キャンペーン(でぃすかばー・じゃぱんきゃんぺーん)は、1970年(昭和45)10月14日~1976年(昭和52)12月まで、6年2ヶ月間に渡って、国鉄で行われた全国キャンペーンで、副題は「美しい日本と私」でした。大阪万博の終了から1ヶ月がたった「鉄道の日」に開始されましたが、万博後にやってくる輸送力の落ち込みをどうカバーするかという視点から、個人旅行客の増大を目的に始められます。
 これに合わせて、従来の観光ポスターとは一線を画 した、特徴的なポスターが作成され、各駅などに掲示されました。また、“DISCOVER JAPAN”スタンプ(通称:DJスタンプ)が全国約1,400駅(船舶内・自動車駅を含む)に設置され、専用のスタンプ台も置かれ、駅のキオスクで、国鉄監修の「スタンプノート」も発売されてブームとなり、駅のスタンプが本格的に広まることになります。
 さらに、キャンペーン開始と同時に、レディメイド版の周遊範囲を限定して、安価・短期間の旅行に適した「ミニ周遊券」が設定されました。その他、機関紙の発行、新聞での特集記事、テレビ番組(紀行番組「遠くへ行きたい」)の設定などが、キャンペーンを盛り上げるために実行されます。特に、主要30駅(上野駅や東京駅など)の駅前には、3年間の期間限定で「ディスカバー・ジャパン・タワー」が設置されました。
 このキャンペーンは、1976年(昭和52)12月に終了したものの、1977年(昭和52)1月6日からは、「一枚のキップから」キャンペーンが開始されています。

〇国鉄時代の旅行キャンペーン

●「ディスカバー・ジャパン」1970年(昭和45)10月14日~1976年(昭和51)12月
 ・ポスターが作成され、駅などに掲示される
 ・機関紙の発行、新聞での特集記事、テレビ番組(紀行番組「遠くへ行きたい」)の設定などが行われる
 ・ミニ周遊券が設定される
 ・“DISCOVER JAPAN”スタンプ(通称:DJスタンプ)が全国の約1,400駅(船舶内・自動車駅を含む)にスタンプ第と共に設置され、国鉄監修の「スタンプノート」が販売される
●「一枚のきっぷから」1977年(昭和52)1月6日~1978年(昭和53)11月3日
 ・ポスターが作成され、駅などに掲示される
 ・小林啓子が歌った『レイルウェイ・ララバイ ~一枚のキップから~』をキャンペーンソングとする
 ・“一枚のきっぷから”スタンプが全国の297駅に設置され、国鉄監修の「スタンプノート」が販売される
●「いい日 旅立ち」1978年(昭和53)11月4日~1984年(昭和59)1月31日
 ・ポスターが作成され、駅などに掲示される
 ・山口百恵が歌う『いい日旅立ち』をキャンペーンソングとする
 ・“いい日 旅立ち”スタンプが主要駅に設置され、国鉄監修の「スタンプノート」が販売される
●「エキゾチック・ジャパン」1984年(昭和59)2月1日~1987年(昭和62)3月31日
 ・ポスターが作成され、駅などに掲示される
 ・郷ひろみが歌う『2億4千万の瞳』をキャンペーンソングとする

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1712年(正徳2)江戸幕府第6代将軍徳川家宣の命日(新暦11月12日)詳細
1867年(慶応3)第15代将軍徳川慶喜が朝廷に政権返上し、大政奉還される(新暦11月9日)詳細
1873年(明治6)祝祭日を定める太政官布告「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」が発布される詳細
1951年(昭和26)ルース台風(昭和26年台風第15号)が九州に上陸し、大きな被害をもたらす詳細
1986年(昭和61)洋画家荻須高徳の命日詳細
2007年(平成19)埼玉県さいたま市大宮区に鉄道博物館が開館する詳細
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