ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ: 教育・文化

chikumashyobou01
 今日は、昭和時代前期の1940年(昭和15)に、吉田晁が筑摩書房を創立した日です。
 筑摩書房(ちくましょぼう)は、昭和時代前期の1940年(昭和15)6月18日に、東京帝国大学出身の古田晁(あきら)の手で創立された出版社です。1942年(昭和17)に、臼井吉見、中村光夫、唐木順三を顧問として、株式会社筑摩書房が設立されました。
 太平洋戦争後の1946年(昭和21)に月刊誌『展望』を創刊、1948年(昭和23)に『中島敦全集』を刊行して毎日出版文化賞を受賞、『展望』6月号~8月号に太宰治の『人間失格』が連載され注目されます。月刊誌『展望』は、文化、思想を重点とする編集や臼井執筆の「展望」欄が評判となり、好調な滑り出しをみせたものの、1951年(昭和26)10月号で休刊となりました。
 1953年(昭和28)に刊行開始した『現代日本文学全集』(全99巻)が成功して、いわゆる全集ブームの先鞭をつけます。その後も、『太宰治全集』、『宮沢賢治全集』、『世界文学大系』などの全集類や数多くの優れた単行本を刊行、1964年(昭和39)には、月刊誌『展望』も一時復刊しました。
 しかし、経営状態が悪化し、1978年(昭和53)7月12日に、会社更生法の適用を申請、1980年(昭和55)10月から更生会社として新発足しています。それからは、1985年(昭和60)にちくま文庫、1992年(平成4)にちくま学芸文庫、1994年(平成6)にちくま新書、2010年(平成22)に筑摩選書を創刊するなどしてきました。

〇筑摩書房関係略年表

・1940年(昭和15)6月18日 東京帝国大学出身の古田晁が創業する
・1942年(昭和17) 臼井吉見、中村光夫、唐木順三を顧問として株式会社筑摩書房を設立する
・1946年(昭和21) 月刊誌『展望』を創刊する
・1948年(昭和23) 『中島敦全集』を刊行、毎日出版文化賞を受賞、『展望』6月号から8月号に太宰治の『人間失格』が連載される
・1951年(昭和26) 月刊誌『言語生活』を創刊、『展望』が10月号で休刊となる
・1953年(昭和28) 『現代日本文学全集』(全99巻)を刊行開始する
・1955年(昭和30) 『太宰治全集』を刊行する
・1956年(昭和31) 『宮沢賢治全集』を刊行する
・1958年(昭和33) 『世界文学大系』を刊行開始(1969年完結)する
・1962年(昭和37) 『定本柳田國男集』を刊行開始(1971年完結)する
・1963年(昭和38) 「筑摩叢書」を刊行開始(約360点。1992年まで)、『現代日本思想大系』を刊行開始する
・1964年(昭和39) 『井伏鱒二全集』を刊行、『世界古典文学全集』を刊行開始、月刊誌『展望』も復刊する
・1965年(昭和40) 『明治文学全集』を刊行開始(1988年完結)する
・1966年(昭和41) 古田が社長を退任、竹之内静雄が社長となる
・1968年(昭和43) 『現代日本文学大系』を刊行開始(1973年完結)する
・1970年(昭和45) 和田芳恵『筑摩書房の三十年』(付 図書総目録、非売品)を出版、『ちくま少年図書館』の刊行開始する
・1971年(昭和46) 『筑摩世界文学大系』(全91冊)を刊行開始(1998年完結)する
・1972年(昭和47) 竹之内が退任、井上達三が社長となる
・1973年(昭和48) 創業者の古田晁が死去する
・1974年(昭和49) 『近代日本思想大系』を刊行開始(1990年完結)する
・1977年(昭和52) 臼井吉見『事故のてんまつ』事件が起こり、川端康成の遺族から提訴され、謝罪して絶版とし、岡山猛(1921~92年)が社長となり、『ちくま少年文庫』の刊行開始する
・1978年(昭和53)7月12日 業績不振のため会社更生法の適用を申請、経営破綻するが、全集・教科書などの刊行は続けられ、布川角左衛門、関根栄郷弁護士が管財人となり、布川が代表取締役となる
・1980年(昭和55) 更生会社として新発足し、『ちくま少年文学館』の刊行開始する
・1985年(昭和60) ちくま文庫を創刊する
・1986年(昭和61) ちくま少年図書館全100巻刊行により、第33回産経児童出版文化賞大賞を受賞する
・1988年(昭和63) 一般社団法人出版梓会の第4回出版文化賞を受賞、「ちくま文学の森」が刊行される
・1991年(平成3) 債務返済が完了し、関根が社長に就任、2月、創立50周年記念出版『筑摩書房図書総目録 1940-1990』を出版、森本政彦が社長に就任する
・1992年(平成4) ちくま学芸文庫を創刊する
・1994年(平成6) ちくま新書を創刊する
・1996年(平成8) 柏原成光(1939年~ )が社長に就任する
・1998年(平成10) 決定版『太宰治全集』(全13巻)を刊行開始する
・1999年(平成11) 菊池明郎が社長に就任する
・2005年(平成17) ちくまプリマー新書を創刊する
・2010年(平成22)10月 筑摩選書を創刊する
・2011年(平成23) 熊沢敏之が社長に就任、3月、創立70周年記念出版として、筑摩選書版で和田芳恵『筑摩書房の三十年』が復刊し、永江朗『筑摩書房 それからの四十年 1970-2010』を刊行する
・2015年(平成27) 山野浩一が社長に就任する
・2018年(平成30) 喜入冬子が社長に就任する
・2021年(令和3) 社団法人出版梓会の第37回出版文化賞を受賞する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

746年(天平18)法相宗の僧玄昉の命日(新暦7月15日)詳細
1143年(康治2)第78代の天皇とされる二条天皇の誕生日(新暦7月31日)詳細
1419年(応永26)第102代の天皇とされる後花園天皇の誕生日(新暦7月10日)詳細
1723年(享保8)徳川吉宗が人材登用のための「足高の制」を制定(新暦7月19日)詳細
1877年(明治10)アメリカの動物学者モースの誕生日及び初来日の日(考古学出発の日)詳細
1973年(昭和48)内閣が「当用漢字改訂音訓表」を告示し、音読み86、訓読み271を追加する詳細
1988年(昭和63)朝日新聞のスクープによってリクルート事件が発覚する詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

4fe2d951.jpg
 今日は、昭和時代前期の1938年(昭和13)に、文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」により集団勤労作業が始まり、学徒勤労動員のさきがけとなった日です。
 学徒勤労動員(がくときんろうどういん)は、昭和時代前期の日中戦争最中の1938年(昭和13)6月9日に、文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」が出され、学生・生徒は長期休業中に3~5日勤労奉仕することを義務づけられたことに始まりました。それを恒常化したのが1939年(昭和14)の木炭や食料の増産運動からで、学生・生徒は正課として作業に参加することになります。
 さらに、1941年(昭和16)2月には、年間30日の授業を勤労作業にあててよいという指示が出され、同年8月には学校報国隊が結成されました。その後、太平洋戦争に突入し、軍需部門を中心に労働力不足が深刻化したため、1943年(昭和18)6月に、東条内閣は各学校の軍事教練強化を命じ、翌年1月には勤労動員は年間4ヶ月を継続して行うことが義務づけられ、3月には通年実施と決定し、どんどん拡大していきます。
 その法令上の措置として、1944年(昭和19)8月23日に公布・施行されたものが、「学徒勤労令」で、同じ日に「女子挺身隊勤労令」も出されました。その後、動員は徹底的に強化され、11月には夜間学校の学徒や弱体のためそれまで動員から除外されていた学徒の動員が拓令されます。
 また、12月には中等学校卒業者の勤労動員継続の措置がきまり、翌年3月卒業後も引き続いて学徒勤労を継続させるため中等学校に付設課程を設け、これに進学させることとしました。このような学徒の全面的な動員に対して、政府は12月「動員学徒援護事業要綱」を閣議決定し、これに基づいて動員学徒援護会が設置されます。
 以後、この勅令は、昭和20年勅令第96号および同勅令第510号により2度改正がなされて、強化されました。この結果、敗戦時での動員学徒数は340万人を超えたといわれ、学徒動員による空襲等による死亡者は10,966人、傷病者は9,789人にも及びます。
 しかし、太平洋戦争敗戦後の「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、1945年(昭和20)10月10日をもって、この勅令は廃止されることになりました。

〇学徒勤労動員関係略年表

<1938年(昭和13)>
・6月9日 文部省は「集団的勤労作業運動実施ニ関スル件」を通牒し、学生・生徒は夏季休暇の始期終期その他適当な長期休業中に中等学校低学年は3日、それ以外は5日の勤労奉仕に従事することを義務付けられる

<1939年(昭和14)>
・7月8日 「国民徴用令」が公布(7月15日施行)される

<1941年(昭和16)>
・2月 「青少年学徒食糧飼料等増産運動実施要項」において1年のうち30日以内の木炭増産、飼料資源の開発、食糧増産等を授業として認める
・8月 学校報国隊が結成される
・10月16日 勅令で大学・高等学校・専門学校の修業年限の短縮が通達され、文部省は省令「大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ昭和十六年度臨時短縮ニ関スル件」を公布し、大学・専門学校・実業専門学校の修業年限を三か月短縮する
・11月1日 1942年度は予科・高校を加えて6か月短縮と決定し、繰り上げ卒業がはじまる

<1943年(昭和18)>
・6月25日 東条内閣は「学徒戦時動員体制確立要綱」を閣議決定し、学校報国隊を強化し、戦技・特技・防空訓練を図り、女子は救護訓練を行なうようになる
・10月12日 閣議で、「教育ニ関スル戦時非常措置方策」を決定、全国の学生の徴集延期を停止し、徴兵検査が行われることとなり、義務教育8年制を無期延期し、高等学校文科を3分の1減じ、理科を増員し、文科系大学を理科系へ転換し、勤労動員を年間3分の1実施することなどが盛り込まれる

<1944年(昭和19)>
・1月8日 政府は「緊急国民勤労動員方策要綱」と「緊急学徒勤労動員方策要綱」を閣議決定し、学徒勤労動員は年間4か月を継続して行うこととなる
・2月25日 「決戦非常措置要綱」を閣議決定する
・3月7日 「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」で、学徒勤労動員の通年実施、学校の種類による学徒の計画的適正配置、教職員の指導と勤労管理が閣議決定され、文部省は詳細な学校別動員基準を決定する
・4月17日 文部省は「学徒勤労動員実施要領ニ関スル件」を発令し、作業場を「行学一体ノ道場」たらしめ、学徒の「奉公精神、教養規律ニヨリ、作業揚ヲ純真且明朗ナラシムルコト」を要請し、教職員の「率先垂範陣頭指揮」を強調する
・7月10日 閣議で、科学技術者動員計画設定要綱を決定し、航空機の生産増強のための理科系学校卒業者の動員、科学技術者の短期養成計画などが盛り込まれる
・7月11日 「航空機緊急増産ニ関スル非常措置ノ件」閣議決定によって、学徒動員の強化が目指され、文部省は「学徒勤労ノ徹底強化ニ関スル件」を通牒し、供給不足の場合は中等学校低学年生徒の動員、深夜業を中等学校三年以上の男子のみならず女子学徒にも課するなどを指令する
・8月23日 「学徒勤労令」が「女子挺身勤労令」と同日に公布され、学徒勤労動員に法的措置をおこない、大学・高専の2年以上の理科系学徒1000人に限り勤労動員より除外し科学研究要員とする
・12月19日 「動員学徒援護事業要綱」が閣議決定され、動員学徒援護会が設置される
・12月1日 閣議で、中等学校の新規卒業予定者の勤労動員の継続を決定する

<1945年(昭和20)>
・3月18日 「決戦教育措置要綱」を閣議決定し、国民学校初等科以外のすべての学校において、4月から1年間の授業停止による学徒勤労総動員の体制がとられる
・5月22日 「戦時教育令」が公布され、全学校・職場に学徒隊が結成される
・7月11日 勅令で、文部省に学徒動員局が設置される
・8月16日 文部次官通牒「動員解除に関する件」により事実上の動員解除がなされる
・9月4日 「文部省官制中改正ノ件」(昭和20年勅令第516号)により文部省官制を改正、学徒動員局を廃止、体育局へと改組される
・10月5日 「戦時教育令廃止ノ件」(昭和20年勅令第564号)により、「戦時教育令」が廃止される
・10月10日 「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、「学徒勤労令」が廃止される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1488年(長享2)加賀一向宗門徒が対立していた守護富樫政親を攻めて自刃(長享一揆)させる(新暦7月17日)詳細
1767年(明和4)読本・合巻作者滝沢馬琴の誕生日(新暦7月4日)詳細
1896年(明治29)「山縣・ロバノフ協定」(朝鮮問題に関する日露間議定書)が締結される詳細
1923年(大正12)小説家有島武郎の命日(武郎忌)詳細
1947年(昭和22)「朝日新聞」で石坂洋次郎著の小説『青い山脈』の連載が開始される詳細
1952年(昭和27)「日本国とインドとの間の平和条約」(通称:日印平和条約)が調印される詳細
1995年(平成7)衆議院で「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」(戦後50年決議)が採択される詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

housoudaigakugakuenhonbu01
 今日は、昭和時代後期の1981年(昭和56)に、「放送大学学園法」(昭和56年法律第80号)が国会で成立(公布・施行は同月11日)した日です。
 「放送大学学園法」(ほうそうだいがくがくえんほう)は、放送大学(放送大学学園が設置する大学)の設置および運営に関し、必要な事項を定めた法律(昭和56年法律第80号)で、「放送大学法」とも呼ばれてきました。本法において、「放送大学学園は、放送等により教育を行う大学を設置し、当該大学における教育に必要な放送を行うこと等により、大学教育の機会に対する広範な国民の要請にこたえるとともに、大学教育のための放送の普及発達を図ることを目的とする。」(第1条)定められています。
 放送による教育を行う「放送大学」の新設にあたって「国そのものは、放送事業を行わない」という放送法制の原則に反しないよう、本法に基づく特殊法人である「放送大学学園」に「放送大学の設置」と「放送大学に必要な放送業務」を行わせることとしていました。しかし、2002年(平成14)に全部改正され、放送大学学園を「特殊法人」から「特別な学校法人」に移行させています。
 以下に、制定当初の「放送大学学園法」(昭和56年法律第80号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「放送大学学園法」(昭和56年法律第80号)1981年(昭和56)6月11日公布・施行

   第一章 総則

 (目的)

第一条 放送大学学園は、放送等により教育を行う大学を設置し、当該大学における教育に必要な放送を行うこと等により、大学教育の機会に対する広範な国民の要請にこたえるとともに、大学教育のための放送の普及発達を図ることを目的とする。

 (法人格)

第二条 放送大学学園(以下「学園」という。)は、法人とする。

 (事務所)

第三条 学園は、事務所を千葉県に置く。

 (資本金)

第四条 学園の資本金は、一億円とし、政府がその全額を出資する。
2 政府は、必要があると認めるときは、学園に追加して出資することができる。
3 学園は、前項の規定による政府の出資があつたときは、、その出資額により資本金を増加するものとする。
4 政府は、第二項の規定により学園に出資するときは、金銭以外の財産を出資の目的とすることができる。
5 政府が出資の目的とする金銭以外の財産の価格は、出資の日現在における時価を基準として評価委員が評価した価格とする。
6 評価委員その他前項に規定する評価に関し必要な事項は、政令で定める。

 (登記)

第五条 学園は、政令で定めるところにより、登記しなければならない。
2 前項の規定により登記しなければならない事項は、登記の後でなければ、これをもつて第三者に対抗することができない。

 (名称の使用制限)

第六条 学園でない者は、放送大学学園という名称を用いてはならない。

 (民法の準用)

第七条 民法(明治二十九年法律第八十九号)第四十四条及び第五十条の規定は、学園について準用する。

   第二章 役員及び職員

 (役員)

第八条 学園に、役員として、理事長一人、理事四人以内及び監事二人以内を置く。
2 学園に、役員として、前項の理事のほか、非常勤の理事三人以内を置くことができる。

 (役員の職務及び権限)

第九条 理事長は、学園を代表し、その業務を総理する。
2 理事(非常勤の理事を除く。)は、理事長の定めるところにより、理事長を補佐して学園の業務を掌理し、理事長に事故があるときはその職務を代理し、理事長が欠員のときはその職務を行う。
3 非常勤の理事は、理事長の定めるところにより、理事長を補佐して学園の業務を掌理する。
4 監事は、学園の業務を監査する。
5 監事は、監査の結果に基づき、必要があると認めるときは、理事長又は主務大臣に意見を提出することができる。

 (役員の任命等)

第十条 理事長及び監事は、文部大臣が任命する。
2 理事は、理事長が文部大臣の認可を受けて任命する。
3 学園が設置する大学の学長は、前項の規定にかかわらず、理事となる。ただし、学長が理事長である場合は、この限りでない。
4 学長が理事長である間は、第八条第一項の理事の定数は、同項の規定にかかわらず、三人以内とする。

 (役員の任期)

第十一条 役員の任期は、二年とする。ただし、補欠の役員の任期は、前任者の残任期間とする。
2 役員は、再任されることができる。

 (役員の欠格条項)

第十二条 次のいずれかに該当する者は、役員となることができない。
 一 政府又は地方公共団体の職員(教育公務員で政令で定めるもの及び非常勤の者を除く。)
 二 学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)第九条各号に掲げる者
 三 放送法(昭和二十五年法律第百三十二号)第十六条第四項第二号又は第五号から第七号までに掲げる者

 (役員の解任)

第十三条 文部大臣又は理事長は、それぞれその任命に係る役員が前条の規定により役員となることができない者に該当するに至つたときは、その役員を解任しなければならない。
2 文部大臣又は理事長は、それぞれその任命に係る役員が次のいずれかに該当するとき、その他役員たるに適しないと認めるときは、その役員を解任することができる。
 一 心身の故障のため職務の執行に堪えないと認められるとき。
 二 職務上の義務違反があるとき。
3 理事長は、前項の規定により理事を解任しようとするときは、あらかじめ、文部大臣の認可を受けなければならない。

 (役員の兼職禁止)

第十四条 役員(非常勤の者を除く。)は、営利を目的とする団体の役員となり、又は自ら営利事業に従事してはならない。ただし、文部大臣の承認を受けたときは、この限りでない。

 (代表権の制限)

第十五条 学園と理事長との利益が相反する事項については、理事長は、代表権を有しない。この場合には、監事が学園を代表する。

 (職員の任命)

第十六条 学園の職員は、この法律に特別の定めがある者を除くほか、理事長が任命する。

 (役員及び職員の公務員たる性質)

第十七条 学園の役員及び職員は、刑法(明治四十年法律第四十五号)その他の罰則の適用については、法令により公務に従事する職員とみなす。

   第三章 運営審議会

 (運営審議会)

第十八条 学園に、運営審議会を置く。
2 運営審議会は、二十人以内の委員で組織する。
3 運営審議会は、理事長の諮問に応じ、学園の業務の運営に関する重要事項について審議する。
4 運営審議会は、学園の業務の運営につき、理事長に対して意見を述べることができる。

 (委員)

第十九条 委員は、学園の業務の適正な運営に必要な学識経験を有する者のうちから、文部大臣が任命する。
2 第十一条及び第十三条第二項の規定は、委員について準用する。

   第四章 業務

 (業務)

第二十条 学園は、第一条の目的を達成するため、次の業務を行う。
 一 放送等により教育を行う大学を設置すること。
 二 前号の大学における教育に必要な放送を行うこと。
 三 前二号に掲げる業務に附帯する業務を行うこと。
2 学園は、前項各号に掲げる業務を行うほか、同項第一号の大学における教育及び研究に支障のない限り、その施設、設備(放送のための無線設備(電波法(昭和二十五年法律第百三十一号)第二条第四号に規定する無線設備をいう。)を除く。)及び教材を当該大学以外の大学における通信による教育その他の教育又は研究のための利用に供することができる。
3 学園は、主務大臣の認可を受けて、前二項に規定する業務のほか、第一条の目的を達成するため必要な業務を行うことができる。

   第五章 放送大学の組織等

 (学長、副学長及び教員の任免等)

第二十一条 学園が設置する大学(以下「放送大学」という。)に、学校教育法第五十八条に規定する学長、副学長、教授その他の職員を置く。
2 学長は、理事長の申出に基づいて、文部大臣が任命する。
3 副学長の定数は、二人以内とする。
4 副学長は、学長の申出に基づいて、理事長が任命する。
5 教員(教授、助教授、講師及び助手をいう。以下同じ。)は、学長の申出に基づいて、理事長が任命する。
6 第二項及び前項の申出は、評議会の議に基づいて行われなければならない。
7 第二項及び前項の規定は学長の免職について、第四項の規定は副学長の免職について、前二項の規定は教員の免職及び降任について準用する。

 (人事の基準)

第二十二条 前条に定めるもののほか、学長、副学長及び教員の任免の基準、任期、停年その他人事の基準に関する事項は、評議会の議に基づいて、学長が定める。

 (評議会)

第二十三条 放送大学に、評議会を置く。
2 評議会は、次に掲げる評議員で組織する。
 一 学長及び副学長
 二 評議会が定めるところにより選出される教授 六人以上十二人以内
3 前項第二号の評議員は、学長の申出に基づいて、理事長が任命する。
4 評議会は、学長の諮問に応じ、放送大学の運営に関する重要事項について審議し、及びこの法律の規定によりその権限に属させられた事項を行う。

 (他大学の教員等の参加)

第二十四条 放送大学においては、その教育及び研究の充実を図るため、他大学その他の教育研究機関と緊密に連携し、これらの機関の教員その他の職員の参加を求めるように努めなければならない。

   第六章 財務及び会計

 (事業年度)

第二十五条 学園の事業年度は、毎月四月一日に始まり、翌年三月三十一日に終わる。

 (事業計画等の認可)

第二十六条 学園は、毎事業年度、事業計画、予算及び資金計画を作成し、当該事業年度の開始前に、主務大臣の認可を受けなければならない。これを変更しようとするときも、同様とする。

 (決算)

第二十七条 学園は、毎事業年度の決算を翌年度の五月三十一日までに完結しなければならない。

 (財務諸表)

第二十八条 学園は、毎事業年度、財産目録、貸借対照表及び損益計算書(以下この条において「財務諸表」という。)を作成し、これに予算の区分に従い作成した当該事業年度の決算報告書を添え、監事の意見を付けて、決算完結後二月以内に主務大臣に提出し、その承認を受けなければならない。
2 理事長は、財務諸表及び決算報告書に監事の意見を付けて、決算完結後一月以内に、これを運営審議会に提出しなければならない。
3 学園は、第一項の規定により主務大臣の承認を受けた財務諸表を事務所に備えて置かなければならない。

 (利益及び損失の処理)

第二十九条 学園は、毎事業年度、損益計算において利益を生じたときは、前事業年度から繰り越した損失をうめ、なお残余があるときは、その残余の額は、積立金として整理しなければならない。
2 学園は、毎事業年度、損益計算において損失を生じたときは、前項の規定による積立金を減額して整理し、なお不足があるときは、その不足額は、繰越欠損金として整理しなければならない。

 (借入金)

第三十条 学園は、主務大臣の認可を受けて、長期借入金又は短期借入金をすることができる。
2 前項の規定による短期借入金は、当該事業年度内に償還しなければならない。ただし、資金の不足のため償還することができないときは、その償還することができない金額に限り、主務大臣の認可を受けて、これを借り換えることができる。
3 前項ただし書の規定により借り換えた短期借入金は、一年以内に償還しなければならない。

 (償還計画)

第三十一条 学園は、毎事業年度、長期借入金の償還計画を立てて、主務大臣の認可を受けなければならない。

 (余裕金の運用)

第三十二条 学園は、次の方法による場合を除くほか、業務上の余裕金を運用してはならない。
 一 国債その他文部大臣の指定する有価証券の取得
 二 銀行への預金又は郵便貯金
 三 信託業務を営む銀行又は信託会社への金銭信託

 (財産の処分等の制限)

第三十三条 学園は、主務省令で定める重要な財産を譲り受け、譲渡し、交換し、又は担保に供しようとするときは、主務大臣の認可を受けなければならない。

 (給与及び退職手当の支給の基準)

第三十四条 学園は、その役員及び職員に対する給与及び退職手当の支給の基準を定めようとするときは、文部大臣の承認を受けなければならない。これを変更しようとするときも、同様とする。

 (主務省令への委任)

第三十五条 この法律に規定するもののほか、学園の財務及び会計に関し必要な事項は、主務省令で定める。

   第七章 監督等

 (監督命令)

第三十六条 主務大臣は、この法律を施行するため必要があると認めるときは、学園に対して、その財務又は会計に関し監督上必要な命令をすることができる。

 (報告書の提出)

第三十七条 文部大臣は、放送大学に対して、教育の調査、統計その他に関し必要な報告書の提出を求めることができる。

 (報告及び検査)

第三十八条 主務大臣は、この法律を施行するため必要があると認めるときは、学園に対して、その財務若しくは会計に関し必要な報告をさせ、又はその職員に学園の事務所に立ち入り、財務若しくは会計の状況若しくは財務若しくは会計に関する帳簿、書類その他必要な物件を検査させることができる。
2 前項の規定により職員が立入検査をする場合には、その身分を示す証明書を携帯し、関係人にこれを提示しなければならない。
3 第一項の規定による立入検査の権限は、犯罪捜査のために認められたものと解してはならない。

 (補助金)

第三十九条 政府は、予算の範囲内において、学園に対し、第二十条に規定する業務に要する経費の一部を補助することができる。

   第八章 雑則

 (放送大学についての教育基本法の適用)

第四十条 放送大学は、教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)第九条第二項の適用については、国が設置する学校とみなす。

 (解散)

第四十一条 学園の解散については、別に法律で定める。

 (主務大臣及び主務省令)

第四十二条 この法律において主務大臣は、文部大臣及び郵政大臣とする。
2 この法律において主務省令は、主務大臣の発する命令とする。

 (大蔵大臣との協議)

第四十三条 文部大臣は、次の場合には、あらかじめ、大蔵大臣に協議しなければならない。
 一 第三十二条第一号の規定による指定をしようとするとき。
 二 第三十四条の規定による承認をしようとするとき。
2 主務大臣は、次の場合には、あらかじめ、大蔵大臣に協議しなければならない。
 一 第二十条第三項、第二十六条、第三十条第一項若しくは第二項ただし書、第三十一条又は第三十三条の規定による認可をしようとするとき。
 二 第二十八条第一項の規定による承認をしようとするとき。
 三 第三十三条又は第三十五条の規定により主務省令を定めようとするとき。

   第九章 罰則

 (罰則)

第四十四条 第三十八条第一項の規定による報告を求められて、報告をせず、若しくは虚偽の報告をし、又は同項の規定による検査を拒み、妨げ、若しくは忌避した場合には、その違反行為をした学園の役員又は職員は、十万円以下の罰金に処する。

第四十五条 次の各号の一に該当する場合には、その違反行為をした学園の役員は、十万円以下の過料に処する。
 一 この法律により文部大臣又は主務大臣の認可又は承認を受けなければならない場合において、その認可又は承認を受けなかつたとき。
 二 第五条第一項の政令の規定に違反して登記することを怠つたとき。
 三 第二十条に規定する業務以外の業務を行つたとき。
 四 第三十二条の規定に違反して業務上の余裕金を運用したとき。
 五 第三十六条の規定による主務大臣の命令に違反したとき。

第四十六条 第六条の規定に違反した者は、五万円以下の過料に処する。

   附 則

 (施行期日)

第一条 この法律は、公布の日から施行する。

 (以下略)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

822年(弘仁13)平安初期の僧・日本天台宗の開祖最澄の命日(新暦6月26日)詳細
1804年(文化元)象潟地震が起こり、大きな被害が出て、景勝地象潟湖の湖底が隆起し、湖が陸地化する(新暦7月10日)詳細
1898年(明治31)直江津(現在の上越市)明治31年の大火「八幡火事」で、1,595戸が焼失する詳細
1943年(昭和18)「戦時衣生活簡素化実施要綱」が閣議決定される詳細
「食糧増産応急対策要綱」が閣議決定される詳細
1951年(昭和26)「公営住宅法」(昭和26年法律第193号)が公布(施行は同年7月1日)される詳細
1954年(昭和29)近江絹糸争議でストライキが始まる詳細

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

gattkoukyuushyoku002
 今日は、昭和時代中期の1954年(昭和29)に、「学校給食法」(昭和29年法律第160号)が公布・施行された日です。
 学校給食法(がっこうきゅうしょくほう)は、学校給食および学校給食を活用した食に関する指導の実施に関して必要な事項を定めた法律(昭和29年法律第160号)でした。義務教育諸学校における学校給食の実施に関する根拠法律で、「学校給食が児童の心身の健全な発達に資し、かつ、国民の食生活の改善に寄与するものであることにかんがみ、学校給食の実施に関し必要な事項を定め、もつて学校給食の普及充実を図ることを目的とする。」(第1条)と規定されます。
 学校設置者は学校給食の実施について努力しなければならないとされ、その食の経費については、施設設備費や関係職員の給与費などは設置者が、それ以外は児童生徒の保護者が負担するものとし、国はそれらの経費の一部を補助することができるとしていました。しかし、2009年(平成21)4月1日の改正で、日本における一般的な食生活の現状に鑑み同文言は削除され、かわって「食に関する正しい理解と適切な判断力を養う」点が盛り込まれています。
 以下に、制定時の「学校給食法」(昭和29年法律第160号)を掲載しておきましたので、ご参照下さい。

〇「学校給食法」(昭和29年法律第160号)1954年(昭和29)6月3日公布・施行

 (この法律の目的)

第一条 この法律は、学校給食が児童の心身の健全な発達に資し、かつ、国民の食生活の改善に寄与するものであることにかんがみ、学校給食の実施に関し必要な事項を定め、もつて学校給食の普及充実を図ることを目的とする。

 (学校給食の目標)

第二条 学校給食については、小学校における教育の目的を実現するために、左の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。
 一 日常生活における食事について、正しい理解と望ましい習慣を養うこと。
 二 学校生活を豊かにし、明るい社交性を養うこと。
 三 食生活の合理化、栄養の改善及び健康の増進を図ること。
 四 食糧の生産、配分及び消費について、正しい理解に導くこと。

 (定義)

第三条 この法律で「学校給食」とは、前条各号に掲げる目標を達成するために、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)に定める小学校、盲学校、ろう学校又は養護学校(以下「小学校等」と総称する。)において、その児童に対し実施される給食をいう。

 (小学校等の設置者の任務)

第四条 小学校等の設置者は、当該小学校等において学校給食が実施されるように努めなければならない。

 (国及び地方公共団体の任務)

第五条 国及び地方公共団体は、学校給食の普及と健全な発達を図るように努めなければならない。

 (経費の負担)

第六条 学校給食の実施に必要な施設及び設備に要する経費並びに学校給食の運営に要する経費のうち政令で定めるものは、小学校等の設置者の負担とする。
2 前項に規定する経費以外の学校給食に要する経費は、学校給食を受ける児童の保護者(学校教育法第二十二条第一項に規定する保護者をいう。)の負担とする。

 (国の補助)

第七条 国は、公立又は私立の小学校等の設置者に対し、政令で定めるところにより、予算の範囲内において、学校給食の開設に必要な施設又は設備に要する経費の一部を補助することができる。

 (補助の申請等)

第八条 小学校等の設置者は、前条の規定により国の補助を受けようとする場合においては、政令で定めるところにより、文部大臣に補助金の交付申請書を提出しなければならない。
2 文部大臣は、前項の規定により補助金の交付申請書の提出を受けたときは、補助金を交付するかしないかを決定し、その旨を当該小学校等の設置者に通知しなければならない。

 (補助金の返還等)

第九条 文部大臣は、前条第二項の規定により補助金の交付の決定を受けた者が左の各号の一に該当するときは、補助金の交付をやめ、又はすでに交付した補助金を返還させるものとする。
 一 補助金を補助の目的以外の目的に使用したとき。
 二 正当な理由がなくて補助金の交付の決定を受けた年度内に補助に係る施設又は設備を設けないこととなつたとき。
 三 補助に係る施設又は設備を、正当な理由がなくて補助の目的以外の目的に使用し、又は文部大臣の許可を受けないで処分したとき。
 四 補助金の交付の条件に違反したとき。
 五 虚偽の方法によつて補助金の交付を受け、又は受けようとしたとき。

 (小麦等の売渡し)

第十条 国が、食糧管理特別会計の負担において買い入れた小麦又はこれを原料として製造した小麦粉を、農林大臣が文部大臣と協議して定める売渡計画に従い、食糧管理法(昭和十七年法律第四十号)の定めるところにより、学校給食用として売り渡す場合における売渡しの予定価格は、食生活の改善のため必要があるときは、食糧管理法第四条ノ三第二項の規定にかかわらず、農林大臣が定める価格によるものとする。

 (小麦等の用途外使用の禁止)

第十一条 前条に規定する小麦又は小麦粉を学校給食用として買い受けた者、その者から当該小麦又は小麦粉を学校給食用として買い受けた者及びこれらの者のために当該小麦又は小麦粉を保管する者は、当該小麦又は小麦粉を学校給食以外の用途に供する目的で譲渡し、又は学校給食以外の用途に使用してはならない。

 (報告の徴取)

第十二条 文部大臣又は農林大臣は、第十条に規定する売渡計画の立案又は実施のため必要があるときは、公立又は私立の小学校等の設置者に対し、学校給食に関し必要な事項の報告を求めることができる。

 (政令への委任)

第十三条 この法律に規定するもののほか、この法律の実施のため必要な手続その他の事項は、政令で定める。

   附 則

1 この法律は、公布の日から施行する。
2 食糧管理特別会計法(大正十年法律第三十七号)の一部を次のように改正する。
  附則第七項中「麦ノ売渡」を「麦ノ売渡及学校給食法(昭和二十九年法律第百六十号)第十条ノ規定ニ依ル小麦又ハ小麦粉ノ売渡」に改める。

(大蔵・文部・農林・内閣総理大臣署名) 

   「衆議院ホームページ」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1853年(嘉永6)ペリー提督率いるアメリカの東インド艦隊艦船4隻が浦賀沖に来航(黒船来航)する(新暦7月8日)詳細
1872年(明治5)歌人・国文学者佐佐木信綱の誕生日(新暦7月8日)詳細
1900年(明治33)詩人・映画評論家北川冬彦の誕生日詳細
1910年(明治43)桂太郎内閣で「韓国ニ対スル施政方針」を閣議決定し、韓国併合後の朝鮮に対する施政方針を示す詳細
1949年(昭和24) 「測量法」が制定・公布される(測量の日)詳細
劇作家・小説家・俳人佐藤紅緑の命日詳細
1950年(昭和25)「人民広場事件」において、占領軍の軍事裁判で、逮捕者に重労働10年などの有罪判決が下される詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

ryouanj1
 今日は、室町時代の1450年(宝徳2)に、細川勝元が京都に龍安寺を創建した日ですが、新暦では7月10日となります。
 龍安寺(りゅうあんじ)は、京都府京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺院です。室町時代の1450年(宝徳2)に、細川勝元が譲り受けた山荘敷地内に、妙心寺の義天玄詔を招いて創建しました。
 しかし、1468年(応仁2)に応仁の乱で焼失し、1488年(長享2)に勝元の子・細川政元が再建に着手、政元と四世住持・特芳禅傑によって再興され、1499年(明応8)に方丈が上棟されます。有名な石庭は、戦国時代(1500年頃)の作庭と伝えられていますが、1797年(寛政9)に火災で食堂、方丈、開山堂、仏殿など主要伽藍が焼失しました。
 明治維新後の廃仏毀釈で衰退し、1895年(明治28)には、狩野派の手による方丈の襖絵90面が他の寺院に売却されています。また、1929年(昭和4)に火災により一部を焼失し、1951年(昭和26)に、京都府一帯を襲った集中豪雨により裏山が崩壊、濁水が石庭に流れ込み赤土に覆われる被害が出たものの、復興され、1954年(昭和29)には、「竜安寺方丈庭園」として、国の特別名勝となりました。
 この庭は、日本の伝統的な禅寺様式の枯山水庭園で、水も木も草もなく、掃き清められた砂の上に、いくつかの石が配置されていて、単純な中に奥深さがあります。その後、1977年(昭和52)に昭堂(開山堂)が建立され、1981年(昭和56)には、仏殿が再建されました。
 尚、1994年(平成6)には「古都京都の文化財」の一つとして、世界遺産(文化遺産)にも登録されています。

〇龍安寺関係略年表

・平安時代末 藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が同地を山荘とする
・1450年(宝徳2) 山荘を譲り受けた細川勝元が、敷地内に妙心寺の義天玄詔を招いて創建する
・1468年(応仁2) 応仁の乱で焼失する
・1488年(長享2) 勝元の子・細川政元が再建に着手、政元と四世住持・特芳禅傑によって再興される
・1499年(明応8) 方丈が上棟される
・1797年(寛政9) 火災で食堂、方丈、開山堂、仏殿など主要伽藍が焼失する
・1895年(明治28) 狩野派の手による方丈の襖絵90面が他の寺院に売却される
・1929年(昭和4) 火災により一部を焼失する
・1951年(昭和26)7月11日 京都府一帯を襲った集中豪雨により裏山が崩壊、濁水が石庭に流れ込み赤土に覆われる被害が出る
・1954年(昭和29) 方丈庭園が国の特別名勝となる
・1975年(昭和50)5月10日 イギリスの女王エリザベス2世とエディンバラ公フィリップが日本を公式訪問した折、方丈庭園(石庭)に立ち寄る
・1977年(昭和52) 昭堂(開山堂)が建立される
・1981年(昭和56) 仏殿が再建される
・1994年(平成6) 「古都京都の文化財」の一つとして、世界遺産(文化遺産)に登録される
・2010年(平成22) 所在不明となっていた襖絵のうち「群仙図」4面と「琴棋書画図」2面がアメリカのニューヨークでオークションに出品され、龍安寺が買い戻す
・2018年(平成30) 所在不明となっていた襖絵のうち「芭蕉図」9面を、静岡県のコレクターを経て、龍安寺が買い戻す

☆細川 勝元(ほそかわ かつもと)とは?

 武将・守護大名・室町幕府管領です。室町時代の1430年(永享2)に守護大名で第14代室町幕府管領となった細川持之の嫡男(母は京極高光の娘)として生まれましたが、幼名は聡明丸と言いました。
 1442年(嘉吉2)の13歳の時、父・持之が亡くなり、細川家宗家・京兆家当主となり、摂津、丹波、讃岐、土佐の守護を兼任、従五位下右京大夫に叙任され、7代将軍足利義勝の名を一字を賜り、勝元と名乗ります。幼少のため叔父細川持賢がこれを後見し、1445年(文安2)の16歳の時、畠山持国(徳本)に代わって、室町幕府の第16代管領に就任しました。
 同年に近江で反乱を起こした六角時綱を時綱の弟久頼と京極持清に鎮圧させ、1447年(文安4)には、調和を図って山名持豊(宗全)の養女を正室に迎えています。1449年(文安6)に従四位下に昇叙、武蔵守を兼任しましたが、同年に管領を辞任し、畠山持国に替わりました。
 一方、禅に傾倒し、1450年(宝徳2)に京都に竜安寺、1452年(享徳元)に丹波に竜興寺を創建しています。1452年(享徳元)に幕府の管領に再度就任し、翌年に伊予守護職問題に介入、1455年(享徳4)には一時伊予守護を兼任しました。
 持豊と結び、1460年(寛正元)に畠山義就を失脚させたりしたものの、赤松家再興問題で持豊と対立するようになり、1464年(寛正5)には、再び管領を辞任し、弟の政長と交替します。1466年(文正元)に実子政元の誕生後、養子の豊久(山名持豊の子)を廃嫡して仏門に入れたり、足利義政と正室の日野富子に息子の義尚が誕生して足利将軍家でも将軍後継者をめぐって争いが始まりました。
 将軍家の跡目を巡って勝元が足利義視を、持豊が足利義尚を支援したことは、1467年(応仁元)に応仁の乱が起こる一因となります。将軍足利義政をはじめ後土御門天皇、後花園天皇を奉じ、主に京都東北に陣取り、十余万の兵を率いる東軍総帥となり、持豊の率いる西軍と戦いました。
 翌年に三度目の管領に就任しましたが、戦いは全国規模の長期戦となり、膠着状態が続き、1473年(文明5)の3月に山名持豊(宗全)が病死する中、同年5月11日に、陣中において、数え年44歳で亡くなっています。尚、和歌・書画・鷹狩・犬追物などを好み、医学に通じ医書『霊蘭集』を著すなど、多方面に長けていました。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1180年(治承4)平清盛が遷都を目指して福原(現在の神戸市)への行幸(福原遷都)を決行する(新暦6月26日)詳細
1582年(天正10)京都の本能寺の変で、織田信長が明智光秀に攻められ、自刃する詳細
1615年(慶長20)画家・海北派の祖海北友松の命日(新暦6月27日)詳細
1716年(享保元)画家・工芸家尾形光琳の命日(新暦7月20日)詳細
1743年(寛保3)陶工・絵師尾形乾山の命日(新暦7月22日)詳細
1859年(安政6)前年締結の「日米修好通商条約」により、横浜・長崎が開港される(新暦7月1日)詳細
1907年(明治40)愛媛県の別子銅山で運搬夫の指導者山田豊次郎が解雇され、別子銅山争議(別子暴動)が始まる詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ