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 今日は、平成時代の1998年(平成10)に、小説家・放送作家・エッセイスト景山民夫の亡くなった日です。
 景山民夫(かげやま たみお)は、昭和時代中期の1947年(昭和22)3月20日に、東京都千代田区神田で、警察官僚(のち全日本剣道連盟会長)の景山二郎を父として生まれました。父の転任に伴い、広島市、山梨県と転居し、東京の武蔵中学校を経て慶應義塾大学の文学部へ進みます。
 ところが、成績不振で2年後に退学となり、武蔵野美術大学短期大学部デザイン学科に移ったものの、学生運動でキャンパスがロックアウトされるや、1969年(昭和44)に渡米し、ニューヨークでコーヒーショップシンガーとして生活しました。1年半後に帰国してからは、TBS系「ヤング720」の企画・演出担当を経て、日本テレビ「シャボン玉ホリデー」の放送作家となります。
 その後も、「クイズダービー」、「11PM」、「タモリ倶楽部」、「ウソップランド」などを手がけました。若者文化に精通し、タレントとしても活躍、また、エッセイ『普通の生活』を雑誌「ブルータス」に連載しエッセイストとしても注目され、1986年(昭和61)の随筆『ONE FINE MESS 世間はスラップスティック』で、第2回講談社エッセイ賞を受賞します。
 小説も書き始め、1987年(昭和62)の小説『虎口からの脱出』で、第8回吉川英治文学新人賞・第5回日本冒険小説協会最優秀新人賞、1988年(昭和63)の小説『遠い海から来たCOO』で第99回直木賞を受賞しました。それからは、文筆業1本に絞ろうと考え、放送作家としての仕事を断り始めます。
 一方、1989年(平成元)に第18回ベストドレッサー賞を受賞したり、1991年(平成3)には、大川隆法主宰・幸福の科学の信者として、雑誌「フライデー」による同会批判記事に対する抗議行動の先頭に立ったりもしました。しかし、1998年(平成10)1月27日に、東京都世田谷区成城の自宅において、不慮の火災のため50歳で亡くなっています。
〇景山民夫の主要な著作

・随筆『普通の生活』(1984年)
・随筆『ONE FINE MESS 世間はスラップスティック』(1986年)第2回講談社エッセイ賞受賞
・小説『虎口からの脱出』(1987年)第8回吉川英治文学新人賞・第5回日本冒険小説協会最優秀新人賞受賞
・小説『転がる石のように』(1987年 )
・小説『遠い海から来たCOO』(1988年)第99回直木賞受賞
・小説『ガラスの遊園地』(1988年)
・短編集『休暇の土地』(1988年)

☆景山民夫関係略年表

・1947年(昭和22)3月20日  東京都千代田区神田で、警察官僚(のち全日本剣道連盟会長)の景山二郎を父として生まれる
・1968年(昭和43) 放送作家となる
・1969年(昭和44) 渡米し、ニューヨークでコーヒーショップシンガーとして生活する
・1986年(昭和61) 随筆『ONE FINE MESS 世間はスラップスティック』で、第2回講談社エッセイ賞を受賞する
・1987年(昭和62) 小説『虎口からの脱出』で、第8回吉川英治文学新人賞・第5回日本冒険小説協会最優秀新人賞を受賞する
・1988年(昭和63) 小説『遠い海から来たCOO』で第99回直木賞を受賞する
・1989年(平成元) 第18回ベストドレッサー賞を受賞する
・1991年(平成3) 大川隆法主宰・幸福の科学の信者として、雑誌「フライデー」による同会批判記事に対する抗議行動の先頭に立つ
・1998年(平成10)1月27日 東京都世田谷区成城の自宅において、火災のため50歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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