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 今日は、昭和時代前期の1940年(昭和15)に、東京の隅田川河口の築地六丁目と勝どき一丁目を結ぶ、双葉跳開橋である勝鬨橋が完成した日です。
 勝鬨橋(かちどきばし)は、東京都中央区の隅田川河口の築地六丁目と勝どき一丁目を結ぶ、双葉跳開橋です。1905年(明治38)1月18日に、日露戦争における旅順陥落祝勝記念として有志により「勝鬨の渡し」が設置され、1911年(明治44)に、架橋の建議が東京市議会で提出され、調査費3,000円がつき、測量・地質調査がおこなわれました。
 何度かの計画が挫折し、ようやく、1929年(昭和4)12月の「東京港修築計画」に伴う4度目の計画で架橋が決定し、1940年(昭和15)に国家的イベントとして計画された万国博覧会(戦争で中止)のメインゲートにする予定となります。1933年(昭和8)6月10日に工事が着工され、7年の歳月をかけて、1940年(昭和15)6月14日に完成しました。
 シカゴにある跳ね橋をモデルにしたもので、中央部が開閉することから固定軸双葉跳開橋と呼ばれ、橋長246.0m、跳開部分幅員26.6m、固定部分幅員25.8mwで、設置当初は1日5回、1回につき 20分程度跳開し、3,000トン級の船舶が通過できる仕組みになっています。1947年(昭和22)から、橋上を都電が通行するようになりましたが、1967年(昭和42)には、通航のための最後の跳開が行われました。
 1968年(昭和43)に橋上の都電路線が廃止され、1970年(昭和45)を最後に開閉が停止となり、1980年(昭和55)には、電力供給も停止されています。1998年(平成10)から夜間にライトアップが行われるようになり、2003年(平成15)には、東京湾100選選定委員会より、「東京湾100選」に選定されました。
 2005年(平成17)に「かちどき橋の資料館」が開館、2006年(平成18)には、東京都が依託した土木学会の調査研究小委員会により、勝鬨橋の開閉に技術的な問題は無いとの報告が出されています。2007年(平成19)6月18日に、都道府県の道路橋として初めて、清洲橋・永代橋と共に国の重要文化財(建造物)に指定され、2017年(平成29)には、跳開部の機械設備は、日本機械学会から機械遺産に認定されました。

〇勝鬨橋関係略年表

・1905年(明治38)1月18日 日露戦争における旅順陥落祝勝記念として有志により「勝鬨の渡し」が設置される
・1911年(明治44) 架橋の建議が東京市議会で提出され、調査費3,000円がつき、測量・地質調査がおこなわれる
・1929年(昭和4)12月 「東京港修築計画」に伴う4度目の計画で架橋が決定する
・1933年(昭和8)6月10日 工事が着工される
・1940年(昭和15)6月14日 完成する
・1947年(昭和22)12月24日 橋上を都電が通行するようになる
・1967年(昭和42) 通航のための最後の跳開が行われる
・1968年(昭和43) 橋上を都電の路線が廃止される
・1970年(昭和45)11月29日 この日を最後に開閉が停止となる
・1980年(昭和55) 電力供給も停止される
・1998年(平成10) 夜間にライトアップが行われるようになる
・2003年(平成15) 東京湾100選選定委員会より、「東京湾100選」に選定される
・2005年(平成17)4月 「かちどき橋の資料館」が開館する
・2006年(平成18)4月24日 東京都が依託した土木学会の調査研究小委員会により、勝鬨橋の開閉に技術的な問題は無いとの報告が出る
・2007年(平成19)6月18日 都道府県の道路橋として初めて、清洲橋・永代橋と共に国の重要文化財(建造物)に指定される
・2017年(平成29)8月 跳開部の機械設備は、日本機械学会から機械遺産に認定される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1571年(元亀2)戦国武将・大名毛利元就の命日(新暦7月6日)詳細
1831年(天保2)第121代の天皇とされる孝明天皇の誕生日(新暦7月22日)詳細
1899年(明治32)小説家川端康成の誕生日詳細
1910年(明治43)柳田国男著の『遠野物語』(聚精堂)初版350部が刊行される詳細
1920年(大正9)北炭夕張炭鉱(北上坑)で爆発事故があり、死者・行方不明者209人を出す詳細
1966年(昭和41)「結社の自由及び団結権の保護に関する条約」(ILO87号条約)が日本において発効する詳細
1992年(平成4)「環境と開発に関する国際連合会議」が「環境と開発に関するリオ宣言」などを採択して閉幕する詳細