ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

2022年09月

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 今日は、平成時代の1992年(平成4)に、「世界遺産条約」が日本国内で発効した日です。
 「世界遺産条約」(せかいいさんじょうやく)は、正式名称を「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(Convention Concerning the Protection of theWorld Cultural and Natural Heritage)」といい、顕著な普遍的価値を有する文化遺産及び自然遺産の保護を目的とした国際条約とされてきました。1972年(昭和47)にパリで開催された第17回会期国際連合教育科学文化機関(UNESCO)総会(10月17日~11月21日)において、1972年11月16日に採択され、1975年(昭和50)12月17日に発効しましたが、日本では、1992年(平成4)6月19日に国会承認され、同年9月30日に日本国について発効しています。
 文化遺産及び自然遺産を人類全体のための世界の遺産として損傷、破壊等の脅威から保護し、保存するための国際的な協力及び援助の体制を確立することを目的とし、(1)保護の対象は、記念工作物、建造物群、遺跡、自然の地域等で普遍的価値を有するもの(第1~3条)、(2)締約国は、自国内に存在する遺産を保護する義務を認識し、最善を尽くす(第4条)、また、自国内に存在する遺産については、保護に協力することが国際社会全体の義務であることを認識する(第6条)、(3)「世界遺産委員会」(委員国は締約国から選出)の設置(第8条)、同委員会は、各締約国が推薦する候補物件を審査し、その結果に基づいて「世界遺産一覧表」を作成するほか、締約国の要請に基づき、同一覧表に記載された物件の保護のための国際的援助の供与を決定する。同委員会の決定は、出席しかつ投票する委員国の三分の二以上の多数による議決で行う(第11条,第13条)、(4)締約国の分担金(ユネスコ分担金の1%を超えない額(我が国の場合,2017年は約3,500万円)及び任意拠出金,その他の寄付金等を財源とする、「遺産」のための「世界遺産基金」を設立(第15条,第16条)、(5)「世界遺産委員会」が供与する国際的援助は、調査・研究、専門家派遣、研修、機材供与、資金協力等の形をとる(第22条)、(6)締約国は,自国民が「遺産」を評価し尊重することを強化するための教育・広報活動に努める(第27条)などを規定しています。
 2021年(令和3)7月末現在で、締約国数は194ヶ国で、エジプトのピラミッド、中国の万里の長城、米国のグランドキャニオン国立公園など合計1,154件が世界遺産リストに登録(文化遺産:897件、自然遺産:218件、複合遺産:39件)されました。日本では、1993年(平成5)12月に、「法隆寺地域の仏教建造物」(奈良県生駒郡斑鳩町)「姫路城」(兵庫県姫路市)、古都京都の文化財登録(京都府、滋賀県)の3件が登録されたのを最初として、順次増やされていき、2021年末現在で25件(文化遺産:20件、自然遺産:5件)が登録されています。
 以下に、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」の日本語訳を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇世界遺産とは?

 世界遺産は、1972年(昭和47)のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リストに登録された、遺跡、景観、自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件のことで、移動が不可能な不動産やそれに準ずるものが対象となっていて、文化遺産、自然遺産、複合遺産の3つの種類があります。
 文化遺産は、顕著な普遍的価値を有する記念物、建造物群、遺跡、文科的景観などで、自然遺産は、顕著な普遍的価値を有する地形や地質、生態系、絶滅のおそれのある動植物の生態・生育地などで、複合遺産は、文化遺産と自然遺産の両方の価値を兼ね備えているものとなっています。
 世界遺産リストに登録されるためには、「世界遺産条約履行のための作業指針」で示されている下記の登録基準のいずれか1つ以上に合致するとともに、真実性(オーセンティシティ)や完全性(インテグリティ)の条件を満たし、締約国の国内法によって、適切な保護管理体制がとられていることが必要とされています。

☆「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」1972年(昭和47)11月16日採択、1992年(平成4)9月30日日本国内で発効

前文

 国際連合教育科学文化機関の総会は、千九百七十二年十月十七日から十一月二十一日までパリにおいてその第十七回会期として会合し、
 文化遺産及び自然遺産が、衰亡という在来の原因によるのみでなく、一層深刻な損傷又は破壊という現象を伴って事態を悪化させている社会的及び経済的状況の変化によっても、ますます破壊の脅威にさらされていることに留意し、
 文化遺産及び自然遺産のいずれかの物件が損壊し又は減失することも、世界のすべての国民の遺産の憂うべき貧困化を意味することを考慮し、
 これらの遺産の国内的保護に多額の資金を必要とするため並びに保護の対象となる物件の存在する国の有する経済的、学術的及び技術的な能力が十分でないため、国内的保護が不完全なものになりがちであることを考慮し、
 国際連合教育科学文化機関憲章が、同機関が世界の遺産の保存及び保護を確保し、かつ、関係諸国民に対して必要な国際条約を勧告することにより、知識を維持し、増進し及び普及することを想定していることを想起し、
 文化財及び自然の財に関する現存の国際条約、国際的な勧告及び国際的な決議が、この無類のかけがいのない物件(いずれの国民に属するものであるかを問わない。)を保護することが世界のすべての国民のために重要であることを明らかにしていることを考慮し、
 文化遺産及び自然遺産の中には、特別の重要性を有しており、したがって、人類全体のための世界の遺産の一部として保存する必要があるものがあることを考慮し、
 このような文化遺産及び自然遺産を脅かす新たな危険の大きさ及び重大さにかんがみ、当該国がとる措置の代わりにはならないまでも有効な補足的手段となる集団的な援助を供与することによって、顕著な普遍的価値を有する文化遺産及び自然遺産の保護に参加することが、国際社会全体の任務であることを考慮し、
 このため、顕著な普遍的価値を有する文化遺産及び自然遺産を集団で保護するための効果的な体制であって、常設的に、かつ、現代の科学的方法により組織されたものを確立する新たな措置を、条約の形式で採択することが重要であることを考慮し、
 総会の第十六会期においてこの問題が国際条約の対象となるべきことを決定して、
 この条約を千九百七十二年十一月十六日に採択する。

Ⅰ.文化遺産及び自然遺産の定義

第一条
 この条約の適用上、「文化遺産」とは、次のものをいう。
記念工作物
 建築物、記念的意義を有する彫刻及び絵画、考古学的な性質の物件及び構造物、金石文、洞穴住居並びにこれらの物件の組合せであって歴史上、芸術上又は学術上顕著な普遍的価値を有するもの
建造物群
 独立し又は連続した建造物の群であって、その建築様式、均質性又は景観内の位置のために、歴史上、芸術上又は学術上顕著な普遍的価値を有するもの
遺跡
 人工の所産(自然と結合したものを含む。)及び考古学的遺跡を含む区域であって、歴史上、芸術上、民俗学上又は人類学上顕著な普遍的価値を有するもの
第二条
 この条約の適用上、「自然遺産」とは、次のものをいう。
 無生物又は生物の生成物又は生成物群から成る特徴のある自然の地域であって、鑑賞上又は学術上顕著な普遍的価値を有するもの
 地質学的又は地形学的形成物及び脅威にさらされている動物又は植物の種の生息地又は自生地として区域が明確に定められている地域であって、学術上又は保存上顕著な普遍的価値を有するもの
 自然の風景地及び区域が明確に定められている自然の地域であって、学術上、保存上又は景観上顕著な普遍的価値を有するもの
第三条
 前二条に規定する種々の物件で自国の領域内に存在するものを認定し及びその区域を定めることは、締約国の役割である。

Ⅱ.文化遺産及び自然遺産の国内的及び国際的保護

第四条
 締約国は、第一条及び第二条に規定する文化遺産及び自然遺産で自国の領域内に存在するものを認定し、保護し、保存し、整備し及び将来の世代へ伝えることを確保することが第一義的には自国に課された義務であることを認識する。このため、締約国は、自国の有するすべての能力を用いて並びに適用な場合には取得し得る国際的な援助及び協力、特に、財政上、芸術上、学術上及び技術上の援助及び協力を得て、最善を尽くすものとする。
第五条
 締約国は、自国の領域内に存在する文化遺産及び自然遺産の保護、保存及び整備のための効果的かつ積極的な措置がとられることを確保するため、可能な範囲内で、かつ、自国にとって適当な場合には、次のことを行うよう努める。
(a) 文化遺産及び自然遺産に対し社会生活における役割を与え並びにこれらの遺産の保護を総合的な計画の中に組み入れるための一般的な政策をとること。
(b) 文化遺産及び自然遺産の保護、保存及び整備のための機関が存在しない場合には、適当な職員を有し、かつ、任務の遂行に必要な手段を有する一又は二以上の機関を自国の領域内に設置すること。
(c) 学術的及び技術的な研究を発展させること並びに自国の文化遺産及び自然遺産を脅かす危険に対処することを可能にする実施方法を開発すること。
(d) 文化遺産及び自然遺産の認定、保護、保存、整備及び活用のために必要な立法上、学術上、技術上、行政上及び財政上の適当な措置をとること。
(e) 文化遺産及び自然遺産の保護、保存及び整備の分野における全国的又は地域的な研修センターの設置又は発展を促進し、並びにこれらの分野における学術的調査を奨励すること。
第六条
 締約国は、第一条及び第二条に規定する文化遺産及び自然遺産が世界の遺産であること並びにこれらの遺産の保護について協力することが国際社会全体の義務であることを認識する。この場合において、これらの遺産が領域内に存在する国の主権は、これを十分に尊重するものとし、また、国内法令に定める財産権は、これを害するものではない。
 締約国は、この条約に従い、第十一条の2及び4に規定する文化遺産及び自然遺産の認定、保護、保存及び整備につき、当該遺産が領域内に存在する国の要請に応じて援助を与えることを約束する。
 締約国は、締約国は、第一条及び第二条に規定する文化遺産及び自然遺産で自国の領域内に存在するものを直接又は間接に損傷することを意図した措置をとらないことを約束する。
第七条
 この条約において、世界の文化遺産及び自然遺産の国際的保護とは、締約国がその文化遺産及び自然遺産を保存し及び認定するために努力することを支援するための国際的な協力及び援助の体制を確立することであると了解される。

Ⅲ.世界の文化遺産及び自然遺産の保護のための政府間委員会

第八条
 この条約により国際連合教育科学文化機関に、顕著な普遍的価値を有する文化遺産及び自然遺産の保護のための政府間委員会(以下「世界遺産委員会」という。)を設置する。同委員会は、同機関の総会の通常会期の間に開催される締約国会議において締約国により選出された十五の締約国によって構成される。同委員会の構成国の数は、この条約が少なくとも四十の国について効力を生じた後における最初の総会の通常会期からは二十一とする。
 世界遺産委員会の構成国の選出に当たっては、世界の異なる地域及び文化が衡平に代表されることを確保する。
 世界遺産委員会の会議には、文化財の保存及び修復の研究のための国際センター(ローマ・センター)の代表一人、記念物及び遺跡に関する国際会議(ICOMOS)の代表一人及び自然及び天然資源の保全に関する国際同盟(IUCN)の代表一人が、顧問の資格で出席できるものとし、国際連合教育科学文化機関の総会の通常会期の間に開催される締約国会議における締約国の要請により、同様の目的を有する他の政府間機関又は非政府間機関の代表も、顧問の資格で出席することができる。
第九条
 世界遺産委員会の構成国の任期は、当該構成国が選出された時に開催されている国際連合教育科学文化機関の総会の通常会期の終わりから当該通常会期の後に開催される三回目の通常会期の終わりまでとする。
 もっとも、最初の選挙において選出された世界遺産委員会の構成国の三分の一の任期は当該選挙が行なわれた総会の通常会期の後に開催される最初の通常会期の終わりに、また、同時に選出された世界遺産委員会の構成国の他の三分の一の任期は当該選挙が行なわれた総会の通常会期の後に開催される二回目の通常会期の終わりに、終了する。これらの構成国は、最初の選挙の後に国際連合教育科学文化機関の総会議長によりくじ引で選ばれる。
 世界遺産委員会の構成国は、自国の代表として文化遺産又は自然遺産の分野において資格のある者を選定する。
第十条
 世界遺産委員会は、その手続規則を採択する。
 世界遺産委員会は、特定の問題について協議するため、公私の機関又は個人に対し会議に出席するよういつでも招請することができる。
 世界遺産委員会は、その任務を遂行するために同委員会が必要と認める諮問機関を設置することができる。
第十一条
 締約国は、できる限り、文化遺産又は自然遺産の一部を構成する物件で、自国の領域内に存在し、かつ、2に規定する一覧表に記載することが適当であるものの目録を世界遺産委員会に提出する。この目録は、すべてを網羅したものとはみなされないものとし、当該物件の所在地及び重要性に関する資料を含む。
 世界遺産委員会は、1の規定に従って締約国が提出する目録に基づき、第一条及び第二条に規定する文化遺産又は自然遺産の一部を構成する物件であって、同委員会が自己の定めた基準に照らして顕著な普遍的価値を有すると認めるものの一覧表を「世界遺産一覧表」の表題の下に作成し、常時最新のものとし及び公表する。最新の一覧表は、少なくとも二年に一回は配布される。
 世界遺産一覧表に物件を記載するに当たっては、当該国の同意を必要とする。二以上の国が主権又は管轄権を主張している領域内にある物件を記載することは、その紛争の当事国の権利にいかなる影響も及ぼすものではない。
 世界遺産委員会は、事情により必要とされる場合には、世界遺産一覧表に記載されている物件であって、保存のために大規模な作業が必要とされ、かつ、この条約の規定に基づいて援助が要請されているものの一覧表を「危険にさらされている世界遺産一覧表」の表題の下に作成し、常時最新のものとし及び公表する。危険にさらされている世界遺産一覧表には、当該作業に要する経費の見積りを含むものとし、文化遺産又は自然遺産の一部を構成する物件であって、重大かつ特別な危険にさらされているもののみを記載することができる。このような危険には、急速にに進む損壊、大規模な公共事業若しくは民間事業又は急激な都市開発事業若しくは観光開発事業に起因する減失の危険、土地の利用又は所有権の変更に起因する破壊、原因が不明である大規模な変化、理由のいかんを問わない放棄、武力紛争の発生及びそのおそれ、大規模な災害及び異変、大火、地震及び地滑り、噴火並びに水位の変化、洪水及び津波が含まれる。同委員会は、緊急の必要がある場合にはいつでも、危険にさらされている世界遺産一覧表に新たな物件の記載を行うことができるものとし、その記載について直ちに公表することができる。
 世界遺産委員会は、文化遺産又は自然遺産を構成する物件が2及び4に規定する一覧表のいずれかに記載されるための基準を定める。
 世界遺産委員会は、2及び4に規定する一覧表のいずれかへの記載の要請を拒否する前に、当該文化遺産又は自然遺産が領域内に存在する締約国と協議する。
 世界遺産委員会は、当該国の同意を得て、2及び4に規定する一覧表の作成に必要な研究及び調査を調整し及び奨励する。
第十二条
 文化遺産又は自然遺産を構成する物件が前条の2及び4に規定する一覧表のいずれにも記載されなかったという事実は、いかなる場合においても、これらの一覧表に記載されることによって生ずる効果は別として、それ以外の点について顕著な普遍的価値を有しないという意味に解してはならない。
第十三条
 世界遺産委員会は、文化遺産又は自然遺産の一部を構成する物件であって締約国の領域内に存在し、かつ、第十一条の2及び4に規定する一覧表に記載されており又は記載されることが適当であるがまだ記載されていないものにつき、当該締約国が表明する国際的援助の要請を受理し、検討する。当該要請は、当該物件を保護し、保存し、整備し又は活用することを確保するために行うことができる。
 1の国際的援助の要請は、また、予備調査の結果更に調査を行うことが必要と認められる場合には、第一条及び第二条に規定する文化遺産又は自然遺産を認定するためにも行うことができる。
 世界遺産委員会は、これらの要請についてとられる措置並びに適当な場合には援助の性質及び範囲を決定するとし、同委員会のための当該政府との間の必要な取極の締結を承認する。
 世界遺産委員会は、その活動の優先順位を決定するものとし、その優先順位の決定に当たり、保護を必要とする物件が世界の文化遺産及び自然遺産において有する重要性、自然環境又は世界の諸国民の特質及び歴史を最もよく代表する物件に対して国際的援助を与えることの必要性、実施すべき作業の緊急性並びに脅威にさらされている物件が領域内に存在する国の利用し得る能力、特に、当該国が当該物件を自力で保護することができる程度を考慮する。
 世界遺産委員会は、国際的援助が供与された物件の一覧表を作成し、常時最新のものとし及び公表する。
 世界遺産委員会は、第十五条の規定によって設立される基金の資金の使途を決定する。同委員会は、当該資金を増額するための方法を追求し、及びこのためすべての有用な措置をとる。
 世界遺産委員会は、この条約の目的と同様の目的を有する政府間国際機関及び国際的な非政府間機関並びに国内の政府機関及び非政府機関と協力する。同委員会は、その計画及び事業を実施するため、これらの機関、特に、文化財の保存及び修復の研究のための国際センター(ローマ・センター)、記念物及び遺跡に関する国際会議(ICOMOS)及び自然及び天然資源の保全に関する国際同盟(IUCN)、公私の機関並びに個人の援助を求めることができる。
 世界遺産委員会の決定は、出席しかつ投票する構成国の三分の二以上の多数による議決で行う。同委員会の会合においては、過半数の構成国が出席していなければならない。
第十四条
 世界遺産委員会は、国際連合教育科学文化機関事務局長が任命する事務局の補佐を受ける。
 国際連合教育科学文化機関事務局長は、文化財の保存及び修復の研究のための国際センター(ローマ・センター)、記念物及び遺跡に関する国際会議(ICOMOS)及び自然及び天然資源の保全に関する国際同盟(IUCN)の各自の専門の分野及び能力の範囲における活動を最大限に利用して、世界遺産委員会の書類及び会議の議事日程を作成し、並びに同委員会の決定の実施について責任を負う。

Ⅳ.世界の文化遺産及び自然遺産の保護のための基金

第十五条
 この条約により、顕著な普遍的価値を有する文化遺産及び自然遺産の保護のための基金(以下「世界遺産基金」という。)を設立する。
 世界遺産基金は、国際連合教育科学文化機関の財政規則に基づく信託基金とする。
 世界遺産基金の資金は、次のものから成る。
 締約国の分担金及び任意拠出金
 次の者からの拠出金、贈与又は遺贈
 締約国以外の国
 国際連合教育科学文化機関、国際連合の他の機関(特に国際連合開発計画)又は他の政府間機関
 公私の機関又は個人
 同基金の資金から生ずる利子
 募金によって調達された資金及び同基金のために企画された行事による収入
 世界遺産委員会が作成する同基金の規則によって認められるその他のあらゆる資金
 世界遺産基金に対する拠出及び世界遺産委員会に対するその他の形式による援助は、同委員会が決定する目的にのみ使用することができる。同委員会は、特定の計画又は事業に用途を限った拠出を受けることができる。ただし、同委員会が当該計画又は事業の実施をしている場合に限る。同基金に対する拠出には、いかなる政治的な条件を付することができない。
第十六条
 締約国は、追加の任意拠出金とは別に、二年に一回定期的に世界遺産基金に分担金を支払うことを約束する。分担金の額は、国際連合教育科学文化機関の総会の間に開催される締約国会議がすべての締約国について適用される同一の百分率により決定する。締約国会議における決定には、会議に出席しかつ投票する締約国(2の宣言を行っていない締約国に限る。)の過半数による議決を必要とする。締約国の分担金の額は、いかなる場合にも、同機関の通常予算に対する当該締約国の分担金の額の1パーセントを超えないものとする。
 もっとも、第三十一条及び第三十二条に規定する国は、批准書、受諾書又は加入書を寄託する際に、1の規定に拘束されない旨を宣言することができる。
 2の宣言を行った締約国は、国際連合教育科学文化機関事務局長に通告することにより、いつでもその宣言を撤回することができる。この場合において、その宣言の撤回は、当該締約国が支払うべき分担金につき、その後の最初の締約国会議の日まで効力を生じない。
 2の宣言を行った締約国の拠出金は、世界遺産委員会がその活動を実効的に計画することができるようにするため、少なくとも二年に一回定期的に支払う。その拠出金の額は、1の規定に拘束される場合に支払うべき分担金の額を下回ってはならない。
 当該年度及びその直前の暦年度についての分担金及び任意拠出金の支払が延滞している締約国は、世界遺産委員会の構成国に選出される資格を有しない。ただし、この規定は、最初の選挙については適用しない。支払が延滞している締約国であって、同委員会の構成国であるものの任期は、第八条1に規定する選挙の時に終了する。
第十七条
 締約国は、第一条及び第二条に規定する文化遺産及び自然遺産の保護のための寄附を求めることを目的とする国の財団又は団体及び公私の財団又は団体の設立を考慮し又は奨励する。
第十八条
 締約国は、世界遺産基金のため国際連合教育科学文化機関の主宰の下に開催される国際的な募金運動に対して援助を与えるものとし、このため、第十五条3に規定する機関が行なう機関が行う募金について便宜を与える。

Ⅴ.国際的援助の条件及び態様

第十九条
 いかなる締約国も、顕著な普遍的価値を有する文化遺産又は自然遺産の一部を構成する物件で自国の領域内に存在するもののため、国際的援助を要請することができる。締約国は、当該要請を行う場合には、自国が所有しており、かつ、世界遺産委員会が決定を行う上で必要とされる第二十一条に規定する情報及び資料を提出する。
第二十条
 この条約に規定する国際的援助は、第十三条2、第二十二条(c)及び第二十三条の規定が適用される場合を除くほか、文化遺産又は自然遺産を構成する物件であって、世界遺産委員会が第十一条の2及び4に規定する一覧表のいずれかに記載することを決定し又は決定することとなっているものにのみ与えることができる。
第二十一条
 世界遺産委員会は、国際的援助の要請を検討する手続及び要請書の記載事項を定める。要請書は、作業計画、必要な作業、作業に要する経費の見積り、緊急度及び援助を要請する国の資力によってすべての経費を賄うことができない理由を明らかにするものとする。要請書は、できる限り、専門家の報告書によって裏付けられなければならない。
 天災その他の災害に起因する要請は、緊急な作業を必要とすることがあるため、世界遺産委員会が直ちにかつ優先的に考慮するものとし、同委員会は、このような不測の事態に備えて同委員会が使用することができる予備基金を設けるものとする。
 世界遺産委員会は、決定に先立ち、同委員会が必要と認める研究及び協議を行う。
第二十二条
 世界遺産委員会は、次の形態の援助を供与することができる。
(a) 第十一条の2及び4に規定する文化遺産及び自然遺産の保護、保存、整備及び活用において生ずる芸術上及び技術上の問題に関する研究
(b) 同委員会が承認した作業が正しく実施されることを確保するための専門家、技術者及び熟練工の確保
(c) 文化遺産及び自然遺産の認定、保護、保存、整備及び活用の分野におけるあらゆる水準の職員及び専門家の養成
(d) 当該国が所有せず又は入手することができない機材の供与
(e) 長期で返済することができる低利又は無利子の貸付け
(f) 例外的かつ特別の理由がある場合における返済を要求しない補助金の供与
第二十三条
 世界遺産委員会は、また、文化遺産及び自然遺産の認定、保存、保護、整備及び活用の分野におけるあらゆる水準の職員及び専門家のための全国的又地域的な研修センターに対して国際的援助を与えることができる。
第二十四条
 大規模な国際的援助の供与に先立ち、詳細な学術的、経済的及び技術的な研究が行われなけれならない。これらの研究は、文化遺産及び自然遺産の保護、保存、整備及び活用のための最も進歩した技術を活用するものとし、この条約の目的に適合するものでなければならない。これらの研究は、また、当該国が利用し得る能力を合理的に用いる方法を追求するものとする。
第二十五条
 国際社会は、原則として、必要な経費に要する経費の一部のみを負担する。国際的援助を受ける国は、財政的に不可能な場合を除くほか、各計画又は事業に充てられる資金のうち相当な割合の額を拠出する。
第二十六条
 世界遺産委員会及び国際的援助を受ける国は、両者の間で締結する協定において、この条約に基づいて国際的援助が与えられる計画又は事業の実施条件を定める。当該国際的援助を受ける国は当該協定に定める条件に従い、このようにして保護される物件を引き続き保護し、保存し及び整備する責任を負う。

Ⅵ.教育事業計画

第二十七条
 締約国は、あらゆる適用な手段を用いて、特に教育並びに広報事業計画を通じて、自国民が第一条及び第二条に規定する文化遺産及び自然遺産を評価し及び尊重することを強化するよう努める。
 締約国は、文化遺産及び自然遺産を脅かす危険並びにこの条約に従って実施される活動を広く公衆に周知させることを約束する。
第二十八条
 この条約に基づいて国際的援助を受ける締約国は、援助の対象となった物件の重要性及び当該国際的援助の果たした役割を周知させるため、適当な措置をとる。

Ⅶ.報告

第二十九条
 締約国は、国際連合教育科学文化機関の総会が決定する期限及び様式で同総会に提出する報告において、この条約を適用するために自国が行った法的措置、行政措置その他の措置及びこの分野で得た経験の詳細に関する情報を提供する。
 1の報告については、世界遺産委員会に通知する。
 世界遺産委員会は、その活動に関する報告書を国際連合教育科学文化機関の総会の通常会期ごとに提出する。

Ⅷ.最終条項

第三十条
 この条約は、ひとしく正文であるアラビア語、英語、フランス語、ロシア語及びスペイン語により作成する。
第三十一条
 この条約は、国際連合教育科学文化機関の加盟国により、それぞれ自国の憲法上の手続に従って批准され又は受諾されなければならない。
 批准書又は受諾書は、国際連合教育科学文化機関事務局長に寄託する。
第三十二条
 この条約は、国際連合教育科学文化機関の非加盟国で同機関の総会が招請するすべての国による加入のために開放しておく。
 加入は、国際連合教育科学文化機関事務局長に加入書を寄託することによって行う。
第三十三条
 この条約は、二十番目の批准書、受諾書又は加入書が寄託された日の後三箇月で、その寄託の日以前に批准書、受諾書又は加入書を寄託した国についてのみ効力を生ずる。この条約は、その他の国については、その批准書、受諾書又は加入書の寄託の日の後三箇月で効力を生ずる。
第三十四条
 次の規定は、憲法上連邦制又は非単一制をとっている締約国について適用する。
(a) この条約の規定であって連邦又は中央の立法機関の立法権の下で実施されるものについては、連邦又は中央の政府の義務は、連邦制をとっていない締約国の義務と同一とする。
(b) この条約の規定であって邦、州又は県の立法権の下で実施されるものであり、かつ、連邦の憲法制度によって邦、州又は県が立法措置をとることを義務付けられてないものについては、連邦の政府は、これらの邦、州又は県の権限のある機関に対し、採択についての勧告を付してその規定を通報する。
第三十五条
 締約国は、この条約を破棄することができる。
 破棄は、国際連合教育科学文化機関事務局長に寄託する文書により通告する。
 破棄は、破棄書の受理の後十二箇月で効力を生ずる。破棄は、脱退が効力を生ずる日までは、破棄を行う国の財政上の義務に影響を及ぼすものではない。
第三十六条
 国際連合教育科学文化機関事務局長は、同機関の加盟国及び第三十二条に規定する同機関の非加盟国並びに国際連合に対し、第三十一条及び第三十二条に規定するすべての批准書、受諾書及び加入書の寄託並びに前条に規定する破棄を通報する。
第三十七条
 この条約は、国際連合教育科学文化機関の総会において改正することができる。その改正は、改正条約の当事国となる国のみを拘束する。
 総会がこの条約の全部又は一部を改正する条約を新たに採択する場合には、その改正条約に別段の規定がない限り、批准、受諾又は加入のためのこの条約の開放は、その改正条約が効力を生ずる日に終止する。
第三十八条
 この条約は、国際連合教育科学文化機関事務局長の要請により、国際連合憲章第百二条の規定に従って、国際連合事務局に登録する。
 千九百七十二年十一月二十三日にパリで、総会の第十七回会期の議長及び国際連合教育科学文化機関事務局長の署名を有する本書二通を作成した。これらの本書は、同機関に寄託するものとし、その認証謄本は、第三十一条及び第三十二条に規定するすべての国並びに国際連合に送付する。
 以上は、国際連合教育科学文化機関の総会が、パリで開催されて千九百七十二年十一月二十一日に閉会を宣言されたその第十七回会期において、正当に採択した条約の真正な本文である。
 以上の証拠として、我々は、千九百七十二年十一月二十三日に署名した。

   「ウィキソース」より

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 今日は、奈良時代の747年(天平19)に、東大寺大仏の鋳造が開始された日ですが、新暦では11月6日となります。
 東大寺大仏(とうだいじだいぶつ)は、正式には盧舎那仏像と呼び、像高14.87mあり、東大寺金堂(大仏殿)の本尊となってきました。聖武天皇により奈良時代の743年(天平15年10月5日)に「大仏造立の詔」が発っせられ、745年(天平17)から実際の造像が開始されています。
 747年(天平19年9月29日)から大仏の鋳造が始まり、749年(天平勝宝元年10月24日)に鋳造が終了、752年(天平勝宝4年)に大仏開眼供養会が実施されましたが、参列者は1万数千人に及びました。これには、約500トンの銅が使用され、のべ260万人が関わったとされる大工事だったとされています。
 しかし、平安時代後期の1180年(治承4)の平重衡の兵火によって焼失し、東大寺も伽藍の主要部を失い、重源らが奔走して、東大寺と大仏を再興しました。さらに、戦国時代の1567年(永禄10)に、松永久秀の兵火によって焼失したものの、復興事業はなかなか進まず、ようやく江戸時代になって、公慶が江戸幕府から大仏再興のための勧進の許可を得て、1691年(元禄4)に再興されています。従って、台座蓮弁の一部のみが当初のもので、胴部は鎌倉時代、頭部は江戸時代元禄期の鋳造とされてきました。
 尚、1958年(昭和33)2月8日に、「銅造盧舎那仏坐像(金堂安置)1躯」として、国宝に指定されています。

〇東大寺(とうだいじ)とは?

 奈良時代創建の東大寺は、聖武天皇が741年(天平13年2月14日)に出した「国分寺建立の詔」によって、国ごとに建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けられ、盧舎那仏(東大寺大仏)を本尊としています。何度か戦火にあって焼失していますが、転害門、正倉院、法華堂などは創建当初の建物が残され、いずれも国宝に指定されています。
 特に正倉院の中には聖武天皇関係の宝物が数多く残され、当時の文化を伝える貴重なもので、京都国立博物館の年1回の正倉院展で見ることができます。また、法華堂の不空羂索観音像、日光・月光菩薩像、執金剛神像、戒壇堂四天王像などの国宝指定の天平仏が安置されています。
 しかし、平安時代になると、失火や落雷などによって講堂や三面僧房、西塔などが焼失、南大門や大鐘楼も倒壊したのです。しかも、1180年(治承4)に、平重衡の軍勢により、大仏殿をはじめ伽藍の大半が焼失してしまいました。
 しかし、鎌倉時代に俊乗房重源によって再興され、鎌倉文化も凝縮されています。この時代の建築物では天竺様の南大門と開山堂が残され、国宝となっています。その南大門に佇立する仁王像を作った運慶、快慶を代表とする慶派の仏師の技はすばらしいものです。
 また、大仏殿は江戸時代中期の1709年(宝永6)に再建されたもので、これも国宝に指定されています。尚、1998年(平成10)には、「古都奈良の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)にも登録されました。

☆東大寺大仏関係略年表

・740年(天平12年) 聖武天皇は難波宮への行幸途次、河内国大県郡(大阪府柏原市)の知識寺で盧舎那仏像を拝し、自らも盧舎那仏像を造ろうと決心する
・741年(天平13年2月14日) 聖武天皇が「国分寺・国分尼寺建立の詔」を発する
・743年(天平15年10月15日) 聖武天皇が近江国紫香楽宮にて「大仏造立の詔」を発する
・744年(天平16年11月13日) 紫香楽宮近くの甲賀寺に大仏の骨柱を立てる
・745年(天平17年8月23日) 平城東山の山金里(今の東大寺の地)で改めて大仏造立が開始される
・746年(天平18年10月6日) 聖武天皇が金鐘寺(東大寺の旧称)に行幸、盧舎那仏の燃灯供養を行う
・747年(天平19年9月29日) 大仏の鋳造が開始される
・749年(天平勝宝元年10月24日) 大仏の鋳造が終了する
・752年(天平勝宝4年4月9日) 大仏開眼供養会が盛大に開催される
・855年(斉衡2年) 地震で被災し、首が落下する
・861年(貞観3年) 大仏修復が終わり、朝廷が大法会を開催して大仏の修理落成供養を行なう
・1180年(治承4年) 平重衡の兵火によって大仏が焼失する
・1185年(文治元年) 重源らが奔走して大仏を修復し、開眼法要が営まれる
・1195年(建久6年) 大仏殿の落慶法要が後鳥羽天皇、源頼朝、北条政子らの臨席のもと行われる
・1567年(永禄10年) 松永久秀の兵火によって大仏が焼失する
・1610年(慶長15年) 仮堂で復興していた東大寺大仏殿が大風で倒壊する
・1685年(貞享元年) 公慶は江戸幕府から大仏再興のための勧進(資金集め)の許可を得る
・1691年(元禄4年) 公慶らによって大仏が再興される
・1692年(元禄5年) 再興された大仏の開眼供養が行われる
・1709年(宝永6年) 再建された大仏殿が落慶する
・1958年(昭和33年)2月8日 「銅造盧舎那仏坐像(金堂安置)1躯」として国宝に指定される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

930年(延長8)第60代の天皇とされる醍醐天皇の命日(新暦10月23日)詳細
949年(天暦3)第57代の天皇とされる陽成天皇の命日(新暦10月23日)詳細
1801年(享和元)国学者本居宣長の命日(新暦11月5日)詳細
1879年(明治12)「学制」が廃止され、「教育令」が制定される詳細
1972年(昭和47)日本と中国が「日中共同声明」に調印する詳細
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 今日は、昭和時代中期の1964年(昭和39)に、琵琶湖を初めて横断する琵琶湖大橋が開通した日です。
 琵琶湖大橋(びわこおおはし)は、滋賀県大津市と同県守山市の間で、琵琶湖に架かる国道477号の橋で、開通から現在まで、有料道路橋とされてきました。1964年(昭和39)9月28日に開通したプレートガーダー橋で、滋賀県が建設(費用492億8千万円)、運営もしています。
 開通当時は2車線(対面通行)の橋でしたが、交通量の増加に伴い、1980年(昭和55)に自転車歩行者道、1994年(平成6)には北側に2車線が増設され、現在は、橋長1,400m、幅7.5m、最大支間140mとなりました。この橋は、船が下を通れるよう、高いアーチの形をしているのが特徴で、なだらかな曲線を描き、比良山を背景に湖面に美しく映えます。
 尚、スピードが出やすかったため、2009年(平成21)には東行き追い越し車線に、時速約60kmで走行するとタイヤの振動音で琵琶湖周航の歌が流れる仕組みの「メロディーロード」が約600mに渡り設置されました。

〇プレートガーダー橋(ぷれーとがーだーきょう)とは?

 鋼板や形鋼を組み合わせて板(プレート)状にし、これを断面がⅠ字形になるように組み立てた桁(ガーダー)からなる鉄橋(plate girder bridge)で、鈑桁橋(ばんげたきょう)とも呼ばれています。I形桁(けた)の水平部分はフランジflange、垂直部分はウェブwebとよばれてきました。構成部材が少なく単純明快であり、設計、製作が容易であるうえ、外観もすっきりしているのが特徴です。

☆日本の長い橋(橋長)ベスト31(2022年3月現在)

1.アクアブリッジ(4,384m)1997年開通[千葉県]海
2.明石海峡大橋(3,911m)1998年開通[兵庫県]海
3.第1北上川橋梁(3,868m)1982年開通[岩手県]川
4.関西国際空港連絡橋(3,750m)1991年開通[大阪府]海
5.伊良部大橋(3,540m)2015年開通[沖縄県]海
6.番の州高架橋(2,939m)1988年開通[香川県]海
7.東京ゲートブリッジ(2,618m)2012年開通[東京都]海
8.倉敷みなと大橋(2,564m)2017年開通[岡山県]川
9.新北九州空港連絡橋(2,100m)2006年開通[福岡県]海
10.古宇利大橋(1,960m)2005年開通[沖縄県]海
11.角島大橋(1,780m)2000年開通[山口県]海
12.長流川橋(1,773m)1994年開通[北海道県]川
13.南備讃瀬戸大橋(1,723m)1988年開通[香川県]海
14.吉野川サンライズ大橋(1,69m)2022年開通[徳島県]川
15.来間大橋(1,690m)1995年開通[沖縄県]海
16.大鳴門橋(1,629m)1985年開通[兵庫県]海
17.北備讃瀬戸大橋(1,611m)1988年開通[香川県]海
18.上江橋(1,609m)1997年開通[埼玉県]川
19.新天竜川橋(1,585m)1999年開通[静岡県]川
20.来島海峡第三大橋(1,570m)1999年開通[愛媛県]海
21.新富士川橋(1,553m)1971年開通[静岡県]川
22.甑大橋(1,533m)2020年開通[鹿児島県]海
23.来島海峡第二大橋(1,515m)1999年開通[愛媛県]海
24.かささぎ大橋(1,500m)1997年開通[静岡県]川
25.幸魂大橋(1,486m)1992年開通[埼玉県]川
26.多々羅大橋(1,480m)1999年開通[広島県・愛媛県]海
27.下津井瀬戸大橋(1,447m)1988年開通[岡山県・香川県]海
28.江島大橋(1,446m)2004年開通[島根県・鳥取県]海
29.池間大橋(1,425m)1992年開通[沖縄県]海
30.石狩河口橋(1,413m)1976年開通[北海道]川
31.琵琶湖大橋(1,400m)1964年開通[滋賀県]湖

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1500年(明応9)第103代の天皇とされる後土御門天皇の命日(新暦10月21日)詳細
1902年(明治35)「足尾台風」が襲来し、主に関東地方から東北地方南部にかけて大きな被害をもたらす詳細
1912年(大正元)小説家大原富枝の誕生日詳細
1943年(昭和18)「官庁ノ地方疎開ニ関スル件」が閣議決定され、官庁の地方疎開が決められる詳細
1967年(昭和42)上越線の新清水トンネルが開通する詳細
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 今日は、平成時代の1989年(平成元)に、哲学者・文芸美術評論家谷川徹三が亡くなった日です。
 谷川徹三(たにかわ てつぞう)は、明治時代後期の1895年(明治28)5月26日に、愛知県知多郡常滑町(現在の常滑市)において、煙草の元売りの店を営む谷川米太郎の三男として生まれました。旧制愛知県立第五中学校(現在の県立瑞陵高等学校)を経て、1913年(大正2)に第一高等学校(後の東京大学教養学部)に入学、1918年(大正7)には、京都帝国大学文学部哲学科へ進みます。
 在学中は真宗大谷派僧侶の近角常観が主宰していた求道学舎に寄宿し、西田幾多郎に影響されて、1922年(大正11)に卒業しました。その後、竜谷大学、同志社大学、京都市立絵画専門学校などで講師を務め、1928年(昭和3)には、法政大学文学部哲学科教授となります。
 1929年(昭和4)に『改造』に論文を発表して論壇に登場、1942年(昭和17)には、文部省の国民芸能文化専門会委員を務めました。太平洋戦争後は、1945年(昭和20)に中央公論社理事となり、1946年(昭和21)には、帝室博物館(後の国立博物館)次長となり、三年会、憲法問題研究会、世界連邦運動にも加わります。
 1960年(昭和35)には文学博士の称号を得る一方で、文学部長、能楽研究所長を経て、1962年(昭和37)に法政大学総長に選出され、翌年には理事長を兼任しました。1965年(昭和40)に法政大学総長を退任、1967年(昭和42)には勲二等瑞宝章を受章します。
 1970年(昭和45)に法政大学を退職後は、日本ユネスコ協会連盟顧問など諸要職を兼ねました。その中で、1975年(昭和50)にNHK放送文化賞受賞、日本芸術院会員、1987年(昭和62)には、常滑市名誉市民、文化功労者となるなど数々の栄誉にも輝きます。
 芸術・社会・文化・思想など多方面の活動を行ってきましたが、1989年(平成元)9月27日に、東京都杉並区の自宅において、虚血性心不全のため94歳で亡くなりました。

〇谷川徹三の主要な著作

・『感傷と反省』(1925年)岩波書店
・『生活・哲学・芸術』(1930年)岩波書店
・『享受と批評』(1930年)
・『日本人のこころ』(1938年)
・『東洋と西洋』(1940年)
・『茶と美学』(1945年)
・『生の哲学』(1947年)
・『宮沢賢治』(1951年)
・『東と西の間の日本』(1958年)岩波書店
・『芸術の運命』(1964年)岩波書店
・『人間であること』(1972年)
・『茶の美学』(1977年)淡交社
・『生涯一書生』(1988年)岩波書店

☆谷川徹三関係略年表

・1895年(明治28)5月26日 愛知県知多郡常滑町(現在の常滑市)において、煙草の元売りの店を営む谷川米太郎の三男として生まれる
・1913年(大正2) 第一高等学校(後の東京大学教養学部)に入学する
・1918年(大正7) 京都帝国大学文学部哲学科へ入学する
・1922年(大正11) 京都帝国大学文学部哲学科を卒業する
・1928年(昭和3) 法政大学文学部哲学科教授となる
・1929年(昭和4) 『改造』に論文を発表して論壇に登場する
・1942年(昭和17) 文部省の国民芸能文化専門会委員を務める
・1945年(昭和20) 中央公論社理事となる
・1946年(昭和21) 帝室博物館(後の国立博物館)次長となる
・1960年(昭和35) 文学博士を得る
・1962年(昭和37) 法政大学総長となる
・1963年(昭和38) 総長兼理事長に就任する
・1965年(昭和40) 法政大学総長を退任する
・1967年(昭和42) 勲二等瑞宝章を受章する
・1970年(昭和45) 法政大学を退職、宮沢賢治像を制作するよう高田博厚に依頼する
・1975年(昭和50) NHK放送文化賞を受賞、日本芸術院会員となる 
・1987年(昭和62) 常滑市名誉市民、文化功労者となる
・1989年(平成元)9月27日 東京都杉並区の自宅において、虚血性心不全のため94歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1925年(大正14)日本初の地下鉄・銀座線(上野~浅草2.2km)の起工式が行われる詳細
1940年(昭和15)「日独伊三国同盟」が調印される 詳細
1945年(昭和20)GHQが「新聞及言論の自由への追加措置に関する覚書」(SCAPIN-66)を出す詳細
1946年(昭和21)「労働関係調整法」が公布される詳細
1958年(昭和33)狩野川台風が神奈川県に上陸し、死者・行方不明1,269人を出す詳細
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 今日は、昭和時代後期の1968年(昭和43)に、厚生省が水俣病と新潟水俣病を公害病として認定した日です。
 公害病(こうがいびょう)は、一般には、公害(大気汚染、水質汚染、土壌汚染、騒音・振動など)による健康被害として起こる疾病の総称とされますが、狭義には、公害によって健康上の被害を受けた人々を救済するため1973年(昭和48)に公布された法律「公害健康被害補償法」に指定されている疾病とされてきました。指定地域ごとに救済措置の対象疾病として指定される疾病で、慢性気管支炎、気管支喘息、喘息性気管支炎、肺気腫、水俣病、イタイイタイ病、ひ素中毒などとされていますが、水俣病、第二水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病が四大公害病と呼ばれています。
 公害病の認定を受けた患者には、療養費、障害補償費などの補償給付がなされてきました。1987年(昭和62)に、大気汚染の改善に伴い、「公害健康被害補償法」の一部改正がなされ、大気汚染指定地域をすべて解除することと新たな患者を公害病とは認めないことなどが定められています。

〇主要な公害病一覧

<四大公害病>
・水俣病
 1953年(昭和28年)頃から1960年(昭和35年)にかけて熊本県水俣湾で発生した奇病。付近の工場廃液にふくまれる有機水銀(メチル水銀)による水質汚染や底質汚染を原因とし、魚類の食物連鎖を通じて人の健康被害が生じたもので、手足や口のしびれる症状が出て、死亡する人もいた。裁判の結果、廃液を流していた会社から賠償金の支払いと、国に対しても被害者認定の遅れを認めることになったが、最終的に認定された患者数は、2200人以上に及んだ。
・第二水俣病(新潟水俣病)
 1964年(昭和39年)頃から新潟県阿賀野川流域で発生した奇病。熊本県水俣と同じく、有機水銀(メチル水銀)による水質汚染や底質汚染を原因とし、魚類の食物連鎖を通じて人の健康被害が生じたもので、最終的に認定された患者数は700人に及んだ。 
・四日市ぜんそく
 1959年(昭和34)~1972年(昭和47)頃までの高度経済成長期に三重県四日市市を中心とした地域で発生した都市公害で、主に亜硫酸ガスによる大気汚染を原因とする。 多くの人が気管支炎やぜんそく、肝障害を起こし、死者も出たが、最終的に確認された患者数は1700人に及んだ。
・イタイイタイ病
 1910年代から1970年代前半に富山県神通川流域で発生した奇病で、子供を出産した女性に多く発症し、手足の骨がもろくなり、激しい痛みが伴うので、イタイイタイ病と名が付けられた。 カドミウムによる水質汚染を原因として、米などを通じて人々の骨に対し被害を及ぼしたもので、最終的に確認された患者数は190人に及んだ。

<その他の公害病>
・光化学スモッグ
 工場や自動車から大気中に排出された窒素酸化物や揮発性有機化合物(VOC)が、紫外線で光化学反応を起こし、光化学オキシダントが発生する。これが、人の目や呼吸器などを刺激して、健康被害が発生する。
・土呂久砒素公害
 砒素焼きをしていた宮崎県高千穂町の旧土呂久鉱山のまわりに慢性ヒ素中毒患者が発生、1971年(昭和46)に告発され、環境庁も認定し、鉱業権をもった企業への裁判もあった。
・川崎公害
 神奈川県川崎市で発生した工場及び自動車の排ガスによる大気汚染の被害があった大規模公害でした。
・西淀川公害
 大阪市西淀川区の工場からの硫黄酸化物などの排出や自動車排気ガスの大気汚染による健康被害で、1970年(昭和45)11月の段階で公害被害者認定患者は1055人に達し、西淀川区の住民の約100人に1人が公害病に認定される状況まで悪化した。
・六価クロム
 1970年代、江戸川区と江東区の日本化学工業で、従業員に肺がんや鼻中隔穿孔などの健康被害が多数発生した。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1945年(昭和20)哲学者・評論家・思想家三木清の命日詳細
1954年(昭和29)洞爺丸台風が襲来し、青函連絡船洞爺丸が転覆する詳細
洞爺丸台風の暴風下において、北海道で岩内大火が起き、3,298戸が焼失する詳細
1959年(昭和34)伊勢湾台風が襲来する(死者 4,697名、行方不明者 401名、負傷者 38,921名)詳細
1962年(昭和37)若戸大橋が開通する詳細
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