ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

2019年04月

イメージ 1

 今日は、奈良時代の722年(養老6)に、百万町歩開墾計画が出された日ですが、新暦では6月13日となります。
 百万町歩開墾計画(ひゃくまんちょうふかいこんけいかく)は、長屋王(ながやおう)の政権のもとで策定された国費による良田百万町歩の開墾計画でした。これは、人口増加によって、班田収授法により民に与えるための口分田が不足していたことから、多くの土地を開墾して田を増やすために出されたものです。
 国郡司が人夫(公民の成年男子)に食料を支給して10日を限度に徴発し、道具は官物を貸し出して開墾にあたらせることとされました。これには賞罰があって、国郡司で開墾を怠れば罷免し、恩赦があっても許さず、百姓で3,000石以上の収穫をあげれば勲位六階、1,000石以上は終身庸を免除、八位以上の者は勲位一階を昇叙するとされています。
 しかし、当時耕されていた水田面積は約百万町歩と推定されていますから、ほぼ水田倍増計画ということになるものの、水田開発には灌漑施設建設などたいへんな事業を伴うことから、雑穀栽培のための陸田の開発計画を含むのではないかとも言われてきました。また、陸奥国を対象としたものか、全国を対象としたものかも議論が分かれています。
 この計画は、かなり無理があったとみられ、その後負担から逃れるため夜逃げする者がでて、全国的に班田農民の浮浪人化が問題となり、思うように開墾が進まなかったとされてきました。
 そして、翌年には「三世一身法」が発布され、743年(天平15)には「墾田永年私財法」が出されて、律令制が崩れ、荘園の発生へと向かっていくこととなります。
 以下に、『続日本紀』巻第九に、この計画が記載された部分を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇『続日本紀』巻第九 養老六年(722年)閏四月乙丑(25日)条

<原文>

 太政官奏曰。(中略)又食之為本。是民所天。随時設策。治国要政。望請。勧農積穀。以備水旱。仍委所司。差発人夫。開墾膏腴之地良田一百万町。其限役十日。便給糧食。所須調度。官物借之。秋収而後。即令造備。若有国郡司詐作逗留。不肯開墾。並即解却。雖経恩赦。不在免限。如部内百姓。荒野閑地。能加功力。収獲雑穀三千石已上。賜勲六等。一千石以上、終身勿事。見帯八位已上、加勲一転。(後略)

<読み下し文>

 太政官奏して日く。(中略)食の本たる、これ民の天とするところ、時に随いて策をを設くるは、治国の要政[1]なり。望み請うらくは、農を勧め、穀を積みて、以て水旱[2]に備えん。仍て所司[3]に委ねて人夫を差発し、膏腴[4]の地良田一百万町を開墾せん。其の役を限ること十日、便ち糧食[5]を給す。須いん[6]ところの調度[7]は、官物もて之を借し、秋収[8]して後に即ち造り備えしめん。若し国郡司詐って[9]逗留[10]をなし、開墾を肯ぜざることあらば、並びに即ち解却[11]せよ。恩赦を経ると雖も免す限りにあらず。如し部内の百姓、荒野閑地[12]に、能く功力[13]を加えて、雑穀三千石巳上を収穫せば、勲六等を賜う。一千石以上は、終身事勿しむ。見に八位巳上を滞るには、勲一転を加えん。(後略)

【注釈】

[1]要政:ようせい=政治の要。
[2]水旱:すいかん=水害や干害。洪水や干ばつによる被害。  
[3]所司:しょし=官庁の役人。役所。
[4]膏腴:こうゆ=地味が肥えている土地。肥沃。
[5]糧食:りょうしょく=食料。糧米。
[6]須いん:すいん=必要とする。
[7]調度:ちょうど=日常に使う、手回りの道具類。
[8]秋収:しゅうしゅう=秋の農作物のとりいれをすること。秋の収穫。
[9]詐って:いつわって=だまして。欺いて。
[10]逗留:とうりゅう=一ヶ所にとどまって進まないこと。
[11]解却:げきゃく=官人の解任。罷免。
[12]閑地:かんち=使われていない土地。空き地。あいている場所。  
[13]功力:くりき=功徳の力。効験(こうけん)。

<現代語訳>

 太政官が奏上して言うことには、(中略)食の基本である、これは民の天とするところ、時局に応じて、策を設けるのは、国を治める政治の要である。目標とするのは、農業を勧め、収穫を豊かにし、もって水害や干害に備えることである。よって、役所に委任して人夫を派遣し、肥沃な土地の良田百万町歩を開墾せよ。それは、人夫(公民の成年男子)に食料を支給して、10日を限度として徴発し、必要な道具類は官物を貸し出して、秋の収穫後、すぐに造成を始めよ。もし、国郡司がいつわって進捗させず、開墾をしないことがあるならば、ともに即座に罷免せよ。恩赦があっても許さない。部内の百姓が、荒野や空き地に、よく功徳の力を加えて、雑穀3,000石以上の収穫をあげるようなことがあれば、勲位六階を与え、1,000石以上は終身庸を免除し、八位以上の者は、勲位一階を昇叙する。(後略)
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

イメージ 1

 今日は、昭和時代中期の1951年(昭和26)に、国鉄で桜木町事故が起こり、電車火災により前2輛が燃え、死者106人・重軽傷92人を出した日です。
 桜木町事故(さくらぎちょうじこ)は、当時の日本国有鉄道(国鉄)東海道本線支線(現在は根岸線の一部・京浜東北線)桜木町駅構内で発生した電車火災事故でした。その日の13時40分過ぎに、赤羽発桜木町行き5両編成の電車が桜木町駅ホームに進入する直前、切れて垂れていた架線が最前部パンタグラフに絡みついて、その火花から出火します。
 車両は旧式の63型で、鉄骨に木板を張っただけのために燃えやすく、他の車両への往来が不自由で、窓には桟を打ちつけてあって開口部が狭く、自動扉で非常の際に戸を開ける手動コックの所在も、乗客には知らされていなかったので、脱失できずに焼死する人が多数出ました。
 直接原因は、架線工事のミスとされますが、鶴見変電区の高速度遮断機が給電停止しなかったことと、電車の構造上の問題および乗務員の誘導ミスが重なっての大惨事とされています。
 これを教訓に、国鉄電車の車両改造が促され、貫通扉の整備、パンタグラフおよび屋根部の絶縁強化、不燃材料の採用による防火対策などが進み、非常用ドアコックの表示も「非常の時にはこのコックを開いて扉を手で開けて下さい」と記されるようになりました。
 この事故は、その後国鉄で起きた洞爺丸事故(1954年)、紫雲丸事故(1955年)、三河島事故(1962年)、鶴見事故(1963年)と共に、国鉄戦後五大事故と呼ばれるようになります。

〇国鉄戦後五大事故

・桜木町事故 1951年(昭和26)4月24日 東海道本線(現在の根岸線)桜木町駅構内で車両火災が発生(106人死亡・92人負傷)
・洞爺丸事故 1954年(昭和29)9月26日 青函連絡船・函館沖 「洞爺丸」など連絡船5隻が洞爺丸台風にあおられ沈没(1,430人死亡)
・紫雲丸事故 1955年(昭和30)5月11日 宇高連絡船・女木島沖 「紫雲丸」が貨物船の「第三宇高丸」と衝突し沈没(166人死亡・122人負傷)
・三河島事故 1962年(昭和37)5月3日 常磐線三河島駅構内で下り貨物列車に下り電車が衝突、さらに上り電車が突っ込む三重衝突(160人死亡・296人負傷)
・鶴見事故 1963年(昭和38)11月9日 東海道本線鶴見駅~新子安駅間で下り貨物列車に上りの電車が衝突、さらに下り電車が突っ込む三重衝突(161人死亡・120人負傷)

〇太平洋戦争後の列車大事故(死者100人以上)

・1947年(昭和22)2月25日 八高線事故(死者184人・負傷者67人)
・1951年(昭和26)4月24日 桜木町事故(死者106人・負傷者92人)
・1962年(昭和37)5月3日 三河島事故(死者160人・負傷者296人)
・1963年(昭和38)11月9日 鶴見事故(死者161人・負傷者120人)
・2005年(平成17)4月25日 宝塚線(福知山線)事故(死者107人・負傷者562人)
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

イメージ 1

 今日は、明治時代前期の1875年(明治8)に、日本画家上村松園の生まれた日です。
 上村松園(うえむら しょうえん)は、京都の下京区四条通御幸町の葉茶屋「ちきり屋」の次女として生まれましたが、本名は津禰(つね)と言いました。
 早くに父を亡くし、画才を見抜いた母の手で育てられ、1887年(明治20)に京都府画学校(現在の京都市立芸術大学)に入学、四条派の鈴木松年に師事します。1890年(明治23)の第3回内国勧業博覧会に『四季美人図』を出品し、一等褒状を受賞しました。
 1893年(明治26)に幸野楳嶺に師事、1895年(明治28)には楳嶺の死去にともない、竹内栖鳳に師事します。1907年(明治40)第1回文展に『長夜』を出品、三等賞を受賞して評判となり、以後受賞を重ねました。
 優雅な作風の美人画で知られ、1916年(大正5)に文展無鑑査となり、1941年(昭和16)に帝国芸術院会員、1944年(昭和19)に帝室技芸員となります。太平洋戦争下で、1945年(昭和20)に奈良県平城村(現在の奈良市)の唳禽荘(れいきんそう)に疎開しましたが、戦後の1948年(昭和23)には、女性として初めて文化勲章を受章しました。しかし、1949年(昭和24)8月27日に、疎開先の奈良県において、74歳で亡くなっています。
 尚、息子は日本画家の上村松篁(しょうこう)として知られるようになりました。

〇上村松園の主要な作品

・『四季美人図』(1890年)第3回内国勧業博覧会一等褒状受賞
・『清少納言』(1892年)
・『人生の花』(1899年)
・『長夜』(1907年)第1回文展三等賞受賞
・『月かげ』(1908年)第2回文展三等賞受賞
・『舞支度』(1914年)
・『娘深雪(むすめみゆき)』(1914年)
・『花がたみ』(1915年)第9回文展二等賞受賞
・『焔(ほのお)』(1918年)
・『楊貴妃』(1922年)
・『待月、良宵之図』(1926年)
・『簾のかげ、新蛍』(1929年)
・『春秋図』(1930年)
・『伊勢大輔』(1930年)
・『母子』(1934年)国指定重要文化財
・『青眉(あおまゆ)』(1934年)
・『序の舞』(1936年)パリ万国博覧会入賞 国指定重要文化財
・『草紙洗小町』 (1937年)
・『雪月花』(1937年)
・『砧(きぬた)』(1938年)
・『晴日』(1941年)
・『夕暮』(1941年)
・『晩秋』(1943年)
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

イメージ 1

 今日は、平成時代の1993年(平成5)に、全国103ヶ所の施設が「道の駅」として初めて正式登録された日です。
 道の駅(みちのえき)は、国土交通省により登録されている、全国の一般幹線道路に設けられた道路施設で、休憩、地域振興の機能を持ち、特産物の販売や観光情報の提供等を行なってきました。市町村や公的団体が設け、24時間無料で利用できる駐車場やトイレなどの休憩施設、道路・観光情報の発信機能があることなどが認定の要件ですが、郷土資料館や美術館、物産館、売店、レストラン、温泉施設などを設置している所もあります。
 1991年(平成3)に、当時の建設省が整備実験的に山口県、岐阜県、栃木県の計12ヶ所に設けたのに始まり、1993年(平成5)4月22日に全国103ヶ所の道の駅が第一次分として正式登録されました。その後、増え続けて、2000年(平成12)には550ヶ所を突破、2007年(平成19)4月に、八王子市に東京都初の道の駅「八王子滝山」の開設により、47都道府県すべてに道の駅が設置されます。2013年(平成25)には、1,000ヶ所を突破し、2019年(平成31)3月19日付時点での全国登録数は、1,154ヶ所となりました。
 1996年(平成8)からは農林水産省とも連携し、交通情報のほか、祭りや史跡、温泉、キャンプ場など全国の地域情報をコンピュータネット端末で無料検索できるふるさと情報拠点としても整備され、祭りやイベントなどが催されるなど、村おこし・町おこしの一環として、地域活性化の一助ともされています。
 尚、2015年(平成27)1月に、道の駅が地域活性化の拠点となることをめざして機能強化を図るため、全国の1,040ヶ所の道の駅から重点「道の駅」が選定され、国土交通省が支援していますが、その内訳は、全国モデル「道の駅」6ヶ所、重点「道の駅」35ヶ所、重点「道の駅」候補49ヶ所の計90ヶ所とされました。

〇道の駅関係略年表

・1990年(平成2)1月 広島市で行われた「中国・地域づくり交流会」の会合で道の駅の設置構想が提案される
・1991年(平成3)10月~翌年7月 当時の建設省が整備実験的に山口県、岐阜県、栃木県の計12ヶ所を設ける
・1993年(平成5)4月22日 第1回登録(103ヶ所) 累計103ヶ所
・1996年(平成8) 農林水産省とも連携し、ふるさと情報拠点としても整備されるようになる
・1996年(平成8)4月16日 第10回登録(52ヶ所) 累計285ヶ所
・1999年(平成11)8月27日 第15回登録(81ヶ所) 累計551ヶ所 道の駅が500ヶ所を突破する
・2004年(平成16)8月9日 第20回登録(43ヶ所) 累計785ヶ所
・2007年(平成19)4月 八王子市に東京都初の道の駅「八王子滝山」の開設で、47都道府県すべてに道の駅が設置される
・2008年(平成20)4月4日 第25回登録(2ヶ所) 累計870ヶ所
・2009年(平成21)3月12日 第30回登録(13ヶ所) 累計900ヶ所
・2011年(平成23)3月3日 第35回登録(18ヶ所) 累計970ヶ所
・2013年(平成25)3月27日 第39回登録(9ヶ所) 累計1,005ヶ所 道の駅が1,000ヶ所を突破する
・2013年(平成25)10月11日 第40回登録(10ヶ所) 累計1,014ヶ所
・2014年(平成26)4月1日 道路標識、区画線及び道路標示に関する命令の改正で、道の駅への案内標識を初めて正式に定める
・2015年(平成27)1月 全国の1,040ヶ所の道の駅から90ヶ所が重点道の駅に指定される
・2016年(平成28)5月10日 第45回登録(14ヶ所) 累計1,093ヶ所
・2019年(平成31)3月19日 第50回登録(9ヶ所) 累計1,154ヶ所
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

イメージ 1

 今日は、幕末明治維新期の1868年(慶応4)に、「五箇条の御誓文」に基づき「政体書」が発布された日ですが、新暦では6月11日となります。
 政体書(せいたいしょ)は、明治新政府が発布した、明治維新当初の政治組織(政体)を規定した布告書でした。「五箇条の御誓文」の趣旨の実現を目的とし(第1条)、権力は太政官集中とするものの三権分立主義をとり(第2条)、立法官と行政官の兼職禁止(第3条)、藩士平民より人材を登用(第4条)、公儀輿論の場をつくる(第5条)、各官の任期を4年とし、2年ごとに半数を改選する(第9条)、議政、行政、神祇、会計、軍務、外国、刑法の七官を定め、地方制度は府・藩・県の三治制と定め、官位等級は一等から九等まで規定する(第13条)など15ヶ条からなっています。
 福岡孝弟(たかちか)・副島種臣(たねおみ)が、アメリカ合衆国憲法、アメリカのブリッジマン著『聯邦志略』、ホイートン著『万国公法』、あるいは福沢諭吉著『西洋事情』、日本の古典である『令義解(りょうのぎげ)』、『職原抄』。『雲上明覧』『大武鑑』など内外のものを参考として、起草しました。
 しかし、この制度は当時の国情に合わず、明治新政府の権力基盤が固められに伴って色あせ、1869年(明治2)の版籍奉還後、5月には三等官以上の選挙で輔相・議定・参与以下が選ばれたりしたものの、7月8日に新たに発布された職員令によって、太政官は二官六省体制に改められ、1年あまりで三権分立はくずれていき、官吏公選も結局1度実施されただけに終わります。
 以下に、「政体書」(慶応4年太政官達第331号)を掲載(注釈付)しておきますので、ご参照下さい。

〇「政体書」」(慶応4年太政官達第331号) 1868年(慶応4年閏4月21日)発布 同年4月27日頒布

去冬[1] 皇政維新[2]纔ニ[3]三職ヲ置キ続テ八局ヲ設ケ事務ヲ分課スト雖モ兵馬[4]倉卒[5]之間事業未タ恢弘[6]セス故ニ今般 御誓文[7]ヲ以テ目的トシ政体[8]職制被相改候ハ徒ニ変更ヲ好ムニアラス従前未定之制度規律次第ニ相立候訳ニテ更ニ前後異趣[9]ニ無之候間内外百官[10]此旨ヲ奉体[11]シ確定守持根拠スル所有テ疑惑スルナク各其職掌ヲ尽シ万民保全之道開成永続センヲ要スルナリ

慶応四年戊辰閏四月 太政官[12]

政体

一 大ニ斯国是[13]ヲ定メ制度規律ヲ建ツルハ 御誓文[7]ヲ以テ目的トス
 一 広ク会議ヲ興シ万機[14]公論[15]ニ決ス可シ
 一 上下[16]心ヲ一ニシテ盛ニ経綸[17]ヲ行フヘシ
 一 官武[18]一途庶民ニ至ルマテ各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン[19]事ヲ要ス
 一 旧来ノ陋習[20]ヲ破リ天地ノ公道[21]ニ基ク可シ
 一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ 皇基[22]ヲ振起ス可シ
 右 御誓文[7]ノ条件相行ハレ不悖[23]ヲ以テ旨趣トセリ
一 天下ノ権力総テコレヲ太政官[12]ニ帰ス則チ政令二途ニ出ルノ患無カラシム[24]太政官[12]ノ権力ヲ分ツテ立法行法司法ノ三権[25]トス則偏重ノ患無カラシムルナリ
一 立法官ハ行法官ヲ兼ヌルヲ得ス行法官ハ立法官ヲ兼ヌルヲ得ス但シ臨時都府巡察ト外国応接トノ如キ猶立法官得管之
一 親王公卿諸侯ニ非ルヨリハ其一等官ニ昇ルヲ得サル者ハ親親敬大臣ノ所以ナリ藩士庶人[26]ト雖トモ徴士[27]ノ法ヲ設ケ猶其二等官ニ至ルヲ得ル者ハ貴賢ノ所以ナリ
一 各府各藩各県[28]皆貢士[29]ヲ出シ議員トス議事ノ制ヲ立ツル者ハ輿論[30]公議[31]ヲ執ル所以ナリ
一 官等ノ制ヲ立ツルハ各其職任ノ重キヲ知リ敢テ自ラ軽ンセシメサル所以ナリ
一 僕従[32]ノ儀親王公卿諸侯ハ帯刀[33]六人小者[34]三人其以下ハ帯刀[33]二人小者[34]一人盖シ尊重ノ風ヲ除テ上下隔絶[35]ノ弊ナカラシムル所以ナリ
一 在官人私ニ自家ニ於テ他人ト政事ヲ議スル勿レ若シ抱議面謁[36]ヲ乞者アラハ之ヲ官中ニ出シ公論[15]ヲ経ヘシ
一 諸官四年ヲ以テ交代ス公選入札ノ法[37]ヲ用フヘシ但今後初度交代ノ時其一部ノ半ヲ残シ二年ヲ延シテ交代ス断続宜シキヲ得セシムルナリ若其人衆望ノ所属アツテ難去者ハ猶数年ヲ延サヽルヲ得ス
一 諸侯以下農工商各貢献ノ制ヲ立ツルハ政府ノ費ヲ補ヒ兵備ヲ厳ニシ民安ヲ保ツ所以ナリ故ニ位官ノ者亦其秩禄[38]官給[39]三十分ノ一ヲ貢スヘシ
一 各府各藩各県[28]其政令ヲ施ス亦 御誓文[7]ヲ体スヘシ唯其一方ノ制法ヲ以テ他方ヲ概スル勿レ私ニ爵位ヲ与フ勿レ私ニ通宝[40]ヲ鋳ル勿レ私ニ外国人ヲ雇フ勿レ隣藩或ハ外国ト盟約ヲ立ツル勿レ是小権ヲ以テ大権ヲ犯シ政体[8]ヲ紊ル[41]ヘカラサル所以ナリ
一 官職
  太政官[12]分為七官
○議政官 (略)
○行政官 (略)
○神祇官 (略)
○会計官 (略)
○軍務官 (略)
○外国官 (略)
○刑法官 (略)
  地方官分為三官
○府
 知府事 一人
  掌繁育[42]人民富殖[43]生産敦教化収租税督武役知賞刑[44]兼監府兵[45]
 判県事 二人
○藩
 諸侯
○県
 知県事
  掌繁育[42]人民富殖[43]生産敦教化収租税督武役知賞刑[44]兼制郷兵[46]
 判県事
一 官等 
○第一等官
 輔相
 議定
 知官事
 一等海陸軍将
○第二等官
 参與
 副知官事
 知府事
 二等海陸軍将
○第三等官 
 議長
 辨事
 判官事
 判府事
 一等知縣事
 三等海陸軍将
  以上三等官外国ニ對シ大臣ト稱ス
○第四等官 
 権辨事
 権判官事
 権判府事
 二等知縣事
○第五等官 
 史官
 知司事
 三等知縣事
 一等辨縣事
○第六等官 
 二等辨縣事
 一等譯官
○第七等官 
 書記
 三等判縣事
 判司事
 二等譯官
○第八等官 
 管掌
 守辰
 筆生
 三等譯官
○第九等官
 譯生
 使部
一 諸法制別ニ載ス
一 右諸官有司此規律ヲ守リ以テ失フナカル可シ若改革セント欲スルノ条件アラハ大会議ヲ経テ之ヲ決ス可シ

『法令全書』より

【注釈】

 [1]去冬:きょとう=去年の冬。昨冬。
 [2]皇政維新:こうせいいしん=明治維新のこと。
 [3]纔ニ:ひたたに=わずかに。ついちょっと。
 [4]兵馬:へいば=兵士と軍馬。転じて、軍備・軍隊。また、戦争。
 [5]倉卒:そうそつ=あわただしいこと。忙しくて落ち着かないこと。また、そのさま
 [6]恢弘:かいこう=事業や制度などを押し広めること。
 [7]御誓文:ごせいもん=1868年(慶応4年3月15日)に公示された「五箇条の御誓文」のこと。
 [8]政体:せいたい=政治組織。
 [9]異趣:いしゅ=普通と異なったおもむき。風変わり。
 [10]百官:ひゃっかん=数多くの役人。
 [11]奉体:ほうたい=うけたまわって、よく心にとめること。また、それを実行すること。
 [12]太政官:だじょうかん=明治維新政府の最高官庁。
 [13]国是:こくぜ=国政の基本方針。
 [14]万機:ばんき=すべての政治。国家のまつりごと。
 [15]公論:こうろん=公平な議論。
 [16]上下:じょうげ=身分の上下。
 [17]経論:けいろん=国家を治め整えること。国の政策。
 [18]官武:かんぶ=公家と武家。
 [19]倦マサラシメン:うまさらしめん=人々の気持ちを飽きさせない。
 [20]旧来ノ陋習:きゅうらいのろうしゅう=昔からの悪習。ここでは攘夷の風潮のこと。
 [21]天地ノ坑道:てんちのこうどう=世界共通の正しい道理。国際法のこと。
 [22]皇基:こうき=皇国のもとい。天皇国家の基礎。
 [23]不悖:もとらざる=道理にそむいていない。
 [24]二途ニ出ルノ患無カラシム:にとにでるのうれいなからしむ=政令が2つ以上出され、混乱する事態を除く。
 [25]立法行法司法ノ三権:りっぽうぎょうほうしほうのさんけん=立法・行政・司法の三権分立のこと。
 [26]庶人:しょじん=世間一般の人々。庶民。衆人。
 [27]朝廷または政府に召し出された人士。明治新政府に召し出された議事官。諸藩士・庶民から有能な者が選ばれ、議事所で国政の審議にあたった。
 [28]各府・各藩・各県:かくふ・かくはん・かくけん=「政体書」により9府22県273藩の3治制となり、府県には知県事・判事、藩には従来通り藩主がいた。
 [29]貢士:こうし=明治維新当初、藩主の推挙により選出され、下の議事所のち議政官下局、ついで貢士対策所に出仕した議事官。
 [30]輿論:よろん=世間の大多数の人の意見。一般市民が社会や社会的問題に対してとる態度や見解。
 [31]公議:こうぎ=おおやけに論議すること。また、多くの人が認めて支持する議論。
 [32]僕従:ぼくじゅう=めしつかい。しもべ。従僕。
 [33]帯刀:たちはき=太刀を帯びること。また、その人。
 [34]小者:こもの=武士に雇われ、雑事に使役されたもの。
 [35]隔絶:かくぜつ=かけ離れていること。遠くへだたっていること。
 [36]面謁:めんえつ=貴人に会うこと。お目にかかること。拝謁。
 [37]公選入札ノ法:こうせんにゅうさつのほう=公選制度。選挙。
 [38]秩禄:ちつろく=官等の次第によって賜る俸禄。特に、明治新政府が華族・士族に与えた家禄と賞典禄。
 [39]官給:かんきゅう=政府が金品を支給すること。また、そのもの。
 [40]通宝:つうほう=広く一般に流通する貨幣。
 [41]紊ル:みだる=ばらばらの状態にする。秩序をなくする。また、物事を平穏でなくする。
 [42]繁育:はんいく=多く育むこと。
 [43]富殖:ふしょく=ふやすこと。また、繁栄していること。
 [44]賞刑:しょうけい=恩賞と刑罰。
 [45]府兵:ふへい=明治2年に兵部省は各藩から兵士を選抜して府兵を組織して東京府の警察事務を行わせたが、その他の各地方にも府兵が置かれた。
 [46]郷兵:きょうへい=民間から募集して、その地で訓練し、守備兵にしたもの。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ