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 今日は、昭和時代中期の1960年(昭和35)に、生活保護処分に関する朝日訴訟の第一審判決が出された日です。
  朝日訴訟(あさひそしょう)は、重度の結核で国立岡山療養所に長期入院していた朝日茂が、「生活保護法」に基づく保護基準が、「日本国憲法」第25条で規定している「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(生存権)を侵害するとして、厚生大臣を訴えた行政訴訟でした。そして、この日の一審判決では原告朝日茂の全面勝訴となり、大きな社会的関心を呼びます。
 これに対し国側が控訴し、1963年(昭和38)の二審判決は、日用品費月600円はすこぶる低いが違法でないとして厚生大臣の勝訴となりました。被控訴人は、不服として上告しましたが、もなく本人が死亡し、養子の健二・君子夫妻が訴訟を承継して争います。
 しかし、1967年(昭和42)の最高裁判所判決は、「本件訴訟は上告人の死亡によって終了した」として訴訟終了を宣しただけでなく、多数意見傍論は、最低生活をどう定めるかについては厚生大臣に広範な裁量権があるとしました。これら一連の訴訟は10年にわたり、「人間裁判」と称され、その後の日本の社会保障制度のあり方にも多大な影響を与えます。
 以下に、「朝日訴訟第一審判決文」を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「朝日訴訟第一審判決文」 1960年(昭和35)10月19日東京地方裁判所民事第2部判決 

生活保護法による保護に関する不服の申立に対する裁決取消請求事件
東京地方裁判所 昭和32年(行)第63号
昭和35年10月19日 民事第2部 判決

原告 朝日茂
被告 厚生大臣

■ 主  文

 津山市社会福祉事務所長が昭和31年7月18日付で原告についてした生活保護法に基く保護の変更決定を不服とする原告の不服申立を却下した岡山県知事の決定に対する原告の不服申立につき、被告が昭和32年2月15日付でした右申立を却下する旨の裁決はこれを取り消す。
 訴訟費用は被告の負担とする。

■ 事  実

第一 原告の申立及び主張
 原告代理人は、主たる請求として主文と同旨の判決を求め、主たる請求が理由のない場合の予備的請求として、被告の主文第一項記載の裁決は無効であることを確認する、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、請求の原因として次のとおり述べた。

一 原告は、10数年前から肺結核のため国立岡山療養所に入所し、単身でかつ無収入のため生活保護法に基く医療扶助及び生活扶助を受けていたものであるが 昭和31年7月、津山市社会福祉事務所長(以下福祉事務所長という。)は、原告と35年間も離れていた原告の実兄敬一に対し、毎月金1,500円宛原告に仕送りをするよう命じたので、原告は同人から昭和31年8月以降1ケ月金1,500円の仕送りを受けることとなつたが、福祉事務所長は、昭和31年7月18日付で同年8月1日以降原告の生活扶助を廃止しかつ右仕送金月額金1,500円から日用品費として原告の消費にあてられるべき月額金600円を控除した残額月額金900円を原告の医療費の一部自己負担額として原告に負担せしめ、これを差し引いた残部について医療扶助を行う旨の保護変更決定(以下本件保護変更決定という。)をした。

二 昭和31年8月6日、原告は、本件保護変更決定を不服として岡山県知事に対し仕送りから日用品費として少くとも月額金1,000円を控除すべきことを要求して不服申立をしたが、同知事は同年11月10日これを却下する旨決定したので、原告は、同年12月3日、さらに右却下決定を不服として被告に対して不服申立をしたところ、被告は、昭和32年2月15日付で本件保護変更決定を認容して右申立を却下する旨の裁決(以下本件裁決という。)をした。

三 本件保護変更決定は次のような理由によつて違法であり、従つてこれを認容した本件裁決もまた違法である。
(一) 福祉事務所長が本件保護変更決定において原告の日用品費の控除を1カ月当り金600円にとどめたのは、被告が生活保護法第8条第1項の規定に基いて決定した、入院入所3ケ月以上の要保護患者には生活扶助による日用品費として最高額1カ月当り金600円を支給する旨の保護の基準にしたがつてその最高額をそのまま原告に認めたものであるが、右保護基準は生活保護法第8条第2項、第3条、第5条に違反するものであつて違法である。
 すなわち、生活保護法は憲法第25条の規定する理念に基いて国に国民の最低生活を具体的に保障する法律上の義務を負わしめたものである(同法第1条)が、同法第3条によれば、同法によつて保障される最低限度の生活は健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない。しかして右第3条の規定は、憲法が福祉国家をその基本理念として憲法下の多くの法制がそれを目指してうちたてられていること、生活保護法の立法経過、同法第1条、第5条の趣旨を併せ考えると単なる訓示的、方針的な規定でなく、具体的な効力規定であると解すべきものである。さらに同法第8条第2項は、被告が同条第1項に基いて定める保護の基準は要保護者の年令別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものでなければならないと規定して保護基準の決定が右の要件のもとにおける法規裁量に属することを示しているが、ここにいう「最低限度の生活」、すなわち「健康で文化的な生活水準」は、単なる生存の水準でなく、複雑な生活の基準であるから、算数的な明確さをもつて明らかにされる性質のものではないけれども、社会的、経済的な意味では客観的、一義的に存在するものというべきであるし、又それは時と場所をこえて絶対的に存在するものとまではいえず、各国の生活様式や生活水準により、あるいは年々の時代的、歴史的な発展段階に応じて相対的に決定されるものではあるが、さりとて変転常ならず一義的には決せられない性質のものではなく、特定の国の特定の時期的段階における生活状況の中ではやはり客観的、一義的に存在し、科学的、合理的に算定可能のものと考えられる。したがつてそれは年々の国家の予算額や政治的努力の如何によつて左右されるべきものでないことは当然である。しかして被告の定めた保護の基準によると、原告のように入院入所3ケ月以上の要保護患者は生活扶助として、1カ月当り金600円を最高限度とする日用品費が支給されることになつているが、1カ月当り金600円では後述の補食費を日用品費から除外するとしても、原告ら要保護患者の健康で文化的な生活の最低限度を維持するに足る費用を著しく下廻り、要保護者の年令別、性別、その他保護の種類等に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものとはいうていいえないのであるから、右基準は生活保護法第3条、第5条、第8条第2項に違背するものというべく、右基準に基いてなされた本件保護変更決定は違法である。
(二) 生活保護法第12条によれば、生活扶助は困窮のため最低限度の生活を維持することのできない者に対し、衣食その他日常生活の需要を満たすために必要なもの等について行うものとされているが、これは要するに衣食を問わず要保護者の生活必需品費を保障しようとするものである。しかして被告がその保護基準において入院入所3ケ月以上の要保護患者について生活扶助として支給することを定めている日用品費とは、要するに一般生活費の中から飲食物費、入浴費、家具什器費、水道料及び光熱費を差し引いた残りのすべてを意味するものであるから、療養所等から給付される給食によつては健康で文化的な生活を維持することができない場合にはその補食費は生活必需品費に含まれることはもちろんであるところ、原告が入所中の国立岡山療養所の給食は、被告が設定している完全給食の基準にすら達せず、又患者の趣味や嗜好を考慮に入れないで手のかからない画一的な食事を支給しており、原告のような重症患者に対してすら各人の症状、嗜好等について一々特別の注意がなされておらず、摂取不能の食事もあつて十分な栄養の補給が不可能な状況にあり、補食によつて栄養の不足分を補うことが必要不可欠となつている。ところで保護は要保護者の年令別、性別、健康状態等その個人の実際の必要の相違を考慮して有効かつ適切に行わなければならないことは前述のとおりであるが、とくに原告のように長年病臥している重症の結核患者の場合にはその栄養や嗜好に特別の考慮が払われなければならないし、ましてや本件の場合補食は原告の健康の維持、治療の促進のために必要不可欠であるのに、本件保護変更決定は日用品費として補食費を全く考慮しなかつたのであるから、この点においても本件保護変更決定が生活保護法第3条、第5条に違反することが明らかである。
(三) 仮りに、補食費は医療扶助としての病院給食の問題であつて日用品費として取り上げるべき筋合ではないとしても、生活保護法第34条第1項が規定するとおり医療扶助に現物給付によつて行うのを原則とするものの、保護の目的を達するために必要があるときは金銭給付によつて行うことができるのであるが、本件の場合原告は前述のような理由によつて栄養品、嗜好品を補食するための費用が是非とも必要なのであるから、国は原告に対し医療扶助の金銭給付という形で右補食費を支給すべき義務があるもというべく、これを考慮することなく1カ月当り金1,500円の仕送りのうち原告に日用品費として1カ月当り金600円のみを残して残額月額金900円を医療扶助の一部負担額とする旨を決定した本件保護変更決定は生活保護法第3条、第5条に違反するものといわれなければならない。

四 以上のとおり本件裁決は違法であるから、主たる請求として本訴によりその取消を求めるが、本件裁決の右違法事由はいずれも同時にその無効事由でもあるから、右主たる請求が理由のない場合には予備的請求として本件裁決の無効確認を求める。

五 なお原告が本件保護変更決定に対して不服申立をした後、兄敬一からの仕送りが月額金600円に減り、次いで全く途絶えたので原告は再び日用品費として月額金600円の支給を受けるにいたつたが、本件保護変更決定、ひいては本件裁決が違法である場合には原告としてはその救済方法として不当利得その他の直接的請求ができるわけであり、その前提として本件裁決の取消ないし無効確認を求める法律上の利益があるものというべきである。

第二 被告の申立及び主張
 被告代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、原告の主張に対する答弁及び被告の主張として次のとおり述べた。

一 原告の主張一記載の事実のうち原告が10数年前から、肺結核のため国立岡山療養所に入所し、単身でかつ無収入のため生活保護法に基く医療扶助及び生活扶助を受けていたこと、福祉事務所長が昭和31年8月1日以降原告が兄から受けた仕送月額金1,500円によつて日用品費金600円及び医療費のうち金900円を負担させ、右原告の負担部分を差し引いた残りについて医療扶助のみを行う旨の本件保護変更決定をしたことは認めるが、その余の事実は争う。同二記載の事実は認める。同五記載事実のうち原告の兄からの仕送りが月額金600円に減り、その後全く途絶えたため原告が再び日用品費の支給を受けるようになつたことは認める。

二 福祉事務所長が本件保護変更決定において原告の日用品費を月額金600円と認めたのは被告が生活保護法第8条第1項に基いて定めた保護基準(昭和28年7月1日厚生省告示第226号)による保護実施要領(昭和28年6月23日発社61号厚生次官通知、昭和28年7月9日社発415号及び昭和29年9月9日社発713号各厚生省社会局長通知)によつたものであり、これによると入院期間が引き続き3カ月をこえる要保護者であつて、給食を受けている無収入の単身者の場合には、医療扶助を受ける外生活扶助として日用品費(内訳は被服費、保健衛生費、雑費)を月額金600円の範囲内で支給することとなつていた。しかして右金額の算定は別表記載のような各品目、数量、耐用期間及び一般物価を考慮して定められた価額を根拠としてなされたものであるが、右品目、数量等は入院入所中の要保護患者において生活保護法第3条にいう「健康で文化的な生活水準」を維持することができるものであり、同法第8条第2項の保護は最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、かつこれをこえないものでなければならないとする要請にも合致する。

三 原告は、その入所中の国立岡山療養所の給食は不完全であつて原告の健康の維持、治療の促進のため補食が不可避であるのに本件保護変更決定において補食費が日用品費として考慮されなかつたのは不当であると主張するが、そもそも日用品費は入院入所患者について日用品の購入にあてるために認められるものであつて、患者がこれをその判断において日用品費以外のいかなる使途に使用する場合でもそれが日用品費の問題として顧慮される余地のないことは当然である。したがつて、本件において仮りに国立岡山療養所の給食が不完全であるとしても、それは日用品費の問題とは別個に医療扶助の一部としての給食自体について解決されるべき事柄であつて、両者を混同することは許さない。

四 仮りに補食費が必要な場合には日用品費の一部として支給すべきであるとしても、国立岡山療養所の給食は従来カロリー、蛋白質及び脂肪量においていわゆる完全給食の承認基準(昭和25年12月27日社乙発第211号厚生省社会局長通知によつて定められているもので、完全給食とは一般に患者の病状と嗜好に適応するよう必要な注意が払われ、栄養量が普通患者食において成人1日当り2,400カロリー、蛋白質80グラム、脂肪20グラム以上あり、したがつて患者の側で補食の必要がないと認められる程度の給食をいう。)を上廻るのみならず、患者の嗜好を考慮した数種類の選択食、重症患者に対する特別食、さらに医師の処方による個別食等疾病治療の目的に照らし充分な配慮に基く給食が行われており、重症者といえども医学的に、又嗜好的にもなんら補食が必要とは認められない状況にある。かような給食状況にあるにもかかわらず原告があえて補食をとつてもその補食費を日用品費として支給すべき限りでないことは当然である。なお医療施設が完全給食の承認基準に合する場合には、都道府県知事の承認を受けて入院料に1日当り3点の加算が認められることとなつているが、国立療養所においては従来診療費割引の建前から右加算の取扱は実施されていなかつた。しかし国立療養所においても給食の実質的内容は、もとより右完全給食の承認基準に添う良好な状態にあつたものである。

第三 証拠関係(省略)

■ 理  由

一 当事者間に争のない事実
 原告が肺結核のため10数年前から国立岡山療養所に入所し、単身でかつ無収入のため医療扶助及び生活扶助を受けていたこと、津山市社会福祉事務所長(福祉事務所長)が昭和31年7月18日付で原告が同年8月1日以降実兄敬一から仕送りを受けることとなつた月額金1,500円のうち金600円は原告が従来生活扶助として支給を受けていた日用品費に充当させることにして生活扶助を廃止し、残額金900円によつて原告の医療費の一部を負担させ、それ以外の医療費について医療扶助を行う旨の保護変更決定(本件保護変更決定)をしたこと、原告が昭和31年8月6日に本件保護変更決定を不服として岡山県知事に対し不服申立をしたところ、同知事は同年11月10日これを却下する旨の決定をしたこと、原告がさらに右却下決定を不服として被告に対して同年12月3日不服申立をしたところ、被告は昭和32年2月15日付で本件保護変更決定を認容して右申立を却下する旨の裁決(本件裁決)をしたことはいずれも当事者間に争のないところである。

二 訴の利益について
 本件保護変更決定があつた後当初は月額金1,500円であつた原告実兄の原告に対する仕送りが月額金600円となつたために原告が医療費一部負担を免れて再び全面的な医療扶助を受けるにいたり、さらにその後仕送りが全く途絶えたために再び生活扶助として日用品費の支給を受けるにいたつたことは当事者間に争がないが、果してそうだとすれば本件保護変更決定を認容した本件裁決の取消を求める原告の本訴主たる請求は事実上その実質的な対象を欠くにいたつたものといわなければならない。しかし、もし本件保護変更決定が無効であれば原告はその無効を前提として未支給の日用品費の請求その他の給付の請求をすることができるから、原告としては必ずしも、あらかじめ右決定の無効確認判決を得ておく必要はないのであるが、もし本件保護変更決定が単に違法であつて取り消しうるにすぎないとすれば、原告は右決定あるいはこれを認容する裁決取消の判決があつて始めて国に対し不当利得返還の請求(月額金1,5000円の仕送りがあつた間医療費の一部負担として納付させられた月額金900円について)あるいは未支給日用品費の請求(月額金1,500円ないし金600円の仕送りがあつた間支給されなかつた月額金600円の日用品費について)をすることができることとなるのであり、他方抗告訴訟の提起には訴願前置、出訴期間の制約があるから、原告としては右のような請求をするための前提としてあらかじめ本件保護変更決定あるいは本件裁決の取消判決を得ておく法律上の利益があるものといわなければならない。要するに原告の本訴主たる請求は訴の利益がある。

三 本案について
(一) 本件保護変更決定が原告実兄の原告に対する仕送月額金1,500円のうち金600円を原告の日用品費に充当させ、残額をもつて医療費の一部を負担させる内容のものであることは前述のとおり当事者間に争いがなく、その結果原告はせつかく実兄の仕送りを得るにいたつても原告自身の自由になるものには一銭も加えるところがなく、全くもとのとおりの状態であるという外形を呈するにいたつたものである。そうして福祉事務所長が右仕送額のうち原告の日用品費として月額金600円の控除を認めたのは、被告が生活保護法第8条第1項に基き入院入所期間が引き続き3カ月をこえる要保護患者に対し生活扶助として支給すべき日用品費を最高月額金600円とする旨を定めた生活保護の基準に基いてその最高額である月額金600円(その後月額金640円に増額された。)を認めたものであることもこれまた当事者間に争がない。しかしてここにいう保護の基準は、具体的には昭和28年7月1日厚生省告示第226号生活保護法による保護の基準(成立に争のない乙第1号証)に基く保護実施要領(昭和28年6月23日厚生省発社第61号厚生次官通知〔成立に争のない乙第2号証〕、昭和28年社発第415号厚生省社会局長通知〔成立に争のない乙第3号証〕)(以下右保護の基準及び保護実施要領を総括して本件保護基準という。)をいうことは原告が明らかに争わないところであるからこれを自白したものとみなすが、右保護実施要領によれば被告が保護基準として前記要保護患者の日用品費を月額金600円以内と決定するにつきその算定の根拠とされた日用品等の品目、数量及び単価は別表記載のとおりであることが明らかである。
(二) 原告は本件保護基準そのものが生活保護法第8条第2項、第3条、第5条等の規定に違反すると主張する。よつて以下この点について判断する。
 憲法第25条第1項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定し、さらに同条第2項は「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定している。これはわが旧憲法をも含めて従来諸国の憲法や権利宣言がいわゆる自由権的基本的人権の保障を主眼としたのに対し、憲法がたんにこの種の自由権的人権の保障のみに止まらず、国家権力の積極的な施策に基き国民に対し「人間に値する生存」を保障しようとしていわゆる生存権的基本的人権の保障に関して規定したものであると解せられる。いわゆる基本的人権の観念が認められて以来、18・9世紀においては国民が個人の生命・自由・幸福を追求することに対する国家権力の干渉を排除すること、とくに個人の財産権を保障することをもつて基本的人権の主要な内容となし、国家からの自由をその本質とするものと考えられていたが、20世紀にいたり単に国家の干渉からの自由を保障することは消極的意味を有するに止まり、これのみでは国民による真の生命・自由・幸福の追求の目的達成のためには不十分であり、国家権力の積極的な配慮・関与による国民の「人間に値する生存」の保障が不可欠であるという考え方が強くなつて各国憲法にも生存権、勤労の権利、勤労者の団結権、団体行動権等いわゆる生存権的基本的人権を保障する傾向を生じわが憲法も、またその流れの中にある。すなわち単に自由権的基本的人権をしかも極めて不完全にしか保障していなかつた旧憲法から一段の飛躍を遂げ、第26条に教育の権利、第27条に勤労権、第28条に勤労者の団結権、団体行動権を保障するとともに前記第25条を置いたのである。この憲法第25条第1項は国に対しすべて国民が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるように積極的な施策を講ずべき責務を課して国民の生存権を保障し、同条第2項は同条第1項の責務を遂行するために国がとるべき施策を列記したものである。(最高裁判所昭和23年9月29日大法延判決、刑集2巻10号1235頁参照)、もし国にしてこれら条項の規定するところに従いとるべき施策をとらないときはもとより、その施策として定め又は行うすべての法律命令又は処分にしてこの憲法の条規の意味するところを正しく実現するものでないときは、ひとしく本条の要請をみたさないものとの批判を免れないのみならず、もし国がこの生存権の実現に努力すべき責務に違反して生存権の実現に障害となるような行為をするときはかかる行為は無効と解しなければならない。
 生活保護法(昭和25年法律第144号)は国がまさにこの憲法第25条の明定する生存権保障の理念に基いて困窮者の生活保護制度を、同条第2項にいう社会保障の一環として、国の直接の責任において実現しようとするものであり、憲法の前記規定を現実化し、具体化したものに外ならない(同法第1条参照)。同法第2条は「すべて国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護を無差別平等に受けることができる。」と規定している。これは同法に定める保護を受ける資格をそなえる限り何人に対しても単に国の事実上の保護行為による反射的利益を享受させるにとどまらず、積極的に国に対して同法第3条の規定するような「健康で文化的な生活水準」を維持することができる最低限度の生活を保障する保護の実施を請求する権利、すなわち保護請求権を賦与することを規定したものと解すべきである。このことは、生活保護法が右のとおり憲法の理念を現実化すべき使命をになうものであり、旧法(昭和21年法律第17号)当時発足した社会保障制度審議会(昭和22年法律第266号社会保障制度審議会設置法による。)が政府に対してした生活保護制度の改善強化に関する勧告、右勧告に基いて旧法を全面的に改正した現行生活保護法の成立の沿革、昭和25年4月22日の衆議院本会議における厚生委員会委員長報告等に徴してうかがわれる生活保護法の立法趣旨によつてこれを認めることができ、さらに実定法上においても同法第64条ないし第69条が同法に基く保護の申請をして却下された場合等保護実施機関のした保護に関する処分につき不服申立を許していることはこのことを裏付けるものというべきである。したがつて、保護実施機関が現に保護を受けている者あるいは保護の開始を申請した者の保護請求権を不当に侵害するような処分をした場合においては、右処分が違法とされるのはいうまでもない。
 生活保護法第8条第1項は「保護は厚生大臣の定める基準により測定した要保護者の需要を基とし、そのうち、その者の金銭又は物品で満たすことのできない不足分を補う程度において行うものとする」と定めているが、同条第2項は、被告厚生大臣が定めるこの生活保護の基準は要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、且つこれをこえないものでなければならないと規定しているが、ここにいう「最低限度の生活」とは、同法第3条によれば「健康で文化的な生活水準」を維持することができるものでなければならない。それではここにいう「健康で文化的な生活水準」とは一体何であろうか。これが憲法第25条第1項に由来することは多言をまたないところであり、「健康で文化的な」とは決してたんなる修飾ではなく、その概念にふさわしい内実を有するものでなければならないのである。それは生活保護法がその理想を具体化した憲法第25条の規定の前述のような沿革からいつても、国民が単に辛うじて生物としての生存を維持できるという程度のものであるはずはなく、必ずや国民に「人間に値する生存」あるいは「人間としての生活」といい得るものを可能ならしめるような程度のものでなければならないことはいうまでもないであろう。もともと右のような意味においての「健康で文化的な生活水準」は学者のいう生活水準の各種の区分のいずれに属するかは争いがあり、またそれ自体各国の社会文化的発達程度、国民経済力、国民所得水準、国民の生活感情等によつて左右されるものであり、したがつてその具体的な内容は決して固定的なものではなく通常は絶えず進展向上しつつあるものであると考えられるが、それが人間としての生活の最低限度という一線を有する以上理論的には特定の国における特定の時点においては一応客観的に決定すべきものであり、またしうるものであるということができよう。
 もちろん、具体的にいかなる程度の生活水準をもつてここにいう「健康で文化的な生活水準」と解すべきかはそれが単なる数額算定の問題にとどまらず微妙な価値判断を伴うだけに甚だ困難な問題であつて、さきに指摘した諸多の要素の認識の上に立つて技術的専門的検討を要することは当然であり、それ故にこそ法はその第8条第1項において保護は厚生大臣の定める基準により測定した要保護者の需要を基とすることとして間接に最低限度の生活水準の認定を第一次的には政府の責任にゆだねているのである。しかしそれはあくまで前記憲法から由来する右法第3条第8条第2項に規定せられるところを逸脱することを得ないものであり、その意味においてはいわゆる覊束行為というべきものである。従つてこれがはたして本法に適合するかどうかは、それが争われるかぎり裁判所において判断されるべき筋合のものである。そのさいは前記諸般の事情の下に右憲法及び生活保護法の法意にてらし、結局は人間に対する健全な社会通念による理解によつて決定する外はないと思われる。最低限度の生活水準を判定するについて注意すべきことの一は、現実の国内における最低所得層、たとえば低賃金の日雇労働者、零細農漁業者等いわゆるボーダー・ラインに位する人々が現実に維持している生活水準をもつて直ちに生活保護法の保障する「健康で文化的な生活水準」に当ると解してはならないということである。蓋しこの層に属している人々は、証人末高信の証言によれば相当多数に及び、その多くは最低の所得で、労働に従事し、何年に1枚の肌着に安んじ、はだしで走りまわり、歯みがきも歯ブラシも使わず、用を便ずるにも紙をもつてし得ないというような状態を続けながらもなお一応の健康を維持して生活しているというのであるが、これらの者に直ちに生活保護を与えるべきかどうかは別問題としても、健全な社会通念をもつてしてこれらの生活が果して健康で文化的な最低生活の水準に達しているかどうかは甚だ疑わしいといわねばならないからである。その二はその時々の国の予算の配分によつて左右さるべきものではないということである。予算を潤沢にすることによつて最低限度以上の水準を保障することは立法政策としては自由であるが、最低限度の水準は決して予算の有無によつて決定されるものではなく、むしろこれを指導支配すべきものである。その意味では決して相対的ではない。そしてその三は「健康で文化的な生活水準」は国民の何人にも全的に保障されねばならないものとして観念しなければならないことである。国が生活保護の種類として医療扶助教育扶助を規定し、この両者の制度があるからといつて健康で文化的な生活を保障したと解するのは無意味であり、いかなる生活形体をとるにせよ、その生活自体が健康で文化的な生活といい得る要素をもたねばならないことは明らかである。
(三) 生活保護法第8条にいう保護の基準とは、もともと主観的で千差万別な要保護者の需要を客観的に把握、測定するための尺度に外ならない。生活保護は要保護者の年齢別、性別、健康状態等その個人又は世帯の実際の必要を考慮して有効かつ適切に行わなければならないこと、いわゆる必要則応の原則の存することは生活保護制度の趣旨からいつても当然のことであり、同法第9条の明定するところである。しかし、これは要保護者の主観的な需要をそのまま充足せしめんとするものでないことはいうまでもなく、要保護者の需要を保護基準によつて客観的に測定することはもとより何ら右規定の趣旨に反するものではない。それにもかかわらず、一般的な基準は大多数の者には妥当しても例外的な特定の個人の場合には必らずしもこれによりがたい場合が生ずることは免れないのであつて、このような場合には生活保護の実施機関は厚生大臣に対しその特定の場合に限つて適用される特別基準の設定を求めなければならない(昭和28年厚生省告示第226号、昭和25年社乙発第94号厚生省社会局長通知参照)。しかし、もし被告の設定した一般的基準そのものがその適用の対象である大多数の要保護者に対し生活保護法第8条第2項にいう最低限度の生活の需要を満たすに十分な程度、すなわち「健康で文化的な生活水準」を維持することができる程度の保護の保障に欠くるようなものであるならば右基準は同項、同法第2条、第3条等の規定に違反しひいて憲法第25条の理念をみたさないものであつて無効といわなければならない。
 本件保護基準は、入院入所中の要保護患者に対する生活扶助に関する特殊な基準であつて、一般的な生活扶助の基準とはややその性質を異にするが、それが生活保護法第8条第2項、第3条に規定される程度に達する(かつこれをこえない)ものでなければならないことはかれこれ異るところはない。そこで右基準がその適用を受ける要保護者にとつて果して最低限度の生活、すなわち「健康で文化的な生活水準」を維持することを可能ならしめるようなものであるかどうかについて考えてみよう。
 被告が入院入所引き続き3ケ月をこえる要保護患者に対して支給すべき日用品費の最高額を月額金600円と算定したのは右患者が必要とする日用品の品目、年間消費数量、単価等を別表記載のとおりと認めたことによることは前述のとおり当事者間に争がないから、右基準品目等が果して右基準の適用を受けるもの、とくに原告のような重症の結核患者の前記最低生活水準を維持するに足るものであるかどうかを順次検討する。
(1) 基準費目
 別紙記載の費目は、一般の生活扶助基準において定められている費目(昭和28年厚生省告示第226号、同年厚生省発社第61号厚生事務次官通知参照)のうち入院入所によつて不要に帰したものと思われる飲食物費、入浴費、家具什器費、水道料、光熱費等を控除したもの、すなわち入院入所中の要保護患者に必要な最低限度の生活必需品の費目として挙示されているものであるが、右費目はいちおう入院入所中の要保護患者が必要とするものと予想される生活必需品の大部分を網らしたものとしていわゆるマーケツト・バスケツト方式により定められたものであることが認められる(証人末高信、同籠山京の証言参照)。しかし、証人児島美都子、同瀬尾康夫、同中吉昭の各証言、原告本人尋問の結果と証人沢田栄一の証言によつて成立を認めうる甲第16号証、第17号証の1ないし15、第27号証をあわせて別表記載の費目を詳細に検討してみると、入院入所中の患者にとり現実に必要不可欠なものとして多くの患者が要求するものは右費目以外に修養娯楽費、ペン、インク、ノート、箸、男性の場合のクシ、カミソリ、クリーム又はメンソレ、女性の場合のパーマ代等である。これらのうちとくに修養娯楽費についていうならば、病気の効果的な治療に患者の精神的心理的要素が重大な関係を有することは周知の事実であり、とくに長期に亘つて療養を続ける患者にとつては宗教書その他の精神的修養に関する書物を読んだり、文化的サークル活動に参加したり、あるいは適切な娯楽を得ることによつて単調な長期療養生活に耐えうるための精神的支柱を見出すことが必要不可欠であるということができる。いわんや自己を高めもしくは他日の社会復帰にそなえて相当の知識教養を身につけようとしてもラジオのテキスト代にも事欠く状態であつて、全くこれに割くべき費用の余裕はない。修養娯楽費以外に指摘した右各費目も女性のパーマ代はあるいはなお不可欠といいがたいとしてもその余はいずれも病院や療養所における療養生活の実状からいつて決してぜいたくなものではなくやはり必要不可欠というべきものである。本件保護基準が右費目を全く考慮に入れていないのは不当である。なお別表記載の基準費目に寝具及び寝巻、敷布等肌衣以外の被服の費目がないのはこれらのものは必要に応じて生活扶助の一時支給として現物で支給され得ることになつている(昭和27年4月9日社乙発第60号厚生省社会局長通知参照)ためであると解せられるが、寝巻、敷布、枕カバーなどは常時臥床を余儀なくされ、かつ長期に及ぶ入院患者にとつて必要不可欠であるのはもちろん、その消耗度は通常の比ではないことはみやすいところであり、証人瀬尾康夫、同佐藤市郎の証言によれば右一時支給の手続は煩雑なため速かに需要に応じにくく、現実にはほとんど有名無実の状態にあり多くの要保護患者達は所内で死亡した人の遺品をもらつてわずかにその用にあてるというような実状にあることがうかがわれる。従つてこれもまたたんに行政措置の便宜に止めず一般的に基準費目として認めた上これを需要に応じて支給しうるものとするのでなければその最低限度の必要をみたすものといいがたいとしなければならない。
(2) 基準消費数量
 別表記載の年間消費数量は、2、3の費目に関するものを除き同表記載の費目につき入院入所中の要保護患者が最少限度必要とする数量を大体において満たしていると認められるが、前記甲第27号証の記載、証人児島美都子、同沢田栄一、同瀬尾康夫、同佐藤市郎、同中吉昭の各証言、原告本人尋問の結果を参考にして右数量を詳細に検討してみると、まず衣類の中で肌着が2年に1着、パンツ(又はズロース)が1年に1枚とされているのは常識的にいつても入院患者の実状からみてこれで最低限度の需要を満たしているとは到底考えられないし、又チリ紙も重症の結核患者のようにその需要のとくに多い患者にとつて1カ月1束ではいかに節約してもなお不足することが明らかであり、通信のための1カ月葉書2枚、10円切手1枚、封筒1枚は余り少きに失しているものと認められる。
(3) 基準単価
 証人高橋八郎、同平尾正彦の各証言、前掲甲第27号証、成立に争のない甲第55号証、第62号証、乙第9、第10号証と検証の結果によると、別表記載の基準費目の各単価は右基準の定められた昭和28年度の消費者物価指数が111.9(昭和26年度を100とする。)であるに比し、本件保護変更決定のなされた昭和31年度のそれが118.4であるにかかわらず(右事実は甲第19号により認める。)、入院入所中の要保護患者が生活必需品の購入に病院や療養所の福祉施設の売店(通常一般小売店よりも1、2割程度廉価である。)を利用すれば本件保護変更決定があつた当時において大部分適正な単価であつたと認められるが、理髪料の1回金60円は福祉施設の理髪室を利用しても単に散髪料程度に当るのみで洗髪料(国立岡山療養所の場合は金20円)、重症患者の場合に必要な病室出張代(同療養所の場合は金10円)は通常これによつて賄えないことが認められるので安きにすぎるものといわなければならない。
(四) いわゆる日用品費として給付せられる金額がいちおう別表の如き品目数量のものによつて構成されることは前記のとおりであるが、給付を受ける要保護者においてこれをいかなる用途に費消するかはもとよりその自由でなんら拘束されるものではなく、患者が自己の判断においてその真に必要とするものにこれを用い得るわけで一般通常の生活扶助においてはその給付される全体金額の範囲内でその融通の可能性は比較的大きいが、本件原告の如く単身者で医療扶助と生活扶助の併給を受ける者の場合の日用品費はその金額の範囲がより制約されているのみならず、もともとこれら基準品目はそのいずれもが不可欠のものである上に前項に詳述したとおり結局において入院入所中の要保護患者にとつて日用品として不可欠なものを2、3欠き、同じく基準消費数量は一部に不足するものがあり、しかも基準単価についても一部に安きにすぎるものがあるのであるから、これを各費目相互の流用や費目外への費消によつてその需要をみたすことはとうてい不可能であつて、結局本件保護基準が入院入所引き続き3カ月以上の要保護患者につき日用品費の最高月額を金600円と定めたのは右患者の最低限度の需要に即応するとはいいがたいとしなければならない。現に証人児島美都子、同沢田栄一、同瀬尾康夫、同佐藤市郎、同中吉昭、同小野超三の各証言、原告本人尋問の結果、前掲甲第16号証、第17号証の1ないし15、第27号証、証人中吉昭の証言により成立を認めうる甲第48号証によると、1ケ月金600円(現在は金640円)の日用品費の支給を受ける(月額金600円は最高額であるが、実際には殆んど例外なく同額を支給されている。)入院入所中の要保護患者の大多数の者は右支給額以上の金員を生活必需品の購入費その他として費消しており、その差額はアルバイトによる収入、友人や親類の見舞金、社会事業団体の見舞金、療友のカンパ、患者自治会からの借入、医療費一部負担金の滞納(但し医療費の一部扶助を受けている要保護患者の場合に限る。)その他によつて辛うじて埋め合わせているのが実状であることがうかがわれる。又証人今村保、同市村丑雄、同田中英夫の各証言によると、国立療養所に入所中の要保護患者に月額金600円以上の収入があつて医療費の一部負担義務を負わされている場合には、国立療養所長が国立療養所入所規程(昭和26年厚生省告示第217号)第5条、国立療養所入所費等取扱細則(昭和26年医発第632号厚生省医務局長通達)第1条、第3条を適用して患者の一部負担金につき療養費軽費の措置をとることによつて当該患者の日用品費を実質的に増額することが少くなかつたこと、しかも生活保護法による保護を受けている入所患者については本来右規定の適用のないものであるにもかかわらずなお右措置をとらざるを得なかつたことがうかがわれ、証人田中英夫の証言と成立に争のない甲第53号証によると原告についても国立岡山療養所長は軽費審議会の議を経て月額金900円の医療費一部負担金につき軽費の措置をとつたこと、本来違法な右措置を当局がその違法を知つていたかどうかは別としてもあえてとらざるを得なかつたのは一に「人間としての同情」に出でたものとされることが認められる。これらの事実は、いずれも最高月額金600円の日用品費が入院入所中の要保護患者にとつて最低限度の必要額にも不足していることを裏書しているものということができよう。これを要するに、本件保護基準は要保護患者につきさきに述べたような趣旨においての「健康で文化的な生活水準」を維持することができる程度のものとはいいがたいものとせざるを得ない。それがいくらでなければならないかはここで決定することは必要でなく、また相当でもない。しかし右のような生活水準を維持するに足りないという限度で、それは生活保護法第8条第2項、第3条に違反するものといわざるをえない。してみればこのような保護基準に基き原告に対し本来原告の所得に帰した金員中日用品費として月額金600円のみを手元に残すことを認め、これだけを控除した仕送りの残額(月額金900円)によつて医療費の一部負担を命じた本件保護変更決定はそれだけですでに違法ということができる。
(五) ところで原告は、福祉事務所長が本件保護変更決定をするにあたつて原告の補食費を全く認めなかつたのは違法であると主張し、本件における立証の努力の相当量をこの補食費の必要性に置いているのでさらにこの点についても判断を加えておく。まず原告は日用品費の一部として補食費を支給すべきであると主張するが、生活保護法第52条第1項は、指定医療機関の診療方針及び診療報酬は社会保険の例によるものとしており、他方社会保険においては当該医療機関に対する入院料は右医療機関が患者の治療と給食を行うことを要件として支払われるのであるから、右医療機関の要保護患者に対する給食は医療扶助の原則的形態である医療の現物給付(生活保護法第34条第2項参照)として保護実施機関の委託に基き行われるものであり、したがつてもし特定の指定医療機関の行う給食が不十分なものであるが故に補食が必要とされるものであるとすれば、それはとりも直さず医療扶助に不十分なものがあることに帰することはたてまえとしては否定し得ないところである。ただその原因としては当該医療機関の給食事務処理の方法に何らかの欠陥があるためである場合もあろうし、あるいはもともと右医療機関が受領する給食費が十分な給食を行うに足りないためであることも考えられるが、原因が何であるにしても、医療扶助の内容に不足があるものである以上、その是正はいずれにしても本来は医療扶助の問題として当該内容の改善によつて解決をはかるべき筋合であつて、要保護患者の補食費をなんらかの形においても金銭として給付することにより解決をはかるべきものではない。しかし給食そのものについていかなる改善をほどこし、間然するところなからしめたにせよ、なおかつ補食が不可避であるとすれば、事はもはや医療扶助の一内容としての給食改善の問題を超えて人間性に根ざす直接の需要としてこれを考察しなければならない。事実昭和22年頃から昭和25年までは過渡的措置として生活保護法により病院又は療養所に収容中の患者に対して補食費が生活扶助として支給できるものとされていた(昭和22年社乙発第1,682号厚生省社会局長通知)が、昭和25年5月にいたり厚生省社会局長の通知によつて入院料は給食費を含むので補食費の支給は二重の支出となるとの理由で右措置は廃止された(昭和25年社乙発第71号厚生省社会局長通知、成立に争のない甲第21号証)経緯はこの間の消息を暗示するものがある。
 この場合、生活保護法第34条第1項によると医療扶助は現物給付によつて行うことを原則とはしているものの、例外的に現物給付によることができないとき、これによることが適当でないとき、その他保護の目的を達するために必要があるときには金銭給付によつてこれを行うことができるものとされているから、補食費を生活扶助(日用品費)として要保護患者に支給することが立て前として認められない以上、被食が不可避の場合にはまずもつて補食費として一定の金額を医療扶助の一環として支給し、あるいは医療費一部負担の被保護者の場合には補食費相当額を負担額から控除することは法律上必ずしも不可能ではないと考えなければならない。
 そもそも特定の患者の治療にどのような内容の給食が最低限度必要であるかは医学、栄養学等いろいろな専門的研究の結果に基いて判断されるべき問題で、その具体的な判定は甚だ困難である。まず特定の病気の治療上どの程度の栄養量が要求されるかの問題があり、さらにその数値が算定されて必要な栄養量を含む給食が患者に提供されても患者がその栄養量を現実に摂取しうるかどうかは別問題である。いかに栄養価に富む給食であろうともそれが事実上患者にとつて摂取不能のものであつては何にもならない。給食を患者にとつて摂取しやすくするためには、感じのよい食器を使用したり、温食冷食を確保したり、盛付を美しくしたりするなどいろいろの考慮が必要であるが、なかんずく最も重要なことは個々の患者の嗜好あるいは症状にできる限り即応することによつてすべての、あるいは大多数の患者が少くとも治療に必要な最少限度の栄養量を摂取できるよう十分な配慮をすることであろう。しかし、病院あるいは療養所における給食は、現実において予算のわくにしばられ、材料費のほか人件費、物件費も拘束があり、しかも多数の患者を対象とするいわゆる集団給食であるために、患者の嗜好に副うといつてもそこに自ら制約があるのは当然である。極端な言い方をすれば各患者のそれぞれの嗜好に応じて個々に内容の異なる食事を提供するのが最も理想的というべきであろうが、これは前述のような条件のもとで集団給食を行つている病院や療養所の現状では事実上不可能である。しかし、必ずしもかような理想的な形をとらなくとも個々の患者の嗜好の略最大公約数をとることによつて各患者の嗜好にできる限り応じつつしかも治療に必要な最少限度の栄養量を確保することは決して不可能ではない。ただこの場合個々の患者の嗜好に完全に副うということは期待できないから全般的にはある程度の摂取不能のもの(残飯)が残ることは十分予想されるので、給食に盛り込むべき栄養量の計算はこのことを考慮に入れた上で行う必要がある。さらに病気の症状によつては食事の摂取・吸収能力が減退する場合があるので、かような症状を有する患者に対しては一般患者の給食よりも摂取・吸収しやすい給食を行わなければならない。又医療機関において右のような給食上の配慮を十分に尽くした場合であつてもなお極度の食慾不振等のため与えられた給食によつては治療に最少限度必要な栄養量を摂取できない少数の患者がいぜんとして残るであろうことは容易に予想されるが、医療機関はかような患者に対しては食慾増進剤や栄養剤を投与するなどの臨床的措置を講ずる外はなく、かかる例外的な場合まで考慮に入れて給食の内容を決定すべき限りではない。かくして医療機関において与えられた条件の中で尽すべき最善を尽したとしても、それはしよせん集団給食である。甲第6号証により認め得る国立療養所清瀬病院島村喜久治院長の表現をもつてすれば、「個性扶殺の制服料理」である。人間に嗜好があり、各人に事情の緩急がある限り、かかる給食のすべてがなんびとにも余すところなく受け入れられることは期待しがたく、これを反面からいえばその部分については患者の補食は不可避といわざるを得ない。
 証人佐藤章、同大塚靖子、同市村丑雄、同上田忠一の各証言、成立に争のない甲第7号証、乙第5ないし第7号証を綜合すると、昭和31年当時における国立岡山療養所の入所患者1人当りの給食費は1日当り金149円50銭、そのうち材料費は1日当り金96円10銭であつたこと、(この給食材料費の単価は当時国立療養所一般に与えられた予算によつて定められていたが、その算定の基準は昭和24年に定められた58円17銭の数字に物価指数を機械的に乗じたものでそれ自体時代のずれのあるものである。)同療養所は当時原則として患者による補食を認めない方針をとり、給食だけで治療上必要な栄養量を確保する方針のもとに患者の嗜好及び症状にできる限り応ずるため、まず給食の種類を2つに分けて普通食と特別食とし、前者に一般患者を対象とする常食常菜、消化不良の者を対象とする軟食軟菜の2つの区別を設け、常食にも一般的な普通食(1食米150グラム)、少食の者及び食慾不振の者を対象とする半減食(1食米90グラム)、食慾旺盛な者を対象とする大盛食(1食米170グラム)の3つの段階を作つて適宜選択せしめ、特別食としてはまず重症患者を対象とする重症食を設けて2種類の副食の選択の余地を残し、手術後2週間内の患者に対しては3種類の献立を自由に選択できる手術食を、胃腸病の患者に対しては各症状に応じて流動食、かゆ食をそれぞれ支給し、さらに糖尿病、腎臓病、肝臓病、貧血等特別の食餌療法の必要な症状を有する患者に対しては担当医師の食事せんに基く各治療食を支給しており、なおいずれの給食においても米食に代えてパン食、ウドン食(但し昼食のみ)を選択することも自由とされていたこと、副食の料理法はなるべく変化を持たせ、その他給食を患者に摂取しやすいものとするために相当の努力をしていたこと、献立表から計算される普通食の栄養量はいわゆる完全給食の承認基準(昭和25年社乙発第211号厚生省社会局長通知)において定められている成人1日につき2,400カロリー以上、蛋白質80グラム、脂肪20グラム以上という基準量を上廻つていたことを認めることができる。右の認定事実を綜合すると昭和31年当時国立岡山療養所の給食は患者において少くともその大部分を摂取すれば少くともいわゆる完全給食の承認基準として定められている栄養量はこれを十分確保しえたことがうかがわれ、証人原実、同長嶺晋吉の各証言によると、右基準栄養(カロリー、蛋白質、脂肪)量は医学上、栄養学上の証明は困難であるとしても一般的にいつて結核の治療に必要な最少限度の栄養量を一応満たしているものと解しても差仕えないものと思われ、総じその全体の配慮、運営は概して良好であつたと解して差しつかえなく、当裁判所検証の結果によつてもこれを推測するに足る。しかし、国立岡山療養所の給食が前記完全給食承認基準に定められていないカロリー、蛋白質、脂肪以外の栄養素、たとえばカルシウム、ビタミン類については、それが一般に認められる必要量を確保しているかどうかは右証言及び前掲乙第6、第7号証に照らしてやや疑問であり、それはおくとしても証人中吉昭の証言によつて成立を認めうる甲第44号証、証人小野超三の証言によつて成立を認めうる甲第59号証によつて認められるように、国立岡山療養所においては患者の給食摂取率は平均して7割ないし8割程度にとどまつている(但し摂取率といつても右各書証にあらわされている統計は実際に摂取可能のもので食べ残されたものをいちいち計量して摂取したものとの割合を求めたものではなく目測にたよつたものであるから必ずしも正確を期しがたい)ことからみると、前述のような療養所側の種々な配慮にもかかわらず果して当時現実に給食だけで(すなわち補食をしないでも)入所患者の大多数にとつて治療上必要な最少限度の栄養量を摂取できる状況にあつたかどうかは疑問なきを得ない。もつとも給食の摂取率が完全でないといつても、その原因にはいろいろあると考えられその解明は必ずしも容易ではないが、とくに国立岡山療養所の場合には検証の結果によつて認められるように炊事場から配膳室、病室までの間に長いしかも傾斜を持つた廊下が連つているために自然給食が運搬中に冷却し、そのために味覚が落ちて摂取しにくくなることも一つの原因となつているのではないかと考えられる。また要保護患者以外の一部の患者が自己の嗜好に応じて必要以上の補食をすることが原因の一つとなつているのではないかという疑いもないではないが、前掲甲第59号証によると要保護患者とそれ以外の患者との間に給食摂取率の差異が殆んど認められないので仮りに右のようなことが原因の一つとなつているとしても、とくに問題として取り上げるべき程重大なものとは考えられない。かように1、2の原因は考えられるけれども、前述のような療養所側のあらゆる配慮にもかかわらず給食の摂取率が完全でないことの最大の理由はやはり現実に支給される給食が結局において一部の患者の嗜好や症状に副いえないためであると考えざるを得ない。この結果は成立に争ない甲第12号証、同第17号証の1ないし15、証人沢田栄一の証言により成立を認めるべき甲第13ないし第16号証、第28、第29号証、証人児島美都子の証言により成立を認めるべき甲第31号証の各記載、右証人沢田栄一、児島美都子、五十嵐正治、米山忠治の各証言をあわせて認め得べき全国各地の病院、療養所における入院入所者の状況とおおむね一致している。とにかく患者が現実に支給される給食によつてはその理由が何であるにせよ少くとも自己の治療に最低限度必要な栄養量を確保する程度摂取することが不可能であるとすれば、当該患者としては不足する栄養量の摂取を給食外、すなわち補食に求めざるをえないわけである。前記各証拠によれば一般にこの種の補食は果物、卵、バター、牛乳等栄養価の高いものが圧倒的多数を占めていることがうかがわれ、もつてそれが必要であるゆえんを裏書きするとともに証人児島美都子の証言と前記甲第31号証の記載によれば同人がケースワーカーとしてかつてある病院について調べたところでは補食費の小遣中に占める割合は平均55パーセントであるが、小遣の金額が減少すれば補食費の率は上昇するのであつて、これ補食費が一定限度において不可避であることを示す1事例といい得よう。そこで原告の場合についてみるに、証人上田ヒサヨ、同岡本玉樹、同市村丑雄の各証言と原告本人尋問の結果によれば原告は結核のため昭和17年国立岡山療養所の前身光風園に入院し爾来引き続き療養中であり、その間病状は一進一退を重ねたが昭和31年当時は重症の肺結核症状(安静度1度ない2度)にあり、微熱、血痰もあつて食慾がすぐれないために給食の摂取率は平均して2分の1ないし3分の2程度にすぎなかつたことが認められるので、必要栄養量の比較的少い重症者であることを考慮に入れてもなお治療上最低限度必要な栄養量を現実に支給された給食だけで確保できたかどうかは非常に疑問であり、他面右証拠によると原告は友人、同窓生、元患者の見舞金や他人のラジオの管理に対する謝礼金等の臨時収入によつて卵、干物、野菜その他の食品を補食として摂取していたことが認められる。かれこれ考え併せると原告にとつて当時現実に支給された給食を前提とする限りある程度の補食は治療上必要不可欠であつたと考えられるのである。しかのみならず補食の必要性はたんに患者の栄養確保という観点からだけ判断さるべきものにとどまらない。原告のように非常に長期に亘つて結核療養を続けている者にとつて精神的心理的な要素がその効果的な治療上極めて重要な役割を果すことは前にも触れたとおりであるが、単調な療養者の生活の中で非常に大きな比重を占める食生活においてもこの点について十分考慮を払う必要があるのは当然である。重症の患者が好物の果物を少量ずつでも口にすれば食慾も著しくすすんで給食が食べやすくなるというような場合もあろうし、又僅かなものであつても時に応じて自分の好物を口にすることによりある程度の精神的、心理的満足を与えられる場合も考えられる。原告自身はその本人尋問おいてこれを「潤滑油として」と表現している。かような場合において患者に最少限度の嗜好物を与えることは決してぜいたくでないどころか、往々にして治療上不可欠とさえいうことができる場合もある。もちろんこの面でも多彩な個人差があると考えられるが、一般的にいつて各人の嗜好品のある程度の摂取が少くとも長期療養者の効果的な治療のために不可欠ないし極めて有益であるということは言いすぎでないであろう。果してそうだとすれば、本来ならばそれは給食の一部として支給さるべきものであると考えられる。しかし、各人の嗜好物は千差万別であつてこれを医療機関が現物で給付することは甚だ困難であるから、結局は患者各自が自らその選択によつて入手し摂取する外はない。
 以上のとおりであるから、いずれの意味においても医療扶助により医療機関に収容されている要保護患者がかような補食のための購入費を必要とすることは明らかであり、それがいくばくでなければならないかはここで決定する必要はなく、また相当でもないがその所要金額を医療扶助の金銭給付として必要最少限度と認められる範囲内で支給し、あるいは医療費一部負担の要保護患者には右費用の控除を認めることはその最低限度の生活の需要をこえないのみか、正に要保護患者の健康状態その他個人又は世帯の実際の必要の相違を考慮して保護を有効かつ適切に行うべきことを要求している生活保護法第9条の規定の趣旨にかない、要保護患者の同法第3条にいう「健康で文化的な生活水準」を維持するための措置といわなければならない。しかして原告は前記認定のとおり10数年来の長期結核療養者であり、しかも安静度1度ないし2度の一進一退の症状で微熱や血痰もあるため食慾もすぐれず給食の摂取も思うにまかせないという療養生活を送つていたのであるから、右に述べたような趣旨において最少限度の嗜好品費を補食費の一部として医療費一部負担金から控除することは原告の「健康で文化的な生活水準」を維持するために必要不可欠であつたと認められる。
 したがつて、福祉事務所長が本件保護変更決定により原告に対し前述仕送月額金1,500円から原告の日用品費として金600円を控除した残月額金900円をすべて原告の医療費の一部として負担すべきことを命じ、補食費の控除を全く認めなかつたのは、結局において生活保護法第2条、第3条、第8条に違反する違法な措置といわなければならない。
(六) 以上のとおりであつて本件保護変更決定はいずれにしても違法といわなければならないからこれを是認した被告の本件裁決もまた違法であつて、その取消を求める原告の本訴主たる請求は理由があるからこれを認容すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第89条を適用して主文のとおり判決する。

  (裁判官 浅沼武 菅野啓蔵 小中信幸)

別表(省略)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1899年(明治32)彫刻家山本豊市の誕生日詳細
1929年(昭和4)東京の日比谷公園に日比谷公会堂(当時東洋一の規模)が開場する詳細
1956年(昭和31)日本とソビエト連邦が、「日ソ共同宣言」に調印する詳細
2018年(平成30)ノーベル化学賞受賞者・有機化学者・海洋生物学者下村脩の命日詳細