ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

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 今日は、大正時代の1926年(大正15)に、東京放送局・大阪放送局・名古屋放送局が統合され、社団法人日本放送協会が設立された日です。
 日本放送協会は、日本で唯一の公共放送を担う事業者で、略称を「NHK(エヌ・エイチ・ケイ)」と呼んでいます。
 1925年(大正14)3月22日、社団法人東京放送局が仮放送を開始し、同年中に大阪、名古屋も開局しましたが、1926年(大正15)8月6日、3局が一本化して社団法人日本放送協会が設立されました。
 その後、日本各地に放送局が設立されて、全国でラジオ放送が聞けるようになっていきます。しかし、戦時下での国家統制により、銃後を担う宣伝媒体ともされました。
 戦後は、連合国軍総司令部(GHQ)の管理下に置かれ、放送制度改革が進めらます。そして、1950年(昭和25)6月に制定された「放送法」により、特殊法人として再出発することになりました。
 1953年(昭和28)2月から日本初のテレビ本放送を開始し、1957年12月からはFM実験放送を開始、1959年1月には教育テレビを開局します。1960年(昭和35)9月には、カラーテレビ本放送も始まり、1987年(昭和62)から衛星放送を開始しました。さらに、2000年(平成12)に衛星デジタルテレビ放送を始め、2003年(平成15)には、地上デジタルテレビ放送も開始されます。
 現在、国内放送では、<ラジオ>NHKラジオ第1放送、NHKラジオ第2放送、<テレビ>NHK-FM放送、NHK総合テレビジョン、NHKEテレ、NHK BS1、NHK BSプレミアム 、海外放送では、NHKワールド・ラジオ日本、NHKワールドTV(英語放送専門)、NHKワールドプレミアム(日本語放送専門)が放映されているのです。
 以下に、日本放送協会(NHK)の設立根拠となっている「放送法」の一部を掲載しておきます。

〇「放送法」(抄文) <昭和25年5月2日法律第132号> 最終改正:平成27年5月22日法律第26号

   第一章 総則

(目的)
第一条  この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一  放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二  放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三  放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

(定義)
第二条  この法律及びこの法律に基づく命令の規定の解釈に関しては、次の定義に従うものとする。
一  「放送」とは、公衆によつて直接受信されることを目的とする電気通信(電気通信事業法 (昭和五十九年法律第八十六号)第二条第一号 に規定する電気通信をいう。)の送信(他人の電気通信設備(同条第二号 に規定する電気通信設備をいう。以下同じ。)を用いて行われるものを含む。)をいう。
二  「基幹放送」とは、電波法 (昭和二十五年法律第百三十一号)の規定により放送をする無線局に専ら又は優先的に割り当てられるものとされた周波数の電波を使用する放送をいう。
三  「一般放送」とは、基幹放送以外の放送をいう。
四  「国内放送」とは、国内において受信されることを目的とする放送をいう。
五  「国際放送」とは、外国において受信されることを目的とする放送であつて、中継国際放送及び協会国際衛星放送以外のものをいう。
六  「邦人向け国際放送」とは、国際放送のうち、邦人向けの放送番組の放送をするものをいう。
七  「外国人向け国際放送」とは、国際放送のうち、外国人向けの放送番組の放送をするものをいう。
八  「中継国際放送」とは、外国放送事業者(外国において放送事業を行う者をいう。以下同じ。)により外国において受信されることを目的として国内の放送局を用いて行われる放送をいう。
九  「協会国際衛星放送」とは、日本放送協会(以下「協会」という。)により外国において受信されることを目的として基幹放送局(基幹放送をする無線局をいう。以下同じ。)又は外国の放送局を用いて行われる放送(人工衛星の放送局を用いて行われるものに限る。)をいう。
十  「邦人向け協会国際衛星放送」とは、協会国際衛星放送のうち、邦人向けの放送番組の放送をするものをいう。
十一  「外国人向け協会国際衛星放送」とは、協会国際衛星放送のうち、外国人向けの放送番組の放送をするものをいう。
十二  「内外放送」とは、国内及び外国において受信されることを目的とする放送をいう。
十三  「衛星基幹放送」とは、人工衛星の放送局を用いて行われる基幹放送をいう。
十四  「移動受信用地上基幹放送」とは、自動車その他の陸上を移動するものに設置して使用し、又は携帯して使用するための受信設備により受信されることを目的とする基幹放送であつて、衛星基幹放送以外のものをいう。
十五  「地上基幹放送」とは、基幹放送であつて、衛星基幹放送及び移動受信用地上基幹放送以外のものをいう。
十六  「中波放送」とは、五百二十六・五キロヘルツから千六百六・五キロヘルツまでの周波数を使用して音声その他の音響を送る放送をいう。
十七  「超短波放送」とは、三十メガヘルツを超える周波数を使用して音声その他の音響を送る放送(文字、図形その他の影像又は信号を併せ送るものを含む。)であつて、テレビジョン放送に該当せず、かつ、他の放送の電波に重畳して行う放送でないものをいう。
十八  「テレビジョン放送」とは、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像及びこれに伴う音声その他の音響を送る放送(文字、図形その他の影像(音声その他の音響を伴うものを含む。)又は信号を併せ送るものを含む。)をいう。
十九  「多重放送」とは、超短波放送又はテレビジョン放送の電波に重畳して、音声その他の音響、文字、図形その他の影像又は信号を送る放送であつて、超短波放送又はテレビジョン放送に該当しないものをいう。
二十  「放送局」とは、放送をする無線局をいう。
二十一  「認定基幹放送事業者」とは、第九十三条第一項の認定を受けた者をいう。
二十二  「特定地上基幹放送事業者」とは、電波法 の規定により自己の地上基幹放送の業務に用いる放送局(以下「特定地上基幹放送局」という。)の免許を受けた者をいう。
二十三  「基幹放送事業者」とは、認定基幹放送事業者及び特定地上基幹放送事業者をいう。
二十四  「基幹放送局提供事業者」とは、電波法 の規定により基幹放送局の免許を受けた者であつて、当該基幹放送局の無線設備及びその他の電気通信設備のうち総務省令で定めるものの総体(以下「基幹放送局設備」という。)を認定基幹放送事業者の基幹放送の業務の用に供するものをいう。
二十五  「一般放送事業者」とは、第百二十六条第一項の登録を受けた者及び第百三十三条第一項の規定による届出をした者をいう。
二十六  「放送事業者」とは、基幹放送事業者及び一般放送事業者をいう。
二十七  「認定放送持株会社」とは、第百五十九条第一項の認定を受けた会社又は同項の認定を受けて設立された会社をいう。
二十八  「放送番組」とは、放送をする事項の種類、内容、分量及び配列をいう。
二十九  「教育番組」とは、学校教育又は社会教育のための放送の放送番組をいう。
三十  「教養番組」とは、教育番組以外の放送番組であつて、国民の一般的教養の向上を直接の目的とするものをいう。
三十一  「特定役員」とは、法人又は団体の役員のうち、当該法人又は団体の業務の執行に対し相当程度の影響力を有する者として総務省令で定めるものをいう。
三十二  「支配関係」とは、次のいずれかに該当する関係をいう。
イ 一の者及び当該一の者の子会社(第百五十八条第一項に規定する子会社をいう。)その他当該一の者と総務省令で定める特別の関係にある者が有する法人又は団体の議決権の数の当該法人又は団体の議決権の総数に占める割合が十分の一以上三分の一以下の範囲内で総務省令で定める割合を超える場合における当該一の者と当該法人又は団体の関係
ロ 一の法人又は団体の特定役員で他の法人又は団体の特定役員の地位を兼ねる者の数の当該他の法人又は団体の特定役員の総数に占める割合が五分の一以上三分の一以下の範囲内で総務省令で定める割合を超える場合における当該一の法人又は団体と当該他の法人又は団体との関係
ハ イ及びロに掲げるもののほか、一の者が株式の所有、役員の兼任その他の事由を通じて法人又は団体の経営を実質的に支配することが可能となる関係にあるものとして総務省令で定める場合における当該一の者と当該法人又は団体の関係

   第二章 放送番組の編集等に関する通則

(放送番組編集の自由)
第三条  放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

(国内放送等の放送番組の編集等)
第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
2  放送事業者は、テレビジョン放送による国内放送等の放送番組の編集に当たつては、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を視覚障害者に対して説明するための音声その他の音響を聴くことができる放送番組及び音声その他の音響を聴覚障害者に対して説明するための文字又は図形を見ることができる放送番組をできる限り多く設けるようにしなければならない。

(番組基準)
第五条  放送事業者は、放送番組の種別(教養番組、教育番組、報道番組、娯楽番組等の区分をいう。以下同じ。)及び放送の対象とする者に応じて放送番組の編集の基準(以下「番組基準」という。)を定め、これに従つて放送番組の編集をしなければならない。
2  放送事業者は、国内放送等について前項の規定により番組基準を定めた場合には、総務省令で定めるところにより、これを公表しなければならない。これを変更した場合も、同様とする。

(放送番組審議機関)
第六条  放送事業者は、放送番組の適正を図るため、放送番組審議機関(以下「審議機関」という。)を置くものとする。
2  審議機関は、放送事業者の諮問に応じ、放送番組の適正を図るため必要な事項を審議するほか、これに関し、放送事業者に対して意見を述べることができる。
3  放送事業者は、番組基準及び放送番組の編集に関する基本計画を定め、又はこれを変更しようとするときは、審議機関に諮問しなければならない。
4  放送事業者は、審議機関が第二項の規定により諮問に応じて答申し、又は意見を述べた事項があるときは、これを尊重して必要な措置をしなければならない。
5  放送事業者は、総務省令で定めるところにより、次の各号に掲げる事項を審議機関に報告しなければならない。
一  前項の規定により講じた措置の内容
二  第九条第一項の規定による訂正又は取消しの放送の実施状況
三  放送番組に関して申出のあつた苦情その他の意見の概要
6  放送事業者は、審議機関からの答申又は意見を放送番組に反映させるようにするため審議機関の機能の活用に努めるとともに、総務省令で定めるところにより、次の各号に掲げる事項を公表しなければならない。
一  審議機関が放送事業者の諮問に応じてした答申又は放送事業者に対して述べた意見の内容その他審議機関の議事の概要
二  第四項の規定により講じた措置の内容

第七条  放送事業者の審議機関は、委員七人(テレビジョン放送による基幹放送を行う放送事業者以外の放送事業者の審議機関にあつては、総務省令で定める七人未満の員数)以上をもつて組織する。
2  放送事業者の審議機関の委員は、学識経験を有する者のうちから、当該放送事業者が委嘱する。
3  二以上の放送事業者は、次に掲げる要件のいずれをも満たす場合には、共同して審議機関を置くことができる。この場合においては、前項の規定による審議機関の委員の委嘱は、これらの放送事業者が共同して行う。
一  当該放送事業者のうちに同一の認定放送持株会社の関係会社(第百五十八条第二項に規定する関係会社をいう。)である基幹放送事業者(その基幹放送に係る放送対象地域(第九十一条第二項第二号の放送対象地域をいう。第十四条において同じ。)が全国である者を除く。)が二以上含まれていないこと。
二  当該放送事業者のうちに基幹放送事業者がある場合において、いずれの基幹放送事業者についても当該基幹放送事業者以外の全ての放送事業者との間において次に掲げる要件のいずれかを満たす放送区域(電波法第十四条第三項第二号 の規定により基幹放送の業務に用いられる基幹放送局の免許状に記載された放送区域をいう。以下この項において同じ。)又は業務区域(第百二十六条第二項第四号の業務区域をいう。以下この項において同じ。)の重複があること。
イ 放送区域又は業務区域が重複する区域の面積が当該いずれかの放送事業者の放送区域又は業務区域の面積の三分の二以上に当たること。
ロ 放送区域又は業務区域が重複する部分の放送区域の区域内の人口が当該いずれかの放送事業者の放送区域又は業務区域内の全人口の三分の二以上に当たること。
三  当該放送事業者のうちに二以上の一般放送事業者がある場合において、当該一般放送事業者のうちのいずれの二の一般放送事業者の間においても次に掲げる要件のいずれかを満たす関係があること。
イ 業務区域が重複し、かつ、業務区域が重複する区域の面積が当該いずれかの一般放送事業者の業務区域の面積の三分の二以上に当たること。
ロ 業務区域が重複し、かつ、業務区域が重複する区域内の人口が当該いずれかの一般放送事業者の業務区域内の全人口の三分の二以上に当たること。
ハ 当該二の一般放送事業者の業務区域の属する都道府県が同一であること。

(番組基準等の規定の適用除外)
第八条  前三条の規定は、経済市況、自然事象及びスポーツに関する時事に関する事項その他総務省令で定める事項のみを放送事項とする放送又は臨時かつ一時の目的(総務省令で定めるものに限る。)のための放送を専ら行う放送事業者には、適用しない。

(訂正放送等)
第九条  放送事業者が真実でない事項の放送をしたという理由によつて、その放送により権利の侵害を受けた本人又はその直接関係人から、放送のあつた日から三箇月以内に請求があつたときは、放送事業者は、遅滞なくその放送をした事項が真実でないかどうかを調査して、その真実でないことが判明したときは、判明した日から二日以内に、その放送をした放送設備と同等の放送設備により、相当の方法で、訂正又は取消しの放送をしなければならない。
2  放送事業者がその放送について真実でない事項を発見したときも、前項と同様とする。
3  前二項の規定は、民法 (明治二十九年法律第八十九号)の規定による損害賠償の請求を妨げるものではない。

(放送番組の保存)
第十条  放送事業者は、当該放送番組の放送後三箇月間(前条第一項の規定による訂正又は取消しの放送の請求があつた放送について、その請求に係る事案が三箇月を超えて継続する場合は、六箇月を超えない範囲内において当該事案が継続する期間)は、政令で定めるところにより、放送番組の内容を放送後において審議機関又は同条の規定による訂正若しくは取消しの放送の関係者が視聴その他の方法により確認することができるように放送番組を保存しなければならない。

(再放送)
第十一条  放送事業者は、他の放送事業者の同意を得なければ、その放送を受信し、その再放送をしてはならない。

(広告放送の識別のための措置)
第十二条  放送事業者は、対価を得て広告放送を行う場合には、その放送を受信する者がその放送が広告放送であることを明らかに識別することができるようにしなければならない。

(候補者放送)
第十三条  放送事業者が、公選による公職の候補者の政見放送その他選挙運動に関する放送をした場合において、その選挙における他の候補者の請求があつたときは、料金を徴収するとしないとにかかわらず、同等の条件で放送をしなければならない。

(内外放送の放送番組の編集)
第十四条  放送事業者は、内外放送の放送番組の編集に当たつては、国際親善及び外国との交流が損なわれることのないように、当該内外放送の放送対象地域又は業務区域(第百二十六条第二項第四号又は第百三十三条第一項第四号の業務区域をいう。)である外国の地域の自然的経済的社会的文化的諸事情をできる限り考慮しなければならない。

   第三章 日本放送協会

    第一節 通則

(目的)
第十五条  協会は、公共の福祉のために、あまねく日本全国において受信できるように豊かで、かつ、良い放送番組による国内基幹放送(国内放送である基幹放送をいう。以下同じ。)を行うとともに、放送及びその受信の進歩発達に必要な業務を行い、あわせて国際放送及び協会国際衛星放送を行うことを目的とする。

(法人格)
第十六条  協会は、前条の目的を達成するためにこの法律の規定に基づき設立される法人とする。

(事務所)
第十七条  協会は、主たる事務所を東京都に置く。
2  協会は、必要な地に従たる事務所を置くことができる。

(定款)
第十八条  協会は、定款をもつて、次に掲げる事項を規定しなければならない。
一  目的
二  名称
三  事務所の所在地
四  資産及び会計に関する事項
五  経営委員会、監査委員会、理事会及び役員に関する事項
六  業務及びその執行に関する事項
七  放送債券の発行に関する事項
八  公告の方法
2  定款は、総務大臣の認可を受けて変更することができる。

(登記)
第十九条  協会は、主たる事務所の変更、従たる事務所の新設その他政令で定める事項について、政令で定める手続により登記しなければならない。
2  前項の規定により登記を必要とする事項は、登記の後でなければ、これをもつて第三者に対抗することができない。

 (後略)
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 今日は、昭和時代に活躍した小説家田宮虎彦の誕生日です。
 田宮虎彦は、1911年(明治44)8月5日に、東京府東京市に生まれ、兵庫県神戸市で育ち、神戸一中、第三高等学校を経て、1933年(昭和8)に東京帝国大学文学部国文学科へ入学しました。在学中から小説を書き、同人誌『日暦』に参加して、小説「無花果」「風のひびき」を発表しました。1936年(昭和11)に卒業後は、『人民文庫』の同人として、「恥多し」「十八歳」などの作品を発表します。
 1938年(昭和13)に、私立京華高等女学校の教師となり、平林千代とも結婚しました。それから、職を変えながらも小説修業を続け、戦後1946年(昭和21)に文明社を創立して、『文明』を創刊します。
 翌年に『世界文化』に発表した「霧の中」で注目され、『文明』を拝観して、小説家生活に入りました。その後、精力的に作品を執筆し、1949年(昭和24)には、「落城」「足摺岬」の代表作を発表します。1951年(昭和26)には、短編集『絵本』で毎日出版文化賞を受賞しました。
 それからも、半自伝的小説や歴史小説、現代社会の矛盾をつく作品などを発表してきましたが、1988年(昭和63)に脳梗塞で倒れて、右半身不随となり、同年4月9日に77歳で、自殺しました。

〇田宮虎彦の主要な出版物
 『早春の女たち』赤門書房 赤門叢書 1941年発行
 『萠える草木 長篇小説』通文閣 青年芸術派叢書 1941年発行
 『或る青春』赤坂書店 青春文学叢書 1947年発行
 『霧の中 創作集』沙羅書房 1948年発行 
 『絵本』河出書房 市民文庫 1951年発行
 『菊坂』コスモポリタン社 1951年発行 
 『落城』東京文庫 1951年発行
 『足摺岬 田宮虎彦小説集』暮しの手帖社 1952年発行
 『異端の子 田宮虎彦小説集』暮しの手帖社 1953年発行
 『鷺』和光社 195年発行3
 『落城・足摺岬』新潮文庫 1953年発行
 『愛情について』朝日新聞社 1954年発行
 『ある女の生涯』新潮社 昭和名作選 1954年発行
 『卯の花くたし』筑摩書房 1954年発行
 『小説千恵子の生き方』光文社 カッパ・ブックス 1954年発行
 『眉月温泉』山田書店 1954
 『ぎんの一生』角川小説新書 1955年発行
 『随筆たずねびと 人間への郷愁』光文社 カッパ・ブックス 1955年発行
 『道子の結婚』光文社 カッパ・ブックス 1955年発行
 『銀心中』新潮社 小説文庫 1956年発行
 『田宮虎彦作品集』全6巻 光文社 1956‐57年発行
 『飛び立ち去りし』角川小説新書 1956年発行
 『野を駈ける少女』平凡出版 平凡映画小説シリーズ 1956年発行
 『文学問答』近代生活社 1956年発行
 『愛するということ』東都書房 1957年発行
 『小説異母兄弟』光文社 カッパ・ブックス 1957年発行
 『落城・霧の中 他四篇』岩波文庫 1957年発行
 『祈るひと』光文社 1958年発行
 『風と愛のささやき』平凡出版 1958年発行
 『生きるいのち』角川書店 1959年発行
 『黄山瀬』光文社 1959年発行
 『若き心のさすらい』光文社 195年発行9
 『赤い椿の花』毎日新聞社 1960 のち角川文庫年発行
 『悲恋十年・銀心中 他六篇』角川文庫 1960年発行
 『小さな赤い花 長編小説』光文社 1961年発行
 『笛・はだしの女』光文社 1961年発行
 『木の実のとき』新潮社 1962年発行
 『私のダイヤモンド』角川小説新書 1962年発行
 『花』新潮社 1964年発行
 『姫百合』講談社 1964年発行
 『別れて生きる時も』東方社 1964年発行
 『若い日の思索』旺文社新書 1967年発行
 『二本の枝』新潮社 1968年発行
 『夜ふけの歌』新潮社 1968年発行
 『お別れよ』三笠書房 1970年発行
 『沖縄の手記から』新潮社 1972年発行
 『ブラジルの日本人』朝日選書 1975年発行
 『私の日本散策』写真: 山本明 北洋社 1975年発行
 『荒海』新潮社 1978年発行
 『日本讃歌』礒貝浩 写真 創作集団ぐるーぷ・ぱあめ 1979年発行
 『さまざまな愛のかたち』暮しの手帖社 1985年発行
 『足摺岬 田宮虎彦作品集』講談社文芸文庫 1999年発行
 『寛永主従記』明治書院 2010年発行

☆田宮虎彦の代表作である小説「足摺岬」の名場面を引用しておきます
「烈しくじりじりとやきつく日差をうけて私はまた足摺岬にあるいていった。あの雨の日のことがあって二十日余りたった日であった。蒼い怒濤がはてしもなくつづいて、鴎が白い波がしらを這ってとんでいた。砕け散る荒波の飛沫が崖肌の巨巌いちめんに雨のように降りそそいでいた。巨大な石の孟宗をおし並べたように奇岩が海中に走っている。私はそれをじっとみつめた。だが、私の心に、死のうといった気持ちは不思議にうかばなかった。あまりに日差が明かるすぎたからであろうか。・・・・・・・・」
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 今日は、1830年(文政13)に、幕末の思想家・教育者吉田松陰の生まれた日ですが、新暦では9月20日となります。
 吉田松陰は、幕末に活躍した長州藩士、思想家・教育者として知られ、幼名は寅之助、通称は寅次郎、諱は矩方で、松陰は号です。1830年(文政13年8月4日)に、長門国萩松本村(現在の山口県萩市)で長州藩士杉百合之助の次男として生まれました。
 1834年(天保5)に、養子となって山鹿流兵学師範の吉田家を継ぎ、兵学と経学を学ぶことになります。9歳のときから藩校明倫館で山鹿流兵学を教授するようになり、1848年(嘉永元)には明倫館の師範となりました。
 その後、1850年(嘉永3)に九州を遊学し、翌年江戸に出て安積艮斎、山鹿素水、佐久間象山らに経学、兵学などを広く学ぶことになります。
 1854年(安政元)25歳のとき浦賀に再度来航したアメリカ軍艦に乗り込み、密航をはかりますが失敗し、幕府に自首しました。その結果、江戸伝馬町の獄に囚われ、次いで萩の野山獄に移され、その後は自宅に幽閉されることになります。
 ここで、1857年(安政4)から松下村塾を開き、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、品川弥二郎ら多くの門人を育てました。
 しかし、討幕論を唱え、老中間部詮勝暗殺を画策して投獄され、安政の大獄により、1859年(安政6年10月27日)に、30歳で刑死しました。

〇「松下村塾」とは?
 山口県萩市にあり、江戸時代末期に長州藩士の吉田松陰が講義した私塾です。松陰神社の境内には、修復された当時の建物が残り、1922年(大正11)に国の史跡に指定されています。
 短期間しか存続しませんでしたが、久坂玄瑞、吉田稔麿、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎など尊王攘夷を掲げて京都で活動した人や、明治維新で新政府に関わる人間を多く輩出しましました。
 境内には、「吉田松陰歴史館」もあって、吉田松陰の足跡を知ることができます。また、2015年(平成27)には、松下村塾を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界遺産(文化遺産)に登録されています。

〇「安政の大獄」とは?
 幕末の1858年(安政5)から翌年にかけて、大老井伊直弼が行った尊王攘夷運動派に対して行なった弾圧です。
 安政の五か国条約の調印および将軍継嗣問題(家茂を14代将軍に定めたこと)に対して、反対する一橋慶喜擁立派の公卿・大名・志士ら百余名を処罰し、吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎等8名を死刑としました。
 この事件は、井伊直弼が1860年(安政7)に江戸城外で暗殺された桜田門外の変のきっかけとなったのです。
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 今日は、幕末明治維新期の1872年(明治5年8月2日)に、「学制」が公布された日ですが、新暦では9月4日となります。
 これは、明治政府から発布された、日本最初の近代的学校制度を定めた教育法令です。その序文として「學事獎勵ニ關スル被仰出書」が出され、教育理念が示されました。
 その内容は、四民平等の原則に立って、封建時代の儒教的教育理念を否定し、個人主義、実学主義を教育の原理としたものです。
 そして、国民皆学を目ざし、立身出世の財本としての学問の普及を理念として、全国を8大学区、1大学区を32中学区、1中学区を210小学区に編成、大学区に大学、中学区に中学、小学区に小学校、各1校ずつを設置しようとし、文部省の中央集権的管理を目ざしました。
 義務教育は8年と定められていましたが、費用は住民の負担にしたため、学制に反対する一揆が起こり、1879年(明治12)に廃止になり、教育令に切り換えられたのです。

〇「學事獎勵ニ關スル被仰出書」(全文)

學事獎勵ニ關スル被仰出書(學制序文)

太政官布告第二百十四號(明治五壬申年八月二日)

朕人々自ラ其身ヲ立テ、其産ヲ治メ、其業ヲ昌ニシテ、以テ其生ヲ遂ル所以ノモノハ他ナシ、身ヲ脩メ、智ヲ開キ、才藝ヲ長スルニヨルナリ。而テ其身ヲ脩メ、智ヲ開キ、才藝ヲ長スルハ學ニアラサレハ能ハス。是レ學校ノ設アル所以ニシテ日用常行、言語、書算ヲ初メ、士官・農商・百工・技藝及ヒ法律・政治・天文・醫療等ニ至ル迄、凡人ノ營ムトコロノ事、學アラサルハナシ。人能ク其才ノアル所ニ應シ、勉勵シテ之ニ從事シ、而シテ後初テ生ヲ治メ、産ヲ興シ、業ヲ昌ニスルヲ得ヘシ。サレハ學問ハ身ヲ立ルノ財本共云ヘキ者ニシテ、人タルモノ誰カ學ハスシテ可ナランヤ。夫ノ道路ニ迷ヒ、飢餓ニ陷リ、家ヲ破リ、身ヲ喪ノ徒ノ如キハ、畢竟不學ヨリシテカヽル過チヲ生スルナリ。從來學校ノ設アリテヨリ年ヲ歴ルコト久シト雖トモ、或ハ其道ヲ得サルヨリシテ人其方向ヲ誤リ、學問ハ士人以上ノ事トシ、農工商及ヒ婦女子ニ至ツテハ、之ヲ度外ニヲキ學問ノ何物タルヲ辨セス。又士人以上ノ稀ニ學フ者モ、動モスレハ國家ノ爲ニスト唱ヘ、身ヲ立ルノ基タルヲ知ラスシテ、或ハ詞章記誦ノ末ニ趨リ、空理虚談ノ途ニ陷リ、其論高尚ニ似タリト雖トモ、之ヲ身ニ行ヒ事ニ施スコト能ハサルモノ少カラス。是即チ沿襲ノ習弊ニシテ文明普ネカラス。才藝ノ長セスシテ、貧乏破産喪家ノ徒多キ所以ナリ。是故ニ人タルモノハ學ハスンハ有ヘカラス。之ヲ學フニハ宜シク其旨ヲ誤ルヘカラス。之ニ依テ、今般文部省ニ於テ學制ヲ定メ、追々敎則ヲモ改正シ、布告ニ及フヘキニツキ、自今以後、一般ノ人民 華士族卒農工商及婦女子 必ス邑ニ不學ノ戸ナク、家ニ不學ノ人ナカラシメン事ヲ期ス。人ノ父兄タル者宜シク此意ヲ體認シ、其愛育ノ情ヲ厚クシ、其子弟ヲシテ必ス學ニ從事セシメサルヘカラサルモノナリ。 高上ノ學ニ至テハ其人ノ材能ニ任カスト雖トモ幼童ノ子弟ハ男女ノ別ナク小學ニ從事セシメサルモノハ其父兄ノ越度タルヘキ事
但從來沿襲ノ弊學問ハ士人以上ノ事トシ、國家ノ爲ニスト唱フルヲ以テ、學費及其衣食ノ用ニ至ル迄多ク官ニ依頼シ、之ヲ給スルニ非サレハ學ハサル事ト思ヒ、一生ヲ自棄スルモノ少カラス。是皆惑ヘルノ甚シキモノナリ。自今以後此等ノ弊ヲ改メ、一般ノ人民他事ヲ抛チ自ラ奮テ必ス學ニ從事セシムヘキ樣心得ヘキ事
右之通被仰出候條、地方官ニ於テ邊隅小民ニ至ル迄不洩樣、便宜解譯ヲ加ヘ、精細申諭文部省規則ニ隨ヒ、學問普及致候樣、方法ヲ設可施行事。

                    「法令全書」より
 *縦書きの原文を横書きに改め、句読点を付してあります。

<現代語訳>
学事奨励に関する仰せ出だされ書

人々が自分自身でその身を立て、その生計を立て、その家業を盛んにして、そのようにしてその一生を成就することができるものはというと、それは他でもない、自分の行いや心を整え正し、知識を広め、才能と技芸を伸ばすことによるものである。そうして、その、自分の行いや心を整え正し、知識を広め、才能と技芸を伸ばすことは、学ばなければ不可能である。これが学校を設置する理由であり、日常普段の行動、言語・読み書き・算数を始め、役人・農民・商人・いろいろな職人・技芸に関わる人、ならびに法律・政治・天文・医療等に至るまで、だいたい人の営むところで学ぶ事によらないものはない。人間はよくその才能のあるところに応じて勉励して学問に従事し、その後に初めて自分の暮らしの道を立て、資産を増やし、家業を盛んにすることができるであろう。従って、学問は立身のための資本ともいうべきものであって、人間たるものは、誰が学問をしないでよいということがあろうか、いやない。その、路頭に迷い、飢餓にはまり、家を破産させ、身を滅ぼすような人たちは、要するに学ばなかったことによって、このような過ちをもたらしたのである。これまで学校が設置されてから長い年月が経過しているとはいっても、あるいはその方法が正しくないことによって人はその方向を誤り、学問は武士階級以上の人がすることと考え、農業・工業・商業に就く人、及び女性や子供に至っては、学問を対象外のものとし、学問がどういうものであるか考えていない。また、武士階級以上の人でまれに学問する者があっても、場合によると学問は国家のためにするのだと唱え、学問が身を立てる基礎であることを知らないで、ある者は詩歌や文章を暗唱するなどの瑣末なことに走ったり、現実とかけ離れた役に立たない理論や事実に基づかない話に陥り、その言っている論理は知性や品性の程度が高いように見えるけれども、これを自分自身が行ったり、実施したりすることができないものが、少なくない。これはつまり、長い間従ってきた古くからの悪い習わしであって、文明が普及せず、才能と技芸が上達しないために、貧乏や破産、家を失う者といった連中が多い理由である。こういうわけで、人間は学問をしなければならないのである。これを学ぶためには、ぜひともその趣旨を誤ってはならない。こういう理由で、このたび文部省で学制を定め、順々に教則を改正し布告していくことになるだろうから、今から後は、一般の人民(華族・士族・卒族・農民・職人・商人及び女性や子供)は、必ず村に子供を学校に行かせない家がなく、家には学校に行かない人がいないようにしたい。人の父兄である者は、よくこの趣旨を認識し、その子弟を慈しみ育てる気持ちを厚くし、その子弟を必ず学校に通わせるようにしなければならない。上級の学校については、その人の才能に任せるが、幼い子弟は男女の別なく、小学校に通わせないことは、その父兄の落ちどであることになること。
 ただし、これまでの長期間の悪習となっている学問は武士階級以上の人のことであり、そして学問は国家のためにすることだと唱えることにより、学費及びその衣類・食事の費用に至るまで、多くを官に依拠して、これを給付してくれるのでなければ学問はしないと思い、一生自分の身を粗末にして顧みない者が少なくない。これは皆どうしたらよいか戸惑っていることの甚しいものである。今から以後は、これらの弊害を改め、一般の人民は他の事を投げうって自分から奮闘して必ず学問に従事させるように心得るべきであること。
 右の通り仰せ出だされましたので、地方官において、辺境の庶民に至るまで漏らすことのないよう、その時々に応じ、意義を説明してやり、詳しく細かく申し諭し、文部省規則に従い、学問が普及していくように、方法を考えて施行すべきであること。
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 今日は、昭和時代中期の1947年(昭和22)に、中学校用教科書『あたらしい憲法のはなし』・高校用副読本『民主主義の手引』の発行された日です。
 1946年(昭和21)11月3日の「日本国憲法」公布後、その啓蒙のために、1947年(昭和22)8月2日に、中学1年生用の教科書として『あたらしい憲法のはなし』が当時の文部省から発行されました。
 この本は、「憲法」「民主主義とは」「國際平和主義」「主権在民主義」「天皇陛下」「戰爭の放棄」「基本的人権」「國会」「政党」「内閣」「司法」「財政」「地方自治」「改正」「最高法規」の全15章からなり、日本国憲法の精神や中身をやさしく解説しています。
 しかし、1950年(昭和25)4月には、副読本に格下げされ、1952年(昭和27)4月からは発行されなくなりました。
 また、高校用副読本『民主主義の手引』も同時に発行されましたが、『あたらしい憲法のはなし』と同じ経緯をたどって、発行されなくなりました。

〇『あたらしい憲法のはなし』(抜粋)

一 憲法

 みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかゝわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。
 國の仕事は、一日も休むことはできません。また、國を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろ/\規則がいるのです。この規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法です。
 國をどういうふうに治め、國の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本になっている規則が憲法です。もしみなさんの家の柱がなくなったとしたらどうでしょう。家はたちまちたおれてしまうでしょう。いま國を家にたとえると、ちょうど柱にあたるものが憲法です。もし憲法がなければ、國の中におゝぜいの人がいても、どうして國を治めてゆくかということがわかりません。それでどこの國でも、憲法をいちばん大事な規則として、これをたいせつに守ってゆくのです。國でいちばん大事な規則は、いいかえれば、いちばん高い位にある規則ですから、これを國の「最高法規」というのです。
 ところがこの憲法には、いまおはなししたように、國の仕事のやりかたのほかに、もう一つ大事なことが書いてあるのです。それは國民の権利のことです。この権利のことは、あとでくわしくおはなししますから、こゝではたゞ、なぜそれが、國の仕事のやりかたをきめた規則と同じように大事であるか、ということだけをおはなししておきましょう。
 みなさんは日本國民のうちのひとりです。國民のひとり/\が、かしこくなり、強くならなければ、國民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。國の力のもとは、ひとり/\の國民にあります。そこで國は、この國民のひとり/\の力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。そのために、國民のひとり/\に、いろ/\大事な権利があることを、憲法できめているのです。この國民の大事な権利のことを「基本的人権」というのです。これも憲法の中に書いてあるのです。
 そこでもういちど、憲法とはどういうものであるかということを申しておきます。憲法とは、國でいちばん大事な規則、すなわち「最高法規」というもので、その中には、だいたい二つのことが記されています。その一つは、國の治めかた、國の仕事のやりかたをきめた規則です。もう一つは、國民のいちばん大事な権利、すなわち「基本的人権」をきめた規則です。このほかにまた憲法は、その必要により、いろ/\のことをきめることがあります。こんどの憲法にも、あとでおはなしするように、これからは戰爭をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。
 これまであった憲法は、明治二十二年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、國民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。この國民ぜんたいの意見を知るために、昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、あたらしい國民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。それで、あたらしい憲法は、國民ぜんたいでつくったということになるのです。
 みなさんも日本國民のひとりです。そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。こんどの憲法は、みなさんをふくめた國民ぜんたいのつくったものであり、國でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、國民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、はっきりと知らなければなりません。
 みなさんが、何かゲームのために規則のようなものをきめるときに、みんないっしょに書いてしまっては、わかりにくいでしょう。國の規則もそれと同じで、一つ/\事柄にしたがって分けて書き、それに番号をつけて、第何條、第何條というように順々に記します。こんどの憲法は、第一條から第百三條まであります。そうしてそのほかに、前書が、いちばんはじめにつけてあります。これを「前文」といいます。
 この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。この前文というものは、二つのはたらきをするのです。その一つは、みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。つまりこんどの憲法は、この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。もう一つのはたらきは、これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。
 それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。いちばん大事な考えが三つあります。それは、「民主主義」と「國際平和主義」と「主権在民主義」です。「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、少しもむずかしく考えることはありません。主義というのは、正しいと思う、もののやりかたのことです。それでみなさんは、この三つのことを知らなければなりません。まず「民主主義」からおはなししましょう。

 (中略)

六 戰爭の放棄

 みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
 そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
 もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
 みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。

 (後略)
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