ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

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 今日は、昭和時代中期の1950年(昭和25)に、「臨時石炭鉱業管理法」が廃止され、炭鉱の国家管理が終了した日です。
 「臨時石炭鉱業管理法」(りんじせきたんこうぎょうかんりほう)は、炭鉱を国家管理する3年の時限立法でした。太平洋戦争敗戦後、日本での生産復興をめぐって、石炭増産を中心に据えて復興を図っていこうとし、そのために石炭産業の国家管理を打ち出したものです。
 1947年(昭和22)9月に、社会党首班政権である片山内閣によって法案が国会に提出されましたが、国家管理される炭鉱主側が反発が強く、保守系会派と結んで抵抗した結果、生産現場の国家直接管理の方針は撤回され、経営者を通じた間接管理に修正され、炭鉱自体の経営権に触れる条項はなくなりました。その上で、一時的に石炭産業を政府の管理下に置き、商工省の下に石炭庁を設置、北海道札幌市、福島県平市(現在のいわき市)、山口県宇部市、福岡県福岡市に石炭局を置き、商工省・石炭局に諮問機関を置いて、政府指定の特定炭鉱で、政府が決定した事業計画の実施を強制する一方で、必要物資を優先的に調達するというものとなります。
 そして、3年間の時限立法(1948年4月1日~)とされて、同年12月に修正案がようやく成立しました。その後、1948年(昭和23)10月15日の芦田均内閣崩壊による社会党下野によって廃止論が優勢となり、1950年(昭和25)5月20日に期限を半年余り残して、廃止されています。
 以下に、「臨時石炭鉱業管理法」(昭和22年法律第219号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「臨時石炭鉱業管理法」(昭和22年法律第219号)1947年(昭和22)12月20日公布、翌年4月1日施行

第一章 総則

第一条 この法律は、産業の復興と経済の安定に至るまでの緊急措置として、政府において石炭鉱業を臨時に管理し、以て政府、経営者及び従業者がその全力をあげて石炭の増産を達成することを目的とする。

第二条 この法律で炭鉱とは、石炭の堀採を目的とする事業場(これに附属する事業場を含む。)をいう。

第三条 商工大臣その他この法律の施行の責に任ずる官吏及び炭鉱管理委員会の委員は、炭鉱の事業主が、生産協議会の議を経て定められた事項以外の事項について、炭鉱の従業者が組織する労働組合法に規定する労働組合と団体交渉をする権限と責任を尊重しなければならない。

第四条 この法律の規定に基いてした命令その他の処分及びこの法律の規定に基いて炭鉱の事業主がした行為は、炭鉱の事業主の承継人に対してもその効力を有する。

第二章 炭鉱の管理

第五条 炭鉱の事業主は、命令の定めるところにより、その経営する炭鉱ごとに毎年度の予定事業計画及び毎四半期の事業計画を作成して、所轄石炭局長に届け出なければならない。予定事業計画又は事業計画を変更したときも同様である。
  石炭局長は、必要があると認めるときには、地方炭鉱管理委員会に諮つて、前項の事業計画の変更を命ずることができる。
  事業主は、前項の命令が著しく不当であると認めるときには、商工大臣に対して不服の申立をすることができる。
  商工大臣は、全国炭鉱管理委員会に諮つて、前項の申立を理由があると認めるときは、当該石炭局長に対して当該命令を取り消し、又は変更すべきことを命じなければならない。

第六条 炭鉱の事業主は、政府の監督に従い、事業計画の実施の責に任ずる。

第七条 炭鉱の事業主は、命令の定めるところにより、事業計画の実施状況を所轄石炭局長に報告しなければならない。

第八条 石炭庁長官又は石炭局長は、炭鉱の事業主の業務の状況に関し必要な報告をさせ、又は当該の官吏をして生産拡充用の資金及び資材の使途、生産の状況並びに拡充工事の達成状況に関して、監査させることができる。
  前項の規定により当該の官吏に監査させる場合には、その身分を示す証票を携帯させなければならない。

第九条 この法律の規定による報告又は監査に基き必要があると認めるときには、石炭庁長官は、全国炭鉱管理委員会に、石炭局長は、地方炭鉱管理委員会に諮つて、炭鉱の事業主に対し、監督上必要な命令をすることができる。

第十条 炭鉱の事業主は、商工大臣の許可を受けなければ、その経営する石炭鉱業の全部又は一部を廃止し、又は休止してはならない。
  商工大臣は、前項の許可をしようとするときには、全国炭鉱管理委員会に諮らなければならない。

第十一条 石炭鉱業の全部若しくは一部の賃貸、譲渡若しくは経営の委任又は炭鉱の事業主である会社の合併若しくは解散は、商工大臣の認可を受けなければ、その効力を生じない。
  商工大臣は、前項の認可をしようとするときには、全国炭鉱管理委員会に諮らなければならない。

第十二条 特に必要があると認めるときには、石炭庁長官は、全国炭鉱管理委員会に、石炭局長は、地方炭鉱管理委員会に諮つて、炭鉱の事業主に対し、その所有する設備又は資材を他の炭鉱の事業主に譲渡し、又は貸し渡すべきことを命ずることができる。
  前項の規定により命令を受けた者は、他の法令の規定にかかわらず、譲り渡し、又は貸し渡すことができる。
  第一項の場合における譲渡又は貸渡の条件は、当事者間の協議によりこれを定める。協議が調わないとき、又は協議をすることができないときには、石炭庁長官又は石炭局長が、これを裁定する。
  前項の裁定中対価について不服のある者は、その裁定の通知を受けた日から三十日以内に、訴を以てその金額の増減を請求することができる。
  前項の訴においては、譲渡又は貸渡の当事者を被告とする。
  第一項の規定による命令をする場合におけるその担保の処理その他必要な事項は、命令でこれを定める。

第三章 指定炭鉱の管理

 第一節 指定炭鉱の指定

第十三条 商工大臣は、全国炭鉱管理委員会に諮つて、前章の規定によるの外、この章の規定による管理を行うべき炭鉱(指定炭鉱)を指定する。
  前項の規定による指定の基準は、能率、生産費、品位、出炭量等に基いて、これを毎六箇月に定めるものとする。
  第一項の規定による指定は、告示により、これを行う。

第十四条 商工大臣は、指定炭鉱について、この章の規定による管理を行う必要がなくなつたと認めるときには、全国炭鉱管理委員会に諮つて、その指定を取り消すことができる。
  前条第三項の規定は、前項の場合に、これを準用する。

 第二節 業務計画

第十五条 指定炭鉱の事業主は、第十七条の規定により、当該指定炭鉱につき、毎四半期の詳細な事業計画(業務計画)の案を作成し、所轄石炭局長に提出するものとする。
  指定炭鉱については、前章中事業計画に関する規定は、これを適用しない。

第十六条 石炭局長は、地方炭鉱管理委員会に諮つて、指定炭鉱ごとにその業務計画の案の作成上基準となるべき事項を定めて、これを当該指定炭鉱の事業主に指示しなければならない。

第十七条 前条の規定による指示があつたときには、その指示に従い、命令の定めるところにより、指定炭鉱の事業主は、炭鉱管理者をして業務計画の案を作成せしめ、所轄石炭局長に提出しなければならない。
  炭鉱管理者は、前項の案を作成する場合には、生産協議会の議を経なければならない。
  前項の場合において、生産協議会の議を経ることができないときには、事業主は、当該業務計画の案を作成して提出するとともに、命令の定めるところにより、その旨を所轄石炭局長に報告しなければならない。

第十八条 石炭局長は、前条第一項又は第三項の規定による業務計画の案の提出があつたときには、これを審査した上で、地方炭鉱管理委員会に諮つて、当該指定炭鉱の業務計画を決定し、これを指定炭鉱の事業主及び炭鉱管理者に指示しなければならない。
  前項の規定による指示があるまでは、事業主は、前条第一項又は第三項の規定により所轄石炭局長に提出した業務計画の案により、指定炭鉱の業務を行わなければならない。

第十九条 指定炭鉱の事業主は、やむを得ない事由により前条第一項の業務計画を変更する必要があると認めるときには、命令の定めるところにより、所轄石炭局長に、業務計画の変更案を提出することができる。
  第十七条の規定は、前項の場合に、これを準用する。
  石炭局長は、第一項の規定により業務計画の変更案の提出があつた場合において、業務計画を変更する必要があると認めるときには、遅滞なく、地方炭鉱管理委員会に諮つて、業務計画を変更し、これを事業主及び炭鉱管理者に指示しなければならない。
  石炭局長は、特に必要があると認めるときには、地方炭鉱管理委員会に諮つて、指定炭鉱の業務計画を変更し、これを事業主及び炭鉱管理者に指示することができる。

第二十条 石炭局長は、指定炭鉱の業務計画の実施上必要があると認めるときには、地方炭鉱管理委員会に諮つて、指定炭鉱の事業主に対し、監督上必要な命令をし、又は必要な指示をすることができる。
  指定炭鉱の事業主又は炭鉱管理者は、前項の命令又は指示に不服があるときには、命令の定めるところにより、商工大臣に対して、不服の申立をすることができる。
  商工大臣は、全国炭鉱管理委員会に諮つて、前項の申立を理由があると認めるときには、当該石炭局長に対して、当該命令又は指示を取り消し、又は変更すべきことを命じなければならない。

第二十一条 指定炭鉱の事業主は、命令の定めるところにより、業務計画の実施状況を所轄石炭局長に報告しなければならない。

 第三節 炭鉱管理者

第二十二条 指定炭鉱の事業主は、指定炭鉱の指定があつたとき、又は炭鉱管理者が欠けたときには、遅滞なく、指定炭鉱ごとに炭鉱管理者一人を選任しなければならない。
  事業主は、前項の規定による選任をしたときには、その旨を商工大臣に届け出なければならない。

第二十三条 炭鉱管理者は、所轄石炭局長の監督を受け、当該炭鉱の最高能率の発揮を目途として、業務計画の実施の責に任ずる。

第二十四条 生産協議会の委員の定数の過半数に相当する委員が、炭鉱管理者を著しく不適任であると認めるときには、その旨を、所轄石炭局長を経由して、商工大臣に申し立てることができる。この場合には、商工大臣は、指定炭鉱の事業主の意見を徴した上で、全国炭鉱管理委員会に諮つて、事業主に対し、当該炭鉱管理者を解任すべきことを命ずることができる。
  商工大臣は、炭鉱管理者が著しく不適任であると認めるときには、事業主の意見を徴した上で、全国炭鉱管理委員会に諮つて、事業主に対し、当該炭鉱管理者を解任すべきことを命ずることができる。

第二十五条 指定炭鉱の事業主は、業務計画の実施に関し、命令の定めるところにより、必要な権限を炭鉱管理者に委任しなければならない。

 第四節 生産協議会

第二十六条 指定炭鉱ごとに生産協議会を置く。

第二十七条 生産協議会は、炭鉱管理者及び委員で、これを組織する。
  委員は、業務委員及び労働委員とし、各々同数とする。
  生産協議会の議長は、炭鉱管理者を以て、これに充てる。

第二十八条 生産協議会の委員の数は、命令の定めるところにより、炭鉱管理者が、これを定める。
  炭鉱管理者は、必要があると認めるときには、生産協議会の議を経て、委員の数を増加し、又は減少することができる。但し、委員の数を減少するのは、委員の任期の満了した際に限る。
  前二項の場合においては、炭鉱管理者は、遅滞なく、委員の数を、適当な方法で、公示しなければならない。

第二十九条 業務委員は、当該指定炭鉱の業務に従事する者の中から、炭鉱管理者が、これを選任する。
  労働委員は、当該指定炭鉱の坑内従業者三坑外従業者二の比率とし、指定炭鉱の従業者の過数が労働組合を組織している場合において、その労働組合の数が一であるときにはその推薦により、労働組合の数が二以上であるときには、それらの労働組合の共同の推薦により、労働組合の推薦がない場合及び指定炭鉱の従業者の過半数が労働組合を組織していない場合には、当該指定炭鉱の従業者又はこれを代表する従業者の過半数の推薦により、炭鉱管理者が、これを選任する。
  前項の従業者には、指定炭鉱の事業主の利益を代表すると認められる者を含まない。
  第二項で労働組合とは、指定炭鉱ごとに組織する労働組合法に規定する労働組合をいう。
  業務委員と労働委員とは、互にこれを兼ね、又は代理することができない。

第三十条 生産協議会の委員の選任は、第二十八条第一項の場合又は委員の任期が満了した場合には、同条第三項の規定による公示があつた日又は委員の任期が満了した日から二週間以内に全員につき同時に、委員が欠けた場合又は同条第二項の規定により委員の数が増加した場合には、委員が欠けた日又は同条第三項の規定による公示があつた日から二週間以内に、これを行わなければならない。

第三十一条 生産協議会の委員の任期は、一年とする。但し、補欠委員及び第二十八条第二項の規定により委員の数が増加した際にあらたに選任された委員の任期は、他の委員の残任期間と同一とする。

第三十二条 生産協議会の委員の選任が行われたときには、炭鉱管理者は、遅滞なく、その委員の氏名を所轄石炭局長に届け出なければならない。

第三十三条 生産協議会は、議長がこれを招集し、その議事は、出席した委員の過半数でこれを決する。但し、第三十五条第一項但書の場合には、出席した委員全員で、これを決する。

  生産協議会は、業務委員及び労働委員各々一人以上が出席しなければ、議事を開くことができない。

  議長は、いかなる場合においても、議決に加わることができない。

第三十四条 炭鉱管理者は、業務計画の実施に関し、左に掲げる事項の基本について、生産協議会の議を経てこれを定めなければならない。
 一 作業計画に関する事項
 二 労働能率の向上又は作業条件の合理化に関する事項
 三 労働条件の適正化に関する事項
 四 労働力の保全に関する事項
 五 安全保特に関する事項
  炭鉱管理者は、前項の場合を除くの外、業務計画の実施に関し必要と認める事項について、生産協議会の議を経てこれを定めることができる。
  第二十条第一項の命令又は指示を受けた事項については、前二項の規定は、これを適用しない。
  生産協議会は、第一項又は第二項に規定する審議のため必要があると認めるときには、指定炭鉱の事業主に対して、事業の経理内容に関する報告を求めることができる。

第三十五条 炭鉱管理者は、前条第一項又は第二項の場合において、生産協議会の議を経ることができないときには、命令の定めるところにより、所轄石炭局長の裁定を求めることができる。但し、労働条件の適正化その他従業者の待遇に関する事項については、石炭局長の裁定を求めることにつき、生産協議会の議を経た場合に限る。
  前項の規定による石炭局長の裁定は、地方炭鉱管理委員会に諮つて、これを行わなければならない。
  第一項但書の事項について、石炭局長の裁定を求めることにつき、生産協議会の議を経ることができない場合の処置については、労働関係調整法の定めるところによる。

第三十六条 この法律及びこの法律に基いて発する命令に定めるものの外、生産協議会に関し必要な事項は、生産協議会の議を経て、炭鉱管理者が、これを定める。

 第五節 雑則

第三十七条 指定炭鉱の事業主である会社は、商工大臣の認可を受けなければ、利益金を処分することができない。

第三十八条 特に必要があると認めるときには、石炭庁長官は、全国炭鉱管理委員会に、石炭局長は、地方炭鉱管理委員会に諮つて、指定炭鉱の事業主に対し、指定炭鉱の設備の新設、拡張若しくは改良又は新坑の開発若しくは坑道の掘進を命ずることができる。
  指定炭鉱の事業主は、前項の命令が著しく不当であると認めるときには、命令の定めるところにより、商工大臣に対して、不服の申立をすることができる。
  商工大臣は、全国炭鉱管理委員会に諮つて、前項の申立を理由があると認めるときには、石炭庁長官又は当該石炭局長に対して、当該命令を取り消し、又は変更すべきことを命じなければならない。

第四章 協力命令

第三十九条 主務大臣は、特に必要があると認めるときには、石炭の生産に要する物資の生産又は販売の事業を営む者に対して、その所有する物資を、炭鉱の事業主に譲り渡すべきことを命ずることができる。
  主務大臣は、特に必要があると認めるときには、遊休設備の所有者に対して、当該設備を、炭鉱の事業主に譲り渡し、又は貸し渡すべきことを命ずることができる。
  主務大臣は、特に必要があると認めるときには、左に掲げる事業を営む者に対して、炭鉱の事業主の業務に必要な機械の修理、工事の施行又は貨物の運送若しくは取扱に関し必要な命令をすることができる。
 一 機械の修理の事業
 二 土木、建築その他工作物の建設(改造及び修理を含む。)の事業
 三 貨物の運送又は取扱の事業

  第十二条第二項乃至第六項の規定は、前三項の場合に、これを準用する。但し、同条第三項中「石炭庁長官又は石炭局長」とあるのは、「主務大臣」と読み替えるものとする。

第五章 損失の補償

第四十条 政府は、この法律の規定に基いてした命令又は指示に因り損失を受けた者に対して、その損失を補償する。
  前項の規定により補償すべき損失は、通常生ずべき損失とする。
  第一項の規定による補償を伴うべき命令又は指示は、これによつて必要となる補償金の総額が国会の議決を経た予算の金額を超えない範囲内で、これをしなければならない。
  第一項の規定による補償の金額は、商工大臣が、大蔵大臣に協議して、石炭鉱業損失補償審査会の議を経てこれを定める。
  前項の石炭鉱業損失補償審査会に関する事項は、政令でこれを定める。
  前五項に定めるものの外、損失の補償に関し必要な事項は、命令でこれを定める。

第六章 石炭局

第四十一条 この法律の施行に関する事務その他石炭の生産に関する事務を掌らしめるため、石炭局を置く。
  石炭局は、商工大臣の管理に属する。

第四十二条 石炭局の名称、位置及び管轄区域は、別表の通りとする。

第四十三条 石炭局に左の職員を置く。
  局長
  局員
  主事
  局員及び主事の定数は、各石炭局ごとに、商工大臣が、これを定める。

第四十四条 局長は、石炭の生産に関し学識経験ある一級の商工事務官又は商工技官を以て、これに充てる。
  局長は、商工大臣(石炭庁長官の権限に属する事項については石炭庁長官)の指揮監督を受け、局中全般の事務を掌理する。
  局長に事故があるとき、又は局長が欠けたときには、商工大臣の指定する局員が、臨時に、局長の職務を行う。

第四十五条 局長は、所部の職員を指揮監督し、三級官吏の進退を行う。

第四十六条 局員は、石炭の生産に関し学識経験ある者又は一級若しくは二級の商工事務官若しくは商工技官の中から、商工大臣が、これを命ずる。
  局員は、局長の命を受け、局務を掌る。
  第四十三条第二項の規定による各石炭局の局員の定数の過半数に相当する局員は、石炭の生産に関し学識経験ある者及び石炭の生産に関し学識経験ある官吏の中から、命ぜられた者でなければならない。

第四十七条 主事は、三級の商工事務官又は商工技官の中から、これを命ずる。
  主事は、上司の指揮を受け、局務に従事する。

第四十八条 官吏でなくて局員を命ぜられた者の服務については、官吏服務紀律を準用する。

第四十九条 商工大臣は、石炭局の局務の一部を分掌させるため、必要に応じ、石炭局の支局を置くことができる。
  支局の名称、位置及び管轄区域は、商工大臣が、全国炭鉱管理委員会に諮つて、これを定める。

第七章 炭鉱管理委員会

第五十条 炭鉱管理委員会は、全国炭鉱管理委員会及び地方炭鉱管理委員会とする。
  全国炭鉱管理委員会は、商工省にこれを置く。
  地方炭鉱管理委員会は、石炭局ごとにこれを置き、当該石炭局の名称を冠する。
  全国炭鉱管理委員会は、商工大臣の、地方炭鉱管理委員会は、石炭局長の監督に属する。

第五十一条 全国炭鉱管理委員会は、この法律の他の規定によりその権限に属せしめられた事項を調査審議するの外、商工大臣又は石炭庁長官の諮問に応じ、石炭の生産に関する左の事項を調査審議する。
 一 石炭鉱業の管理の運営方針に関する事項
 二 石炭の生産に関する計画に関する事項
 三 石炭鉱業の最高能率発揮に関する事項
  地方炭鉱管理委員会は、この法律の他の規定によりその権限に属せしめられた事項を調査審議するの外、石炭局長の諮問に応じ、石炭の生産に関する前項各号の事項を調査審議する。
  炭鉱管理委員会は、石炭の生産に関する事項について、関係行政庁に建議することができる。

第五十二条 全国炭鉱管理委員会は、会長一人、委員三十人、特別委員若干人及び臨事委員若干人で、これを組織する。
  地方炭鉱管理委員会は、会長一人、委員四十五人以内及び特別委員若干人で、これを組織する。

第五十三条 全国炭鉱管理委員会の会長は、商工大臣を以て、これに充てる。
  全国炭鉱管理委員会の委員は、石炭の生産に関し学識経験ある者五人、炭鉱の事業主を代表する者十人、炭鉱の従業者(炭鉱の事業主の利益を代表すると認められる者を除く。)を代表する者十人及び石炭の需要者を代表する者五人とし、商工大臣が、これを命ずる。
  商工大臣は、必要があると認めるときには、石炭鉱業と密接な関係を有する事業を代表する者を、臨時委員として依嘱することができる。

第五十四条 地方炭鉱管理委員会の会長は、石炭局長を以て、これに充てる。
  地方炭鉱管理委員会の委員は、石炭の生産に関し学識経験ある者五人以内、当該石炭局管轄区域内の炭鉱の事業主を代表する者二十人以内、当該石炭局管轄区域内の炭鉱の従業者(事業主の利益を代表すると認められる者を除く。)を代表する者二十人以内とし、石炭局長が、これを命ずる。
  前項の規定による炭鉱の従業者を代表する委員は、坑内従業者三坑外従業者二の比率とする。

第五十五条 炭鉱管理委員会の会長は、労働能率の向上に関する事項その他炭鉱管理委員会の所掌事項に係る事門的事項を分掌させるため、労働事門部会その他の専門部会を置くことができる。
  地方炭鉱管理委員会の会長は、地方炭鉱管理委員会の所掌事項のうち地区的事項を分掌させるため、石炭局の支局ごとに、地区部会を置くことができる。
  地方炭鉱管理委員会は、その定めるところにより、地区部会の決議を以て、地方炭鉱管理委員会の決議に代えることができる。

第五十六条 商工大臣又は石炭局長は、関係官公吏の中から特別委員を依嘱することができる。

第五十七条 特別委員及び臨時委員は議決権を有しない。

第五十八条 この法律に定めるものの外、炭鉱管理委員会に関し必要な事項は、命令でこれを定める。

第八章 罰則

第五十九条 左の各号の一に該当する指定炭鉱の事業主(事業主が法人である場合には、その違反行為をした代表者)は、これを三年以下の懲役又は三万円以下の罰金に処する。
 一 第九条に規定する石炭庁長官又は石炭局長の監督上の命令に違反した者
 二 第十条第一項の規定に違反した者
 三 第十二条第一項に規定する石炭庁長官又は石炭局長の命令に違反した者
 四 第二十条第一項に規定する石炭局長の監督上の命令に違反した者
 五 第三十八条第一項に規定する石炭庁長官又は石炭局長の命令に違反した者

第六十条 第三十七条の違反があつた場合においては、その違反行為をした会社の代表者は、これを一年以下の懲役又は一万円以下の罰金に処する。

第六十一条 第八条の規定による当該の官吏の監査を拒み、妨げ、又は忌避した者は、これを六箇月以下の懲役又は五千円以下の罰金に処する。

第六十二条 左の各号の一に該当する者(法人である場合には、その違反行為をした代表者)は、これを一万円以下の過料に処する。
 一 第五条第一項の規定に違反して、予定事業計画又は事業計画を届け出なかつた者
 二 第七条、第八条第一項又は第二十一条の規定に違反して、報告を怠り、又は虚偽の報告をした者
 三 第九条に規定する石炭庁長官又は石炭局長の監督上の命令に違反した者(第五十九条の規定により処罰される者を除く。)
 四 第十条第一項の規定に違反した者(第五十九条の規定により処罰される者を除く。)
 五 第十二条第一項に規定する石炭庁長官又は石炭局長の命令に違反した者(第五十九条の規定により処罰される者を除く。)
 六 第十七条第一項又は第三項の規定に違反して業務計画の案を提出しなかつた者
 七 第二十二条第二項の規定による炭鉱管理者の選任を届け出なかつた者
 八 第二十四条の規定による解任の命令に違反した者
 九 第三十九条第一項、第二項又は第三項に規定する主務大臣の命令に違反した者

附 則

第六十三条 この法律施行の期日は、昭和二十三年四月一日とする。

第六十四条 この法律の有効期間は、この法律の施行の日から、三年とする。但し、その期間満了の際における経済事情により特に必要があるときには、これを延長することができる。
  前項の場合について必要な事項は、法律でこれを定める。

 別 表
名称位置管理区域
札幌石炭局札幌市北海道
平石炭局平市青森県 岩手県 宮城県 秋田県 山形県 福島県 東京都 茨城県 群馬県 栃木県 埼玉県 千葉県 神奈川県 山梨県 新潟県 長野県 岐阜県 愛知県 静岡県 三重県 富山県 石川県
宇部石炭局宇部市滋賀県 京都府 大阪府 兵庫県 奈良県 和歌山県 福井県 鳥取県 島根県 岡山県 広島県 山口県 徳島県 香川県 愛媛県 高知県
福岡石炭局福岡市福岡県 佐賀県 長崎県 熊本県 大分県 宮崎県 鹿児島県

  「衆議院ホームページ」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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1978年(昭和53)千葉県成田市に新東京国際空港(現在の成田国際空港)が開港する詳細
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taishyou8nenyonezawataika01
 今日は、大正時代の1919年(大正8)に、大正8年米沢大火で、死者1名、焼失1,071戸(棟数にして1,385棟)を出しだ日です。
 大正8年米沢大火(たてしょうはちねんよねざわたいか)は、この日の午前11時頃、米沢市舘山口町から出火した大火でした。折からの西北の烈風(風速15m/s)に煽られて、市街中央部に延焼し、舘山口町の他に、東町、門東町、大町、柳町、美波町、紺屋町など30余の町を焼いて、ようやく4時間後の午後3時頃に鎮火します。
 この結果、死者1名、焼失1,071戸(棟数にして1,385棟)を出し、損害金額約400万円の大きな被害となりました。この時の主な焼失建物は、米沢市役所・市会議事堂・南置賜郡役所・山形煙草専売支局米沢出張所・南部小学校・市立商業学校・県立工業学校寄宿舎・上杉神社・上杉伯爵邸・米沢絹織物同業組合事務所及び陳列館・両羽電気米沢支局・米沢日報社等となります。
 尚、わずか2年前の1917年(大正6)22日の大火で、死者11名、焼失3,325棟と全市の3分の1を失ったはかりで、復旧計画が全市を挙げて着々と進行中だったところ、再び大火に襲われ、焼け残っていた建物を灰燼に帰しました。この日の大火で、大正6年の大火とあわせて、3,365戸が焼失し、米沢市の大半が失われることとなります。

〇明治・大正時代の大火一覧(焼失1,000戸以上で、戦火・地震によるものを除く)

・1871年(明治4)9月12日 函館の「切見世火事」(焼失1,123戸)
・1872年(明治5)2月26日 東京の銀座大火(焼失4,879戸)
・1873年(明治6)3月22日 函館の「家根屋火災」(焼失1,314戸)
・1873年(明治6)3月22日~23日 横浜の「相生町の大火」(重軽傷者20余名、焼失1,577戸)
・1874年(明治7)4月27日 浜松明治7年の大火「小野組火事」(焼失家数1,318軒)
・1875年(明治8)4月24日 飛騨高山明治8年の大火(死亡者1名、焼失1,032戸)
・1879年(明治12)1月26日~27日 高崎明治13年の大火(消失2,500余戸)
・1879年(明治12)3月3日 高岡明治12年の大火(焼失2,000余戸)
・1879年(明治12)12月6日 明治12年函館大火(焼失2,326戸)
・1879年(明治12)12月26日 東京の日本橋大火(全焼10,613戸)
・1880年(明治13)5月15日 弘前明治13年の大火(焼失1,000余戸)
・1880年(明治13)5月21日 三条の大火「糸屋万平火事」(死者34名、焼失2,743戸)
・1880年(明治13)8月7日 新潟明治13年の大火(死者3名、負傷名37名、焼失6,175戸)
・1880年(明治13)12月24日 明治13年大阪南の大火「島の内出火」(死者8名、負傷者350~60名、焼失3,388戸)
・1881年(明治14)1月26日 東京の神田の大火(全焼10,673戸)
・1881年(明治14)2月11日 東京の神田区の大火(全焼7,751戸)
・1881年(明治14)4月25日 福島明治の大火「甚兵衛火事」(死者7名、焼失1,785戸)
・1882年(明治15)5月15日 富山県氷見明治の大火(焼失1,600余戸)
・1884年(明治17)5月13日 水戸明治17年「下市の大火」(焼失1,200余戸)
・1884年(明治17)11月7日~8日 盛岡明治17年の大火(焼失1,432戸)
・1885年(明治18)5月31日~6月1日 富山明治18年の大火「安田焼」(死者9名、焼失5,925戸) 
・1886年(明治19)4月30日~5月1日 秋田明治19年の大火「俵屋火事」(死者17名、負傷者186名、焼失3,554戸) 
・1886年(明治19)12月30日 水戸明治19年「上市の大火」(焼失1,800余戸)
・1888年(明治21)1月4日 松本明治21年南深志の大火(死者5名、焼失1,553戸)
・1888年(明治21)1月31日 横浜明治21年野毛の放火による大火(重軽傷者数10人、焼失1,121戸)
・1889年(明治22)2月1日~2日 静岡明治22年の大火(焼失1,100余戸) 
・1890年(明治23)2月27日 東京の浅草大火(全焼1,469戸)
・1890年(明治23)9月5日 明治23年大阪大火「新町焼け」(死者1名、軽傷者206名、全焼2,023戸、半焼60戸)
・1893年(明治26)3月17日~18日 川越大火(焼失1,302戸、土蔵60棟焼失)
・1893年(明治26)3月29日~30日 松阪明治の大火(焼失1,460戸)
・1894年(明治27)5月26日 山形明治27年「市南の大火」(死者15名、負傷者69名、焼失1,284戸) 
・1895年(明治28)4月29日 石川県七尾の大火(焼失1,000余戸)
・1895年(明治28)6月2日~3日 新潟県新発田明治28年の大火(死者4名、負傷者24名、焼失2,410戸)
・1895年(明治28)10月3日 根室明治28年の大火(焼失1,334戸)
・1896年(明治29)4月13日~14日 福井県勝山町明治29年の大火(死者5名、負傷者2名、焼失1,124戸) 
・1896年(明治29)8月26日 函館の「テコ婆火事」(焼失2,280戸)
・1897年(明治30)4月3日 柏崎明治30年の大火「日野屋火事」(焼失1,230戸)
・1897年(明治30)4月22日 八王子大火(死者42名、焼失3,500余戸)
・1898年(明治31)3月23日 東京の本郷大火(死者2名、負傷者42名、焼失1,478戸)
・1898年(明治31)6月4日 直江津(上越市)明治31年の大火「八幡火事」(焼失1,595戸)
・1899年(明治32)8月12日 富山明治32年の大火「熊安焼」(全焼4,697戸、半焼9戸) 
・1899年(明治32)8月12日~13日 横浜明治32年の大火(死者14名、全焼3,124、半焼49戸)
・1899年(明治32)9月15日 明治32年函館大火(焼失2,294戸)
・1900年(明治33)4月18日 福井「橋南大火」(死者11名、負傷者131名、全焼1891軒、半焼3軒)
・1900年(明治33)6月27日 高岡明治33年の大火(死者7名、負傷者46名、全焼3,589戸、半焼25戸)
・1902年(明治35)3月30日 福井明治35年「橋北の大火」(焼失3,309戸)
・1903年(明治36)4月13日 福井県武生町明治の大火(死者7名、重傷者2名、全焼1,057戸)  
・1904年(明治37)5月8日 小樽明治37年「稲穂町の火事」(焼失2,481戸)
・1906年(明治39)7月11日 直江津町(上越市)明治39年の大火「ながさ火事」(焼失1,041戸)  
・1907年(明治40)8月25日 明治40年函館大火(死者8名、負傷者1,000名、焼失12,390戸)
・1908年(明治41)3月8日 新潟明治41年3月の大火(焼失1,198戸)
・1908年(明治41)9月4日 新潟明治41年再度の大火(全焼2,071戸、半焼18戸)
・1909年(明治42)7月31日~8月1日 大阪明治42年「北の大火」(焼失11,365戸)
・1910年(明治43)4月16日 輪島町の大火(全焼1,055軒、半焼15軒)    
・1910年(明治43)5月3日~4日 明治43年青森大火(死者26名、負傷者163名、焼失7,519戸、半焼5戸)
・1911年(明治44)4月9日 東京の吉原大火(全焼6,189戸、半焼69戸)
・1911年(明治44)5月8日 山形明治44年「市北の大火」(全焼1,340戸)
・1911年(明治44)5月16日 小樽明治44年の大火(焼失1,251戸)
・1912年(明治45)1月16日 大阪明治45年「南の大火」(死者4名、全焼4,750戸、半焼等29戸)   
・1912年(明治45)3月21日 東京の州崎大火(全焼1,149戸、半焼11戸)
・1912年(明治45)4月22日 松本明治「北深志の大火」(死者5名、焼失1,341戸)
・1914年(大正3)2月20日 東京神田大正2年三崎町の大火(全焼2,376戸、半焼54戸)
・1917年(大正6)5月22日 大正6年米沢大火(死者11名、焼失2,294戸)
・1919年(大正8)5月19日 大正8年米沢大火(死者1名、焼失1,071戸)
・1921年(大正10)4月6日 東京の大正浅草大火(全焼1,227戸、半焼73戸)
・1924年(大正13)5月21日 八戸大火(死者4名、被災戸数1,393棟)
・1925年(大正14)3月18日  大正日暮里大火(全半焼約2,100戸)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1221年(承久3)後鳥羽上皇の執権・北条義時追討令を受け、北条政子が御家人に結集を訴える(新暦6月10日)詳細
1560年(永禄3)桶狭間の戦いで、織田信長が今川義元を急襲して討ち取る(新暦6月12日)詳細
1565年(天文15)室町幕府第13代将軍足利義輝が松永久秀に攻められ自害する(新暦6月17日)詳細
1636年(寛永13)江戸幕府により「寛永十三年五月令」(第四次鎖国令)が出される(新暦6月22日)詳細
1877年(明治10)詩人・随筆家薄田泣菫の誕生日詳細
1946年(昭和21)東京の皇居前広場で食糧メーデー(飯米獲得人民大会)が開催される詳細
1995年(平成7)「地方分権推進法」(平成7年法律第96号)が公布(同年7月3日施行)される詳細
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 今日は、平安時代後期の1139年(保延5)に、第76代とされる近衛天皇が生まれた日ですが、新暦では6月16日となります。
 近衛天皇(このえてんのう)は、平安時代後期の1139年(保延5年5月18日)に、鳥羽天皇の第9皇子(母は藤原長実の娘美福門院得子)として生まれましたが、生後三ヶ月で立太子しました。1142年(永治元年12月7日)の3歳の時、異母兄崇徳天皇の譲位をうけ、第76代とされる天皇として即位したものの、父・鳥羽天皇が院政を敷きます。
 1150年(久安6年)に、12歳で元服し、内覧・藤原頼長の養女の多子が入内して皇后となる一方で、関白・藤原忠通の養女の呈子も入内して、中宮となりました。これにより、摂関家の内部対立が深まり、保元の乱の遠因となったとされます。
 1153年(仁平3年)の15歳の頃から著しく病気がちであり、一時失明の危機に陥り、譲位の意思を関白・忠通に告げました。しかし、1155年(久寿2年7月23日)に京都において、御所としていた近衛殿で、皇子女のないままに、数え年17歳で夭折しています。
 墓所は安楽寿院南陵(京都市伏見区)とされましたが、死因は呪詛によるとの噂が流れました。尚、和歌を能くし、「千載和歌集」初出で、勅撰集へ五首入集しています。

<代表的な和歌>

・「浮雲の かかる程だに あるものを 隠れなはてそ 有明の月」(千載和歌集)
・「この寝ぬる 夜のまの風や さえぬらむ 筧の水の 今朝はこほれる」(続古今和歌集)
・「虫の音の 弱るのみかは 過ぐる秋を 惜む我が身ぞ まづ消えぬべき」(玉葉和歌集)

〇近衛天皇関係略年表(日付は旧暦です)

・1139年(保延5年5月18日) 鳥羽天皇の第9皇子(母は藤原長実の娘美福門院得子)として生まれる
・1139年(保延5年8月) 生後三ヶ月で立太子する
・1142年(永治元年12月7日) 3歳の時、異母兄崇徳天皇の譲位をうけ、第76代とされる天皇として即位するが、父・鳥羽天皇が院政を敷く
・1150年(久安6年) 12歳で元服し、内覧・藤原頼長の養女の多子が入内して皇后となる一方で、関白・藤原忠通の養女の呈子も入内して、中宮となる
・1153年(仁平3年) 15歳の頃から著しく病気がちであり、一時失明の危機に陥り、譲位の意思を関白・忠通に告げる
・1155年(久寿2年7月23日) 京都において、数え年17歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1333年(元弘3/正慶2)鎌倉幕府第16代執権北条守時が鎌倉小袋坂の戦いで自刃する(新暦6月30日)詳細
1862年(文久2)江戸幕府が蕃書調所を「洋書調所」と改称する(新暦6月15日)詳細
1869年(明治2)榎本武揚らが最後の拠点・五稜郭を開城し維新政府軍に降伏する(新暦6月27日)詳細
1901年(明治34)日本最初の社会主義政党である「社会民主党」が結成される詳細
1943年(昭和18)日本美術報国会(会長横山大観)が結成される詳細
1970年(昭和45)「全国新幹線鉄道整備法」(昭和45年法律第71号)が公布(施行は同年6月18日)される詳細
1982年(昭和57)国連環境計画特別会議で「ナイロビ宣言」が採択される詳細
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 今日は、江戸時代後期の1809年(文化6)に、間宮林蔵が樺太に単身で渡り樺太が島であることを立証した日ですが、新暦では6月29日となります。
 間宮林蔵(まみや りんぞう)は、江戸時代後期の探検家・測量家で、1780年(安永9)に、常陸国筑波郡上平柳村(現在の茨城県つくばみらい市)の農業・箍屋に生まれました。子供のころから数学の才能があり、それをを幕吏に認められて、1790年(寛政2)頃江戸に出て、地理学を学ぶことになります。
 1796年(寛政8 )普請役雇として幕府に出仕し、1800年(寛政12)蝦夷地の測量を命じられ、箱館で伊能忠敬に出会って測量術を学びました。そして、蝦夷地や択捉島を測量し、幕命により1808年(文化5)樺太に渡って探検し、樺太が島であることを確認し、間宮海峡の命名に繋がっています。
 晩年は、密貿易調査の隠密活動に従事しましたが、1844年(弘化元)に70歳で死去ししました。主な著書は『東韃紀行』、『北蝦夷図説』、『銅柱余録』などがあります。
 現在、出身地の茨城県つくばみらい市に「間宮林蔵記念館」が建てられ、遺品や事績を知ることができるようになりました。

〇間宮林蔵関係略年表(日付は旧暦です)

・1780年(安永9年) 常陸国筑波郡上手柳村(現在のつくば市)の農家を営む父・間宮庄兵衛と母・(森田)クマの子として生まれる
・1790年(寛政2年) この頃、江戸に出て、地理学を学ぶ
・1796年(寛政8年) 普請役雇として幕府に出仕する
・1799年(寛政11年) 20歳の時、村上島之允に随行し蝦夷地(北海道)に渡る
・1800年(寛政12年) 21歳の時、蝦夷地御用雇に任ぜられる
・1806年(文化3年) 択捉(えとろふ)を測量する
・1808年(文化5年) 29歳の時、カラフト探検を命ぜられ、松田伝十郎と共に北上し、6月20日ラッカに至り、カラフトの離島を確認する
・1809年(文化6年) 30歳の時  再度カラフト探検を命ぜられ北上、5月カラフトの北端ナニオーに至り、カラフトが離島であることを再確認する、6月アイヌのコーニらに同行し、海峡を渡り東韃靼に至り、デレンで満州仮府の役人と会う
・1810年(文化7年)  31歳の時、村上貞助の協力で、「北蝦夷島地図」、「北蝦夷分界余話」、「東韃地方紀行」を著す
・1814年(文化11年) 35歳の時、蝦夷地測量をする
・1822年(文政5年) 43歳の時、松前奉行廃止、江戸に帰り普請役となる
・1824年(文政7年) 45歳の時、安房上総御前備掛手付となり,異国船渡来の噂を内偵のため、東北海岸を巡視する
・1826年(文政9年) 47歳の時、天文方兼書物奉行高橋景保がシーボルトに対し、クルーゼンシュテルンの航海記と交換に、伊能忠敬の日本地図、間宮林蔵のカラフト地図を贈ることを約束する
・1832年(天保3年) 53歳の時、シーボルト著「日本」で日本辺界略図」の翻訳図に「間宮の瀬戸」の名を始めてヨーロッパに紹介される
・1842年(天保13年) 63歳の時、幕府、林蔵にカラフトおよび東韃靼地域の自製図模写を命ずる
・1844年(天保15年2月26日) 江戸本所外手町の寓居において、数え年65歳で亡くなる 

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

717年(養老元)浮浪・逃亡が増え、「諸国の百姓の浮浪・逃亡の続出に関する詔」が出される(新暦6月30日)詳細
1641年(寛永18)江戸幕府が平戸のオランダ人を長崎の出島に移住させる(新暦6月25日)詳細
1875年(明治8)最初の屯田兵が北海道の琴似(現在の札幌市西区)に入植する詳細
1890年(明治23)「府縣制」(明治23年法律第35号)が公布される詳細
 「郡制」(明治23年法律第36号)が公布される詳細
1946年(昭和21)GHQから「肥料の生産、分配及び使用に関する覚書」(SCAPIN-962)が指令される詳細
1965年(昭和40)労働者の結社の自由・団結権の保護を定めた「ILO87号条約」を国内で承認する詳細
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 今日は、江戸時代後期の1792年(寛政4)に、仙台藩士・林子平の海防の必要性を説いた著書『海国兵談』が発禁となり、子平は蟄居処分になった日ですが、新暦では7月4日となります。
 『海国兵談』(かいこくへいだん)は、ロシア勢力南下の情勢を踏まえて、対外的防備策として、国防、富国強兵の急務を論じた、林子平著の兵学書でした。全16巻からなり、1777年(安永6)に起稿して1786年(天明6)に脱稿、1787年(天明7)~1791年(寛政3)にかけて自費刊行されています。
 当時ロシアが千島、北海道に南進したことに危機感を抱き、警告しようとして書かれたもので、日本を守るために海防が必要であることを説いていました。第1巻では、オランダ船の装備や構造の紹介とともに、洋式軍艦を建造し海軍を充実させるよう説き、大砲を改善し沿海に配備すべきことを提言、特に江戸湾の防備が急務であると指摘、第2巻以下は従来の兵書の内容を出ていませんが、第14~16巻では武士土着論・富国策もあり、全般として国内戦の勝利よりも、対外戦の備えを論じています。
 しかし、1791年(寛政3)末に、みだりに国防を論じた罪で幕府に召喚され、翌年5月16日に蟄居処分となり、板木は没収されました。1793年(寛政5)のロシア使節の根室来航を契機に、本書は広く伝写され、嘉永年間 (1848~54) には復刻出版され、海防の論議が高まるにつれて、尊皇攘夷思想に影響を与えています。
 以下に、『海国兵談』の一部を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇林子平(はやし しへい)とは?

 江戸中期~後期の経世論家で、寛政三奇人の一人です。江戸時代中期の1738年(元文3年6月21日)に、江戸において、幕臣で御書物奉行(620石)であった岡村良通の次男として生まれましたが、本名は友直(ともなお)と言いました。しかし、3歳の頃に、故あって父は浪人の身となり、家族は伯父(父の弟)で町医者の林従吾(林道明)に預けられ、林姓を名乗ることとなります。
 1757年(宝暦7)に、兄が仙台藩に仕官することになり、仙台に居を移しましたが、1764年(明和1)に朝鮮使来聘(らいへい)を聞き、急に江戸に赴くなど、しばしば江戸に遊学し、工藤平助に兄事し、大槻玄沢、桂川甫周 ら蘭学者と交流がありました。1775年(安永4)には、長崎に行き、オランダ人からロシア南下の形勢を聞き、国防の必要を痛感、地理学・兵学を志すようになります。
 1777年(安永6)に、『海国兵談』を起稿して、1786年(天明6)に脱稿、1787年(天明7)~1791年(寛政3)にかけて自費刊行しました。一方で、1785年(天明5)に、国防の見地から『三国通覧図説』を著し、朝鮮、琉球、蝦夷、小笠原諸島の地理を記します。
 しかし、1791年(寛政3)末に、みだりに国防を論じた罪で幕府に召喚され、翌年5月16日に蟄居処分となり、板木は没収され、12月には囚人として江戸に送られました。こういう不遇の状況の中で、1793年(寛政5年6月21日)に、江戸において、病気により、56歳で亡くなっています。
 同年のロシア使節の根室来航を契機に、著書『海国兵談』は広く伝写され、嘉永年間 (1848~54) には復刻出版され、海防の論議が高まるにつれて、尊皇攘夷思想に影響を与えることとなりました。尚、後世には、高山彦九郎、蒲生君平と並んで寛政の三奇人と称されるようになります。

☆林子平著『海国兵談』(抄文)

 海国の武備は海辺にあり。海辺の兵法は水戦にあり。水戦の要は大銃にあり、是れ海国自然の兵制也。
 昇平久き時は人心弛む。人心弛む時は乱を忘るゝ事、和漢古今の通病なり。是を忘れざるを武備といふ。蓋し武は文と相並んで徳の名なり。備は徳にあらず事なり。変に臨て事欠さる様に物を備置を云なり。
 当世の俗習にて、異国船の入津は長崎に限りたる事にて、別の浦江船を寄する事は決して成らざる事と思へり。実に太平の鼓腹する人と云うべし。既に古は薩摩の坊の津、筑前の博多、肥前の平戸、摂州の兵庫、泉州の堺、越前の敦賀等え異国船入津して物を献じ、物を商いたること数多あり。是自序にも言し如く、海国なるゆえ何国の浦へも、心に任せて船を寄せらるゝことなれば、島国なりとて曾て油断は致されざる事也。是に因て思へば、当世長崎の港口に、石火矢台を設て備を張が如く、日本国中東西南北を論せず、悉く長崎の港の如くに備置きたき事、海国武備の大主意なるべし。さて此事、為し難き趣意にあらず。今より新制度を定て漸々に備なば、五十年にして、日本の惣海浜堂々たる厳備をなすべき事、得て期すべし。疑ふこと勿れ。此の如く成就する時は、大海を以て池と為し、海岸を以て石壁と為し、日本といふ方五千里の大城を築き立たるが如し。豈愉快ならずや。
 竊に憶へば当時長崎に厳重に石火矢の備有りて、却て、安房・相模の海港に其備なし、此事甚不審。細かに思へば、江戸の日本橋より唐・阿蘭陀まで境なしの水路なり。然るを此に備へずして、長崎のみ備るは何ぞや。小子が見を以てせば安房、相模の両国に諸侯を置て、入海の瀬戸に厳重の備を設けたき事なり。日本の惣海岸に備る事は、先ず此の港口を以て始と為べし。是海国武備の中の又肝要なる所なり。然と云とも忌諱を顧りみずして有の侭に言は不敬なり。言はざるは又不忠なり。此の故に独夫、罪を憚らずして以て書す。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1623年(元和9)囲碁名人・本因坊家初代本因坊算砂の命日(新暦6月13日)詳細
1689年(元禄2)松尾芭蕉が『おくの細道』に旅立った日の新暦換算日(旅の日)詳細
1889年(明治22)東京・上野の宮内省博物館を帝国博物館に改称し、京都・奈良にも設置する官制が出される詳細
1944年(昭和19)北海道の三菱鉱業美唄炭鉱でガス爆発事故が起こり、死者109人を出す詳細
1951年(昭和26)世界保健機関(WHO)が日本の加盟を承認する詳細
1968年(昭和43)1968年十勝沖地震(M7.9)が起き、死者50人・行方不明者2人・負傷者330人を出す詳細
1989年(平成元)書家・中国書道史家西川寧の命日詳細
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