ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

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 今日は、昭和時代前期の1945年(昭和20)に、「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(1945年勅令第542号)が公布・施行された日です。
 「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(ぽつだむせんげんのじゅだくにともないはっするめいれいにかんするけん)は、太平洋戦争後の占領下、「ポツダム宣言」に基づいて、連合国最高司令官の命令を実施するための勅令・閣令・省令を法的根拠づける勅令で、「ポツダム勅令」とも呼ばれてきました。戦後の日本に対する占領統治の特徴は、沖縄は全面的な軍政下に置かれていたものの、本土では占領軍の命令が日本政府に出され、それを責任をもって施行する間接統治ということとなり、そのために出されたものです。
 「国防保安法廃止等ニ関スル件」、「治安維持法廃止等ノ件」、「治安警察法廃止等ノ件」、「政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件」などがありましたが、1947年(昭和22)5月3日の「日本国憲法」施行後は、「政令」の形式をとり、「ポツダム政令」と呼ばれるよう変わりました。その後は、「公職追放令」、「物価統制令」、「団体等規正令」、「占領目的阻害行為等処罰令」などが出されています。
 この勅令542号は、1952年(昭和27)3月31日公布の「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律」(昭和27年法律第81号)によって、「サンフランシスコ平和条約」発効の同年4月28日に失効し、「ポツダム命令」は消滅することになりました。
 以下に、「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(1945年勅令第542号)を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ發スル命令ニ關スル件(1945年勅令第542号) 1945年(昭和20)9月20日公布・施行

朕茲ニ緊急ノ必要アリト認メ樞密顧問ノ諮詢ヲ經テ帝國憲法第八條第一項ニ依リ「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ發スル命令ニ關スル件ヲ裁可シ之ヲ公布セシム

御名御璽
昭和二十年九月二十日

       內閣總理大臣    稔  彥  王
       國 務 大 臣 公爵 近衞  文麿
       海 軍 大 臣    米內  光政
       運 輸 大 臣    小日山直登
       大 藏 大 臣    津島  壽一
       司 法 大 臣    岩田  宙造
       農 林 大 臣    千石興太郞
       國 務 大 臣    緖方  竹虎
       內 務 大 臣    山崎    巖
       商 工 大 臣    中島知久平
       厚 生 大 臣    松村  謙三
       文 部 大 臣    前田  多門
       國 務 大 臣    小畑敏四郞
       陸 軍 大 臣    下村    定
       外 務 大 臣    吉田    茂

勅令第五百四十二號

政府ハ「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ聯合國最高司令官ノ爲ス要求ニ係ル事項ヲ實施スル爲特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ所要ノ定ヲ爲シ及必要ナル罰則ヲ設クルコトヲ得

附則

本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

     「ウィキソース」より

☆ポツダム勅令一覧

<1945年(昭和20)>

・568 國防保安法廢止等ニ關スル件
・575 治安維持法廢止等ノ件
・576 要塞地帶法廢止等ノ件
・577 金、銀又ハ白金ノ取引等取締ニ關スル件
・578 金、銀又ハ白金ノ地金又ハ合金ノ輸入ノ制限又ハ禁止等ニ關スル件
・604 軍事特別措置法廢止等ニ關スル件
・605 臨時郵便取締令廢止ノ件
・615 外國爲替管理法ノ罰則ノ特例ニ關スル件
・634 兵役法廢止等ニ關スル件
・635 要求物資使用収用令
・636 土地工作物使用令
・638 治安警察法廢止等ノ件
・641 住宅緊急措置令
・643 軍馬資源保護法廢止等ニ関スル件
・653 昭和十三年法律第三十號廢止等ニ關スル件
・655 昭和二十年勅令第五百七十八號中改正ノ件
・656 外國爲替資產等ノ分離保管ノ件
・657 會社ノ解散ノ制限等ノ件
・658 第一復員裁判所及第二復員裁判所令
・718 宗敎團體法等廢止ノ件
・719 宗敎法人令
・730 政治犯人等ノ資格囘復ニ關スル件
・731 衆議院議員選擧人名簿ノ特例ニ關スル件

<1946年(昭和21)>

・33 国際的協定又ハ国際的契約ノ禁止等ニ關スル件
・43 厚生年金保険法等中改正ノ件
・52 有毒飲食物等取締令
・53 工業所有権法戦時特例中改正ノ件
・68 恩給法ノ特例ニ關スル件
・70 宗教法人令中改正ノ件
・71 官国幣社経費ニ関スル法律等廃止ノ件
・81 地方団体ノ吏員等連合国最高司令官ノ命令ニ基キ退職シタルトキノ退隠料等ヲ受クルノ資格又ハ権利ノ喪失等ニ関スル件
・82 永楽土地建物株式会社ノ財産ノ取引ノ制限等ノ件
・96 衆議院議員選挙法第百一条ノ三及第百四条ノ規定ノ適用ニ関スル件
・101 政党、協会其ノ他ノ団体ノ結成ノ禁止等ニ関スル件
・105 戦争終結後復員シタル陸海軍ノ軍人等ニ対シ支給シタル退職賞与金ノ国庫返納ニ関スル件
・109 就職禁止、退官、退職等ニ関スル件
・110 臨時軍事費特別会計ノ終結ニ關スル件
・112 軍人及軍属ニ交付セラレタル賜金国庫債券ヲ無効トスルコトニ関スル件
・116 退職手当金、年金其ノ他此等ニ準ズベキ利益ノ給付ノ制限ニ関スル件
・118 物価統制令
・126 都会地転入抑制緊急措置令
・139 臨時船舶管理法中改正等ニ関スル件
・142 国有財産法中改正等ノ件
・143 昭和二十年勅令第六百五十七号会社ノ解散ノ制限等ノ件中改正ノ件
・144 臨時肥料配給統制法中改正等ニ関スル件
・146 昭和十三年法律第八十四號大東亞戰爭ニ際シ召集中ノ者ノ選擧權及被選擧權等ニ關スル法律中改正等ノ件
・148 会計法戦時特例中改正等ノ件
・161 昭和十八年法律第八十八號陪審法ノ停止ニ關スル法律中改正ノ件
・188 昭和二十一年勅令第三十三号国際的協定又ハ国際的契約ノ禁止等ニ關スル件中改正ノ件
・233 持株会社整理委員会令
・243 会社配当等禁止制限令
・262 日本通運株式会社法中改正等ノ件
・263 教職員ノ除去、就職禁止及復職等ノ件
・266 昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く傷兵院法を廃止する勅令
・273 民事裁判権の特例に関する勅令
・274 刑事裁判権等の特例に関する勅令
・275 臨時貴金属数量等報告令
・277 関税法の罰則等の特例に関する勅令
・278 陸軍軍法會議法、海軍軍法會議法及第一復員裁判所及第二復員裁判所令廢止ニ關スル件
・282 昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く都会地転入抑制緊急措置令の一部を改正する勅令
・283 軍需金融等特別措置法等の一部を改正する勅令
・284 同年勅令第六百三十四号兵役法廢止等ニ關スル件中改正ノ件
・285 復員官署ニ於テ運航スル船舶ニシテ復員又ハ掃海ニ使用スルモノノ乗員ニ付船員法等ノ一部準用ノ件
・286 特定財産管理令
・288 臨時建築制限令
・294 聯合国財産の返還等の件
・298 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く住宅緊急措置令の一部を改正する勅令
・300 銃砲等所持禁止令
・304 昭和二十一年勅令第六十八号(昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く恩給法の特例に関する勅令)の一部を改正する勅令
・306 昭和二十一年勅令第百九号(昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く就職禁止、退官、退職等に関する件)の一部を改正する勅令
・307 昭和二十一年勅令第百九号(昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く就職禁止、退官、退職等に関する件)の一部を改正する勅令
・311 聯合国占領軍の占領目的に有害な行為に対する処罰等に関する勅令
・312 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く昭和二十一年勅令第百一号(政党、協会その他の団体の結成の禁止等に関する勅令)の一部を改正する勅令
・325 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く有毒飲食物等取締令の一部を改正する勅令
・328 貿易等臨時措置令
・329 閉鎖機関に関する債権の時効等の特例に関する勅令
・330 交易営団解散令
・382 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く物価統制令の一部を改正する勅令
・384 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基き銃砲等所持禁止令の一部を改正する勅令
・418 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基き昭和二十一年勅令第八十二号永楽土地建物株式会社の財産の取引の制限等に関する勅令を廃止する勅令
・421 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基き戸籍法の一部を改正する勅令
・434 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基き銃砲等所持禁止令の一部を改正する勅令
・442 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基き、都会地転入抑制緊急措置令の一部を改正する勅令
・443 地代家賃統制令
・446 重要産業団体令を廃止する等の勅令
・452 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く昭和二十年法律第四十四号国家総動員法及び戦時緊急措置法廃止法律の一部を改正する勅令
・456 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基き、臨時貴金属数量等報告令の一部を改正する等の勅令
・475 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基き昭和二十一年勅令第二百七十三号民事裁判権の特例に関する勅令の一部を改正する勅令
・516 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基き臨時貴金属数量等報告令の一部を改正する勅令
・529 漁業法の罰則の特例に関する勅令
・540 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基き、昭和二十一年勅令第九十六号衆議院議員選挙法第百一条ノ三及び第百四条の規定の適用に関する件の一部を改正する勅令
・562 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く船舶保護法の廃止等に関する勅令
・563 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く東亜海運株式会社の解散に関する勅令
・564 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く軍用電気通信法等を廃止する勅令
・567 会社の証券保有制限等に関する勅令
・570 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基き昭和二十一年勅令第三百十二号(同年勅令第百一号政党、協会その他の団体の結成に関する件の一部を改正する勅令)の一部を改正する勅令
・571 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基き都会地転入抑制緊急措置令の一部を改正する勅令
・576 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基き昭和二十一年勅令第二百七十七号関税法の罰則等の特例に関する勅令の一部を改正する勅令
・592 昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基き持株会社整理委員会令の一部を改正する勅令
・634 日本銀行に対する外国通貨等の引渡に関する勅令

<1947年(昭和22)>

・1 公職に関する就職禁止、退官、退職等に関する勅令を改正する勅令
・3 市町村長の立候補禁止等に関する勅令
・4 町内会部落会又はその連合会の長の選挙に関する勅令
・9 婦女に賣淫をさせた者等の処罰に関する勅令
・21 会社の証券保有制限等に関する件の一部を改正する勅令
・27 地代家賃統制令の一部を改正する勅令
・36 連合国人の特許発明等の実施状況調査に関する勅令
・45 臨時建築制限令を廃止する勅令
・46 連合国財産の返還等に関する件の一部を改正する勅令
・48 会社の証券保有制限等に関する件の一部を改正する勅令
・61 昭和二十二年勅令第一号(公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令) の特例に関する勅令
・65 昭和二十二年勅令第一号の規定による覚書該当者の指定の解除の訴願に関する勅令
・67 町内会部落会又はその連合会の長の選挙に関する勅令の廃止に関する勅令
・74 閉鎖機関令
・75 閉鎖機関整理委員会令
・77 公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令の一部を改正する勅令
・82 都会地転入抑制緊急措置令の一部を改正する勅令
・84 政党、協会その他の団体の結成の禁止等に関する勅令の一部を改正する勅令
・109 国家総動員法及び戦時緊急措置法を廃止する法律の一部を改正する勅令
・133 物価統制令の一部を改正する勅令
・171 肥料配給公団令
・207 外國人登錄令

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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 今日は、昭和時代中期の1955年(昭和30)に、原水爆禁止日本協議会(原水協)が結成された日です。
 原水爆禁止日本協議会(げんすいばくきんしにほんきょうぎかい)は、原爆被災10周年を記念して、1955年(昭和30)8月に開催された第1回原水爆禁止世界大会終了後、原水爆禁止署名全国協議会と原水爆禁止世界大会日本準備会とが合同し、運動を継続させるために、同年9月19日に設立された、原水爆の禁止を呼びかける国民運動組織でした。核戦争阻止、核兵器の全面禁止、被爆者救援を基本目標とし、以後毎年、世界各国の平和団体代表を集めて日本で世界大会が催されるようになります。
 この運動は政治的イデオロギーを問わず、いろいろな団体が参加する国民運動でしたが、1965年(昭和40)に、「部分的核実験禁止条約」の評価などを巡って、「原水爆禁止日本国民会議」が分れたのをはじめ、分裂が起こりました。1977年(昭和52)に開かれた第1回国連軍縮特別総会に向けた署名運動での協力を通じて、同年8月に14年ぶりの統一世界大会が開かれ、以後毎年挙行されたものの、1986年(昭和61)以降、再分裂しています。
 しかし、これらの運動によって、日本は最初の被爆国として、平和運動の面でも世界的な中心の一つとなりました。

〇原水爆禁止日本協議会(原水協)関係略年表

・1954年(昭和29)3月1日 南太平洋のビキニ島近くの海域でアメリカが行なった水爆実験によって、「第五福竜丸」などの漁船が被爆する
・1954年(昭和29)5月 「水爆禁止署名運動杉並協議会」が結成される
・1954年(昭和29)8月 「原水爆禁止署名全国協議会」が結成される
・1954年(昭和29)9月23日 「第五福竜丸」無線長だった久保山愛吉さんが被爆が原因で死亡する
・1955年(昭和30)8月6日 被爆10周年の広島市で、第1回原水爆禁止世界大会が開催される
・1955年(昭和30)9月 原水爆禁止署名が当初目標を達成する
・1955年(昭和30)9月19日 原水爆禁止日本協議会(原水協)が結成される
・1959年(昭和34) 安保改定問題を議題としたことから保守系や自治体首長が離脱する
・1960年(昭和35) 民社党は別組織の創立を決定する
・1961年(昭和36)8月 第7回世界大会は、「最初に実験を開始する政府は平和の敵、人道の敵」と決議する
・1961年(昭和36)8月30日 ソビエト連邦が核実験を再開する
・1961年(昭和36)11月 核兵器禁止平和建設国民会議(初代議長松下正寿)を創立、これに保守系の一部も参加する
・1962年(昭和37) 第8回世界大会は、ソ連の核とソ連平和勢力論をめぐり社共両党と中ソの代表が激突する
・1964年(昭和39) 広島・長崎・静岡の原水協・総評・社会党は別大会を開催する
・1965年(昭和40) 「部分的核実験禁止条約」の評価などを巡って、総評・社会党系が「原水爆禁止日本国民会議」を結成して分れる
・1977年(昭和52) 第1回国連軍縮特別総会に向けた署名運動での両組織の協力が行われる
・1977年(昭和52)8月 14年ぶりの統一世界大会が開かれる
・1986年(昭和61) 再分裂する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1870年(明治3)平民苗字許可令」により平民も苗字を名乗ることが許される(新暦10月13日)詳細
1945年(昭和20)GHQが「日本に与うる新聞遵則(プレスコード)」(SCAPIN-33)を出し言論統制検閲が始まる詳細
1959年(昭和34)国立青年の家第1号となる「国立中央青年の家」(静岡県御殿場市)が設置される詳細
1978年(昭和53)埼玉古墳群の稲荷山古墳出土鉄剣の金錯銘を解読したと発表される詳細


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 今日は、奈良時代の711年(和銅4)に、元明天皇の詔勅により太安麻呂が『古事記』の編纂に着手した日ですが、新暦では11月3日となります。
 『古事記』(こじき)は、奈良時代の元明天皇の勅命により、太安万侶が、稗田阿礼のそらんじていた帝紀・旧辞などを筆録した日本最古の歴史書とされてきました。712年(和銅5年1月28日)に完成して、元明天皇に献進されましたが、記と略され、『日本書紀』と併せて「記紀」と呼ばれています。
 3巻からなり、内容は上巻は神代、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事を収め、神話・伝説・歌謡などを含んでいました。天皇支配の正当性を歴史的に証明し、合理化しようとする思想で貫かれているものの、文学古典としての価値や国語研究上の価値も大きなものがあるとされています。
 以下に、『古事記』の序文を現代語訳付で全文載せておきますので、ご参照下さい。

〇『古事記』の序文

<原文>

 臣安萬侶言。
 夫、混元既凝、氣象未效、無名無爲、誰知其形。然、乾坤初分、參神作造化之首、陰陽斯開、二靈爲群品之祖。所以、出入幽顯、日月彰於洗目、浮沈海水、神祇呈於滌身。故、太素杳冥、因本教而識孕土產嶋之時、元始綿邈、頼先聖而察生神立人之世。
 寔知、懸鏡吐珠而百王相續、喫劒切蛇、以萬神蕃息與。議安河而平天下、論小濱而淸國土。
 是以、番仁岐命、初降于高千嶺、神倭天皇、經歷于秋津嶋。化熊出川、天劒獲於高倉、生尾遮徑、大烏導於吉野、列儛攘賊、聞歌伏仇。卽、覺夢而敬神祇、所以稱賢后。望烟而撫黎元、於今傳聖帝。定境開邦、制于近淡海、正姓撰氏、勒于遠飛鳥。雖步驟各異文質不同、莫不稽古以繩風猷於既頽・照今以補典教於欲絶。
 曁飛鳥淸原大宮御大八洲天皇御世、濳龍體元、洊雷應期。開夢歌而相纂業、投夜水而知承基。然、天時未臻、蝉蛻於南山、人事共給、虎步於東國、皇輿忽駕、淩渡山川、六師雷震、三軍電逝、杖矛擧威、猛士烟起、絳旗耀兵、凶徒瓦解、未移浹辰、氣沴自淸。乃、放牛息馬、愷悌歸於華夏、卷旌戢戈、儛詠停於都邑。歲次大梁、月踵夾鍾、淸原大宮、昇卽天位。道軼軒后、德跨周王、握乾符而摠六合、得天統而包八荒、乘二氣之正、齊五行之序、設神理以奬俗、敷英風以弘國。重加、智海浩汗、潭探上古、心鏡煒煌、明覩先代。
 於是天皇詔之「朕聞、諸家之所賷帝紀及本辭、既違正實、多加虛僞。當今之時不改其失、未經幾年其旨欲滅。斯乃、邦家之經緯、王化之鴻基焉。故惟、撰錄帝紀、討覈舊辭、削僞定實、欲流後葉。」時有舍人、姓稗田、名阿禮、年是廿八、爲人聰明、度目誦口、拂耳勒心。卽、勅語阿禮、令誦習帝皇日繼及先代舊辭。然、運移世異、未行其事矣。
 伏惟、皇帝陛下、得一光宅、通三亭育、御紫宸而德被馬蹄之所極、坐玄扈而化照船頭之所逮、日浮重暉、雲散非烟、連柯幷穗之瑞、史不絶書、列烽重譯之貢、府無空月。可謂名高文命、德冠天乙矣。
 於焉、惜舊辭之誤忤、正先紀之謬錯、以和銅四年九月十八日、詔臣安萬侶、撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭以獻上者、謹隨詔旨、子細採摭。然、上古之時、言意並朴、敷文構句、於字卽難。已因訓述者、詞不逮心、全以音連者、事趣更長。是以今、或一句之中、交用音訓、或一事之內、全以訓錄。卽、辭理叵見、以注明、意況易解、更非注。亦、於姓日下謂玖沙訶、於名帶字謂多羅斯、如此之類、隨本不改。
 大抵所記者、自天地開闢始、以訖于小治田御世。故、天御中主神以下、日子波限建鵜草葺不合尊以前、爲上卷、神倭伊波禮毘古天皇以下、品陀御世以前、爲中卷、大雀皇帝以下、小治田大宮以前、爲下卷、幷錄三卷、謹以獻上。臣安萬侶、誠惶誠恐、頓首頓首。

 和銅五年正月廿八日 正五位上勳五等太朝臣安萬侶

   『古事記』より

 *縦書きの原文を横書きに改め、句読点を付してあります。

<読み下し文>

 臣安万侶言さく、
 夫れ混元既に凝りて、気象未だ效れず。名も無く為も無し。誰か其の形を知らむ。然れども乾坤初めて分れて、参神造化の首と作り、陰陽斯に開けて、二霊群品の祖と為りき。所以に幽顕に出入りして、日月目を洗うに彰れ、海水に浮沈して、神祗身を漱ぐに呈る。故、太素は杳冥なれども、本教によりて而土を孕み嶋を産みし時を識り、元始は綿邈なれども、先聖に頼りて、神を生み人を立てし世を察る。
 寔に知る、鏡を懸け、珠を吐きて、百王相續ぎ、剣を喫み釼蛇を切りて、萬神蕃息せしことを。安河に議りて天下平け、小濱に論ひて国土を清めき。
 是を以ちて番仁岐命。初めて高千嶺に降り、神倭天皇、秋津嶋に經歴したまひき。化熊川を出でて。天釼を高倉に獲、生尾徑を遮りて、大烏吉野に導きき。儛を列ねて賊を攘ひ、歌を聞きて仇を伏はしむ。即ち夢に覺りて神祇を敬ひたまひき。所以に賢后と称す。烟を望みて黎元を撫でたまひき。今に聖帝と云ふ。境を定めて邦を開きて、近淡海を制め、姓を正して氏を撰び、遠飛鳥を勒めたまいき。歩驟各異に、文質同じからずといえども、莫不古を稽へて風猷を既に頽れたるに繩し。今に照らして典教を絶えむとするに補はずということなし。
 飛鳥の清原の大宮に、大八洲にしらしめし天皇の御世に曁りて、濳龍元を体し。洊雷期に応じき。夢の歌を聞きて而業を纂がむことを相せ、夜の水に投りて基を承けむことを知りたまいひき。然れども天の時未だ臻らずして、南山に蝉蛻し、人事共洽わりて、東国に虎歩したまいき。皇輿忽ち駕して、山川を浚え渡り、六師雷のごとく震ひ、三軍電のごとく逝きき。杖矛威を挙げて、猛士烟のごとく起り、絳旗兵を耀かして、凶徒瓦のごとく解けき。未だ浹辰移さずして、氣?自ら清まりき。乃ち牛を放ち馬を息へ。愷悌して華夏に帰り。旌を巻き戈をおさめ、舞詠して都邑に停まりたまひき。
 歳大梁に次り、月侠鍾に踵り、清原の大宮にして、昇りて天位に即きたまひき。道は軒后に軼ぎ、徳は周王に跨えたまひき。乾符を握りて六合を摠べ、天統を得て八荒を包ねたまひき。二氣の正しきに乗り、五行の序を齊へ、神理を設けて俗を奬め、英風を敷きて国を弘めたまいき。重加、智海は浩瀚として、潭く上古を探り、心鏡は?煌として、明らかに先代を観たまひき。
 ここに天皇詔りたまわく、「朕聞く、諸家のもてる帝紀および本辭、既に正實に違ひ、多く虚僞を加ふと、今の時にあたり、その失を改めずは、いまだ幾年を経ずして、その旨、滅びなむとす。これすなわち邦家の經緯、王化の鴻基なり。故、これ帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽りを削り、実を定實めて、後の葉に流へむと欲ふ」とのりたまひき。時に舍人、有り。姓は稗田、名は阿禮。年はこれ廿八。人と爲り聰明にして、。目に度れば、口に誦み、耳に拂るれば心に勒す。即ち阿禮に勅語して、帝皇の日繼及び、先代の旧辞を誦に習はしめたまひき。然れども運移り世異りて。未だその事を行ひたまはざりき。
 伏して惟うに皇帝陛下、一を得て光宅し、三に通じて亭育したまふ。紫宸に御して徳は馬の蹄の極まる所に被び、玄扈に坐して化は船の頭の逮ぶ所を照らしたまふ。日浮かびて暉を重ね、雲散ちりて烟に非ず。柯を連ね穗を并す瑞、史書すことを絶たず、烽を列ね訳を重むる貢、府空しき月無し。名は文命よりも高く、徳は天乙にも冠りたまへりと謂ひつべし。
 ここに舊辭の誤り忤へるを惜しみ、先紀の謬り錯れると正さむとして、和銅四年九月十八日を以ちて、臣安萬侶に詔りして、稗田阿禮が誦む所の勅語の舊辭を撰録して、獻上せしむといへれば、謹みて詔旨のまにまに、子細に採り摭ひぬ。
 然れども上古の時は、言と意を並朴にして、文を敷き句を構ふること、字におきて即ち難し。已に訓によりて述べたるは、詞心におよばず。全く音を以て連ねたるは、事の趣さらに長し。是をもちて今、或は一句の中に、音訓を交いて用ゐ、或は一事の内に、全く訓を以ちて録す。即ち、辭理の見えがたきは、注を以ちて明かにし、意况の解り易きは更に注せず。また姓おきて日下を玖沙訶といひ、名におきて帶の字を多羅斯といふ。かくの如き類は、本のままに改ず。大抵記す所は、天地の開闢より始めて。于小治田の御世に訖る。故、天御中主神以下、日子波限建鵜
 草葺不合尊以前を上卷となし、神倭伊波禮毘古天皇以下、品陀御世以前を中卷となし、大雀皇帝以下、小治田大宮以前を下卷となし、并せて三卷に録して、謹みて獻上る。臣安萬侶、誠惶誠恐、頓首頓首。

  和銅五年正月二十八日。正五位上勲五等太朝臣安萬侶謹上。

<現代語訳>

 わたくし安萬侶が申しあげます。
 宇宙のはじめに當つては、すべてのはじめの物がまずできましたが、その氣性はまだ十分でございませんでしたので、名まえもなく動きもなく、誰もその形を知るものはございません。それからして天と地とがはじめて別になつて、アメノミナカヌシの神、タカミムスビの神、カムムスビの神が、すべてを作り出す最初の神となり、そこで男女の兩性がはつきりして、イザナギの神、イザナミの神が、萬物を生み出す親となりました。そこでイザナギの命は、地下の世界を訪れ、またこの國に歸つて、禊をして日の神と月の神とが目を洗う時に現われ、海水に浮き沈みして身を洗う時に、さまざまの神が出ました。それ故に最古の時代は、くらくはるかのあちらですけれども、前々からの教によつて國土を生み成した時のことを知り、先の世の物しり人によつて神を生み人間を成り立たせた世のことがわかります。
 ほんとにそうです。神々が賢木の枝に玉をかけ、スサノヲの命が玉を噛んで吐いたことがあつてから、代々の天皇が續き、天照らす大神が劒をお噛みになり、スサノヲの命が大蛇を斬つたことがあつてから、多くの神々が繁殖しました。神々が天のヤスの川の川原で會議をなされて、天下を平定し、タケミカヅチノヲの命が、出雲の國のイザサの小濱で大國主の神に領土を讓るようにと談判されてから國内をしずかにされました。
 これによつてニニギの命が、はじめてタカチホの峯にお下りになり、神武天皇がヤマトの國におでましになりました。この天皇のおでましに當つては、ばけものの熊が川から飛び出し、天からはタカクラジによつて劒をお授けになり、尾のある人が路をさえぎつたり、大きなカラスが吉野へ御案内したりしました。人々が共に舞い、合圖の歌を聞いて敵を討ちました。そこで崇神天皇は、夢で御承知になつて神樣を御崇敬になつたので、賢明な天皇と申しあげますし、仁徳天皇は、民の家の煙の少いのを見て人民を愛撫されましたので、今でも道に達した天皇と申しあげます。成務天皇は近江の高穴穗の宮で、國や郡の境を定め、地方を開發され、允恭天皇は、大和の飛鳥の宮で、氏々の系統をお正しになりました。それぞれ保守的であると進歩的であるとの相違があり、華やかなのと質素なのとの違いはありますけれども、いつの時代にあつても、古いことをしらべて、現代を指導し、これによつて衰えた道徳を正し、絶えようとする徳教を補強しないということはありませんでした。
 飛鳥の清原の大宮において天下をお治めになつた天武天皇の御世に至つては、まず皇太子として帝位に昇るべき徳をお示しになりました。しかしながら時がまだ熟しませんでしたので吉野山に入つて衣服を變えてお隱れになり、人と事と共に得て伊勢の國において堂々たる行動をなさいました。お乘物が急におでましになつて山や川をおし渡り、軍隊は雷のように威を振い部隊は電光のように進みました。武器が威勢を現わして強い將士がたくさん立ちあがり、赤い旗のもとに武器を光らせて敵兵は瓦のように破れました。まだ十二日にならないうちに、惡氣が自然にしずまりました。そこで軍に使つた牛馬を休ませ、なごやかな心になつて大和の國に歸り、旗を卷き武器を納めて、歌い舞つて都におとどまりになりました。そうして酉の年の二月に、清原の大宮において、天皇の位におつきになりました。その道徳は黄帝以上であり、周の文王よりもまさつていました。神器を手にして天下を統一し、正しい系統を得て四方八方を併合されました。陰と陽との二つの氣性の正しいのに乘じ、木火土金水の五つの性質の順序を整理し、貴い道理を用意して世間の人々を指導し、すぐれた道徳を施して國家を大きくされました。そればかりではなく、知識の海はひろびろとして古代の事を深くお探りになり、心の鏡はぴかぴかとして前の時代の事をあきらかに御覽になりました。
 ここにおいて天武天皇の仰せられましたことは「わたしが聞いていることは、諸家で持ち傳えている帝紀と本辭とが、既に眞實と違い多くの僞りを加えているということだ。今の時代においてその間違いを正さなかつたら、幾年もたたないうちに、その本旨が無くなるだろう。これは國家組織の要素であり、天皇の指導の基本である。そこで帝紀を記し定め、本辭をしらべて後世に傳えようと思う」と仰せられました。その時に稗田の阿禮という奉仕の人がありました。年は二十八でしたが、人がらが賢く、目で見たものは口で讀み傳え、耳で聞いたものはよく記憶しました。そこで阿禮に仰せ下されて、帝紀と本辭とを讀み習わしめられました。しかしながら時勢が移り世が變わつて、まだ記し定めることをなさいませんでした。
 謹んで思いまするに、今上天皇陛下(元明天皇)は、帝位におつきになつて堂々とましまし、天地人の萬物に通じて人民を正しくお育てになります。皇居にいまして道徳をみちびくことは、陸地水上のはてにも及んでいます。太陽は中天に昇つて光を増し、雲は散つて晴れわたります。二つの枝が一つになり、一本の莖から二本の穗が出るようなめでたいしるしは、書記が書く手を休めません。國境を越えて知らない國から奉ります物は、お倉にからになる月がありません。お名まえは夏の禹王よりも高く聞え御徳は殷の湯王よりもまさつているというべきであります。そこで本辭の違つているのを惜しみ、帝紀の誤つているのを正そうとして、和銅四年九月十八日を以つて、わたくし安萬侶に仰せられまして、稗田の阿禮が讀むところの天武天皇の仰せの本辭を記し定めて獻上せよと仰せられましたので、謹んで仰せの主旨に從つて、こまかに採録いたしました。
 しかしながら古代にありましては、言葉も内容も共に素朴でありまして、文章に作り、句を組織しようと致しましても、文字に書き現わすことが困難であります。文字を訓で讀むように書けば、その言葉が思いつきませんでしようし、そうかと言つて字音で讀むように書けばたいへん長くなります。そこで今、一句の中に音讀訓讀の文字を交えて使い、時によつては一つの事を記すのに全く訓讀の文字ばかりで書きもしました。言葉やわけのわかりにくいのは註を加えてはつきりさせ、意味のとり易いのは別に註を加えません。またクサカという姓に日下と書き、タラシという名まえに帶の字を使うなど、こういう類は、もとのままにして改めません。大體書きました事は、天地のはじめから推古天皇の御代まででございます。そこでアメノミナカヌシの神からヒコナギサウガヤフキアヘズの命までを上卷とし、神武天皇から應神天皇までを中卷とし、仁徳天皇から推古天皇までを下卷としまして、合わせて三卷を記して、謹んで獻上いたします。わたくし安萬侶、謹みかしこまつて申しあげます。

 和銅五年正月二十八日
 正五位の上勳五等 太の朝臣安萬侶

     現代語訳は、武田祐吉「校註 古事記」(青空文庫)による。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1428年(正長元)正長の土一揆で京都・醍醐附近の地下人が徳政を要求して蜂起する(新暦10月26日)詳細
1868年(明治元)日本画家横山大観の誕生日(新暦11月2日)詳細
1869年(明治2)東京・築地に明治新政府により海軍操練所海軍兵学校の前身)が設立される(新暦10月22日)詳細
1927年(昭和2)小説家徳富蘆花の命日(蘆花忌)詳細


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 今日は、1868年(明治元)に、観音埼灯台(現在の神奈川県横須賀市)で日本初の西洋式灯台の建設が起工した日ですが、新暦では11月1日となります。
 観音埼灯台(かんのんざきとうだい)は、神奈川県三浦半島の最東端の岬に立つ、白色八角形の中型灯台です。周辺は、県立の観音崎公園として、自然が保護されていて、浦賀水道を一望の下にすることも出来、すばらしい景観です。
 この灯台は、幕末の1866年(慶応2年5月13日)に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ「改税約書」(別名「江戸条約」)によって建設することを約束した8ヶ所の灯台の一つです。これらを条約灯台とも呼び、日本で最初に建設された一群の洋式灯台でした。
 これらが順次建設されていったのですが、 1869年2月11日<旧暦では明治2年1月1日>に、フランス人技師F.L ヴェルニー等の設計によって建設され、日本で最初に初点灯した洋式灯台が観音埼灯台です。このように、観音崎は東京湾に出入りする船舶に とっては、昔からの要衝でした。
 建設当初は、レンガ造りの四角い洋館建てで、屋上に灯塔を設けたフランス風白色八角形のレンガ造灯台で、地上から灯火までが12.12mの高さで、フランス製の第3等フレネル式レンズを使用し、3重心灯器で1,750カンデラ、光達距離14海里(約26km)だったそうです。しかしながら、1922年(大正11)4月26日の地震で倒壊してしまいました。
 すぐに、二代目の灯台が建設され、翌年コンクリート造りのものに生まれ変わったものの、関東大震災で被災し、また建て替えられたものです。現在の三代目は、1925年(大正14)6月1日に完成した白色塔形(八角形)コンクリート造りのものでした。
 灯塔高19m(地上から塔頂まで)、標高56m(平均海面~灯火)で、第4等フレネル式レンズを使い、光度7万7千カンデラ(実効光度)、光達距離は19海里(約35km)です。一般公開(有料大人200円)されている参観灯台で、上まで登ることができますが、灯台上からは、浦賀水道や対岸の房総半島までが見渡すことが出来ます。
 また、灯台資料展示室が併設されていて、初代の灯台を造ったフランス人F.L ヴェルニーの胸像や灯台レンズなどの貴重な資料も展示されてきました。
 尚、この起工日が、新暦で11月1日だったので、それにちなんで、毎年11月1日が「灯台記念日」とされました。海上保安庁が、1949年(昭和24)に制定し、記念行事が行われ、普段は、公開されていない、灯台が、特別公開になり、内部に入れたりします。

〇「改税約書」(別名「江戸条約」)とは?

 1863年(文久3)長州藩がアメリカ、フランス、オランダの船を砲撃した下関事件に関連して、幕末の1866年(慶応2)5月に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と「改税約書」が結ばれましたが、それが「江戸条約」とも呼ばれています。これは、輸入税に関する協約で、安政条約の5~35%の従価税を廃止し,従価5%を基準とする従量税とするもので,きわめて不利な関税率でした。その条約第11条「日本政府は外国交易の為め開きたる各港最寄船々の出入安全のため灯明台浮木瀬印木等を備ふへし」(灯明台規定)により、以下のの8ヶ所の灯台を建設することを約束します。これらを条約灯台とも呼び、日本で最初に建設された一群の洋式灯台でもありました。これらが順次建設されていったのですが、 1869年2月11日(旧暦:明治2年1月1日)に、日本で最初に点灯した洋式灯台が観音埼灯台です。

☆江戸条約により建設された灯台(条約灯台)一覧

・観音埼灯台[神奈川県横須賀市]1869年2月11日(旧暦:明治2年1月1日)
・野島埼灯台[千葉県南房総市]1870年1月19日(旧暦:明治2年12月18日)
・樫野埼灯台[和歌山県串本町]1870年7月8日(旧暦:明治3年6月10日)
・神子元島灯台[ 静岡県下田市]1871年1月1日(旧暦:明治3年11月11日) 
・剱埼灯台[神奈川県三浦市]1871年3月1日(旧暦:明治4年1月11日)
・伊王島灯台[長崎県長崎市]1871年9月14日(旧暦:明治4年7月30日)
・佐多岬灯台[鹿児島県南大隅町]1871年11月30日(旧暦:明治4年10月18日)
・潮岬灯台[和歌山県串本町]1873年(明治6)9月15日

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1867年(慶応3)俳人・歌人正岡子規の誕生日(新暦10月14日)詳細
1938年(昭和13)俳人村上鬼城の命日(鬼城忌)詳細
1945年(昭和20)枕崎台風が枕崎に上陸、日本を縦断し、死者・行方不明者3,758人が出る詳細
1964年(昭和39)日本初の旅客用モノレールとなる東京モノレール(羽田空港~浜松町)が開業する詳細


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 今日は、昭和時代中期の1961年(昭和36)に、第2室戸台風(昭和36年台風第18号)が襲来し、近畿地方中心に全国へ大きな被害をもたらした日です。
 第2室戸台風(だいにむろとたいふう)は、昭和36年台風第18号(国際名:Nancy)のことで、四国の室戸岬近くに上陸し、特に近畿地方中心に全国へ大きな被害をもたらしました。この台風は、9月8日にエニウェック島の南海上で発生し、西北西に進んで発達し、12日~13日にかけて中心気圧が900hPa未満の猛烈な強さの台風となります。
 その後、進路を次第に北寄りに変え、14日には沖縄の東海上を進み、15日朝奄美大島を通過後、北東に進み、16日9時過ぎに室戸岬の西方に上陸しました。その時の中心気圧は925hPaと強い勢力で、最大風速は西南西の風66.7m/sを観測、さらに加速しながらあまり衰えずに、13時過ぎに兵庫県尼崎市と西宮市の間に再上陸します。
 18時に能登半島東部に達し日本海に抜け、日本海沿岸を北北東進して北海道のすぐ西を通過していきました。これにより、最大風速は、大阪で33.3m/s、和歌山で35.0m/s、新潟で30.7m/sなど、各地で暴風となり、雨による被害は比較的小さかったものの、大阪市では高潮により市の西部から中心部にかけて31平方kmが浸水します。
 この結果、死者194人、行方不明者8人、負傷者4,972人、住家全壊15,238棟、住家半壊46,663棟、床上浸水123,103棟、床下浸水261,017棟など大きな被害が出ました。気象庁は、関西に甚大な被害をもたらした1934年(昭和9)の室戸台風に似たコースをとったので、この台風を「第2室戸台風」と命名します。

〇気象庁命名台風一覧

・洞爺丸台風(昭和29年台風第15号) 1954年[国際名:Marie]
・狩野川台風(昭和33年台風第22号) 1958年[国際名:Ida]
・宮古島台風(昭和34年台風第14号) 1959年[国際名:Sarah]
・伊勢湾台風(昭和34年台風第15号) 1959年[国際名:Vera]
・第2室戸台風(昭和36年台風第18号) 1961年[国際名:Nancy]
・第2宮古島台風(昭和41年台風第18号) 1966年[国際名:Cora]
・第3宮古島台風(昭和43年台風第16号) 1968年[国際名:Della]
・沖永良部台風(昭和52年台風第9号) 1977年[国際名:Babe]
・令和元年房総半島台風(令和元年台風第15号) 2019年[国際名:Faxai]    
・令和元年東日本台風(令和元年台風第19号) 2019年[国際名:Hagibis]   

〇日本での最大風速ベスト10

1.昭和40年台風第23号 Shirley [1965年9月10日-西南西69.8m/s] 室戸岬(高知県)
2.ルース台風(昭和26年台風第15号) Ruth [1951年10月14日-南69.3m/s] 細島(宮崎県)
3.ルース台風(昭和26年台風第15号) Ruth [1951年10月14日-南東67.1m/s] 佐田岬(愛媛県)
4.第2室戸台風(昭和36年台風第18号) Nancy 1961年9月16日-西南西66.7m/s] 室戸岬(高知県)
5.昭和29年台風第13号 Kathy [1954年9月7日-南南西65.0m/s] 都井岬(宮崎県)
6.洞爺丸台風(昭和29年台風第15号) Marie [1954年9月27日-南南西63.3m/s] 神威岬(北海道)
7.第2宮古島台風(昭和41年台風第18号) Cora [1966年9月5日-北東60.8m/s] 宮古島(沖縄県)
8.洞爺丸台風(昭和29年台風第15号) Marie [1954年9月26日-西南西58.8m/s] 佐多岬(鹿児島県)
9.昭和45年台風第10号 Anita [1970年8月21日-北西57.5m/s] 土佐沖ノ島(高知県)
10.昭和5年台風(名称なし) - [1930年8月9日-北東57.0m/s] 南大東島(沖縄県)

〇陸上(気象官署)における観測で中心気圧が低い台風ベスト10

1.沖永良部台風(昭和52年台風第9号)907.3hPa 1977年(昭和52)9月9日観測[鹿児島県沖永良部]
2.宮古島台風(昭和34年台風第14号)908.1hPa 1959年(昭和34)9月15日観測[沖縄県宮古島]
3.室戸台風 911.6hPa 1934年(昭和9)9月21日観測[高知県室戸岬]
4.平成15年台風第14号 912.0hPa 2003年(平成15)9月11日観測[沖縄県宮古島]
5.枕崎台風(昭和20年台風第16号)916.3hPa 1945年(昭和20)9月17日観測[鹿児島県枕崎]
6.第2室戸台風(昭和36年台風第18号)918.0hPa 1961年(昭和36)9月15日観測[鹿児島県名瀬]
7.昭和5年台風 922.0hPa 1930年(昭和5)8月9日観測[沖縄県南大東島]
8.昭和38年台風第14号 923.5hPa 1963年(昭和38)9月10日観測[沖縄県石垣島]
9.平成18年台風第13号 923.8hPa 2006年(平成18)9月16日観測[沖縄県西表島]
10.平成16年台風第18号 924.4hPa 2004年(平成16)9月5日観測[沖縄県名護]

〇上陸時(直前)の中心気圧が低い台風ベスト10

1.第2室戸台風(昭和36年台風第18号)中心気圧925hPa 1961年(昭和36)9月16日9時 室戸岬西方上陸
2.伊勢湾台風(昭和34年台風第15号)中心気圧929hPa 1959年(昭和34)9月26日18時 潮岬西方上陸
3.平成5年台風第13号 中心気圧930hPa 1993年(平成5)9月3日16時 薩摩半島南部上陸
4.ルース台風(昭和26年台風第15号)中心気圧935hPa 1951年(昭和26)10月14日19時 串木野市付近上陸
5.平成3年台風第19号 中心気圧940hPa 1991年(平成3)9月27日16時 佐世保市南上陸
5.昭和46年台風第23号 中心気圧940hPa 1971年(昭和46)8月29日23時 大隅半島上陸
5.昭和40年台風第23号 中心気圧940hPa 1965年(昭和40)9月10日8時 安芸市付近上陸
5.昭和39年台風第20号 中心気圧940hPa 1964年(昭和39)9月24日17時 佐多岬上陸
5.昭和30年台風第22号 中心気圧940hPa 1955年(昭和30)9月29日22時 薩摩半島上陸
5.昭和29年台風第5号 中心気圧940hPa 1954年(昭和29)8月18日2時 鹿児島県西部上陸

※台風の正式な統計は1951年(昭和26)から開始されたので、下記の記録は参考記録扱いとされます
・室戸台風 - 中心気圧911.6hPa 1934年(昭和9)9月21日 室戸岬西方上陸
・枕崎台風(昭和20年台風第16号) 中心気圧916.3hPa 1945年(昭和20)9月17日 薩摩半島枕崎付近上陸

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1086年(応徳3)藤原通俊が『後拾遺和歌集』を完成し、奏上する(新暦10月26日)詳細
1789年(寛政元)江戸幕府が旗本・御家人救済の為の「棄捐令」を発布する(新暦11月3日)詳細
1793年(寛政5)武士・画家渡辺崋山の誕生日(新暦10月20日)詳細
1890年(明治23)和歌山県串本沖でオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号遭難事件が起こる詳細


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